そのようにして最初のホームステイ先での1か月の生活が始まったが、数日後に始まる「なんちゃって先生」の日々の前にやっておきたいことがあった。散髪だ。勤務地に来る前に大学のサマースクールに通ったので日本を出てからもう2か月弱も髪を切っていなかった。そこでフランス語使いのお父さん(名前はCurtという)に相談すると「僕もそろそろ行こうと思ってたから、同じところでよければ来るか?結構いいよ。安いし。」と申し出てくれたので、お願いした。
一緒に車に乗って町を南北に走るバイパスを南下する。バイパスと言ってもほとんど高速道路だ。古くからアメリカをほぼ縦断する高速道路として機能していた道路だが、このバイパスに並行するようにInterstate(州際道路とでも訳したらいいでしょうか)と呼ばれるさらに高速で走ることのできる高速道路が建設されてからはそちらが主役になったとのことだった。
そのバイパスの途中でランプを降りて左のダウンタウンの方に車が進んでいくと、どちらかというと無機的なバイパスの風景とは違って、寂れているけれども生活の匂いのするエリアに入った。右にはマクドナルド、左にはPiggly Wigglyという南部諸州でよく見かけるスーパーマーケット。そのあたりで左折するとすぐにある「Peacan Creek Shopping Center」という大きな看板がかかった建物の前に車をとめた。平屋の建屋に長屋のように4軒ほどの商店が入居しているアメリカによくある素朴な「ショッピングセンター」だった。こういうところに映画「カラテキッド」に出てきそうな空手道場やテコンドー道場も入っていることが多い。
Curtは「ここだよ。」と左から2番目の店の中に入っていく。長屋の一番左は美容院、で、二番目床屋、三番目は軍の払い下げ品の迷彩服が山に積んである店、一番右はどんな業種かはよくわからない何の変哲もないオフィスだった。
中に入ると、というか外からすでに分かったが、3人いる理容師が全員黒人のヒップホッパーのようで、客も全員が黒人の床屋だった。(髪を切るのにいらないだろう)と思わせる金の極太喜平ネックレス(笑)、NBLのユニフォームで腰パン。因みにCurtはイギリス起源の白人だ。若い頃から国外に出て異文化に触れていた人間だからか、いろいろな世界に飛び込んでいくのがすきな男だった。
普通に暮らしていると酷い差別なんかはそれほど見かけることはなく、みんな隣人や友人としてうまくやっている。職場なんかは特にそうだった。しかし、文化がそれぞれにあるので自然の成り行きで生活圏が違っている様子が見て取れることもあった。床屋はそんな例の一つのように思えた。
そこに彼はお構いなしに入っていく。本人が言う通りちょくちょく髪を切りに来ているようで、皆と世間話を始めた。しばらくすると急に思い出したように「今日は友達が髪を切りたいって言うんで連れてきた。お願いできるかな?」と。最初はギャングだらけみたいで度肝を抜かれていたが(純粋にただの偏見です)、その頃までには楽しくなってしまっていてニコニコしていると、3人のうち経営者らしい理容師が(ここに座んな)と手招きするので、そこに座った。僕がCurtよりも先のようだ。
どんな風に切ってほしいかをありったけの語彙で伝えてみたが、いまいち伝わっていない気がしたので(もうどうにでもなれ)という気に。自らまな板の上の鯉になった。ハサミは法律上使えないのか、大小二種類のバリカンで器用に髪を整えていく。ギャングのような強面の床屋は「アジア人の髪を切るのは初めてで難しい」と言った。彼がいつも切る黒人の髪は短く縮れていることが多い、一方アジア人の髪は硬く針金のようで、短く切るとハリネズミのようになってしまいうまくいかない。白人のCurtの髪はブロンドで細くて柔らかそうなので、それほど問題なく切りそろえられていく(あ、ブロンドの白人と言っても美形じゃなくてただのでかい熊おじさんです)。
