
2015年6月4日の憲法審査会で、よりによって与党が推薦した参考人を含めて、3人の憲法学者がすべて集団的自衛権の行使を含む「安保法制」=戦争法案が違憲であると断言しました。
憲法審査会全参考人が「安保関連法案は違憲」。しかし産経の見出しは「GHQ憲法、押しつけは歴史的事実」
安倍政権は、本日6月9日、これら憲法学者に反論する「安全保障」関連法案は憲法違反にあたらないとする見解を国会に提示することにしています。
また自民党内部でも相当動揺があるようで、自民党が所属議員に「安保」法案は合憲だと正当性を訴える文書を、憲法審査会の翌日の5日に配布したということを時事通信が伝えています(時事通信 2015/06/08-22:55)。
集団的自衛権「違憲でない」=自民、憲法学者に反論-文書作成し所属議員へ配布
それによると、
『自民党が集団的自衛権行使を可能にする安全保障関連法案について、「決して憲法違反だとか立憲主義の逸脱ということはない」として正当性を訴える文書を作成し、党所属議員に配布したことが、8日分かった。』
『それによると、「かつてほとんどの憲法学者は自衛隊が違憲だと言っていた」「そもそも憲法判断の最高の権威は最高裁」などとして、学者の意見をけん制。
最高裁による1959年の砂川事件判決で、自国の存立のために必要な自衛措置は認められるとされたことに触れ、「最高裁のいう自衛権に個別的自衛権か集団的自衛権かの区別はない」と指摘し、「日本の存立を根底から覆すような場合」は「集団的自衛権を行使することは何ら憲法に反するものではない」と強調した。』
ということです。
かつて弁護士の高村自民党副総裁が「砂川最高裁判決は集団的自衛権の行使を容認している」と同判決を利用しようとしたのに対して、同じく弁護士である与党公明党の山口代表、北側副代表から「個別的自衛権を認めた判決だ」とたしなめられたことがあります。
しかし、たぶん、本日出される政府見解でもこの砂川判決を誤用・悪用してくると思われるので、先に砂川最高裁判決は集団的自衛権については一言も触れていないということを確認しておきたいと思います。
それにしても、予想とおりの政府見解が出てきたときに、公明党の幹部たちがどんなコメントをするかは見ものですね。
さて、まず、砂川事件とはどんな事件かを見ておきたいと思います。これは実は米軍基地と日米安保条約についての判決で、刑事事件についての判決の傍論で憲法判断がされた判決です。
事件は東京・米軍立川基地の砂川町などへの拡張に反対する「砂川闘争」の最中に起きました。1957年7月に反対派が基地内に立ち入ったとして日米安全保障条約に基づく刑事特別法違反(施設または区域を侵す罪)で、学生らが裁判にかけられました。
この砂川事件の公判で、被告人らは起訴された根拠法である安保条約やそれに基づく米軍の駐留が憲法に違反しているから無罪であると主張し、東京地裁の伊達秋雄裁判長は憲法9条に駐留米軍は違反するとして全員無罪の判決を出しました。
これが憲法裁判史上に燦然と輝く有名な「伊達判決」です。
さて、法律や行政が憲法に適合するか違反するかを判断する「違憲審査権」は地方裁判所、高等裁判所も持っていますが(憲法81条)、地裁で違憲判断が出た場合は通常の高等裁判所への控訴を飛び越して最終判断する最高裁へ跳躍上告できるので(刑事訴訟法第406条、刑事訴訟規則第254条及び第255条)、検察官はいきなり最高裁に上告しました。
そして、1959年12月に出されたその最高裁判決で、地裁判決は破棄差し戻しとなり、差し戻し審では有罪(罰金2000円)となって、これが1963年に確定しました。
なお、年表を見ていただくと明らかなように、日米安保条約は安倍首相の祖父の岸信介内閣のもと、1960年に改定時期を迎えていたのですが、安保条約を合憲とする砂川最高裁判決はそれに間に合うようにギリギリ1959年中に出されていることがわかりますね。
そして驚くべきことに、この判決に当たっては、アメリカから最高裁に圧力がかけられていたことが、米国立公文書館で発見された計3本の公電などで明らかになっています。あらゆる権力・勢力から独立していないといけない日本の司法権が、よりによって外国の権力に指揮されていただなんて、いかに日本がアメリカに従属しているかがわかる事件です。
