
(かつては、「大飯原発の再稼働を許したら、日本の民主主義は崩壊してしまう」とのたまわっていた橋下市長なのですが、今では再稼働反対のデモを批判とは、毎度のことながら言うことがコロコロ変わりすぎですな。 「歴史に残る原発ゼロの日々を台無しにした橋下市長の裏取引は国民のみならず人類に対する犯罪だ」)
Democracyを民主主義と訳したとき、日本人は「民(たみ)が主(あるじ)になる」政治がデモクラシーであると感じたのだと思いますよ。
それに比べて、橋下さんの感覚は、民主主義というより、上下の階級差が絶対だった封建社会のまま停止しています。「下々の者が直接お上に物申すなんて畏れ多い」という感じですね。
橋下氏、首相のデモ団体との面会に疑問 「会わせてくれと言って会えるものではない」
橋下徹大阪市長は3日、首相官邸前で原発再稼働反対のデモを行う団体との面会を野田佳彦首相が受け入れる方針を決めたことについて「社会にはルールがあり、一国の首相と会わせてくれと言って会えるものではないと思う。とにかくデモをやれば民主的なルールをすっ飛ばせるというのは違うと思うし、直接会えば原発問題が解決するという話ではないと思う」と疑問を呈した。
その上で「国会議員が有権者の意見を集約して首相に伝えていけばいい」と述べた。市役所で記者団に答えた。
デモ隊が首相官邸になだれ込んだわけでもあるまいし、どこが、「民主的ルールをすっ飛ば」したというのでしょうか。
それに、むしろ、会いたがっているのは、デモを行う団体ではなく、本当は野田首相です。官邸前脱原発デモの勢いに押されて、デモ主催者に会ってでもなんとかガス抜きをしないと政権が持たない、と菅前首相が野田首相を説得したのでしょう。かえって、デモ主催者が会うのを断るかもしれませんよ。政治の天才橋下市長ともあろう者が、完全に風向きを読み違えています。
さて、橋下大阪市長は、この国は、一国の首相と普通の国民の間には厳然たる壁がある階級社会だ、と言わんばかりですが、現在の民主主義は、絶対王政や貴族社会などの階級社会を打破して実現したのです。
国民が選挙で選んだから議員になれ、内閣総理大臣になれたにすぎない「一国の首相」に、国民が会うことに何の問題があるというのでしょうか。別に「民主的なルール」違反でも何でもありません(ちゅうか、橋下さんほど野田首相を「雲の上の人」だと思っている人なんて、今の日本にいませんよ。「野田民主党政権にさえ負けて、橋下原発推進の会だとばれた橋下維新の会は、必ず「弱い者イジメ」に走る」)。
それともなんですか、大阪府知事、大阪市長を歴任し、今や自他ともに認める飛ぶ鳥の勢いの橋下徹でも、石原都知事や小沢一郎氏には会えても、首相とは会ってもらっていないのに、市長でもない“ただの市民”が「デモをやれば」首相に会えることに嫉妬でもしているのでしょうか。
そもそも、民主主義は、国民の人権を守るための統治のルールです。国民代表が政治をするのであれば、王族や貴族と違い「人民と同質」だから、人民の人権を侵害することはあるまい、という『治者と被治者の自同性』理論から導かれた原理原則です。
平たく言えば、民主主義の目的は「民を大切にする」ということに尽きます。そんな民主主義のルールを破っているのは野田民主党政権なのです。
脱原発の住民投票も、デモも否定する「橋下徹の民主主義」は、自分に「白紙委任」をくれるための道具にすぎないのでしょうね。あなたが本当にやりたいのは民主政ではなく、封建社会の専制政治なのでしょう。
一国の首相が国民の生命や安全を踏みにじるような政治を続けているときに、それに抵抗できずに容認し、逆に敢然と異議を唱え続ける民衆の足を引っ張るあなたは、なんのために、誰のために政治をしているのですか。
妬くなよな(笑)
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首相、脱原発派と面会意向 官邸前の抗議行動で
野田佳彦首相は3日、原発再稼働への反発の広がりに「反対の立場の方もぜひ(意見を)お聞かせいただきたい」と述べ、首相官邸前の抗議行動に参加する団体の代表者と面会する考えを示した。「民意軽視」の批判を受けて重い腰を上げたが、再稼働を見直す考えはなく、対応次第では反発を広げる可能性もある。
抗議行動を呼びかける13の市民団体や個人による連絡組織「首都圏反原発連合」の代表者と面会することで調整。首相は3日の内閣記者会のインタビューで「遠くない将来に実現できる」と表明した。来週中にも実現する見通しだ。
3月末から毎週金曜日に繰り広げられる抗議行動に対し、官邸内では「原発が再稼働してしまえば収束する」(スタッフ)とみていた。市民団体からの面会要請に、首相は「一つ一つデモの皆さまにお会いすることは前例がないし、そういうやり方が望ましいかどうかは別だ」と断ってきた.
