
これからもぜひ毎日一回、上下ともクリックしてくださると大変うれしいです!!!
スペインのオリンピック・パラリンピック委員会やアメリカやフランスの水泳連盟が東京五輪の延期を求める声明を出しています。イギリス陸上競技連盟の会長が2020年3月20日、選手たちが十分な練習を行える環境にないことなどを理由に、延期するべきだという考えを示しました。ノルウェーの委員会も同様の声明を出しています。
何か聖火が何度も消えちゃって、サンドイッチマンさんたちが場をつなぐのに必死だったらしいです。まさに呪われてる(笑)。
もう日本がいかにこだわっても、東京五輪の予定通りの開催は無理です。
ところで、麻生副総理兼財務大臣は、3月18日の参議院財政金融委員会で、新型コロナウイルスの感染拡大で東京オリンピック・パラリンピックの延期や中止が懸念されていることについて、1940年の東京オリンピック中止、1980年のモスクワオリンピックで多くの国がボイコットしたことを念頭に、過去には40年ごとに問題が起きているとして、今回の東京五輪について
「呪われたオリンピック」
と表現しました。
すんごく言い得て妙なんだけど、この人、1940年の東京オリンピックが中止になったのは、日本が中国を侵略していたからだって、わかって言っているのかなと思ったらやはりわかっていませんでした(笑)。
麻生副総理は19日の閣議のあとの記者会見でこの発言の意図を問われたのに対し
「意図は別にありません。1940年の東京オリンピックは中止になって、1980年のモスクワオリンピックは、ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議して日本は参加しないということになった。
このあいだ、オリンピックのスポーツ関係者の人と話しているときにその話が出て、ちょうど40年だと縁起悪いなと。やっぱり40年だといろいろあるんだと話していた、それだけの話です」
と述べました。
縁起が悪いというか、1940年の日本も、1980年のソ連も、自分が侵略戦争をしているからそういうことになったわけで、自業自得ですよね。
もう一つおまけにいうと、幻のオリンピックのころ、日本は中国大陸を侵略して満州国をでっち上げ、朝鮮半島や台湾も植民地支配していて、麻生さんの旧麻生財閥は中国や朝鮮から強制連行で労働者を徴用し、過酷な強制労働で多数の中国・朝鮮人が亡くなり、抵抗運動も何度も起きているんです。
だから、私としてはよく麻生大臣が1940年のことに触れるもんだなあと感心してました(苦笑)。
さて、1940年の東京オリンピックも「復興五輪」と銘打って、日本は誘致に成功したのをご存じですか?
日中戦争が泥沼化した影響で、開催地がフィンランドの首都ヘルシンキに変更になったこの五輪は、最終的には第2次世界大戦を理由に実現せず、「幻の五輪」として知られるようになりました。
東京は1940年の開催地として自らを大々的に売り込んでいました。2020年の東京五輪を2011年に起きた東日本大震災からの「復興五輪」と銘打っているのと同様、1940年の東京五輪を1923年に起きた関東大震災からの「復興」の証しと称しました。
今回の東京五輪を招致するにあたって、安倍首相は東日本大震災からの復興をテーマに掲げ、福島原発事故はもはや収束しており、完全にコントロールしていると大ウソをついたわけですから、このときにすでに東京オリンピックには呪いをかけてしまっていたと言えるでしょう。
1940年の五輪招致は、近代柔道の祖、嘉納治五郎が推進しました。日本人初の国際オリンピック委員会(IOC)の委員であった嘉納は、アジアで五輪を初開催する重要性を強調していました。
今は、同じく柔道の山下さんがまだ開催にしがみついていますね。
また当時の大日本帝国は、1940年が神武天皇即位紀元2600年に当たるとして、戦争の支えとなる絶対的天皇制の記念行事の一環として五輪を誘致したいという特別な理由もありました。
東京は1932年に正式な招致活動を開始しましたが、1931年に日本軍は満州事変を起こしていますので、もういわゆる日中15年戦争がはじまっていたわけです。
よく戦争しているのにオリンピックを引っ張ってこようとしたもんだと思いますが、福島原発事故から間もないのに、安倍首相らもオリンピックを招致したのですから、全く進歩がないと言えるでしょう。
当時の日本の招致運動では、ファシズムイタリアのローマとフィンランドのヘルシンキがライバルでした。当時の日本も猛烈なロビー活動を展開。イタリアの独裁者ベニト・ムソリーニに、日本のために立候補を取り消してくれるよう懇願もしたのだそうです。