散髪が終わると鏡で今一度よく見てみる。難しいと言った割には元の短髪に近いスタイルでうまくできていると思った。が、何かが違う。自分では何なのかわからなかったけれど。一年の滞在を終える直前、最後にその床屋で散髪をして帰国したら、妹や友人に「黒人の人みたいな髪型ね、アジア人だと面白い(笑)」と言われた。横と後ろがところどころ「直線」だったのだそうだ。
ともかく、それがその後一年間の僕の髪型に決定した。
床屋の代金は一回3~5ドルほどだったと記憶している。とにかく安かった。二回目からは2~3週間に一回の割合で一人で切りに行った。その間、アジア人には一度も会わなかったし、Curt以外の白人には会ったことが無かった。それがアジア人で自分だけがアクセスできる秘密基地を持っているといった優越感のようなものを僕に与えた。マウントを取る相手は周りに一人もいなかったけど(笑)。
客もその床屋では異質な僕のことが気になるらしく、後ろのベンチで待っていると同じように待っている客に話しかけられ、散髪中の客とは鏡越しにおしゃべりを楽しんだ。床屋なのに女性もよくやってきた。ある女性はいろいろと注文を付けて髪を切ってもらっているうちに、どんどん短くなってしまい、最後には「もう、全部切って」ときれいな丸坊主になった。鏡越しに、
「How do you like this?」
「Cool.」と僕。
一度ニューヨークのBronxに教職の求人があるから行ってみようか迷っているという手紙が日本人の友人からきたので、その床屋に行った時に「ニューヨークのBronxって危ないとこなんでしょ、怖いの?」と聞いてみたら、みんなBronxに普通にいそうな強面なのに口をそろえて、
「あんな恐ろしいとこには行けねーよ。」と言った。
見た目で人を判断してはいけないと思った。
僕もいつも見た目で損してるのにな(笑)。
帰国して数年たったころその町を再訪したときにCurtとメキシカンを食いながら積もる話をした。その途中「そう言えばあの床屋はもうなくなったんだ」とつぶやいた。僕らにとってはいい思い出なだけに非常に残念だった。ふと、そういえばあの床屋の店名知らないなと思い彼に聞いてみる、
「・・・そういえば全然知らなかったな。だけど、僕は”Brother“って呼んでた。」と言った。
一緒に車に乗って町を南北に走るバイパスを南下する。バイパスと言ってもほとんど高速道路だ。古くからアメリカをほぼ縦断する高速道路として機能していた道路だが、このバイパスに並行するようにInterstate(州際道路とでも訳したらいいでしょうか)と呼ばれるさらに高速で走ることのできる高速道路が建設されてからはそちらが主役になったとのことだった。
そのバイパスの途中でランプを降りて左のダウンタウンの方に車が進んでいくと、どちらかというと無機的なバイパスの風景とは違って、寂れているけれども生活の匂いのするエリアに入った。右にはマクドナルド、左にはPiggly Wigglyという南部諸州でよく見かけるスーパーマーケット。そのあたりで左折するとすぐにある「Peacan Creek Shopping Center」という大きな看板がかかった建物の前に車をとめた。平屋の建屋に長屋のように4軒ほどの商店が入居しているアメリカによくある素朴な「ショッピングセンター」だった。こういうところに映画「カラテキッド」に出てきそうな空手道場やテコンドー道場も入っていることが多い。
Curtは「ここだよ。」と左から2番目の店の中に入っていく。長屋の一番左は美容院、で、二番目床屋、三番目は軍の払い下げ品の迷彩服が山に積んである店、一番右はどんな業種かはよくわからない何の変哲もないオフィスだった。
中に入ると、というか外からすでに分かったが、3人いる理容師が全員黒人のヒップホッパーのようで、客も全員が黒人の床屋だった。(髪を切るのにいらないだろう)と思わせる金の極太喜平ネックレス(笑)、NBLのユニフォームで腰パン。因みにCurtはイギリス起源の白人だ。若い頃から国外に出て異文化に触れていた人間だからか、いろいろな世界に飛び込んでいくのがすきな男だった。