朝日新聞デジタル 2012年8月4日11時8分
野田首相:反原発デモ代表者と近く面会の意向-内閣記者会と会見
8月3日(ブルームバーグ):
野田佳彦首相は3日午後、官邸前で毎週金曜日行われている反原発デモの代表者と近く面会する意向を明らかにした。内閣記者会とのインタビューで語った。
首相はデモ参加者の意見を聞く具体的な方法や日程を調整していることを明らかにした上で、「遠くない将来に実現できると思う」と語った。
デモは市民グループの「首都圏反原発連合」が主催している。民主党の鳩山由紀夫元首相は7月20日夕、官邸前で開催された原発再稼働に反対するデモに参加。その後、官邸に徒歩で入り、藤村修官房長官に対し、首相がデモ参加者の声を直接聞く機会を設定するよう求めていた。
野田首相は3日のインタビューで、菅直人前首相からも参加者と面会するよう促され、「やぶさかではない」と回答したことも明らかにした。
ほお、「何を言っても許される」のは特定の立場の人間ですか?
「どうか教授たるもの、もっと社会的常識を身につけた上で、発言は慎重に行うようお願い致します。」<
随分「教授」という立場をすごいものと思ってらっしゃるのですな。
もし相手が、専業主婦だったらどういうのでしょう。
「言論の自由」は基本的人権の重要な1つとして「日本国憲法」で保障されています。
その権利の行使として貴下が本文の内容に対し批判されるのはいいことです。
しかし、「何を言っても許されると考えていてはいけません。」は明らかに言論封殺のことばです。
だれでも 「何を言っても許される」のです。その結果が「公共の福祉に反し」「公序良俗に反する」のであれば、それは法に照らし懲罰の対象になります。これは「何かを言った」ことにたいしてではなく、それがもたらした結果に対してです。
法を学んでおられる(?)なら、まず「日本国憲法」を学ばれてはどうですか。いや、復習ですね。義務教育でも教えられていますから。
「橋下市長の考え方を推測すると、デモの面会を首相が認めることは、必ずしも有権者の意思を反映しているとは言えない、声の大きい少数者の意見に政策が左右され、結果的に多数者の意見を殺してしまうことに繋がり、妥当でないという趣旨であると思われます。」<
内容と請願者によって面会の可否を首相が判断するのは当然でしょう。
現実として、原発は国民全体の生命・財産にかかわる大きな問題です。請願者は一般の国民・市民です。「恣意的」というのではなく、話を聞くのが当然です。
国民は「国会議員」を通じてしか総理にものを言ってはいけないのですか。
請願権はこれまたすべての国民に憲法で保障されています。「デモ」という形での「集会・言論の自由」もまたしかり。
多くの人間に押しかけられて仕方なく という捉え方は野田総理にあまりにも失礼です。
なぜ国民の意思表明と外国人の自国権益に関する行動を同じように考えるのは、格闘技の試合と喧嘩での取っ組み合いを同断で論じるのと変わりありません。
ただし貴下の推測による橋下氏の発言の趣旨は、多分当たっているでしょう。
「民意」の表明を「必ずしも有権者の意思を反映しているとは言えない」という恣意的判断で無視し、「、声の大きい少数者の意見に政策が左右され、結果的に多数者の意見を殺してしまう」という橋下氏自身の施政方針そのものだからです。
よく彼の政治の本質を捉えていらっしゃると感服いたします。
ことも出来ます、仮に、たら、推測すると、とは言えない、と思われます…仮定、推測、憶測の部分を調査するって言っても脳の持ち主以外、無理です。憶測に基づかない部分を削除した残りですが……無残です。残ったのに無残とはこれいかに?
