Four Season Colors

現代詩と映画、読書、ゲーム、スポーツなど雑文を掲載
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真・女神転生Ⅴ Vengeance

2025-02-17 | 雑文
年末年始用に買った「真・女神転生Ⅴ Venge
ance」(PS5)を1か月くらいかけて一応
クリアしたので感想をば。

ちなみに、シリーズは、ⅢとⅣをプレイして
いるので、これが3作品目となる。

難易度はノーマルで、ルートは無印版(ノー
マル?表?)ルート、エンディングもノーマ
ルエンド1種類のみを終え。

時間のない学生までは、やりこみプレイヤー
だったが、時間のある社会人になってからは
もっぱらカジュアルプレイヤー。

今回のⅤも特にやりこみはせず、淡々とクリ
アして、真?エンディングと別シナリオなど
は、今のところはやる予定はなし。

ただし、本作がつまらなかったというわけで
はなく、とてもメガテンらしく、クリアまで
できるくらいには面白かった。

世界観は当然にシリーズらしく、シナリオも
突出したものではないが、メガテンらしい、
テンプレートな起承転結。

シナリオが淡泊ではあるので、キャラクター
性はペルソナシリーズに軍配なのも、これま
でどおり。

とはいえ、シリーズのウリである世界観と悪
魔合体に問題はなく、さらに現代的なカジュ
アルさも備えている。

このカジュアルさは、難易度ノーマルでも感
じられ、人によってはだろうが、今の自分に
はむしろ丁度よく。

特に、何らかの厳選作業をしなくてもよいと
いうのは、すばらしいことかなとあらためて
思ったり。

ただし、好きな悪魔を強化できるとはいって
も、カジュアルプレイならば、結局は上位の
悪魔にとっかえひっかえにはなる。

自分のように、お気に入りの悪魔が終盤に出
てくるつよつよ悪魔ではない(つまり弱い)
ならば、ほぼほぼマスコットになる。

終盤にしか出てこないとそれはそれで時間が
短くはなるので、このあたりは難しいところ
なのだろう。

自分のお気に入りは、今回のナビゲーターギ
ミックの悪魔として選ばれていたので、戦闘
要員でなくとも、マップ歩きで楽しめた。

戦闘もシンボルエンカウントでストレスなく、
全体としてもバランスの良い作品で満足して
いる。

ツキイチ映画館(2025年Ex.1)

2025-02-11 | 雑文
月に一度は、映画館で新作を。ツキイチ映画
館2025年の番外編1タイトル目は、「雪
の花―ともに在りて―」(日本)。

1月は既に「ビーキーパー」で感想を書いて
いるが、本国アメリカでは前年の作品でもあ
り、観賞前はこちらにしようと思っていた。

「思っていた」というところで、もはや面白
さのネタバレになっているわけであるが、番
外編として感想を少し。

ストーリーは、江戸時代末の実在の医師であ
る笠原良策が、疱瘡(天然痘)の予防接種の
導入と普及に奮闘するというもの。

一言でいえば、つまらないで終わりで、補足
をすれば、歴史(時代)モノ邦画の悪いとこ
ろが全部出てしまっている。

日本の歴史(時代)モノは、ある意味で独自
の文化過ぎるからか、現代との断絶が強く、
えてして別世界のようになりがちで。

ゆえにか俳優さんは、そのアナザーワールド
を「演技」する場合が多く、その世界を「生
きる」ことができる方が少ないように思う。

これが勧善懲悪のエンタメ系であれば、歴史
モノのテンプレートとなっている良さもある
かもしれない(水戸黄門とか、仕事人とか)。

しかし、吉村昭さんの原作のある、実在人物
のノンフィクションベースだからか、演技は
なんだか他人事のようにかしこまっている。

加えて、起承転結を展開するには明らかに時
間も足りておらず、なにかダイジェスト版を
見せられている印象すらある。

江戸時代末には、日本の医療においてこうい
うことがあったんですよ、という紹介程度で、
文化祭演劇と言えば、さすがに言い過ぎか。

ビーキーパーも観ていたし、同じような状況
で邦画ともなれば、決して映画館では観ない
類の作品。

じゃあ、なぜと言えば、吉村昭の「日本医家
伝」で主人公が取り上げられており、知った
人物だったから。

勝手に親近感を持って、しっかりと釣られて
しまったわけであり、とてもよくないこと?
であったことよと反省している。

よほど今から観に行く方も少ないとは思うが、
エンタメとしては、あまりおススメできず。

読書のよもやま(2025.02.03)

2025-02-03 | 雑文
「国境なき医師団」をもっと見に行く」いと
うせいこう(講談社文庫)

