みなさん
こんにちは
復活しました
ご心配おかけしました
さて、続き
鎌倉児童会館として活用されている洋館、旧諸戸邸です
残念ながら公開されていません
鎌倉市の解説
長谷子ども会館は、横浜・戸塚出身の株仲買人、福島浪蔵の別邸として明治41年に建築された。
創建当時は、現存の洋館の北側及び東北側に和風棟も建てられ、 広大な敷地には庭園が設けられていたと考えられる。
大正10年に三重県桑名出身の富豪、二代目諸戸清六別邸となったが 大きな改造はなかったものと考えられる。
関東大震災にも建物は健在で、震災時の救療本部としても用いられていた。
昭和11年に4男の民和氏に贈与され、戦時中は一部接収を受けたらしいが その後も諸戸邸として用い続けられた。
昭和51年に所有権は諸戸産業に移り、宅地分譲が行われ、 一部が昭和55年に鎌倉市に寄贈されたが、このときには和風棟はほとんど姿を消していた。
この年、市は、プレールーム等に用いる木造平家を増築し、子ども会館としたが、 残されていた洋館部分は旧状に復する補修程度で当初の姿が残されている。
内部が見学できないのが残念です
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ご心配おかけしました
さて、続き
鎌倉児童会館として活用されている洋館、旧諸戸邸です
残念ながら公開されていません
鎌倉市の解説
長谷子ども会館は、横浜・戸塚出身の株仲買人、福島浪蔵の別邸として明治41年に建築された。
創建当時は、現存の洋館の北側及び東北側に和風棟も建てられ、 広大な敷地には庭園が設けられていたと考えられる。
大正10年に三重県桑名出身の富豪、二代目諸戸清六別邸となったが 大きな改造はなかったものと考えられる。
関東大震災にも建物は健在で、震災時の救療本部としても用いられていた。
昭和11年に4男の民和氏に贈与され、戦時中は一部接収を受けたらしいが その後も諸戸邸として用い続けられた。
昭和51年に所有権は諸戸産業に移り、宅地分譲が行われ、 一部が昭和55年に鎌倉市に寄贈されたが、このときには和風棟はほとんど姿を消していた。
この年、市は、プレールーム等に用いる木造平家を増築し、子ども会館としたが、 残されていた洋館部分は旧状に復する補修程度で当初の姿が残されている。
内部が見学できないのが残念です