ナチスも選挙で大躍進しました。
被災者に首相が会ったことも批判する訳ですか?
声の大きい…初期のナチスか異心の会みたいですね。
もっとも、ヘタレ市長、また脱原発派になったので、脱原発のデモは充分理解できる、なんて言いかねません(憶測)。東日本での異心の会の人気落ちてますから。
市役所で国政を批判してないで、市政の仕事しろよ。
校長公募で高給の公務員を増やしてないで。
公務員批判、教育委員会非難の異心の会の集まりには、「造反有利」の幟が似合います。
今回の野田首相とデモ集団との面会は、デモを起こせば首相と会える、という悪しき前例を作ったと評価することも出来ます。あなたは反原発デモだから首相と面会したことを評価しているようですが、仮にこれが韓国人が竹島を韓国領と認めろというデモを首相官邸前で行っており、首相が面会に応じたら首相との面会を評価しますか?在日朝鮮人の方が選挙権を認めろというデモだったらどうでしょうか?
デモの内容によって面会する・しないを決定することは時の権力者の恣意的判断に委ねられることとなり、かえって不公平だということにどうして思いが至らないのでしょうか。
橋下市長は、民主的ルール=選挙と考えています。選挙により多数の有権者から選ばれた政治家の判断が多数の民意を反映すると考えることは、近代民主主義の基本中の基本です。法曹を養成されているあなたがこのような基本を理解せず、ロースクール生を相手に授業されているとは驚きです。
橋下市長の考え方を推測すると、デモの面会を首相が認めることは、必ずしも有権者の意思を反映しているとは言えない、声の大きい少数者の意見に政策が左右され、結果的に多数者の意見を殺してしまうことに繋がり、妥当でないという趣旨であると思われます。
ちなみに、何故私があなたのブログにコメントを寄せたかというと、私はあなたにお会いしたことがあるからです。その時は講師と学生という関係であり、あなたのおっしゃることに耳を傾けていましたが、今あなたのブログを読み、私はこのような人物から教えを受けていたのかと愕然としています。
どうか教授たるもの、もっと社会的常識を身につけた上で、発言は慎重に行うようお願い致します。
第1面の冒頭は
「改革を進める大阪維新の会VS現状維持の民主・自民・共産」のタイトルで、以下の文章です(表記ミス・表現ミス・文の組立てミスなどはそのままにしておきます―せめて文章くらいまともに書けよ。作文添削業者に渡したら赤ペンのチェックがいっぱい入るぞ)。
《昨年11月に大阪府知事・大阪市長選挙に勝利させていただき、「夢物語」と言われた「大阪都」が皆様のお力で確実に前進し、国をも突き動かす存在になりました。
現在のように日本国が危機的な状況では、地方議員といえど堺市の中だけを見ていては根本的な解決はできません。広い視野を持って大局的な判断が必要です。
しかしながら堺市議会では市長とソレイユ堺(民主系)・自民党・共産党の理念なき大連合が既得権の維持の為に、大阪維新の会が進めようとする改革に激しく抵抗しています。
『閉塞感を打ち破って欲しい』との市民の期待全く応えられていない堺の現状はさらなる閉塞感を生みだしはじめています。現状維持を是とする慣れ合い政治に終止符を打ち、『実行できる政治』に挑む我々『大阪維新の会堺市議会議員団』に大きなご支援、ご指導をお願い申し上げます。》
