星の上の馬鹿者

これは放浪記です。いろんなところに行っています。

雨とバレンタインの前日に

2022-02-13 15:18:16 | 日記

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雨です。

 

 
 

昼間っからびしゃびしゃした車の通る音が、私の個室のベランダ側からひっきりなしに聞こえてきて、カーテンを開けるまでもなく雨だなーとわかります。

そしてリビング側からはお菓子を作る音が聞こえてきまして、あぁ誰かがパンケーキでも作っているんだろうな、と推測できます。

私は薄暗いこの部屋でこれを書いています。

さっきnoteを更新しました。やたらにクソ真面目で哲学めいたことを言っていますが、あんまり深い意味を込めたつもりもないレベルのものだったりします。わりと衝動その一つで書き上げてしまうくらいでして、昨日かいた続きのまま、そのまま書き終えてしまいました。そんなものですよねー。

Note界隈にはしっかりと自分の好きなものとか、自分が誇りにしているような職業をちゃんと語っている人たちがいて、私の恥ずかしさとかコンプレックスは全身の血流に乗って身体中を巡っていくのでした。そんなものもこのびしゃびしゃの雨に流してしまいたいと、ヤケクソな比喩表現でお茶を濁してしまう日曜日です。  

ところで明日はバレンタインデーです。私も一人で生きているわけではありませんから、誰か感謝の募る人、気持ちを伝えたい人にチョコレートを渡す粋な形を見せてもいいのかもしれません。海外ではチョコレートではなく、バラ等の花をプレゼントするのが主流らしいですが、さすがに花一輪を渡すのは結構な恥ずかしさな、こんな私には似つかわしくないような気がするので、今日か明日に難波か天王寺あたりの百貨店でチョコを探そうかなと。

 

 


Go and tell it to the man who lives in hell

2022-02-12 15:34:15 | 日記

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相変わらず悔しくなったり、惨めになったりしています。それはまあいつもの通り、もはやそんなものは日常として鮮やかな色彩を放っており、自分を駆り立てるスパイスとして飲み込んでしまえるわけでして、私はいつの間にこんな強靭な胃腸を持ってしまったのだろうと考えてしまうほどです。

しかしそれとは全く別の、新しい問題が目の前に差し掛かっていることに気づいてしまったのです。

 

お金がない。

 

 

 

私が振り返るべき過去は、どこで強靭な胃腸を手にしたのかということではなく、いつから他人に大して異常な惨めさを感じるようになったのかを振り返ることでもない。どうしてこんなにお金がないのかについて、しっかりと計画に根付いた過去の振り返りをするべきだったのです。

それこそ、振り替えてみれば容易に原因を見定めることのできるものでしょう。

私が今の仕事につくことができたのは12月の中旬、2ヶ月前というつい最近のことです。それまで何をしていたのかというと、休職中という、呼び名にしてはとても都合のいい、別に何もしていない期間を過ごしていました。

その期間は実に三ヶ月ほどで、その前にしていた仕事もあったのですが、コロナウイルスの煽りを受けて事業自体がなくなってしまったり、知り合いの仕事を手伝う形で働いてみたところが、とんでもねえ重労働の極地と奴隷のような扱いを受けたりしたところだったので、限界に達してやめてしまったりと、一向にお金が貯まらない生活をしていました。

こんなんじゃ貯金ができなくて当然といえます。

それどころかこの大阪の地に来てからというもの、まともに仕事を続けてはいません。全うする力というものが前来から欠けている、欠落した肉体に憑依しているだけの私の魂は、三日坊主や飽き性であり、さらにはめんどくさがり屋な上に他人が怖かったりなど、ありとあらゆる面で仕事をしていくことに向いていないわけです。