水島朝穂早稲田大学教授 砂川事件最高裁判決の「仕掛け人」 2008年5月26日
NHK 「司法権の独立揺るがす資料見つかる」 2013年4月8日
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砂川事件と田中最高裁長官 |
布川玲子 (著, 編集), 新原昭治 (著, 編集) | |
日本評論社 |
60年安保改定交渉の山場に出された砂川事件伊達判決は、米国にとって途方もない脅威だった。極秘だった新資料によって裏舞台を暴く。伊達判決をつぶし60年安保改定を強行した裏舞台の全て。
1959年安保改定交渉大詰め時の米解禁文書群から執念で発掘した極秘文書等22の新資料を網羅、整序する。日米政府にとって駐留米軍を違憲とした伊達判決がいかに脅威であったか、それを葬るためにいかなる作戦が秘密裏に謀られたか、その中で、田中耕太郎最高裁長官が大法廷で覆すことをどんなふうに米国と裏約束したのか…、基地問題、集団的自衛権など、日米同盟の深化に向かう今日の日本の国のかたちを決定づけた時期に司法の果たした役割がいま明らかにされる。
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検証・法治国家崩壊 (「戦後再発見」双書3) |
吉田 敏浩 (著), 新原 昭治 (著), 末浪 靖司 (著) | |
創元社 |
1959年12月16日、在日米軍と憲法九条をめぐって下されたひとつの最高裁判決(「砂川事件最高裁判決」)。アメリカ政府の違法な政治工作のもと出されたこの判決によって、在日米軍は事実上の治外法権を獲得し、日本国憲法もまた、その機能を停止することになった…。大宅賞作家の吉田敏浩が、機密文書を発掘した新原昭治、末浪靖司の全面協力を得て、最高裁大法廷で起きたこの「戦後最大の事件」を徹底検証する!!
さて、この砂川最高裁判決の自衛権に関する部分の判決要旨は以下の通りです(末尾に該当部分の判決全文)。
1 憲法第九条第二項が戦力の不保持を規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持し、自らその主体となつて、これに指揮権、管理権を行使することにより、同条第一項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起すことのないようにするためである。
2 憲法第九条はわが国が主権国として有する固有の自衛権を何ら否定してはいない。
3 わが国が、自国の平和と安全とを維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置を執り得ることは、国家固有の権能の行使であつて、憲法は何らこれを禁止するものではない。
4 憲法は、右自衛のための措置を、国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事措置等に限定していないのであつて、わが国の平和と安全を維持するためにふさわしい方式または手段である限り、国際情勢の実情に則し適当と認められる以上、他国に安全保障を求めることを何ら禁ずるものではない。
5 わが国が主体となつて指揮権、管理権を行使し得ない外国軍隊はたとえそれがわが国に駐留するとしても憲法第九条第二項の「戦力」には該当しない。
徹底した戦力不保持と交戦権の否認を規定した憲法9条が、外国との軍事同盟と外国軍隊駐留(日米安保条約と米軍基地)を許しているはずがない。
当たり前の論理で違憲判決を下した伊達判決をひっくり返した天下の悪判決、砂川事件最高裁判決がアメリカの圧力によるものだったとは、日本の司法はここまで腐っていたかと、我々日本の法律家も驚いた。
そんな判決でさえさらに悪用し、判決が何も言っていない集団的自衛権の行使を容認されていると言い張る安倍政権のおぞましさは筆舌に尽くしがたい。
以上のように、本裁判では、日米安保条約とそれに基づく米軍の駐留が憲法9条に反するか否かが判断されたもので、アメリカが攻められたときに日本の自衛隊が助太刀に行けるかという集団的自衛権の話は全く出てきていません。
そもそも、この判例には一回も自衛隊という言葉が出てこないのです!
