それでも人生にイエスと言う | |
春秋社 |
ナチスによるアウシュビッツ強制収容所での経験をもとに、全世界に衝撃を与えた『夜と霧』の著者が、その体験と思索を踏まえてすべての悩める人に「人生を肯定する」ことを訴えた感動の講演集。
明けましておめでとうございます。
当ブログ、Everyone says I love you ! の著者、宮武嶺です。
旧年中は、本当に多くの方々に読んでいただき、ありがとうございました。これからも精進して、できるだけ良い記事をアップしていけるように頑張りますので、応援のほどよろしくお願いいたします。
さて、新年ですから、なにか新しい希望に満ちた記事を書きたいと、実は旧年中からあれこれ思案してきました。
しかし、社会の状況は極めて難しいというのが実感です。
世界ではテロとの戦いという大義名分のもとに、飢餓や貧困という本当の問題をそっちのけに戦争に明け暮れています。
日本では、2012年12月の安倍自公政権の発足以来、経済状況も改善が見られないうえに、とみに言論の自由が抑圧され、特定秘密保護法や安保法制など私から見ると悪法ラッシュ。
はああああ、また一年間、この顔と付き合わないといけないのかぁぁあああ。
安倍首相「私が総理大臣としてあり得ないとこう言っているんですから間違いない」←それが一番危ない(笑)
しかも、今年は夏に参議院選挙、たぶん衆参ダブル選挙を控え、しかもまたも自民公明両党が圧勝する可能性が極めて高い情勢で、そのあとにはいよいよ憲法改悪が待っているという、日本の民主主義の土壇場、絶体絶命の状況です。
そんな時だからこそ、なんとか皆さまを力づけるような希望のある文章を書けないかと、ガンジーやキング牧師の名言集を見たりして四苦八苦していた時に見つけたのが、表題のヴィクトール・E・フランクルの言葉です。
そこで、冒頭の画像も、さっきまで見ていた紅白歌合戦で思わず大爆笑した次のにしようかなと思ったのですが、品格にちと問題ありというか、ちょっとフランクルの言うユーモアというのと違うのかな、と(笑)。
又吉の着物の下からまわしが出てきたときには、思わず、人口の4割と一緒に叫びました。
「仕込んどったんか~~~い!」
もはや歌合戦じゃない。
そこで冒頭にあげたのは、超絶対おすすめの名作映画「ライフ・イズ・ビューティフル」の決定的な場面です。
この映画を観たことがある方なら、あの一枚で涙腺崩壊ものの画像。
第二次世界大戦前夜の1939年、ユダヤ系イタリア人のグイドは、叔父を頼りに友人とともに北イタリアの田舎町にやってきた。
陽気な性格の彼は、小学校の教師ドーラと駆落ち同然で結婚。
愛息ジョズエをもうける。
やがて戦時色は次第に濃くなり、ユダヤ人に対する迫害行為が行われる。北イタリアに駐留してきたナチス・ドイツによって、3人は強制収容所に送られてしまう。
母と引き離され不安がるジョズエに対しグイドは嘘をつく。
「これはゲームなんだ。泣いたり、ママに会いたがったりしたら減点。
いい子にしていれば点数がもらえて、1000点たまったら勝ち。勝ったら、本物の戦車に乗っておうちに帰れるんだ」。
というわけで、記念すべき2016年第一回の記事は、名著「夜と霧」と名画「ライフ・イズ・ビューティフル」の力を借りて、これから我々を襲ってくるかもしれない究極の状況におかれても、いかに人間は自分のままで生きることができるのか、ということを見ていきたいと思います。
夜と霧――ドイツ強制収容所の体験記録 | |
みすず書房 |
本書は、みずからユダヤ人としてアウシュヴィッツに囚われ、奇蹟的に生還した著者の「強制収容所における一心理学者の体験」(原題)である。
「この本は冷静な心理学者の眼でみられた、限界状況における人間の姿の記録である。
そしてそこには、人間の精神の高さと人間の善意への限りない信仰があふれている。
「言語を絶する感動」と評され、人間の偉大と悲惨をあますところなく描いた本書は、
日本をはじめ世界的なロングセラーとして600万を超える読者に読みつがれ、現在にいたっている。
では、これも名著、鈴木博 「自分が源泉」に、フランクルの『夜の霧」とはどんな作品かを解説してもらいましょう。
『確かに自分自身の力ではとうてい及ばない圧倒的な力の支配下におかれたり、自分ではどうしようもない状況が起こったりすることがあります。そのようなときにも「自分が源泉」を生きるということは、どういうことなのでしょうか?
