Four Season Colors

現代詩とスポーツ、エンタメ、時事など雑文を掲載
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読書のよもやま(2024.09.30)

2024-09-30 | 雑文
「駆け込み寺の男 玄秀盛」佐々涼子(早川
書房)

公益社団法人日本駆け込み寺の創設者である
玄秀盛という人物の半生を追った、ノンフィ
クション。

玄秀盛さんは、自分が本書を読み終え、これ
を書いている時点でそれなりに齢を重ねてい
らっしゃるが、活動は現役のよう。

ノンフィクションではよくある、現実では多
くの人は、よくは見ない、この国の平均では
ない人生を、生きてきている。

死という結末を迎えてもおかしくなかったほ
どの、ネグレクトの子供時代を生き延び、そ
のための手段は選ばなかった。

成人後は、一応は社会のルール(つまりは結
果的に逮捕はされていない)の中で、多くの
利益を上げ、多くの消費をした。

そして、とあることをトリガーに、自らのす
べてを新宿は歌舞伎町での、駆け込み寺の運
営に費やすことになる。

著者は、ノンフィクション作家的な強い関心
からではなく、どちらかというと生活的なな
りゆきで取材が開始する。

満足に、最大に幸福ではないが、最大に不幸
でもないから、著者は玄秀盛の、外から見れ
ば正反対の転向の明確な理由を求める。

しかし、玄秀盛は、過去の事実は隠さず語る
が、過去の罪滅ぼし的な転向の理由は、他者
には分からないと言い続ける。

面白いのは、玄秀盛は生きるために選択した
過去を肯定している一方で、駆け込み寺での
活動を罪滅ぼしとも認めていること。

はたして、玄秀盛は、とあるトリガーが引か
れなければ、罪滅ぼしにすべてをかけること
はなかったか。

遅かれ早かれ、駆け込み寺は開設されたか、
それとも、また別の終わりを迎えることとな
ったか。

よくはないけど、よくはある、社会的には悪
人だった人物の、結果だけを見ればよくある
一つの、転向の物語り。

Daily-Life

2024-09-26 | 
それなりのいまに

ふまんはないけど

あのころえがいた

りそうにはとおく

がんばりのかこに

みれんはあるけど

いろいろもがいた

きぼうにはねなく

ふまんはないけど

りそうにはとおく

みれんはあるけど

きぼうにはねなく

ツキイチ映画館(2024年09月)

2024-09-23 | 雑文
月に一度は、映画館で新作を。2024年の
9月は、「エイリアン:ロムルス」(アメリ
カ)。

例年通り?下半期は、それなりに毎月ハリウ
ッド系の新作があるようで、まったく観るも
のがない!という事態はなく。

犯罪都市の新作も候補にしたが、今月中に観
に行ける保証がなく、これも候補にしていた
エイリアンをチョイス。

特別にエイリアンシリーズが好きなわけでは
なく、過去作も(多分)観ていない作品の方
が多い。

鑑賞後に調べたら、5、6作品以上の過去作
(関連作)があり、知っていたら観るのを敬
遠したかもしれない。

とはいえ、これ系のいいところは、余程でな
い限り、過去作を観ていなくてもちゃんと1
本の映画として楽しめるところ。

世界観のつながりはあっても、ストーリーや
人物に、観るにあたっての致命的な設定はな
い、というか気にしなくてもいい(ハズ)。

起承転結も、エイリアン系は、出会い、戦い、
生きるか死ぬというテンプレートがあるため、
細かいことは考えなくてもよい。

この、あえて外すと、それ故に評価が下がる
という珍しいテンプレートを本作もしっかり
守っており、安定といえば安定の面白さ。

では本作の特徴となると、つくり方がゲーム
のようで、なんだかゲーム実況を観ているよ
うな感覚が最初から最後まで続いた。

探索から隠密ありのアクション、そして戦闘
にQTE(クイックタイムイベント)と、操
作が本当に目に浮かぶ。

これはゲーム化されるだろうなあ、と観終わ
って調べてみれば、エイリアン系は、わりと
すでにゲームになっていて。

ラストバトルも、ゲームテンプレートの〇型
系のボスで、見た目の是非はあるものの、と
ても分かりやすい。

エイリアンの冠に恥じない、よくあるエイリ
アン系だが、それを求めるのであれば、安心
して観て〇(まる)。

TEN-COUNT

2024-09-19 | 
非の打ち所がなく 咲きほこる大花が

華麗さの自覚なく 一晩に散ればこそ

生える種なる潔さ 這える趣なる儚さ

命の尽く所あがく 猛きほえる小人は

罪深さの自戒なく 一晩に散らばそこ

生える十なる潔さ 這える獣なる儚さ

読書のよもやま(2024.09.16)

2024-09-16 | 雑文
「始皇帝の戦争と将軍たち 秦の中華統一を
支えた近臣集団」鶴間和幸(朝日新書)

中国古代史の、秦漢史を専門とする大学教授
が、秦の中華統一をたどるとともに、戦争に
おける将軍たちにフォーカスしたもの。

「将軍たち」という題名であるが、列伝では
なく、統一までを10枚の地図を用いて時間
軸で説明していく。

その過程で、どの将軍がどのように国などを
制圧していったかを解説するが、基本的には
資料に基づき、「結果」を追っていく。

最後三分の一で、「近臣たち」として、人物
ごとに記載していくが、列伝というほどでは
なく、少し長めの人物事典くらいのもの。

大学で研究する、現代の歴史家は、小説家で
はないので、当然に事実(とされること)だ
けを述べるし、職業としてはそれが正しい。

であるが、某薬学史の書籍の時にも感じたが、
それは一般の、素人向けの書籍としては、ど
うしても退屈な本になりがちなよう。

知識も、場合によってはそこまでの興味もな
い読者に「読ませる」とすれば、参考書的な
テキストはやや厳しい印象がある。

あと、そう(こう)いう書籍で大体共通する、
同じことが何度も出てくる、同じことを何度
も書くのが、とても不思議で。

無論、今の文献から分かっている、秦の時代
の、始皇帝を取り巻いた近臣の事実を知るこ
とは、充分にできる。

できるのだが、著者ほど対象に熱意はないの
だから、その温度差は甚だしく、そもそも研
究の今だけを知りたいわけでもない。

時代が古く、戦いや事象の結果だけしか分か
らないし、うかつなこと、想像で書けないの
は分かっている。

とはいえ、ここから人間を感じることができ
るかといえば、それには相当に読み手の努力
と想像力が求められる。

難しいことは十分理解していて、大分、遠慮
して控え目に表現してきたが、まあ、ただ読
むというだけの、魅力なき書籍。