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(福井県議会で答弁する西川福井県知事)
現在、日本で54基ある原子力発電所のうち、唯一運転している北海道電力泊原発が定期点検に入れば、日本で稼働している原発はなくなります。
原発が出せる最大発電能力4000万キロワットがなくても日本が曲がりなりにもやっていけるということが、現実に目の前で実現します。
そうなると原発再稼動への国民の心理的障壁は格段に上がるでしょう。そこで、そうはさせてはならじと、新原子力ムラの野田内閣が拙速も拙速、猛スピードで関西電力大飯原発の再稼動に邁進しているわけです。
野田内閣+原子力安全・保安院+関西電力+経団連=新原子力ムラの大飯原発再稼動は完全な出来レースだ!
(大飯原発でチェルノブイリ級の原発事故が起こればこれだけの地域の住民が避難することになる)
大飯原発再稼動最後の儀式が、西川福井県知事の再稼動容認です。すでに京都府と滋賀県知事が慎重姿勢を見せているわけですが、なんと言っても大飯原発が立地している福井県の首長がどういう態度を取るかが焦点といえるわけです。
西川知事は、盛んに、国が新しい安全基準を設けるべきだと主張していましたが、国はやっつけ仕事でこれをでっち上げてしまいました。したがって、西川知事への国側の包囲網は完成しており、あとは枝野経産相が福井県に乗り込んで知事の再稼動承認を得ることで、「儀式」は終了してしまいます。
福井県の脱原発派はどう動いているのでしょうか。下の記事にもあるように、西川知事にお会いしたり、要請文や署名をお渡ししたりしているのでしょうね。
15年以上前に似たような状況を経験したことがあります。
それは、世界法廷運動(WCP=ワールドコートプロジェクト)という世界的な市民運動でした。
国際司法裁判所(ICJ)=世界法廷は、国際刑事裁判所ができる前だった当時は唯一の国連の裁判所でした。そして今でも世界で最も権威のある法的機関です。
世界法廷運動はこの国際司法裁判所に「核兵器の使用は国際法違反である」という宣言を出してもらおうという運動でした。
国際司法裁判所が出せる判断形式には判決と勧告的意見があります。判決は法的拘束力がありますが、当事者国が同意しないとそもそも手続が始まりません。勧告的意見には法的拘束力はありませんが、国連総会や国連機関が諮問すれば反対国があっても手続が始まり、国際司法裁判所は勧告的意見を出すことが出来ます。
当時は、毎年のように国連総会で核兵器廃絶決議が可決されながら、核保有国は一向に核軍縮交渉をしようとしない時期でした。
また、アメリカは日本の広島、長崎の原爆投下を太平洋戦争を終わらせるために必要な行為だったと正当化し、国際法違反であることを認めようとしていません。
私たち、核兵器廃絶を目指す世界のNGOは、世界で最も権威ある法的見解と言える国際司法裁判所の勧告的意見により、核兵器による威嚇と核兵器の使用は国際法違反であると宣言してもらい、核兵器を2度と使用できないようにし、なおかつ核による威嚇を内容とする核抑止理論も封じ込め、核兵器廃絶条約締結への第一歩としようとしたのです。
(「世界法廷」=国際司法裁判所 オランダ・ハーグ)
1992年にジュネーブで正式に始まった世界法廷運動の最初の呼びかけ団体は、私も所属する日本反核法律家協会が参加している国際反核法律家協会(IALANA)と、ともにノーベル平和賞受賞団体である国際平和ビューロー(IPB)と国際反核医師の会(IPPNW)の3団体でしたが、最後には世界で700団体、数千万人が参画する大運動になりました。
国際司法裁判所に勧告的意見を求めるためには国連総会や国連機関での諮問決議が可決される必要があるのですが、非同盟諸国がこの決議を上げようとするのに対して、核保有国、特にアメリカとフランスの妨害工作は凄まじいものでした。
たとえば、世界法廷運動のNGOと非同盟諸国は国連総会と世界保健機構(WHO)で決議を取ろうとしましたが、フランスは核兵器は国家の自衛のための選択権で国際司法裁判所では扱えないと強硬に主張しました。アメリカは援助を打ち切るぞなどと脅しを使って加盟国に圧力を加えました。現に賛成に回ったイエメンが援助を打ち切られるという制裁を受けたりもしました。
