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もともと特殊な弁護士だった橋下氏に普通の法律家の人権感覚を求めようとは思いませんが、こういう露骨な大衆迎合、いわゆるポピュリズムには病み上がりでも物を言いたくなる天の邪鬼な私です。
日本では教育の中立性を守っているが、朝鮮人学校の教育内容は偏向していてけしからんから無償化の対象から外す、というのでは、それ自体が教育内容への干渉であり、政治的中立性を害しているということがわからないのですね、彼は。
つまり、自分は正しい考えで朝鮮人学校は間違ったことを教えていると言うことが前提になっている(新聞記事に書かれている内容で教えているのなら私だって変だと思いますけどね)、また間違ったことを教えていれば不利益を被って差別をされてもいたしかたないということが大前提になっていますから、そういうのって少数者の人権まで擁護しようという日本国憲法の人権感覚と真っ向から反しています。
こういう人が自分が望めばいくらでも大阪の知事を続けられそうで、東京の石原知事とともに東西の要所を占めているというのが、ほんまに不幸なこの国日本という感じです。
あああ、とうとう始めちゃった時事評論。
橋下知事、朝鮮学校の教育内容調査 「権力崇拝はだめ」
朝日新聞 2010年9月1日
「日本では教育の中立性を守っており、権力崇拝は許されない。国は、違法な教育内容であったとしても公費を入れるのか」。大阪府の橋下徹知事は31日、府庁内で朝日新聞の取材に、文科省の専門家会議の報告書を批判した。
大阪府は今年度予算に、大阪朝鮮高級学校(大阪府東大阪市)の生徒についても、授業料無償化のための府独自の補助金を計上したが、橋下知事は執行を留保。府内の朝鮮学校10校への既存の振興補助金(生徒1人あたり約7万円)の打ち切りも示唆した。
橋下知事が朝鮮学校の教育内容でこだわるのは、北朝鮮指導者の個人崇拝につながりかねない教科書の記述などだ。この点については、無償化適用の反対派から批判が繰り返し出ていた。しかし、文科省の専門家会議の報告書は「具体的な教育内容については判断基準としない」とした。
これに対して、府は教科書の記述についても踏み込み、調査を進める。5月に教育学や朝鮮語の専門家、私立高校校長ら計4人の作業部会を独自に発足させ、作業部会は大阪朝鮮高級学校の「現代朝鮮歴史」の授業などを視察した。府の関係者によると、補助金支給の是非を判断する際、最も問題になりそうなのは、この科目だという。
同科の教科書では、「敬愛なる金正日(キム・ジョンイル)将軍様」と表記したり、大韓航空機爆破事件(1987年)について「韓国政府が捏造(ねつぞう)した」としたりしている。拉致問題についても反省する表現はみられないという。作業部会はこうした点も含めて検討し、9月中にも提言をまとめる方針。
橋下知事はこれまでの取材で「僕が求めていることに朝鮮学校側がきちんと答えなければ、お金は出さない」と発言。一方で、民族教育については31日、「政治的中立が保たれていれば、問題ない」と話した。
さて本題ですが、退院されて日も浅いうちに、政治的なissueの時事評論をネット上で公開的にされるのは、いかがなものかと思うのです。
なぜなら、政治的な評論に対しては反論はつきものですし、またあってしかるべきところ、体調が明らかに全快していないことが閲覧者に周知の場合には、閲覧者側には反論を極力控えようというバイアスがかかるものだからです。
このような状況の下での政治的な時事評論は、多様な意見を持った閲覧者側の一部の者からすると、残念ながらアンフェアに映る状況があると言わざるをえないのです。
もちろん、先生がいかような政治的意見を持たれましょうが、それをネット上で公開的に発言されましょうが、もとより先生の自由なのですが、ネット上で公開的に発言される場合には、容赦のない苛烈な反論に見舞われることも十分ありえ、むしろ自ら誘因すらしており、それに耐えうる体調が心身ともに現在備わっているかを、先生は、今一度再確認する必要があるのではないでしょうか?
それも覚悟の上で、自分が言わなくちゃ誰が言うんだという思いで主張されているというのならば、心配してこちらが何も言うことはないのですが、療養中の御家族の心労を想像すると、当面は全快されるまで政治的時事評論を控ええられた方が、先生自身、ご家族、先生の体調を本当に心配している閲覧者で反対意見を持つ者達にとって、先生の全快という今一番必要な果実を得られる最善の道と考えるのですが、どうですか?
できれば遠慮なく反論やご意見も頂き、ああ、やっぱりまだだめだ、となれば、もう書かないと言うことにしたいと思っていたのですが、みなさん紳士淑女だから書きにくいってことなんですね。
とはいえいいたいことはいってしまう性格なので時々フライングすると思いますが、そのときは適当にコメントお願いします>ALL
結局これがポイントでしょ?
「新聞記事に書かれている内容で教えているのなら」そんな学校に国民の税金を使うなと主張するのも国民の権利。多くの府民に支持されている橋下知事がそれに従うのも当然の職務でしょう。
あなたが朝鮮学校の教育内容が新聞記事に書かれている内容<ではない>と勝手に決めつけてるのはどういう了見なんでしょうか?