この問いかけに大きな示唆を与えてくれるのは、オーストリアの精神科医ヴィクトール・フランクルです。彼はユダヤ人であるがゆえにナチスによって捕らえられ強制収容所に送られました。そして、ナチス・ドイツ下の収容所での自らの体験を著書『夜と霧』に記しました。
「こんな悲惨な状況の中では、誰もが人間性を失ってもおかしくはない」。』
『フランクルは、強制収容所の中で多くの「普通の人たち」が今日を生き延びるためにどんなことでもやり、人間の尊厳さえも失っていくのを見ました。
そんなある日、フランクルは驚くべき光景を目にします。
それは、そんな絶望的な状況にあっても、人間としての尊厳を失わず、他者に対して優しく思いやりのある態度や高潔な態度でいる人の存在でした。死んだ方がましだと思えるような極限状態の中で、いかにして人間が生き延びることができたのか。
その答えがこの「人間としての尊厳」だったのです。』
『彼は人間から決して奪うことのできない唯一のものがあることを発見しました。
それは、どのような状況下であっても自らの心の姿勢は選択できること、自らの生き方は選択できるということです。
彼はこのことを「人間の最後の自由」と呼びました。
それこそが人間に与えられた最後の自由だとフランクルは発見したのです。強制収容所の体験から、フランクルは「人生の根源的事実」について以下のように語っています。
(自らも含めた収容者たちの極限的な精神状態に触れて)
・・・・・つまり人間は一人ひとり、このような状況にあってもなお、収容所にいれられた自分がどのような精神的存在になるかについて、何らかの決断を下せるのだ。典型的な「被収容者」になるか、あるいは収容所に居てもなお人間として踏みとどまり、おのれの尊厳を守る人間になるかは、自分自身が決めることなのだ。
ヴィクトール・フランクル(霜山徳爾訳)「夜と霧」みすず書房 一九五六)
つまり、それがどのような状態であっても、その状態をどうとらえるかはすべては自分が創りだすことができるのです。』
夜と霧 新版 | |
みすず書房 |
〈わたしたちは、おそらくこれまでのどの時代の人間も知らなかった「人間」を知った。
では、この人間とはなにものか。
人間とは、人間とはなにかをつねに決定する存在だ。
人間とは、ガス室を発明した存在だ。
しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ〉
さらに、NHK 「100分de名著 フランクル夜と霧」に解説してもらいます。
『収容所では様々な「選抜」が行われた。ガス室に送られるか、あるいはどの収容所に移されるかは、ちょっとした偶然で決まった。先が見えない中、収容所ではクリスマスに解放されるとのうわさが広まった。
しかしそれが裏切られると、急に力つきてしまう人が多かった。自暴自棄になり、食料と交換できる貴重な煙草に吸いつくしてしまう者もいた。
過酷な環境の中で、フランクルは考える。心の支え、つまり生きる目的を持つことが、生き残る唯一の道であると―。
フランクルは、収容所での出来事を通して、「生きる意味」を学び取ろうと決め、人間の心理について冷静な分析を行う。そしてついに解放され、奇跡的な生還を果たす。』
『私たちは、自由で自己実現が約束されている環境こそが幸せだと思っている。しかし災害や病気などに見舞われた時、その希望は潰える。収容所はその最悪のケースだ。
しかしそれでも、幸せはまだ近くにあるのではないかとフランクルは考えた。
人間は欲望だけではなく、家族愛や仕事への献身など、様々な使命感を持って生きている。どんな状況でも、今を大事にして自分の本分を尽くし、人の役にたつこと。そこに生きがいを見いだすことが大事なのではないかとフランクルは考えた。
そして医師としてチフス患者の病棟で働きながら、仲間たちに希望の持ち方を語った。』
『収容所では、極限状態でも人間性を失わなかった者がいた。囚人たちは、時には演芸会を催して音楽を楽しみ、美しい夕焼けに心を奪われた。
フランクルは、そうした姿を見て、人間には「創造する喜び」と「美や真理、愛などを体験する喜び」があると考えるようになる。
しかし過酷な運命に打ちのめされていては、こうした喜びを感じとることはできない。
運命に毅然とした態度をとり、どんな状況でも一瞬一瞬を大切にすること。それが生きがいを見いだす力になるとフランクルは考える。幸福を感じ取る力を持てるかどうかは、運命への向き合い方で決まるのだ。』
いずれにしても、これから毎年毎年困難な状況になっていく世の中。
あるいは、人間の尊厳を失っていく人を遠くにだけでなく、身の回りで見ることもあるかもしれません。
しかし、どんな状況であっても、自分が自分の心の在り方を決める「人間最後の自由」だけはわたしたちだけのもの。決して奪われない、失わないことができるのです。
「幸福を感じ取る力を持てるかどうかは、運命への向き合い方で決まるのだ」
このブログは、今年もヒューマニズムの旗を高く掲げて、ビクとも譲らないことをここにお誓い申し上げたいと思います。
こんな感じで!?
5年連続で、おんなじ歌、女々しく大晦日に歌ったるわ!的に。
どうしても最後に落としたくなる当ブログとわたくしめを、今年もよろしくお願いいたしますm(__)m
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www
手をつなぎ合ってる!!