それなのに、安倍政権は安保条約とアメリカ軍の話が砂川事件では出てくるので、集団的自衛権の話をしていると錯覚している(錯覚させようとしている)わけです。
さて、上記1~3の部分の判決原文をさらに詳しく見ますと、砂川最高裁判決は
「これによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく」
「しからば、わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。」
としていまして、この「固有の自衛権」という部分で、安倍政権は集団的自衛権も含めて肯定されているのだと言いたいわけです。
しかし、上の一文目の後は
「わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。」
と続いていて、憲法9条が日本が無防備とは規定していない、つまり日本に個別的自衛権があるという話になっています。
さらに、4の判決文を見るとこの判決は、
「憲法九条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではないのである。」
と言っており、我が国が「その=自国」の平和と安全を維持するために、「必要な自衛のための措置」として「他国に安全保障を求めること」=日米安保条約が許されるということを言っているにすぎず、集団的自衛権=「アメリカが攻められたときに日本が助けに行けるかどうか」については何ら語っていないのです。
さらに、この項の結論部分5では、
「従つて同条二項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである。」
とあるように、最高裁は日米安保条約に基づく米軍は憲法9条で保持が禁止された「戦力」の範疇外であると言っているだけです。
さらに注目すべきは、ここで
「同条二項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として」
としているように、この判決は自衛のための戦力の保持が禁止されているか、自衛隊が合憲かどうかさえ判断はしていないのです。
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「法の番人」内閣法制局の矜持 |
阪田 雅裕 (著), 川口 創 (著) | |
大月書店 |
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政府の憲法解釈 |
阪田 雅裕 著 | |
有斐閣 |
60余年積み重ねられてきた政府の憲法解釈とは
政府の憲法解釈とは何か,これまで憲法の各条文について国会・行政の場でどのような議論が交わされてきたのかを,国会議事録・答弁書等を資料として引用し,元内閣法制局長官である著者が詳解する。憲法改正を語る前に理解すべき,政府の憲法解釈を知るための書。
そもそも、この判決は最初に言いましたように、日米安保条約に基づく米軍基地に対して犯罪行為を行ったという被疑事実で起訴された被告人らが、自分らを有罪とする根拠になるこの条約などが憲法違反で無効だと争った事案です。
ですから、集団的自衛権=「アメリカが攻められたときに日本が助けに行く権利」は問題になりようがないのです。
むしろ、この砂川判決直後、当の安倍首相のおじいちゃんの岸信介首相(当時)が集団的自衛権について
「憲法上は、日本は持っていない」(1960年3月31日、参院予算委)
と答弁するなど、むしろ集団的自衛権の行使は憲法上許されないとの解釈が確立しています。
したがって、もし、本日また安倍内閣が、
砂川最高裁判決によって集団的自衛権は「固有の自衛権」として容認されている
とか何とか言いだしたら、
ほら、安倍政権がまた大法螺吹いてるよ
とご家族、ご友人に教えてあげてくださいませ。
なお、最高裁が憲法解釈をする最終的判断権者で、政府は憲法学者の意見など聞かなくていいという言い分・誤解に対する批判は、こちらの記事でしておきましたので、あわせてお読みください。
中谷防衛相の「現在の憲法をいかにこの法案に適応させていけばいいのか」発言の衝撃と野党の腰砕け
なにしろ判決文に対する評釈なので、私の力では、どうやってもこれ以上はわかりやすく解説できませんでした。
なんとか読み切ってくださるとありがたいです。
よろしかったら大変お手数とは存じますが、上下ともクリックしてくださると大変うれしいです!