まず第1文ですが、主語がないのはさておき、「『夢物語』と言われた『大阪都構想』」とありますが、だれが「大阪都構想」を「夢」として抱いたというのか? 橋下氏に託された財界の経済集中支配策を如何にも多くの人の間でそれへの賛否が取り沙汰されていたかのように見せかける詭弁です。さらに「確実に前進し」はどういう事実に基づいての言明か不明、「国をも突き動かす存在になりました」、どう動かしたというのか?当選直後に中央政界に挨拶しに行ったり、「既存権益」確保のために当選したい国会議員が摺り寄ってきたり、国会議員を出すと言って「維新塾」なるものを作ったり、批判していた野田政権に迎合したりすることは「国をも突き動かす存在」になったこととはどう考えても言えない。誇大妄想というしかありません。
第2文、「現在のように日本国が危機的な状況」、どんな状況を言っているのかまったく不明、漠然とした言い方では「根本的な解決」がどうすることなのか示せるわけがありません。「地方議員といえど堺市の中だけを見ていては根本的な解決はできません。」、どんな状況でも自市の中しか見ていない市議会議員はいないでしょう。まして「政令指定都市」で日本経済のなかで大きな役割を果たしている堺市の議員においてをや。勝手に措定した事態に基づいて我田引水の意見を述べる「維新の会」の、もう底の割れた常套句です。「広い視野を持って大局的な判断が必要です。」国政であれ、府政であれ、市政であれ、今更言うまでもない当たり前のこと。広い視野を持って大局的に判断することが必要なのは、「維新の会」のほうです。
第4文「しかしながら堺市議会では市長とソレイユ堺(民主系)・自民党・共産党の理念なき大連合が既得権の維持の為に、大阪維新の会が進めようとする改革に激しく抵抗しています。」
<(すこし悪い言葉遣いをするのをお許しください。)おいおい、確固たる「政令指定都市」にして、「大阪市の衛星都市ではない」「南大阪の輝く中核都市を目指す」堺市に、しかも30年以上に亘って黒字財政の堺市に対し、市民や府民のためになることを何一つなしていない、否、むしろ学力を低下させひったくり件数全国第1位を実現し、職員と住民を分断し、福祉や文化施策を切り捨ててきた橋下府政・市政の責任者とその一派がよくも言えたものだ。烏滸がましいにもほどがある。「既得権の維持」? 内容不明。政調費を個人の既得権益としてそれでソファーを購入したのはだれなんだよ?
「大阪維新の会が進めようとする改革に激しく抵抗しています。」<「改革」? 地方自治と住民生活、文化としての都市の破壊を「改革」は言わない。「激しく抵抗」? 自分たちが正統・本流というつもりなんだろうが。「自由 自在 自治 自然」の堺市の破壊を企む相手を批判し行動するのは「地方自治体」として当然のこと。
第5文「『閉塞感を打ち破って欲しい』との市民の期待に全く応えられていない堺の現状はさらなる閉塞感を生みだしはじめています。」
<おいおい、堺市民の意思を捏造するなよ。事実に基づかぬ、根拠のない捏造で堺市民を馬鹿にするな! 「さらなる閉塞感を生みだしはじめています」<どんな事態からそういうのか、具体的に述べよ(あっ、国語か社会科のテストの設問みたいになりました)。春秋2回の「堺 文化財特別公開」などの展示や講演会、ウォークを含む催しにどれだけ多くの市民観光案内ボランティアの方々が積極的に協力し、多くの市民(市外の人も)が参加し、文化という共通項―共通する市民意識を持ち地域に誇りを持って活性化していることか。第5文はそうした状況に対する嫉みなのだろうか。
第6文
「現状維持を是とする慣れ合い政治」?
<これまた、どういう事態を指しているのか?
『実行できる政治』に挑む我々に挑む我々?