ムソリーニは日独伊三国同盟の相手である日本に対して
「日本が1944年開催予定の第13回五輪をローマに招致するイタリアの活動を支持するなら、われわれは日本のために1940年の立候補を取り下げる」
と発表しました。もちろん、1944年は第二次大戦中ですからそのローマ大会も実現していません。
最終的に東京とヘルシンキの間で投票が行われ、37票対26票で東京に決まりました。
当時の英米などの大国は日本の中国侵略や南方進出を理由に、東京五輪をボイコットも辞さないという態度を見せました。
それにより、日本オリンピック委員会は1938年7月、ついに開催を返上し、
「中国との問題によって五輪開催が不可能になった」
と婉曲的に理由を説明しました。
ちなみに、次に五輪が行われたのは1948年、英ロンドンでしたが、敗戦国の日本は出場できず、日本がオリンピックに復活したのは1952年ヘルシンキ開催の夏季五輪からとなったのです。
今回の東京オリンピックが延期ないし中止になる直接の原因は新型コロナが日本だけでなく世界中でまん延していることですが、復興五輪とか、原発事故はアンダーコントロールとか、嘘八百を並べて招致したのですから、そもそも東京でやる資格はなかったような気がします。
安倍政権は今回の五輪の事を復興五輪と言って宣伝しましたが、そもそも東京オリンピックにお金も人材も材料もとられて、東日本大震災の復興の邪魔にしかなっていませんよね。
マラソンで銀メダルと、銅メダルを取っている有森裕子さんがすでに2017年にこう言っています。
「そもそもなぜ東京五輪を招致したのか。一番大切なのが、復興だったはずです。
スポーツによって、日本を元気に変えよう。日本に大きな災害があって、オリンピックを呼ぶことで復興させられるんだと、最たる手本になる国になる。
そのつもりで私もブエノスアイレスでロビー活動をしました。
でも、蓋を開けたら全然いま違う。
復興どころか、どこを見ているんだろう。結局何をやろうとしているんだろうというのが正直あります。
どこか不安で、反抗したくなるような、やらなきゃいい、返上すればいいという感情を促してしまう。
すごく残念です」
新型コロナは日本のせいで起きたことではありませんが、今回も東京オリンピックの延期または中止は自業自得。
むしろ、また返上すべきなんでしょう。
安倍首相や麻生大臣を含めて、日本人の誰一人、もう東京オリパラが予定通り行われるなんて誰も信じていないんでしょうけどね。
ああ、森喜朗さんは知らないっす(笑)。
これからもぜひ一日一回、上下ともクリックしてくださると大変うれしいです!!!
2020年3月21日 15時12分
新型コロナウイルスの感染が世界的に広がる中、東京オリンピックについて、イギリス陸上競技連盟の会長が20日、選手たちが十分な練習を行える環境にないことなどを理由に、延期するべきだという考えを示しました。
イギリスでは新型コロナウイルスの感染が急速に拡大していて、ジョンソン首相が20日、人が多く集まる施設を当面閉鎖するよう求めるなど、社会生活に大きな影響が出ています。
こうした中、イギリス陸上競技連盟のニック・カワード会長は、イギリスの新聞「デイリーテレグラフ」のインタビューに対し、東京オリンピックについて「政府が感染拡大を防ぐ策を講じる中、練習施設が閉鎖されたことで、選手たちはストレスを感じている。予定どおり開催できないと決めるべきだ」と述べ、延期するべきだという考えを示しました。
そのうえで、「選手たちの意見が表に出始めるようになれば、延期という決定が速やかに出されると信じている」と述べました。
東京オリンピックをめぐっては、これまでスペインのオリンピック・パラリンピック委員会やアメリカ水泳連盟なども延期を求める声明を出しています。
IOC=国際オリンピック委員会は予定どおり7月24日からの開催を目指す方針ですが、バッハ会長がアメリカの新聞のインタビューで「別のシナリオは検討している」と述べ、通常開催以外の可能性に触れるなど、最終的な判断が注目されています。
2020年3月20日 10:30 発信地:東京/日本 [ 日本 アジア・オセアニア ]
【3月20日 AFP】新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的な大流行)により、東京五輪が延期または中止される可能性が出てきているが、日本は過去にも同じような経験をしている──1940年に東京で開催予定だった夏季五輪だ。
