南向きのバルコニー

訪れる鳥たち、空に浮かぶいろいろな形の雲、木々の表情・・・
徒然なるままに日々のことを綴っていきたいと思います。

父の戦争体験

2012年08月14日 | 心の世界
毎年、広島、長崎原爆の日、そして終戦記念日が来る頃になると、
無性に父のことが思い出される。
父のこと、というより、父が体験した戦争、そのことを思う。

父は、学生の時、招集が来て、久留米の予備士官学校を経て、
南方の戦地に赴いた。
船で何日もかけて転々と移動し、
激戦を何とか生き延びて、
終戦を迎え、捕虜になった。

捕虜になった場所はビルマ。今のミャンマーだ。

父は陽気な人柄で、仲間(戦友)が来て、お酒が入ると、
戦地での体験を仲間と共有した。
「同じ釜の飯を食い」、生きるか死ぬかの激烈な体験を共にした仲間との絆は
とても堅く、後年、父が病気で他界するまで密だった。
私は子供の頃から少しずつ、父が仲間と話している戦争体験を聞くともなしに聞いていた。

うる覚えも、不確かなこともある。
父が元気だった時に、直接、もっと聞いておけばよかった
と今になって思う。

父の話には戦争の悲壮感はなかった。
たとえば、
船の甲板に出て、夜通しの見張りの当番の時、
貯蔵してある酒瓶を内緒で失敬して、すこしずづ飲んでいた。
と、いたずらっぽい目で話して笑った。
ある日、敵の魚雷が船めがけてみるみる飛んできて、ああもう駄目だ、と思ったら、
何とそれは不発に終わり、命拾いした話。

戦地でマラリアに罹り、高熱で生死の境をさ迷ったこと。
食べるものがなく、ねずみなど何でも口にしたこと、
夜、空を見上げると、煌々と星が輝いていた。
帰れないかもしれない遠い日本、優しい父母、弟たちを思って、
夜空を仰いでいた父の若い面影を
私は想像する。

父は星空が好きだった。
流星群が近づいてくると、
よく一緒に外に出て、夜遅くまで、空を見上げた。

星空を見るたびに、戦地でのことを思っていたのかもしれない。
目の前で死んでいった、多くの仲間を思っていたのかもしれない。

父がなくなってから、私は、南方の激戦地のことを読み物や、
大岡昇平の小説、水木しげるの書物などで読み、
父の戦争体験について深く考えた。

時には、夢で私自身がリアルに体験した。
起きてからも、それは私を息苦しくさせた。

父は、陽気で楽しい人であった。
でも、その中には、
決して口には出さない戦争体験の闇の部分も
あっただろう。

仲間が祀られている靖国神社には、
毎年必ず参拝する父であった。

今となっては叶わない願いだが
父と一緒に、ビルマを慰霊巡拝したかった。
いろんな話をしながら、
ふたりで、あちこち廻ってみたかった。



世界人類が平和でありますように

コメント
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