<ふつう「挑む」は「大敵に挑む」や「かれはライバルに挑んだ」というように使うが、
「『実行できる政治』に挑む我々」とは、自分で自分を倒そうとするとはね。
確かに破壊と略奪を実行できる政治には挑んだ方が世のため、人のため。
ray先生、長くなって多謝。
久しぶりに興奮いたしました。
この回のテーマは「百年先を見据えた夢の道ー御堂筋」。
タイトルの「御堂筋」と同様、一本、筋の通った番組でした。男女のアナウンサーが、御堂筋の歴史を過去の文書や映像、現在の様子の紹介、沿道の建築物の訪問を通じて生き生きと伝えてくれるものでしたが、番組進行役の芸人さんも悪ふざけでない軽妙さで話をつなぎ、実に充実した内容でした。
まず「我が国市政界の至宝」と称された第7代大阪市長関一(せきはじめ 在任1923~1935年 )氏の、中之島 東洋陶磁器美術館のそばににある銅像の紹介から始まり、彼の「大大阪(だいおおさか)」整備の「都市計画」の中心的な一環として、御堂筋の拡幅工事・同時に行われた市営地下鉄の建設を当時の写真・映像を交えて説明、さらに沿道の瓦斯ビル、大丸心斎橋店といった名建築とそれらが大阪の生活文化に果たした役割を語り、最後は関市長が、大阪市域を拡大したこと、さらに1935年の室戸台風の被害からの復旧の陣頭指揮をとり、その過労から没したということで締めくくっていました。
関市長の施政は「経済の発展・高度化と都市民衆の生活向上という課題を、後者を重点として、都市行政の場において結びつけて実現しようとした」(「(「大阪市史」第七巻 第一章 都市計画の展開 第一節 1 大大阪の建設))ものであり、市営公園・公営住宅の建設、道路・交通網の整備、大学の設立などにより名実ともに「大大阪」を作り上げたのです。世界大恐慌の時期にそれを切り抜け発展していこうとする大阪の活気がそこには漲っていました。
幼いころから祖母から「関さんは~」という話をよく聞かされました。 それだけ人々の記憶に強く残る方だったのでしょう。
その大阪市を解体し、切り売りし、1つの文化としての「都市」を滅ぼそうとするのが橋下氏一派であり、それを押し立てる「既得権益」勢力なのです。
彼らは地方自治体が編纂した「市史」の最高峰とされる「大阪市史」を読んだことはありますまい。いや、存在すら知らないかもしれません。
大阪は、五代友厚という実業家、関一という市長によってと同時にその方針、施策に賛同し協力する人々の日々の営為、そして「神社合祀令」に抗したことに見られる気概によって築かれてきました。
現在の大阪がいかにして築かれてきたかを知らぬ輩に大阪が滅ぼされることは絶対に阻止するべきです。
第3章 国民の権利及び義務
第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
第16条 【請願権】
何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。
第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
第28条 勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。
第8章 地方自治
第92条 地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。
第10章 最高法規
第97条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
第98条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
2 日本国が締結した条約及び確立された国際法 規は、これを誠実に遵守することを必要とする。
第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
まことにピッタリの事例です。
「造反有理の紅衛兵集会は始めましたか。次は学者・教員・公務員が嫌いなので、次は下放ですか?え?もうやってる?」もまた。
さて、橋下氏の民意否定は、5月の福祉にかかわる事業の廃止を主とする「市政改革プラン(素案)」に対して寄せられた3万近いパブリックコメントのほとんどがその内容に反対だったのをまったく顧慮せず、というより、 「そんなものは読んでない」と無視・放擲したことで既に明らかですね。
そして、気になるのは、今更橋下氏個人の能力・資質・性癖ではありません。その彼を押し立てた勢力のことです。
政治活動や社会運動でではなく、物議を醸すことで名を上げた「人気」タレントの彼を適任と拾い上げたのは、行き詰まった政財界勢力です。自分たちの政治・経済運営に国民が不信感・不満を抱いているということ、その自分たちが何をいっても聞かれないだろうことは充分わかっている。
だからこそ、一見そうした現状の打破を唱えていると人の目に映る、目立つ「人材」を走狗(ワンちゃん、ごめんなさい)・傀儡として求めたのです。
既存勢力に反対しているように見せかけて一般に訴え支持を得させる、そして首長の地位を得させるや、その利得、それこそ既得権益確保のために働かせる。
福祉・文化の切り捨て、公営企業の私企業への払い下げ、巨大開発の推進、そしてその「戦略」の道具としての従順な労働力―「人材」の育成、大阪の切り売り等々、すべて既存の政財界の権益保持のための施策です。
しかし、彼らにしてもそろそろ傀儡があまりにもお粗末だったことに気づいてよいころです。
就任して7カ月余り、任期の1/6近くを過ごして何かよくなったことが1つでもあるか、市民・府民がよかったと思える何が行われたか?