以前、過去ログのページ数がすごいことになっているのに気付き、どれどれ、昔はどんなことを書いておられたのかと、少し拾い読みをしてみたら、、、
爆笑!!
でも、微笑ましくていいですね。
お嬢ちゃまは、思春期には、この写真を見て胸悪いとお思いになるかもしれませんが、後年、また考えが変わり、父親が自分にかけてくれた愛情を偲ぶようになるでしょう。
とにかく、ベタベタ、メロメロなのです。
こんな甘々のパパ、見たことない(笑)。
あ、それで昔のブログは、内輪報告会みたいな趣きでした。
管理人様、コメント欄でお会いする読者の皆様、今年もよろしくお願い申し上げます。
さて、管理人様の危機感が、良く表れた本年始めの本稿では、ナチス・ドイツの強制収容所を描かれた映画が登場し、現下の日本をアウシュビッツに準えられたようにも思えます。
確かに、私自身の身辺を考えても、息の詰まる状況ですので、直接生命の危険が及ぶ現況では無いものの、当らずとも遠からず、の感があります。
未だ強制収容所では無いものの、戦時下とそう隔絶した状況でも無いようにも思えるのです。
戦時下と云えば、80年代に観ましたイギリス映画に、未だに忘れられないものがあります。
Hope and Glory と原題では云います。 日本語の題名は、「戦場の小さな天使たち」と馬鹿らしいものでしたが、監督の幼少時の実体験と思慕が込められていましたし、全編に渡り、英国的なユーモアが溢れているようで、見終わって、何とも言えない爽やかな感想につつまれるようでした。
苦境にあっても、ユーモアで笑い飛ばすような下町に住む庶民の暮らしを描いていたからです。
戦争中なのに、とても面白いエピソードが挿入されてもいました。 それは、撃墜されてパラシュートで脱出したドイツ空軍の若いパイロットが、見物に周囲を取り囲んだ住民の中の若い女性と笑顔を交すものでした。 男女には、敵も味方もないのよ、と言いたげに。
映画の終章では、ナチス・ドイツ空軍に依り爆撃を受けた小学校が休校になり、子供たちが歓声を挙げて、「Thank you Adolf !」とヒトラーに礼を述べて終わります。
Hope and Glory Official Trailer #1 - Ian Bannen Movie (1987) HD
https://www.youtube.com/watch?v=32wyLEBf60c
当方、お笑い好き。特にナイツ、サンドウィッチマンがお気に入りです。ナイツ辺りが政治風刺漫才なんかしてくれたら結構いい感じだと思いますが。
官邸が安倍下ろしをおさえるために流したものだと思いますけどね
国会を開かないことで底上げした政党支持率だけをもって割り振っただけの
そもそもそんなに強いのなら国会逃げないわけで
rayさん、もしかして今年の抱負は・・・監督デビュー?
さっそくですが、バードさん、よくもさらしてくれたな(笑)。
娘は小学校に上がる前には、ほっぺにお父さんがチュ~~~っとすると、あわてて手で頬をぬぐうようになっちゃったんですよね(笑)。
最近は丁寧語で話されてます(涙)。
去年ハバードさんの登場でほんとに笑わせていただきました。今年も毒舌よろしくお願いいたします。
とら猫イーチさん、ライフ・イズ・ビューティフルも非常に感傷的な映画でして、とても醜状所の実態を描いたとは言えない映画でした。
が、人の本質には触れていたかなと思います。
今年も物事の本質に迫るコメント、よろしくお願いいたします。
リベラ・メさん、大阪ダブル選挙はまだしも地方選挙だったんですが、今年のダブル選挙で衆参両方とも与党が3分の2異常とかになったら、ほんとに剣が峰ですね。
でも、そんなときこそ、相手ににっこり余裕で微笑んで見せなくては。
リベラ・メさんはコメント数ナンバーワンでしたね!ありがとうございました!
一国民さんにも多数コメントいただきました。うちのコメンテーター一の情熱家がなんとお笑いファンとは。
しかも、サンドファンで共通しているとは心強いです(笑)。
やはりお笑いは作りこんでほしいですよね。
今年も考え込ませるコメント、よろしくお願いいたします。
個性的な通りすがりさんも、無理やりハンドルネームを変えていただいて以来、ちょくちょく通りすがっていただきありがとうございました。
ところで、安倍政権が勝ちそうな感触ないですか?私、まったく楽観しておりません。
ともかく、できたらさらに素敵なハンドルネームにバージョンアップしていただいて、今年もよろしくお願いいたします。
keiさん、もともと映画ファンの私の作るこのブログは、今ではトップ画像から作成に入るくらいで、紙芝居的、プレゼンテーションだと思っています。でも趣味は仕事にはしない方針。
keiさんが一番永くお付き合いのコメンテーターのおひとりになりましたね。今年もご健筆よろしくお願いいたします。