国民の税金を使って補助する限り多数の国民が
受け入れることの出来ない教育内容を持った
学校に補助すべきでないというのは極々常識的な感覚でしょう。
もちろんこれは「新聞記事に書かれている内容で教えている」ことが前提ですけどね。
もし、そうでないという証拠をあなたがお持ちなら具体的に提示してくださいな。
東京の方は良くご存じかもしれませんね。
甥っ子の夏休みの宿題を見たり,姉の話を聞いて驚きました。
小学校でもどんどんすごいスピードで進めていて,学年の途中でも普通であれば次年度の過程をしているのです。塾に通っていなければ,ついていけないような状態で,私はゆとり教育を快く思っていませんでしたが,これは早すぎだろうという率直な感想を持ちました。
教科書と夏休みの課題が全然リンクしてないんですよ。特に漢字とか全然です。
こういう状況を目の当たりにして,今の時代は大変で,親が勉強をみてやらないと学校の勉強にすらついていけない児童がたくさんいるという現状に少し憤りまで感じました。なんせ小学生ですからね。
甥っ子の隣の小学校では,運動会もないとか。
勉強の時間に充てるためだそうです。
熟練の先生は品川区のあまりの厳しい体制にどんどん他の区に流れていくとのこと。
だから若い先生しかいないとのこと。
そうなると児童の情操教育とかどうなんでしょうかね?
なんだったか忘れましたけど,先生方の間では,「島流し」をもじって,「品川流し」とかなんとか言うそうですよ。
そこで,あさんにちょっといいたいのですが,
国民が望んだ教育とは,この品川区の例も同じなのですか?
朝鮮学校が違うのであれば,この品川区の教育状態は国民が望んでいるのでしょうかね?モデルケースだから,いつか東京都はこのような体制にずっとなってしまうかもしれませんが,それでも,これはいいことなんですかね?
私は朝鮮学校の学費の免除は賛成している人間ですが,どんな教育であれ,子どもが教育を受けることについて,平等であるべきだと思うし,教育内容について朝鮮学校についていうのであれば,品川の小学校についても精査してほしいと思いますわ。
これには賛成できないですね。
一定の内容的な枠はあってしかるべきでしょう。それは教育という事業の本質上当然です。
「どんな教育であれ」というのはただの理想論でしょう。(仮に「南京大虐殺なんてなかった。日本はアジアを救うため、アジアの人民を開放するために戦争した」という内容の教科書が採用されたとしてもあなたは文句を言わないと自信をもって言い切れるのなら別ですが)
品川区の問題は品川区なり東京都なりの住民が
解決すべき問題でしょう。論点のすり替えはやめましょう。
>朝鮮学校についていうのであれば,品川の小学校についても精査してほしいと思いますわ。
まったくその通り、品川区の小学校についても精査すべきですね。
まさか、品川区の小学校について精査しないのならば、朝鮮学校についても精査すべきでない
というぶっ飛んだ主張ではないとですよね?
いや、そう思ってるのかな。。まあどちらにしても品川の問題は品川で解決してくださいな。
先生は、日本国憲法の依ってたつ価値相対主義(自由主義)の観点から、この朝鮮学校無償化除外が国家の教育に対する中立性に疑義を生じさせることと、憲法で保障された教育を平等に受ける権利は圧倒的多数の民意(民主主義)でも侵しえないということを、このエントリーで伝えたかっただけで、別に専軍政治思想教育が好ましいと考えているわけではないかと存じます。むしろ、共和国の専軍政治思想教育は、本来は先生の9条の心と真逆の思想教育といえるのです。だから、先生が共和国寄りだと疑って議論を持ちかけても徒労のすれ違いに終わると思います。
この朝鮮学校無償化反対論に反対という結論ありきのような今回の先生のエントリーに対して問うべきことは、価値相対主義は、価値相対主義を破壊するような価値絶対主義をも完全に許容して包摂しなければ価値相対主義といえなくなるのか、価値絶対主義を許容し包摂するとしても給付型行政において価値絶対主義に対してその他のものと同様に援助までしなければ価値によって優劣をつけたこととなり価値相対主義に反してしまうことになるのか、という問題にまで論及しなければ、朝鮮学校無償化除外についての教育の中立性に関する疑義について問題を提起したことにはならないということだと思うのです。
さらに、給付型行政において、憲法上外国人にも教育を受ける権利が日本国民と平等になるようにまで保障されているのか、日本国の定めるg学習指導要綱とは無縁であり事実上北朝鮮の大使館と同様の機能を果たしている在日本朝鮮人総連合会が人事権を持ち教育内容を決定し費用援助している外国の公立学校といえる実質を備えた朝鮮学校の運営費を肩代わりすることになる無償化は、憲法89条後段に完全に違反することになりはしないか、
「いかなる内容の教育であっても、民意では侵せない平等に教育を受ける人権が朝鮮学校の生徒にもある!」
「朝鮮学校無償化除外は、橋下や石原のようなポピュリズム政治家が民意を背景に自分が思うところの正しさを朝鮮学校の生徒さんに押しつけることになり、日本国憲法が立つ価値相対主義に反して教育の中立性を害するので憲法違反!」
もちろん、気が向いてちょっと書いてみた短いエントリーでそこまで書けないのはわかりますよ。
後者は典型的な人権侵害の場面になりかねないのですが、勉強している人でもあまり区別がついていないのですねえ。