「どんなに純粋極まりない愛情もそれに報いられるところがなければついには冷めるものである。」(S・ツヴァイク)
鳴り物入りで提示された「教育クーポン」さえ機能するものとなっておらず、塾業界も歓迎です。
1000人を対象に月1万円分のクーポン配布を図ったとあるが、塾通いに月1万円は充分な額ではなく、あと7000~8000円はかかるとされる。月に7000~8000円の支出は家庭にとって小さい額ではありません。
その月1000万円を当該地区の学校の学習環境の整備、たとえば学校での、放課後補習の費用に充てることは考えないのか。教職員の過労を避けるため、補習を担当するボランティア教員をそれこそ公募してもよいでしょう。
西成区で小学校は14校、中学は6校である。1校当たり月50万円を支給できます。
校長のボーナス査定権を云々するよりもはるかに子どもたちのためになるでしょう。
そうした個別の案件でも、橋下市政はや綻びを見せています。
そうした「人材」しか拾えなかった既成勢力もそろそろ限界でしょう。
相手の首相は、一国の政治を統括する権力者です。
権力者には一人一人の国民バラバラでは話しも出来ないから団体行動で対抗する。
それをルールとして認めるのが民主主義の社会だから、首相がデモ隊と面談することが、何故ニュースになるのか?
橋下市長に教えていただきたいですね。
本家の中華人民共和国やソヴィエト連邦共和国の民主主義かも知れません。
そのうち、大阪人民、国会を全人代か最高ソヴィエトと言い出すでしょう。国会前の国民を指して、天安門事件同様の弾圧をとか。
造反有理の紅衛兵集会は始めましたか。次は学者・教員・公務員が嫌いなので、次は下放ですか?え?もうやってる?
というか橋下氏が支持を失うだけです。
国会議員が有権者の意見を「無視」して今の状況がある。
今後もズレた発言で自己崩壊 期待しています。
と書きましたが、おそらく理由の一つは、総理が反原発デモの代表と会うことになれば、橋下氏自身も同じように民衆の前に出て話すことを求められた場合拒めなくなる事態を防ぐためということです。
どんな言葉を浴びせられるかもしれぬ、そうした場は自我損傷を病的に恐れる彼が最も避けたい場であるからです。
「内弁慶」といえば聞こえはいいですが、大衆の面前では「怯え竦んで足震え」の臆病・小心さが維新の会の面々・多くの特別顧問・参与に囲まれた「巣・砦」に彼を引きこもらせ、その中でのみ何かができるのです。
封建制度も絶対王政も歴史の過程ではそれぞれ役割を果たしてきました。しかし、その役割が終わった時それらは「旧体制」(アンシャン・レジーム」という桎梏となり、打破されました。
橋下氏の場合、「デモという形の圧力に唯々諾々と屈するのは政治のトップにふさわしくない。」といった確固たる信念に基づいての発言ではないでしょう。
総理の会談受諾の余波が自分に及ぶのを防ごうと必死になって足掻いているのです。
「裸の王様」は、デモという最も直接的な民意表明の「風」に耐えられない。
「民意表明を許したら民主主義は崩壊する」とはいやはや自己防衛のためにそんな理屈をこねるとは。
まさか不倫問題を忘れてもらうためのパフォーマンス発言ではないでしょうね。
自身の施策を 「民意」「民意」と言い続けてきて、民意の直接表明を恐れるとは。橋下氏、貴下のいう「民意」とは何だったのか。