戦争が泥沼化した影響で開催地がフィンランドの首都ヘルシンキに変更になったこの五輪は、最終的には第2次世界大戦(World War II)を理由に実現しなかった。こうして「幻の五輪」として知られるようになった。
デイビッド・ゴールドブラット(David Goldblatt)氏の著書「オリンピック全史(The Games)」によると、東京は1940年の開催地として自らを大々的に売り込んでいた。2020年の東京五輪を2011年に起きた東日本大震災からの「復興五輪」と銘打っているのと同様、1940年の東京五輪を1923年に起きた関東大震災からの「復興」の証しにしようとしていたのだった。
1940年の五輪招致は、近代柔道の祖、嘉納治五郎(Jigoro Kano)が推進した。日本人初の国際オリンピック委員会(IOC)の委員であった嘉納は、アジアで五輪を初開催する重要性を強調していた。
また日本には、1940年が神武天皇即位紀元2600年に当たることから、記念行事の一環として五輪を誘致したいという特別な理由もあった。
東京は1932年に正式な招致活動を開始したが、イタリアのローマとフィンランドのヘルシンキがライバルとなった。日本は猛烈なロビー活動を展開。イタリアの独裁者ベニト・ムソリーニ(Benito Mussolini)に、日本のために立候補を取り消してくれるよう懇願さえもした。
「『困ったときはお互い様』という取引は、国際スポーツ政治の世界で標準となった。ムソリーニは普段とは違う誠実さをみせ『日本が1944年開催予定の第13回五輪をローマに招致するイタリアの活動を支持するなら、われわれは日本のために1940年の立候補を取り下げる』と発表した」とゴールドブラット氏は書いている。
最終的に東京とヘルシンキの間で投票が行われ、37票対26票で東京に決まった。
■「中国との問題」で断念
例えば、天皇は神格化されていて国民はその声や姿を見ることはできないのに、開会宣言ができるのかといった若干の問題も生じたが、準備は順調に進み、開会式は1940年9月21日に決定した。しかし徐々に、資金を軍事目的に回せという声も聞かれるようになった。
一方、海外の圧力は高まった。当時の日本の外交官らは東京への電信で、英米などの大国は日本の好戦的な活動を理由に、東京五輪をボイコットする可能性があると懸念を示している。
だが、「五輪は実現する」という2020年と同じような言葉を当時の政府も繰り返した。
日本オリンピック委員会は1938年7月、ついに開催を返上し、「中国との問題」によって五輪開催が不可能になったと婉曲的に理由を説明した。さらに同年札幌で開催予定だった冬季五輪もヘルシンキに変更となったが、結局戦争により中止となった。
次に五輪の聖火がともされたのは1948年、英ロンドンだった。敗戦国の日本は出場できず、復活したのは1952年ヘルシンキ開催の夏季五輪からとなった。
東京でアジア初の五輪が開催されたのは1964年のことだった。(c)AFP
これからもぜひ一日一回、上下ともクリックしてくださると大変うれしいです!!!
麻生大臣が「呪われたオリンピック」発言をしているところを流しながら、
こんなテロップが出され、この記事のような、その背景が簡単に説明されていました。
1940年→ 東京オリンピック返上 → 日本敗戦
1980年→ モスクワオリンピックボイコット → ソ連邦崩壊
2020年→ 東京オリンピック → ?
って具合に、とても意味深な呪われ感を醸し出す「?」マークが付けられていました。
その場面を見た、我が家での会話。
「?マークは、何を連想させようとしているのかね?」
「今、日本が戦争に巻き込まれる感じも戦争を起こす感じもはしないよね?」
「コロナウィルスで日本が崩壊する感じもしないよね?」
「じゃあ~、たぶん、安倍政権崩壊、なんじゃないの!」
で、当たるも八卦、当たらぬも八卦の意見が一致。
ということで、このTVニュース、某局の、としておきました。
だって、番組が、どこぞの官邸ポリスかなんかから、圧をけられちゃうかもしれませんからね。
今日は本当に暇だったからたくさん投稿しちゃいましたのでしばらく休みかも、ね。w
(例:ノアの洪水は40日40夜。出エジプトは40年間。イエスの復活から昇天までは40日。)
「試み」とは言えるが「呪い」ではない。
フランシスコ兄はご存じないのだろうか?
でも今回のは新型コロナウイルスという天からの贈り物ですから、これは確かに呪われた五輪と言えそうです。
そう考えるとこれぞ五輪をウソとワイロで獲得した事に対する天罰だなんて言いたくもなりますが、それよりご本人に天罰が下ってほしいものです。