そのような国連を舞台にしたロビー活動と並行して、各国で国際司法裁判所での核兵器違法意見を求める署名活動が行われました。
1992年には弁護士になってまだ2年目だった私は、夢中になってこの運動に取り組みました。全国で講演活動をしましたし、国際司法裁判所のあるオランダのハーグには、勧告的意見の言い渡しを含めて5回も渡航しました。
日本被団協など被爆者の方々も病気がちの身体にむち打って働かれました。
日本で最も力を発揮したのは日本生協連加盟の各生協の組合員の方々でした。東京在住だった私も北だと北海道札幌や青森県弘前や五所川原、西はビキニデーに静岡県焼津の生協まで講演に行ったものです。
世界中で集まった400万人の署名のうち、日本は生協や日本青年団などを中心に半年間で日本で360万人以上の署名が集めました。この署名は、後の勧告的意見でインドネシア出身の国際司法裁判所副所長が補足意見でわざわざ触れたほどでした。
(国際司法裁判所 大法廷)
日本人にとっては、アメリカが広島と長崎で行なった行為が国際法違反というより戦争犯罪でさえあり、今後の核兵器による威嚇と使用も許されないことは明らかだと思うのですが、日本政府はそうは考えていませんでした。
外交方針として、アメリカの核の傘の元で庇護を受ける以上、核兵器を国際法違反とは言えないと彼らは考えていました。
国際司法裁判所の審理では国連加盟国は意見を述べることができるのですが、1995年1月、毎日新聞が、日本の外務省が用意している意見書には
「核兵器の使用は国際人道法の精神には反するが、国際法違反とは言えない」
と書かれていることをスクープしました。
「唯一の被曝国」として、我が国が、世界で核兵器の廃絶を訴えていると信じていた日本国民は驚愕し、激怒しました。真実は、日本は核兵器の「究極的廃絶」=期限なしを求める決議案を毎年出して、徹底した核廃絶の決議が賛成多数になる邪魔をしてアメリカを助けていたのでした。
こんな事実が明らかになって署名運動はかえって俄然盛り上がりました。
この運動はNHKでドキュメンタリー番組にもなり、下の本も出版されています。
市民の会合から国連総会の議決を経て、国際司法裁判所に持ち込まれるに至った史上初の「核兵器存在」の是非を問う司法判決の流れを、克明に辿る。
核兵器裁判 (NHKスペシャル・セレクション) NHK広島核平和プロジェクト (著)
1993年11月 世界保健機構(WHO)、1994年12月には国連総会決議がやっと可決され「核兵器による威嚇や使用の違法性」の判断を国際司法裁判所が裁くことになりました。
我々は、被爆者と日本の平岡敬広島市長と伊藤一長長崎市長に、国際司法裁判所で日本国証人として証言させるように外務省に何度も申し入れましたが、外務省はその必要はないと頑として受け付けませんでした。
そこで、世界法廷運動では一計を案じ、広島・長崎両市長をニュージーランドなどの証人として申請する運動を始めました。
日本の両市長をよその国の証人として申請されたら、日本国としては大恥です。外務省は慌てて両市長を証人申請しました。審理は1995年10月に始まり、お二人は11月に証言されることになりました。
ところが、外務省は両市長に「決して核兵器の使用が国際法違反とは言わないで欲しい」という圧力を加え始めました。そのことがわかった我々NGOは被爆者の方々を中心に何度となく両市長にお会いしましたが、日本にいる間ははっきりと国際法違反と言いますとはおっしゃってくださいませんでした。
「両市長をハーグでも応援しよう!(=取り囲もう!)」
私たちは外務省が両市長のためにハーグで取ったホテルを突き止めました。
「被爆者と市民の方々からお花をお渡しして励まそう(=最後の一押しをしよう)」と言うことになり、私はタクシーを飛ばして花束を二つ買いに行きました。
花束を受け取った伊藤長崎市長が「ちゃんと言いますから」とおっしゃったときに、私たちは胸をなで下ろしたのですが、そのあとまた外務省がディナーにお二人を奪い去ったのでした。我々は一抹の不安を胸に抱きながら、翌日の法廷を待つことになりました。
1995年11月7日。
外務省の河村審議官は、日本国の意見として、核兵器による威嚇と使用は国際法の基盤にある国際人道法の精神に反する、としか言いませんでした。ただ、国際法に違反するとまでは言えないという部分は削除されていました。