作家である著者が、非営利の医療・人道援助
団体である「国境なき医師団」の活動実地を
取材し、伝えるルポルタージュ。

「もっと」がつかない著書が既刊であるのだ
が、読んではおらず、著者の作品自体、これ
が1冊目。

正直なところ、かつて、とある人物との共著
の背表紙をちらっと本屋で目にして、それは
あまり興味のひかれる作品ではなかった。

だから、「もっと」のつかない既刊も知って
はいたが、要は食わず嫌いな感じで、読まず
にここまで来ていた。

それがどうしたことか、特にきっかけがあっ
たワケではないが、それこそなんとなく、本
作を購入して読み始めてみれば。

一人称は「俺」であるし、文体は多少特徴の
ある文体で、慣れるのに少し時間がかかった
が。

そこに慣れてさえしまえば、そのルポの内容
から、無力な人間から見た、とても正直な人
道援助の現場を知ることができる。

著者が本書で述べるように、人道主義は、少
なくとも現在の日本では、広く一般に適切に
理解、支援されているとは言い難い。

無論、個人においては、実際に活動するしな
いは別として、主流の自己責任主義、自己利
益主義によらない人たちはたくさんいる。

しかし多くの現代日本人は、それを偽善、自
己満足などと言って、決して裏側のないこと
を信じない。

自己とは別の世界だと無自覚に悲しみ涙して、
それでも寄付の一つでもすれば上等だろうけ
れども。

さきほど無力な人間から見たと書いたが、そ
れは医師団で活動できないという意味で、本
当に無力なのは読むだけの自分である。

現地活動には向き不向きがあり、精神的にも、
肉体的にも、経済的にも、つまりすべてにお
いて自分には不可能だろう。

著者は、寄付もして、現地にも行き、こうし
てより無力な者に現実を知らせてくれる。

それでも知って、考えることは、それ自体は
無駄ではない(と信じている)し、問題はそ
こからどうするか、だろう。

ツキイチ映画館(2025年01月)

2025-01-27 | 雑文
月に一度は、映画館で新作を観よう、という
コンセプトで続けている「ツキイチ映画館」
の2025年1月期。

エンタメ系重視の企画に恥じぬよう、選んだ
作品は、「ビーキーパー」(アメリカ)。

主演のジェイソン・ステイサムが悪い奴らを
暴力的に懲らしめる、勧善懲悪ハリウッド超
絶テンプレート系。

設定や起承転結など、あってないようなもの
で、ジェイソン・ステイサムが暴れる他の作
品とシーンを混ぜても、多分わからない。

普段、伏線や芸術性は味付けで重要ではない
といっておきながらなんだが、ちょっといく
ら何でも、これは、という感想。

主人公はビーキーパー、つまり養蜂家なので
あるが、これがまったく必然性もなく、深さ
もほぼ平坦くらいに浅く、本当に設定のみ。

タイトルを付けないといけないし、とりあえ
ず養蜂家にしておこうかというくらいに、ほ
かの職業でもいい。

根拠などないが、そういう映画だから主人公
は負けないし、淡々と暴力で解決していくか
ら、緊張感もメリハリもない。

今日日、派手な暴力系など珍しくなく、映像
も奇麗はそれは当たり前に奇麗であるが、た
だそれだけ。

一応、三すくみの組織設定はあるが、まあ、
暴力シーン以外のための時間稼ぎ程度で。

せめてというには贅沢かもしれないが、テン
プレート系とはいえ、ミッションインポッシ
ブル程度のプラスアルファは欲しかった。

ジェイソン・ステイサムが暴れる映画がとに
かく好きで、もう、それだけあれば十分とい
う人以外には、特におススメでもなく。

世界観に浸ることもできないというか、そも
そも集中力が切れて現実に戻るほど、まずそ
の世界(フィクション)に入らない。

感想を書くにあたり検索して、悪役の俳優さ
んが「ファイブ・ナイツ・アット・フレディ
ーズ」の主演と知る(映画館で観てるのに)。

イマイチだったあの作品の続編が主演続投で
制作と知り、まさかこちらも、などと邪推し
てみたりして。

どちらも作品根本の問題だから、俳優さん
(ジョシュ・ハッチャーソン)のせいではま
ったくないのだけれど(よい俳優さん)。

それをやっちゃあ、おしめぇよ

2025-01-20 | 雑文
国が治まらないのは、人ではなく法制度に原
因があるという、どちらかといえば性悪説的
な考え方がある。

国というと話が大きくなるが、一般社会にお
けるモラルもまた、同じ考え方がされること
がある。

現状のルールが良かろうと悪かろうと、守っ
ている限りは、何ら問われるいわれはなく、
ルールを変えればよい、それから従うと。

決められた範囲内といえば、それはとても明
確で、他に議論の余地はないのだと簡単に主
張もできる。

モラルだとか、信仰だとか、気持ちだとか、
そういう曖昧な、決して明確ではないことを
簡単に排除できる。

自己の利益だけを見て、「それをやっちゃあ、
おしめぇよ」などという言葉は、何の足しに
もならないという。

社会はどんどん変わるから、最初どのような
目的だったとしても、そこから外れたルール
の運用がされることは、昔からよくある。

ルールの範囲内だけど、モラルが、信仰が、
気持ちが、「それをやっちゃあ、おしめぇよ」
と自分にいう。

これを善と悪と決めるのが適切でないなら、
この考え方の片方の極は、もう片方の極を鼻
で笑い、馬鹿にするだろう。

片方の極は、もう片方の極には見向きもせず、
ただ自己において、満足を得るだろう。

結果だけをみれば、自己の絶対的な善、他者
から見れば自己満足は、ただ損をする馬鹿な
のかもしれない。

しかし忘れてはならないのは、少なくとも現
代のこの国(日本)のルールは、信仰による、
つまり神の定めしルールではない。

だからこそ、皮肉にも、結果的に、ルールが
分かりやすい絶対となりがちでもあるが、ル
ール自体は論点にはなりえない。

つまりは、心の豊かさを何に求めるかで、ル
ールの範囲かどうかの話ではないのだけれど、
片方の極は、ルールのみを語るという話。