【ミュンヘン(ドイツ南部)=高山晶一】先進七カ国(G7)首脳会議(サミット)は八日(日本時間同日)、中国を念頭に、東シナ海と南シナ海での力による「現状変更の試み」への反対などを盛り込んだ首脳宣言を採択して閉幕した。安倍晋三首相はその後、内外記者会見に臨み、他国を武力で守る集団的自衛権の行使容認などを含む安全保障関連法案に関し、憲法学者から「違憲立法」との指摘が相次いでいることに対し「憲法の基本的論理は全く変わっていない」と反論し、法案撤回にも言及しなかった。
首相は法案が合憲との根拠について一九五九年の最高裁による砂川事件判決を挙げ「わが国の存立を全うするために自衛の措置を取りうることは国家権能として当然のこと」と指摘。その上で今回の集団的自衛権の行使容認に関し「他国の防衛を目的とするのでなく、最高裁判決に沿ったものであるのは明白」と述べた。
砂川事件は五七年に東京都砂川町(現立川市)の米軍立川基地拡張に反対し、基地内に立ち入ったデモ隊の一部が日米安全保障条約に基づく刑事特別法違反の罪で起訴され、裁判で米軍駐留の合憲性が問われた。最高裁判決は日本の個別的自衛権を認めたもので集団的自衛権は問題になっていないとの考えが一般的学説。
また首相は会見で、集団的自衛権の行使を認める場合の武力行使の新三要件にも言及。他国への攻撃であっても日本の存立が脅かされ、国民の権利が覆される明白な危険があるといった新三要件に基づき「憲法の基本的な論理は貫かれている」と強調した。新三要件に適合するかどうかは政府の判断に委ねられ、行使の基準があいまいとの指摘には答えなかった。
自民党が集団的自衛権行使を可能にする安全保障関連法案について、「決して憲法違反だとか立憲主義の逸脱ということはない」として正当性を訴える文書を作成し、党所属議員に配布したことが、8日分かった。衆院憲法審査会で憲法学者3人全員が「違憲」と表明したことに反論するのが狙い。党の主張を街頭演説などで国民に浸透させ、法案への理解を求めていく考えだが、違憲論の沈静化につながるかは不透明だ。
集団的自衛権行使をめぐっては、4日の憲法審で自民党が推薦した早大教授の長谷部恭男氏を含む憲法学者3人が「憲法違反」と明言し、波紋が広がった。衆院特別委員会の法案審議で野党が合憲性を追及しており、自民党として明確に反論する必要があると判断した。文書は党政調がまとめ、5日に配布された。
それによると、「かつてほとんどの憲法学者は自衛隊が違憲だと言っていた」「そもそも憲法判断の最高の権威は最高裁」などとして、学者の意見をけん制。最高裁による1959年の砂川事件判決で、自国の存立のために必要な自衛措置は認められるとされたことに触れ、「最高裁のいう自衛権に個別的自衛権か集団的自衛権かの区別はない」と指摘し、「日本の存立を根底から覆すような場合」は「集団的自衛権を行使することは何ら憲法に反するものではない」と強調した。
[時事通信社]
集団的自衛権―砂川判決のご都合解釈
2014年4月6日02時10分 朝日新聞
だが、この判決は、専門家の間ではそうした理解はされていない。都合のいい曲解だ。
事件が起きたのは57年。米軍旧立川基地の拡張に反対する学生らが基地に立ち入り、日米安保条約に基づく刑事特別法違反で逮捕・起訴された。
東京地裁は米軍駐留は憲法9条に反するとして無罪にしたが、最高裁はこれを破棄。外国軍は9条が禁じる戦力には当たらないとする一方、安保条約の違憲性については「統治行為論」によって判断を避けた。
判決は、9条が固有の自衛権を否定したものではないとしたうえで、こう述べる。
「わが国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然」
これをとらえ、自民党の高村正彦副総裁は「最高裁は個別的、集団的を区別せず自衛権を認めている。内閣法制局が『集団的自衛権は使えない』というのはだいぶ飛躍がある」と語る。集団的自衛権も必要最小限なら認められるというわけだ。
判決が出たのは、自衛隊発足から5年後。9条が保有を禁じている戦力とは何か、自衛隊は合憲なのかどうかが国会で盛んに議論されていたころだ。
裁判の争点は、在日米軍が戦力にあたるのか、裁判所が条約の違憲性を審査できるか否かというところにあった。日本の集団的自衛権の有無が争われたわけではない。