お金というものは、おそらくですが上記の特徴に当てはまらな人、またはそういった弱点となるものを克服した人にだけ施される、「現代社会をうまく生きのびているねポイント」にしか他ならないのでしょう。学生の頃からポイントカードを貯めることに、全く興味の念を叩かせることのできない私です。常に刹那に満ちた時の間で、その場その場で頭の中で煌めく思いつきが今の私でしかないのです。ポイントを貯めることが未来への架け橋となることが、どれほど頭の中でわかりきったところで、所詮はこの今に感じるときめきには敵わないということらしいのです。衝動というのは動物的な力を発揮させる、最良の本能にも値しますが、同時に社会という成り立ちではその構築を阻害する要因としてみられることもあるわけです。忍び寄る影のように減り続ける私の貯蓄は、動物的要素を押さえつけてでも、守りぬかなければいけないのでしょう。でもそれも難しく、理性とか価値観とか、いくら頭の中で唱えてても、そもそも本能はこの次元にいるわけではないらしいのです。ではこの動物の私は果たしてどこにいるのでしょう。いつもどこかで眠っていて、大人しくしてほしい時に限って目覚めたり、力がほしい時に何も答えてくれなかったりと、融通の効かないものです。自分の力なのだから、どうにか自分の自覚の範囲で動いてくれたらいいのですが、コントロールの難易度はどれほど私自身が利口になっても、変わらないようです。

 

誰かアドバイスをください。あーーーーーーーーーー。

 

 

 

 

 

 

 


Tell me where else can I turn

2022-02-11 22:14:51 | 日記

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夕方、落ち着いた個室の中でこれを書きます。

昨日は腹が減っている中での執筆だったので、ろくに集中できないままでしたが、今日は割と落ち着いている方でしょう。とはいえ休みの日というのは、仕事の日と比べると驚くべき早さで過ぎ去ってしまうものでして、落ち着いている場合じゃねえなと、慌ててパソコンを開いた次第です。ウダウダしているとあっという間に時間は過ぎ去ってしまいます。時間はいつも残酷です。

私も少しずつ、若いと呼ばれる年齢から遠ざかっていっています。老いていくことを自分で決めたわけでもないのに、それをあまりにも悲しいように感じるのは、私がまだ若者だからでしょうか。与えられた条件に満足できないほどに子どもだからでしょうか。

私は今の自分に、どちらかといえばネガティブを拵えた不満のようなものを常に保ち続けており、それは小さな時もあれば大きな時もあり、変動を重ねて内面を漂っています。まるで深海に近づいたり遠ざかっていく鯨のようです。身体は外部からの反応に、いつも野晒しの立場で受けて立つしかなく、結局は内面の強固な姿勢がストレスを受け入れてくれるのに期待するしかないのです。

そういう面では、私はとても脆くて儚い鯨を飼い慣らしているということになるでしょう。絶滅の危機にさらされた、環境や食物連鎖の変化に振り落とされてしまいそうな、哀れな水中の生き物。

社会はどうしたって、弱者を守る摂理を保てず、常に強いやつが上を目指していく。上にあるものといえば、下を見下ろして操っていくだけです。

そのためでもなくとも、自然と出来上がる強者と弱者の組み合わせは、いつだって残酷な音を響かせて、私たちに警告しています。

そのカウントダウンは、虚無や焦燥の値が少しずつ増えていくことの印でもあり、最終的な値が判明する頃には、もうカウントダウンの数値はゼロになっているのです。

 

 

だからそう、儚くても脆くても、鯨は選べないのだから、しっかりとした自分を持っていこう。そう思いながら、少しだけ私は寝ます。

 


だんだん不思議な夜が

2022-02-10 22:21:50 | 日記

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究極にお腹が空いていますが、今のうちにこのブログは書いてしまいたい。以前の私なら夜も遅ければ、毎日更新することなんていとも容易く諦めてしまっていたものなのに、意外としつこく続けています。

本日は木曜日ですが、明日は祝日ということもあり仕事の最終日でした。休日前ということで、思いっきり体を整えてやろうと、先週も行った銭湯でサウナを堪能してきました。風呂から出るともう21時を回っており、今のご時世飲食店は軒並み店じまいをしている始末、大阪市内のど真ん中で飢え死にしそうなのを堪えて、なんとか近くの吉野家でテイクアウトをして家にたどり着きました。もう腹が減って仕方がないのですが、とにかく食べるのを我慢してこれを書いています。

