「終戦記念日」を「敗戦…」と言い換えるべきだ、という意見がある。
「敗戦」を直視せよ!という事だと思いますが・・・
しかしボクは「終戦」で良かったと思っています。
当初どういう意図があったかは知りませんが、「終戦」にボクらは『最終戦争』というニュアンスを読み取っていると思います。
言い換えれば、先の大戦で亡くなった方々は「最終戦争」を戦ってくれたのです。その結果日本人は「戦争をしない生き方」に辿りついたのです。だからこそ戦争をくり返す事があってはなりません。
***
終戦真際の日本人がどんな思いで戦場に赴いたかは判りません。ですが向かう時は自分の足で歩くのだし、操縦していくのですよね。・・・自分なりに割り切らないと出来ない事だと思うのです。
それなら彼らは「日本の再生」を願って、命を捧げたのだろうと思います。
日本は一度死んで、《再生》をしました。
だからあれを『最終戦争』としなければならないのです。
***
しかしながら、世界が同時に『最終戦争』を経験できれば良かったのですが、そういう《経験をしなかった国》《自覚のない国》《最終戦争を計画する国》《まさに最終戦争に臨む国》《争いの慢性化した国》などがひしめきあっています。
日本だけが勝手に「戦争は終わりました」と言っているに過ぎないとも言えるわけです。・・・そんな中を日本は生き延びていかなければなりませんね。
再生した日本をもう一度失うわけにはいきません!
そのために常になんらかの《覚悟》も必要だと思います。
***
また一方で・・・
「反戦」である為にも《覚悟》がいると思います。
戦争を始めるより過酷な《覚悟》です。
この《覚悟》なくして「反戦」は出来ないと思っているのです。
・・・しかし《覚悟》なんて無理かもしれません。
「敗戦」を直視せよ!という事だと思いますが・・・
しかしボクは「終戦」で良かったと思っています。
当初どういう意図があったかは知りませんが、「終戦」にボクらは『最終戦争』というニュアンスを読み取っていると思います。
言い換えれば、先の大戦で亡くなった方々は「最終戦争」を戦ってくれたのです。その結果日本人は「戦争をしない生き方」に辿りついたのです。だからこそ戦争をくり返す事があってはなりません。
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終戦真際の日本人がどんな思いで戦場に赴いたかは判りません。ですが向かう時は自分の足で歩くのだし、操縦していくのですよね。・・・自分なりに割り切らないと出来ない事だと思うのです。
それなら彼らは「日本の再生」を願って、命を捧げたのだろうと思います。
日本は一度死んで、《再生》をしました。
だからあれを『最終戦争』としなければならないのです。
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しかしながら、世界が同時に『最終戦争』を経験できれば良かったのですが、そういう《経験をしなかった国》《自覚のない国》《最終戦争を計画する国》《まさに最終戦争に臨む国》《争いの慢性化した国》などがひしめきあっています。
日本だけが勝手に「戦争は終わりました」と言っているに過ぎないとも言えるわけです。・・・そんな中を日本は生き延びていかなければなりませんね。
再生した日本をもう一度失うわけにはいきません!
そのために常になんらかの《覚悟》も必要だと思います。
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また一方で・・・
「反戦」である為にも《覚悟》がいると思います。
戦争を始めるより過酷な《覚悟》です。
この《覚悟》なくして「反戦」は出来ないと思っているのです。
・・・しかし《覚悟》なんて無理かもしれません。