公明党の山口代表が「個別的自衛権を認めた判決と理解してきた」と語る通りだ。公明党は、自民党の身勝手な理屈を受け入れるべきではない。
砂川判決が集団的自衛権を認めているならば、その後に確立されていった内閣の憲法解釈にも反映されて当然なのに、そうはなっていない。
学説としてまともに取り上げられていない解釈を、あたかも最高裁の権威に裏付けられたかのように振りかざすのは、誤った判断材料を国民に与えることになりかねない。
「立憲主義に反する」と批判される自民党にしてみれば、最高裁判決を錦の御旗にしたいのだろう。だが、こんなこじつけに説得力があるはずもない。
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▽学説なし
「素直に読めば個別的自衛権の話と分かる。判決から集団的自衛権の行使が基礎付けられるとする学者は、知る限りではいない」。3月末、 長谷部恭男 (はせべ・やすお) 東大教授(現早稲田大大学院教授、憲法学)は日本記者クラブでの講演でこう皮肉った。
砂川事件では57年、東京都砂川町(現立川市)の米軍基地に入ったデモ隊7人が刑事特別法違反罪で起訴された。東京地裁は59年3月、駐留米軍を憲法9条違反の戦力だとして、無罪判決を言い渡した。裁判長名にちなみ伊達判決と呼ばれる。
高裁を飛び越す「跳躍上告」を受けた最高裁は同12月、戦力に当たらないと逆の判断をして一審判決を破棄。一方、旧日米安全保障条約の合憲性を「高度の政治性があり、司法審査権の範囲外」として判断を避けた。
▽我田引水
政府・自民党がよりどころとするのは最高裁判決の「わが国の存立を全うするために必要な自衛の措置を取り得る」との文言。集団的自衛権もその中に含まれるとの言い分だ。
こうした主張に内閣法制局元長官の 秋山収 (あきやま・おさむ) 氏は、砂川事件の争点は駐留米軍の合憲性だと強調し「後になって判決中の一般論から別の政策を是認していると読むのは行き過ぎ。我田引水の 詭弁 (きべん) だ」と異を唱える。
国会で集団的自衛権の本格的な議論が始まるのは、安保条約改定が焦点となった60年。秋山氏は「判決当時、はっきりした集団的自衛権の定義すらなかった。行使容認の論拠とするには無理がある」と批判する。事実、判決後、今の政府・自民党が唱える説が内閣法制局の見解として採用されたことはなく、従来の政府は一貫して集団的自衛権の行使を禁じてきた。
▽もろい土台
「伊達判決は全くの誤りだ」「最高裁判決はおそらく12月だと考えている」…。判決前、田中耕太郎最高裁長官(当時)がマッカーサー駐日米大使(同)らにひそかに会い、裁判の見通しを漏らしていたことが、米公文書に記録されている。
裁判は、安倍首相の祖父岸信介首相(同)が進めた安保改定交渉時期と重なる。伊達判決に衝撃を受けたマッカーサー大使が破棄を狙って、藤山愛一郎外相(同)に跳躍上告を促す外交圧力をかけたことも判明しており、近年公開された米公文書からは、政治が司法に強い影響力を及ぼしていた疑いがにじむ。
砂川事件で罰金刑が確定した元被告の 土屋源太郎 (つちや・げんたろう) 氏(79)らは近く「司法権の独立を揺るがすような最高裁判決は正当性を持たない」と再審請求し免訴を求める予定だ。土屋氏は「今になって、なぜあの判決を引用するのか。大変なこじつけだ」と首をかしげる。
砂川事件のきっかけとなった基地反対運動に参加した評論家の 森田実 (もりた・みのる) 氏(81)は「再審が認められれば、最高裁判決は吹っ飛んでしまう可能性がある。そのようなもろいものは、議論の土台としては耐えられないのではないか」と疑問を示している。
(共同通信)
「砂川事件では集団的自衛権が論争になったわけではない。(最高裁判決が認めた自衛権は)個別的自衛権を指す」。同判決をテーマにした9日の公明党勉強会後、弁護士でもある北側一雄副代表はまくし立てた。
最高裁の砂川事件判決は、自民党の高村正彦副総裁が3月に言及した。高村氏は、判決が認めた「自国の存立に必要な自衛のための措置」には集団的自衛権行使も含まれると主張。判決に基づき限定的な行使は許容されるとの論法で、自民党内では公明党説得の切り札になると受け止められた。
一時勢いを増した自民党内の異論は、ほぼ収まった。首相も4月8日、「判決が集団的自衛権を否定していないことは、はっきりしている」と高村氏に足並みをそろえた。