普通に暮らしていると酷い差別なんかはそれほど見かけることはなく、みんな隣人や友人としてうまくやっている。職場なんかは特にそうだった。しかし、文化がそれぞれにあるので自然の成り行きで生活圏が違っている様子が見て取れることもあった。床屋はそんな例の一つのように思えた。
そこに彼はお構いなしに入っていく。本人が言う通りちょくちょく髪を切りに来ているようで、皆と世間話を始めた。しばらくすると急に思い出したように「今日は友達が髪を切りたいって言うんで連れてきた。お願いできるかな?」と。最初はギャングだらけみたいで度肝を抜かれていたが(純粋にただの偏見です)、その頃までには楽しくなってしまっていてニコニコしていると、3人のうち経営者らしい理容師が(ここに座んな)と手招きするので、そこに座った。僕がCurtよりも先のようだ。
どんな風に切ってほしいかをありったけの語彙で伝えてみたが、いまいち伝わっていない気がしたので(もうどうにでもなれ)という気に。自らまな板の上の鯉になった。ハサミは法律上使えないのか、大小二種類のバリカンで器用に髪を整えていく。ギャングのような強面の床屋は「アジア人の髪を切るのは初めてで難しい」と言った。彼がいつも切る黒人の髪は短く縮れていることが多い、一方アジア人の髪は硬く針金のようで、短く切るとハリネズミのようになってしまいうまくいかない。白人のCurtの髪はブロンドで細くて柔らかそうなので、それほど問題なく切りそろえられていく(あ、ブロンドの白人と言っても美形じゃなくてただのでかい熊おじさんです)。
散髪が終わると鏡で今一度よく見てみる。難しいと言った割には元の短髪に近いスタイルでうまくできていると思った。が、何かが違う。自分では何なのかわからなかったけれど。一年の滞在を終える直前、最後にその床屋で散髪をして帰国したら、妹や友人に「黒人の人みたいな髪型ね、アジア人だと面白い(笑)」と言われた。横と後ろがところどころ「直線」だったのだそうだ。
ともかく、それがその後一年間の僕の髪型に決定した。
床屋の代金は一回3~5ドルほどだったと記憶している。とにかく安かった。二回目からは2~3週間に一回の割合で一人で切りに行った。その間、アジア人には一度も会わなかったし、Curt以外の白人には会ったことが無かった。それがアジア人で自分だけがアクセスできる秘密基地を持っているといった優越感のようなものを僕に与えた。マウントを取る相手は周りに一人もいなかったけど(笑)。
客もその床屋では異質な僕のことが気になるらしく、後ろのベンチで待っていると同じように待っている客に話しかけられ、散髪中の客とは鏡越しにおしゃべりを楽しんだ。床屋なのに女性もよくやってきた。ある女性はいろいろと注文を付けて髪を切ってもらっているうちに、どんどん短くなってしまい、最後には「もう、全部切って」ときれいな丸坊主になった。鏡越しに、
「How do you like this?」
「Cool.」と僕。
一度ニューヨークのBronxに教職の求人があるから行ってみようか迷っているという手紙が日本人の友人からきたので、その床屋に行った時に「ニューヨークのBronxって危ないとこなんでしょ、怖いの?」と聞いてみたら、みんなBronxに普通にいそうな強面なのに口をそろえて、
「あんな恐ろしいとこには行けねーよ。」と言った。
見た目で人を判断してはいけないと思った。
僕もいつも見た目で損してるのにな(笑)。
帰国して数年たったころその町を再訪したときにCurtとメキシカンを食いながら積もる話をした。その途中「そう言えばあの床屋はもうなくなったんだ」とつぶやいた。僕らにとってはいい思い出なだけに非常に残念だった。ふと、そういえばあの床屋の店名知らないなと思い彼に聞いてみる、
「・・・そういえば全然知らなかったな。だけど、僕は”Brother“って呼んでた。」と言った。
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