そのあと、広島・長崎両市長を紹介するときに、河村氏は,法廷に対して,両市長の意見は必ずしも日本政府の見解を表すものではないことを明らかにしました。
自分で証人申請をしておいて本当に非礼な話です。
しかし、逆にこの紹介で両市長がはっきりと核兵器の国際法違反性を証言されることがわかりました。
自らも被曝者である平岡市長のみならず、自民党県議出身で被爆市長である本岡等市長を選挙で打ち破って当選したばかりの伊藤長崎市長も、歴史に残る名証言をされました。
裁判長は日本の3人の証言が終わった後、河村審議官には何も言わず、両市長に「感動的なご証言をありがとうございました」とねぎらったものです。

(国際司法裁判所での意見陳述に臨む左から伊藤一長長崎市長、平岡敬市長、河村武和外務省審議官 1995年11月7日)
(国際司法裁判所で証言する平岡敬広島市長)
(核兵器使用の違法性について、写真パネルも使って証言する伊藤長崎市長)
1996年7月8日。
人類の歴史上初めて、核兵器の国際法違反性が裁かれる日が来ました。
国際司法裁判所の評決はなんと8対6!(一人欠員)
「核兵器の威嚇や使用は,一般的に,国際法および人道法の原則に違反する」
しかし,同時 に,「国家の存続が危ぶまれるような極端な状況下での自衛のための核兵器使用については,合法とも違法とも結論は下せない」
というものでした。これならアメリカの広島・長崎への原爆投下は文句なしに国際法違反ということになります。裁判所が判断しない部分が残ったことで、当初、日本被団協や日本の反核NGOはがっかりしたものですが、今では価値ある判断だったとして定着しています。
このとき、反対に回った6人の判事のうち、5人は当然核保有国の裁判官でした。そして、最後の一人、門前払いの却下判決を下すべきだとしたのが日本政府推薦の日本人裁判官だったことも忘れられません。
この勧告的意見を国際法の立場から詳細に解説した第一級の国際法学者による労作
核に立ち向かう国際法: 原点からの検証 藤田 久一(著)
この勧告的意見の中で、裁判官は全会一致で、「徹底的かつ効果的な国際管理のもと、全面的な核軍縮へと導く交渉を締結させることを誠実に追求する義務が存在する」ことに同意しました。
また、世界法廷運動は、核のない世界を達成するための新たな取り組みの火付け役となりました。
1998年には「中堅国家構想」という国際的市民団体のネットワークによるキャンペーンが始まり、世界法廷プロジェクトで重要な役割を果たし たニュージーランドなど7カ国と密接な連携を取りながら活動しています。
この「新アジェンダ連合」(NAC)と呼ばれるこの7カ国は、国連内で効果的に活動し、 2000年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議では、核保有国から核廃絶に向けての明確な約束をとりつけたのです。
その他の動きについてはこちら。
2005年5月、ニューヨークの国連本部で原爆犠牲者の写真を掲げて演説する長崎市の伊藤一長市長
核拡散防止条約(NPT)再検討会議を前に、核兵器廃絶を求めてニューヨーク・マンハッタンをデモ行進する伊藤長崎市長(右は秋葉広島市長)2005.05.01
世界法廷運動の最初から勧告的意見までかかわった駆け出し弁護士の私の感想はさまざまあります。
後に原爆症訴訟で厚生省がいかに腐った官庁かは嫌と言うほど思い知らされましたが、世界法廷運動で味わった外務省の官僚達の煮ても焼いても食えぬ人の悪さ、冷たさ、嘘つきぶりには本当に頭に来たものです。
逆に、被爆者のじいさま、ばあさまがたのお人柄の素晴らしさ。生協など市民運動のおばさまがたの暖かさも忘れられない思い出です。
また、世界のNGOの闘い方のダイナミックさには恐れ入りました。世界保健機構の会議が始まり、中にいる非同盟諸国へメモを渡すために、ジンバブエの代表(でかいアフリカンの男性)の名札を拾って中に入ったヨーロッパ系女性の運動家の話など、痛快でした。
そして、平岡、伊藤両市長の証言を勝ち取る、それも「国際法違反」とはっきり言っていただくための政府との攻防では、市長も人間だから弱さもあるのだから人情も大事。我々市民が市長を人間として敬意を持ち尊重すること、大切にして誉めることが大事だと痛感しました。