だが、公明党の山口那津男代表は「集団的自衛権も視野に入れた判決と思っていた人はいない」と反論。3日に事実上始まった自公協議でも、弁護士同士である高村、山口両氏が自説を譲らずに「法廷外論争」を繰り広げた。
首相が「高村理論」に同調したことで、公明党内には「押し切られるのでは」(幹部)と警戒感が強まっている。菅義偉官房長官は9日、集団的自衛権に関する有識者懇談会から報告書を受けた後、憲法解釈に関する「政府方針」を出して与党協議を急ぐ意向を示した。
公明党は、首相や自民党の主張が「法律論としては無理筋」(幹部)だとみて反撃に望みをつなぐ。9日の勉強会では、衆院法制局の担当者から「砂川判決は個別的自衛権を認めたものと解釈するのが一般的な学説」との見解を引き出した。
社民党の吉田忠智党首も記者会見で「判決以降、政府は一貫して集団的自衛権は行使できないと解釈してきた。判決を(行使容認の)根拠とするのは相当の無理がある」と、公明党を「側面支援」した。
(共同通信)
しんぶん赤旗 2014年4月7日(月)
砂川判決 “個別的自衛権は認められたが、集団的自衛権は認められていない”
法制局長官(当時)が言明していた
首相らの根拠のなさ 裏付け
安倍政権が集団的自衛権の行使容認の根拠としようとしている1959年12月の「砂川最高裁判決」(別項)について、政府の法令解釈などを担う法制局(現・内閣法制局)の林修三長官(当時)が、集団的自衛権については「未解決」との見解を示していたことが分かりました。同判決を集団的自衛権の根拠とする考えには専門家から批判の声が相次いでいますが、その批判を明確に裏付けるものといえます。
54年から64年まで法制局・内閣法制局の長官を務めた林氏は旬刊誌『時の法令』(当時は大蔵省印刷局発行)に「砂川判決をめぐる若干の問答」と題する一文を掲載。この中で「わが憲法がいわゆる集団的自衛権を認めているかどうかという点も、なお未解決だね。個別的自衛権のあることは今度の判決ではっきりと認められたけれども」(60年344号)と述べています。
自民党の高村正彦副総裁は3月31日に開かれた首相直属機関「安全保障法制整備促進本部」での講演で、「最高裁は59年の砂川判決で、個別的とか集団的とか区別せずに…固有の権利として自衛権は当然持っていると言っている」と主張。安倍首相も同様の国会答弁を行っています。
一方、林氏は、砂川判決が個別的自衛権については認定しているものの、集団的自衛権の保有については判断していないとしており、高村氏の主張とは真っ向から反しています。
さらに林氏は、砂川最高裁判決の趣旨は駐留米軍が憲法9条2項に違反しないという点であるとの見方を示した上で、「現行安保条約はもっぱら米軍の行動とか権利のことを規定しているだけで、わが国のそういう問題を具体的に規定していないのだから、判決が(集団的自衛権に)触れていないのは当然」とも述べています。
砂川判決直後、岸信介首相(当時)が集団的自衛権について「憲法上は、日本は持っていない」(60年3月31日、参院予算委)と答弁するなど、むしろ集団的自衛権の行使は憲法上許されないとの解釈が確立しています。
砂川判決 米軍駐留の合憲性が最大焦点になった判決。1957年7月に米軍立川基地(旧砂川町、現・立川市)の拡張に抗議するデモ隊の一部が基地内に立ち入ったとして、日米安保条約に基づく刑事特別法で起訴(砂川事件)。東京地裁は59年3月、米軍は憲法9条2項が禁じた「戦力」にあたり、駐留は違憲だとして無罪を判決。これに対して最高裁は同年12月、米軍は「戦力」ではないとして一審判決を棄却しました。判決に先立って最高裁と日米両政府が密議を交わしていました。
砂川事件最高裁判決 該当部分
「そもそも憲法九条は、わが国が敗戦の結果、ポツダム宣言を受諾したことに伴い、日本国民が過去におけるわが国の誤つて犯すに至つた軍国主義的行動を反省し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、深く恒久の平和を念願して制定したものであつて、前文および九八条二項の国際協調の精神と相まつて、わが憲法の特色である平和主義を具体化した規定である。