昼飯だって、一人前にしては少し物足りない量のざるそばしか食べていないのに、こちとら10時間くらい何も食べていませんよ。そんなんだから仕事終わりにカラオケ行ってもすぐにバテてしまったんだ。そしてカラオケなんて行くから、銭湯から上がる頃にはもう夜も遅くなるんだ。そのあと銭湯で長々とサウナなんか入るから、こうやってブログを書くのも遅くなるんだ。もう夜の22時ですよ。あと2時間で今日が終わります。

今日1日を過ごした感想は、そうですね、昼間にnoteにて色々書き殴ったのですが、仕事のことについて思うことがわんさかと浮かびあがってきました。今の仕事にそこまでの情熱がないからこそ、どこかしらで情熱を発したい。ブログを書くことの意味はそこにあります。仕事が満たされていれば、多分プライベートの面では極力穏やかに生きていることでしょう。

仕事って基本は社会のために動いていることになるので、自分の気持ちを蔑ろにしがちです。今の私は、自分のために仕事をしていますが、社会のために自分の気持ちを無視できるのかというと、それもまた難しいし、そもそも捨てたいとも思わないわけです。それが甘えなのか、それとも芯を貫くための価値判断なのか、多分様々な場面で捉え方が変わっていくでしょう。最終的には悟りにつながるのでしょうが。

いまだに仕事に関しては、巨大な迷路の中です。そこから抜け出すこと、それも大切ですが、焦りすぎては禁物です。とりあえずご飯食べます。

 

 

 

 


物語の外へ

2022-02-08 21:41:38 | 日記

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今日はもうブログ書かなくていいかあ、とそのまま布団にくるまって、ウダウダ時間をつぶしていたのですが、結局パソコンを開いて書くことにしました。このブログを書くという行為に、段々とルーティンの色が濃くなっていくようでして、とりあえずパソコンを開いて、テキトーにカタカタしてしまっている現在夜の9時です。このブログは基本そんな具合で出来上がっており、私の日常の小さな一つと化してしまったような気がします。まるで朝起きて歯を磨くように、仕事から帰って風呂に入るように、です。

 

毎日はたくさんのルーティンで構築されています。それと同時に、たくさんのイレギュラーな出来事もまた巡り合ったりもします。とはいうものの、今日はそんな大それたイレギュラーなできごとがあったかというと、うーんどうでしょう。やはりそんな大したこともなさそうではあります。いつものように朝眠たげに起きて、嫌々ながらも御堂筋に揺られながら仕事場に行き、パソコンに向かっているうちに仕事が終わり、それで家に帰る。いつも通りすぎてホントいつも通り、少し自分の手で道筋を変えなくてはならないかもしれません。

 

結局のところ、同じような毎日に価値を見出すのは難しく、毎日を違う波で一掃させてしまえば、どんなに楽なことかと、つい夢現に考えてしまいます。少し前までは、私の住んでいたシェアハウスでの賑わいを、まさしくイレギュラーな毎日と形容するに値できるほどに、まさに毎日がお祭り騒ぎの日々でした。ボードゲームや料理やドライブに雑談に、なんでもありの毎日で、リビングは東南アジアの露店街のように騒がしかったものです。

 

そのときは確か夏頃でしたでしょうか。今では季節も変わって、それに伴うように皆の生活様式も変わっていって、落ち着きを見せています。そんな落ち着いたハウスもこれはこれで好きなのですが、みんながどう思っているのかは定かではありません。今の状況にきっと寂しさを感じる人もいるだろうし、流石になんの変化にも気づいていない人はいないだろうと思います。

 

けれどまあ、シェアハウスってメンバーの移り変わりが激しく、現在は減る予定はなくとも、増えていく予定はすでにあるので、夏頃の全盛期より人数自体は多くなっていくようです。果たしてこれが吉と出るのでしょうか。大体新しいメンバーが増えると空気は変わるので楽しみです。私が部屋に篭りがちになって、こんなブログを書いている今、リビングでの毎日の賑わいもまた見てみたい、そんな少しのジレンマもまた愛おしい真冬の日常です。