本島等市長の核兵器廃絶運動を批判して自民党県議から長崎市長になられた伊藤市長にとっては、このご証言体験が素晴らしい感動だったらしく、その後、目を見はるほどの変身・脱皮をされ、見事な被爆都市市長として大活躍をされたものです。
そう、長々と書いてきましたが、西川福井県知事に大飯原発再稼動に反対していただくためには、そして、日本全国の各自治体でも原発利権を手放し脱原発を進めていくためには、日頃から人間として尊重すること。
今、政府からとてつもない圧力が加わっているであろう西川知事。
突き上げるばかりでなく、市民が知事を守り、脱原発知事として育てていくのだというくらいの気持ちが必要だと思うのです。
久しぶりに青年弁護士時代の思い出を熱く語ってしまった。
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国際司法裁の「違法勧告」どう生かす(4)
中国新聞 '98/6/16
▽非核条約へNGO連帯
日本反核法律家協会事務局長 池田 真規氏 |
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いけだ・まさのり 66年弁護士登録。東京弁護士会所属。自衛隊百里基地訴訟、湾岸戦争の国費支出訴訟などを担当。日本被団協中央相談所理事。94年から現職。69歳。 |
インド、パキスタンの核実験によって核兵器廃絶運動がふりだしに戻った、という悲観論があるが、むしろ前進へのバネにするべきだ。五大国に核兵器の独占を許す核不拡散条約(NPT)の矛盾が露呈し、保有国の軍縮義務を一層明らかにしたのだから。
自衛論 無益さ証明
核兵器使用が国際法に違反するかどうかを審理した国際司法裁判所(ICJ)も、一九九六年の「勧告的意見」で、核軍縮交渉の義務を明言し、暗に保有国の怠慢を非難している。
ただ、核兵器使用を「一般的に違法」とする一方、国家の存亡に関わる極限状態での自衛的な核兵器使用についてはその判断を避けた。印パはお互いの核兵器 が国の存亡に関わると主張している。現実に「極限状態」なので、核兵器を使っても国際法違反ではないと、両国は言いかねない。
しかし、本当に核攻撃をし合えば両国とも滅亡してしまう。つまり、印パの核実験は核兵器による抑止論、自衛論の無益さを現実に証明したとも言える。
市民運動が原動力
ICJの裁判官の一人は勧告後に言っている。「他の国家や人類を滅亡に導いてまで守るべき一国の利益はない。だから核軍縮を促す政治的な警告も、あえて意見に盛り込んだ」。勧告的意見は、核兵器で国益を守る論理の破綻を指摘しているわけだ。
被爆者の間では「極限の自衛であっても核兵器使用はまかりならない」との反発もあったが、勧告的意見が核兵器廃絶の理念を明確にしたのは確か。もともと、東京地裁が六三年に示したように、核兵器使用が国際人道法に照らして違法なのは明らかだ。
市民がICJを動かした成果も、あらためて評価したい。核兵器問題をICJに持ち込んだ原動力は、法律家や医師の国際NGO(非政府組織)による国連ロビー活動だった。日本でも市民の署名運動などが盛り上がり、勧告的意見を引き出すのを後押しした。
廃絶への道筋示す
国際反核法律家協会が中心になって昨年起草した「モデル核兵器条約案」は、十五年の期限を切って核兵器を段階的に削減、廃絶する道筋を示している。核兵 器の新たな開発、保有、移譲を禁じ、同時に廃棄の手続きや検証制度を細かに定めた画期的内容だ。ICJで発揮したエネルギーを駆使し、条約実現に向けて NGOの連帯を強めたい。さらに、日本では北東アジア非核条約の実現を目指し、国民的討論を進める必要がある。
来年五月、オランダで開かれるハーグ平和アピール市民運動会議は「二十世紀は原爆投下など大量殺りくが行われた最悪の世紀だったが、悪しき奴隷制度や植 民地主義を葬った世紀でもあった」とし、人類の次の目標に核兵器廃絶を掲げている。会議には各国の法律家も参加する。ICJの勧告的意見を二十世紀の NGO活動の成果とし、人権を守る立ち場から戦争と核兵器をなくす運動を広げたい。
一カ所誤字を見つけました.本島等市長が本岡等市長になっています.
(ペガサス・ブログ版,豊島)