すなわち、九条一項においては『日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求』することを宣言し、また『国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する』と規定し、さらに同条二項においては、『前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権は、これを認めない』と規定した。
かくのごとく、同条は、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、しかしもちろんこれによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。
憲法前文にも明らかなように、われら日本国民は、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようとつとめている国際社会において、名誉ある地位を占めることを願い、全世界の国民と共にひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認するのである。
しからば、わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。
すなわち、われら日本国民は、憲法九条二項により、同条項にいわゆる戦力は保持しないけれども、これによつて生ずるわが国の防衛力の不足は、これを憲法前文にいわゆる平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼することによつて補ない、もつてわれらの安全と生存を保持しようと決意したのである。
そしてそれは、必ずしも原判決のいうように、国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等に限定されたものではなく、わが国の平和と安全を維持するための安全保障であれば、その目的を達するにふさわしい方式又は手段である限り、国際情勢の実情に即応して適当と認められるものを選ぶことができることはもとよりであつて、憲法九条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではないのである。
そこで、右のような憲法九条の趣旨に即して同条二項の法意を考えてみるに、同条項において戦力の不保持を規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持し、自らその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使することにより、同条一項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためであると解するを相当とする。
従つて同条二項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである。」
行政ではありますが、こうした形で政府が次から次へとおバカ見解を繰り出し続けるのをみると、
あぁ、無瑕性、廉潔性の侵害ってこういうことなんだなぁって、よりよく実感できますね。
「…砂川判決の「固有の自衛権」というところだけを切り出して、そこには個別的のみならず集団的自衛権も含まれている(はずだ)と言って歩いているのが高村である…そんなことは何ら裁判の争点となっていないし議論にすら上がっていない、三百代言とはこのことだ…読売新聞などがこれを「高村理論」などと持ち上げる…」
と明快に解説・・・怒り爆発ガメラのさく~らや~
なんでもアメリカの公文書開示で、簡単にアメリカの意向に我が国の司法がのまれていった経緯が分かるらしいですね。地裁判決の翌日に圧力受けた云々。高裁はすっ飛ばし、とか。
普通の国になりたいとか孫の世代の現首相が仰るのならば、今なお続く「アメリカ様への忖度」から手を付けるべきであって、ヘンな縛りを外して堂々と「平和な憲法を守ることに徹してますから」とか言い切れるのが、真に祖父を超える業績となるのではないですかね…?
そんときは個別的自衛権を行使すればいいのであって、集団的自衛権なんてアメリカのためのものでしかありません。
ただ政府(官僚)が日米防衛協力ガイドラインを行使可能にするために、ごまかし、ややこしくしているだけです。
客観的に理解すれば簡単です。