Four Season Colors

現代詩とスポーツ、エンタメ、時事など雑文を掲載
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ツキイチ映画館(2023年01月)

2023-01-30 | 雑文
月に一度は、映画館で新作を。2023年の
1月は、「非常宣言」(韓国)。

毎年1月は大作らしい大作があまりなく、作
品選択を悩む印象があるが、今年もちゃんと
悩むことに。

ハリウッド系がなく、先月12月が邦画だっ
たこともあり邦画も選択肢から外した結果、
こちらの韓国映画をチョイス。

寒波襲来の平日昼間、1日1上映の作品のお
客さんは、自分を入れて5人くらいでとても
快適。

事前知識はいつも通り予告編のみで鑑賞開始。

ジャンルは2場面同時進行のクライム系で、
それぞれの舞台は上空(飛行機)と地上とい
うよくある形式。

地上ではテロに遭った飛行機に家族が乗って
いる警察官がめっちゃ頑張り、上空では主人
公格の乗員たちが着陸までほどほどに頑張る。

ストーリーはよくあるどころではないくらい
よくある展開で、驚くほどご都合主義にまみ
てれ進んでいく。

クライム系で重要な悪役も魅力が感じられず、
背景描写も薄く、観ている側を悪い意味で置
いてきぼりにしてくれる。

上空では、大して隠す意味もない設定を小出
しにし、薄い世界観は没入感を削ぎ、しばし
ば意識が現実に戻る。

そして冒頭で物々しく解説をする表題は、全
然まったく重要でもなく、テーマですらない。

観終わってみて、印象に残っているシーンは
特になく、何かいいところはあっただろうか
と振り返ってみるが、残念ながら、ない。

韓国映画はほぼ観たことがないが、パラサイ
トにしろ本作にしろ、最後3分の1がややシ
ュールなのは特徴なのだろうか。

ただ、それは好き嫌いの問題であるが、個人
的には、ちょっと醒めてしまうので好きでは
なかったり。

自分は韓国映画に限らず俳優は覚えられない
が、韓国映画が好きだったり、出演の俳優が
好きな方は観てもよいかも、しれない。

あと、日本の政治と自衛隊をとても優秀に演
出しているが、自衛隊はともかく、政治はあ
んなに優秀ではないと断言。

さて、今年はテンションの上がらないスター
トとなったツキイチ映画館だが、2月はすで
に観る作品が決まっていたりする。

気を取り直して、残りの11作品が面白いこ
とを期待。

ルールの目的

2023-01-23 | 雑文
「全豪OP午前4時の激闘で生じたトイレ問
題」(THE ANSWER)

要約すると、長時間にわたるテニスの試合で、
既定の回数以上のトイレ休憩が認められず、
選手の不満に元選手らも同調するというもの。

テニスというスポーツをしたこともなく、午
前4時6時間弱の試合でトイレは1回のみと
いうのが適切かは分からない。

だから記事の是非ではなく、この記事から最
近の出来事が2つ、頭に浮かんだので以下。

一つは、日本プロ野球はファイターズ新球場
のファウルゾーン60フィート未満の要改修
問題。

もう一つは、将棋棋士は佐藤天彦九段のマス
ク未着用反則負け問題。

それぞれ詳細や事情は異なるが、どれも競技
の本筋とは関係のない、周辺ルールに端を発
している。

結論だけを言えば、ばかばかしいの言葉に尽
きてしまうのだが、本当の最初は、必要であ
るからルールが定められている。

そうであるから、単純に意味を失ったり、運
用上で不具合あれば、ただ改正すればいい。

のであるが、人間の面白さか、選手ではない
運営側が選手とは遠い感情で正義を信じてい
たり、意図的に改正を妨げたりする。

それが自覚のある嫌がらせならば(タチは悪
いが)未来もあるが、どうも本人以外に理の
ない正義を本気で信じていることもある。

これらスポーツのルールは、一般社会におけ
る抑制を目的とした法律のようなものではな
く、公平や安全を目的としている。

とりあえず基準や取り決めがないと進めにく
い、というものがいつの間にか絶対視され、
ゆえにいいようにも使われる。

破るという行為が許されない「ルール」だか
ら、または悪意のある行為を防ぐためだと正
義の主張者は言うかもしれない。

しかし、競技の本質ではない部分がその本質
にマイナスになるとすれば、やはりばかばか
しいとしか言えない。

少なくとも日本の将棋の公式戦では、対局中
のトイレに制限はないわけで。

100 years ago

2023-01-19 | 
昔話をする百十歳の老婆は

懐かしく百年前を愛おしみ

遠い呼吸も熱も私上のこと

昔話を聞く十歳の子供らは

驚いて百年前に思い巡らせ

遠く呼吸は熱は史上のこと

老婆の百年前の昔話を聞く

子供は百年後に昔話をする

MMO今昔

2023-01-16 | 雑文
インターネットを通じて同じ空間を共有して
遊ぶ、MMO系のゲームが商業ベースに乗っ
てはや二十年以上が経つ。

自分はその前半期のプレイヤーであったが、
その後半期はほぼ触れてはこなかった。

2022年の年末から2023年の年始にか
け、新型コロナによる引きこもり中にふと気
が向き、暇つぶしがてら触ってみた。

ゲームをオンラインに乗せる目的は、大きく
分けて2つで、世界を共有するか、一緒に遊
ぶかである。

そもそものインターネット自体の目的が情報
の共有であったからか、前半期のMMOもま
た、世界の共有に重きが置かれていた。

構築された世界の中はオープンで、確かにあ
るもう一つの世界として、助け合い、奪い合
い、流れる1分1秒の時間も共有した。

その後、様々なゲームがオンラインに対応す
ると同時に、現実の世界の流行や常識も変化
する。

とりわけ個人の権利はそれまでよりはるかに
尊重されるようになり、個々のプライベート
の意識も強くなった。

そうして要因は様々に、オンラインは目的よ
りも手段となり、ゲームは世界の共有から一
緒に遊ぶことに流行が変わる。

格闘系にしても、今が最盛期であろう純粋な
FPS系にしても、目的は一緒に遊ぶことに
ある。

それらは大会がオフラインで開催されること
からも、オンラインは利便性を高める手段で
あることが分かる。

一方でMMOは、世界を共有するという最大
の目的は変わらないものの、時代の流れを受
けて、個人の独立の比重も高まっている。

だから一つの世界をすべてそのまま共有する
のではなく、「世界の共有」と「一緒に遊ぶ」
の間には、明確な線を引きつつある。

とある有名なゲームプロデューサーは、今の
MMOはコミュニケーションツールだといっ
ていた。

確かに久しぶりのMMOは、世界の共有では
なく、あくまで個人の尊重された、一緒に遊
べるコミュニケーションツールだった。

世界と時間の共有に生きた世代は、この「コ
ミュニケーション」と「一緒に遊ぶ」ことが
明確に分かれたMMOをどう感じるか。

個々は尊重されているし、気楽で悪くはない
けれど、共有の限定されたちょっと静かな世
界は、物足りなくもある。

サンプル数は1なので何の参考にもならない
が、これが一つの感想でもある。

ただ、インターネットによる繋がりが当たり
前の時代、そのコミュニケーションもまた、
二十年前とは大きく変わった。

現実の距離を感じさせない現代に、仮想の世
界で時間まで共有するなんて、重すぎるし、
時代じゃないのも、理解はしている。