かたつむりのように

のんびり、ゆっくり、ゆっくり、・・・歩いていこう
時には アンテナをたてて・・・

すべてを整えて逝った友よ

2019年05月27日 14時04分58秒 | 日記

とうとうその手紙が来てしまった。

 

「後から手紙を出すから・・・もうこうして会えたから・・・」

と、友人は、暗に(葬儀は知らせないよ)と私たちに言った。

それは3月末日のことだった。

 

それから2か月弱の今月23日 友人から別れの手紙が届いた。

それは、彼女が旅立ち(5月9日) 長い友情を感謝する自筆のものだった。

これって、いつ書いたのだろうか。

どんな気持ちで書いたのだろうか。

胸も押しつぶされる想いだった。

 

彼女が旅立って手紙を受けとるまでの間も

私はメール、絵手紙を送り続けていたことになる。

残された私たち仲間4人は それぞれの形で彼女を気遣っていた。

 

「今日の月はきれいだよ。見ている?・・・」

同じ月を見ているかもしれないと思うと、私は繋がっている気がしていた。

なにげない会話をメール 絵手紙にのせて書き連ねていた。

返事がなくとも 会話している気になっていた。

しかし彼女はすで旅立っていたのだ。

 

 

今年の初め2月頃だったか。例年どうりOL時代の仲間で旅行に行こうと

彼女に連絡をとると「体調が悪い、余命半年と言われた・・・」の返事に 私たちは動転した。

彼女は 私たち5人のOL時代の同期の一人であり、

もう50数年もの長い間 友情を育んできた大事な友人なのだ。

若い頃 給料を積み立てて、5人でおそろいのメノウの指輪を買い、

私たちは文字どうり 何十年も喜びも悲しみも共有してきた。

なんということ・・・震える私たちに、彼女は冷静に見えた。

 

それからの彼女は、着々と身辺整理をしていった。

お琴の先生をしていたことがある彼女は 15面もあるお琴を小学校に寄贈した。

最近は小学校では古典音楽を体験する授業があるという。

そして自ら葬儀屋に行き見積もりをとり、お寺に生前戒名を依頼した。

尊厳死を選び、それを書面に残し、終末を自宅で迎えると決めた

 

 

最後に彼女を見舞ったのは 3月の最終日だった

ウエストのゴムが苦しいからと

むくんだ体を二部式の着物で隠し、精いっぱいのお洒落をした彼女は美しかった。

壁には「救急車を呼ばないでください」〇〇子 と貼り紙がしてあった。

1面だけ残してあったお琴の上に 遺影にする写真と棺に入れる物が用意されていた。

そして 最後に着たいというお気に入りの訪問着が置かれてあった。

 

☆ 延命せぬ救急車無用と壁に貼り、友は旅路に訪問着置く

 

☆ 若きより身体鍛えし友の脚 むくみてこはぜはまることなし

 

彼女はその日もきれいに髪を整え 貧血のためか紙のような白い顔に紅が冴えていた。

そして、

「できるだけ美容院には行きたいのよ。連れて行ってもらうわ。

女は髪をきれいにしていなさい・・・これが母親の遺言だもの」 

とほほえんだ。

 

☆ 最後まで髪を整え紅を引く 母の教えを守りし友よ

 

☆ 覚悟して死を受け入れし友の顔 微笑みたれどしばし歪まん

 

☆ 余命半年旅立ちの衣整えて 友は己が最後をプロデュース

 

友人の一人から送られてくる短歌に、私も歌にもならない返歌で応え、苦しい時間を

紛らわせていた。

 

 しかしあまりにも早く、 完璧に身辺整理をして、彼女は逝ってしまった!

水鳥が飛び立つように、あわただしく、そして跡を濁さずに 逝ってしまった!

 

余命6か月 と言ったじゃないの

なんで 急いだの。まだ時間はあったはず。

なんで 何もかも 一人で頑張ったの。

弱音を吐いたっていいじゃない。周りにたよったっていいじゃない。

人は 生まれてきた時も一人なら、ファイナルステージだって一人だけど・・・

私たちは 爪楊枝ほどの支えにもならなかったかもしれないけれど・・・頼られたかったよ。

ひとりで よく頑張ったね。

 

空に向かって言った(涙)

 

 

☆ 旅立ちし律儀な友より感謝状 君の生き様わが内に生けり

 

仲間の一人からから最後の短歌が送られてきた。

 

泣き泣き交わした二人の短歌(?)も終わった。

 


 クロスステッチ・イラストを作らながら 心は友の元に

2019年05月05日 16時38分16秒 | 日記

サークルでエクセルを使い、クロスステッチでイラストづくりを習いました。

デザインのアイディアがどうしても浮かばない。

チマチマとクロスを打ちながら

頭の中は友人のことでいっぱいになっている。

(芸のないデザインです)

 

1か月前 OL時代の同期5人のうちの一人のピンチに

仲間4人で 彼女を見舞いました。

ず~と昔 50数年も前 私たちは給料を積み立ててお揃いのメノウの指輪を買いました。 

結婚後離ればなれなった今も 年1回の旅行を楽しみ あきれられるほどの堅い絆で

 結ばれています。

 

☆ 余命半年延命せぬと言いし友 穏しきほほえみ 黙して聞きぬ

 

☆ 尊厳死選びし友は清やかに 友集まりて涙の晩餐

 

仲間の一人から 短歌がメールで送られてきます。

互いに涙をぬぐいながら 

私も何もわからぬまま無知な短歌で返歌し、やりきれない、いたたまれない時間を

なんとか過ごしています。

 

ほら 令和になったよ。いつまでも5人で歩こうよ・・・ 

「令和元年」のイラストを作りながら つぶやく

 

延命せぬ 覚悟の友に今日も書く 「もっと生きて!」とメール、絵手紙

 


令和元年になりました

2019年05月01日 20時13分33秒 | 日記

かすかな優しい雨が若葉を清め、より美しさが際立った今日です。

記念すべき令和元年の1日目が明けました。

おめでとうございます。

昭和から平成に移行した時の 何もかも自粛ムードの時と違い

列島がお祝いで盛り上がった今日は 気持ちも晴れやかになりました。

どうか 令和の時代も戦争のない平和な時代になってほしい!

心から願っています。

 

令和という命名が万葉集の序文から由来し、麗しい情景と美しい響きからも

好ましく思いながら

最近の世界情勢に かすかな不安も持ちます。

令和時代が 国の平和を守るため 若者に徴兵制しき これを命令する

なんてことにならないよう 心から願ってしまいます。

お互い助け合い優しさに包まれた国を 子供や孫たちに繋げていきたい

心から そう思います。

陛下のお言葉には

以前の・・・身の引き締まる思い・・・から

今回は・・・粛然たる思い・・・となり 並々ならぬご決意のほどがうかがわれます。

どうか、平和な日本に やさしさにあふれた日本に・・・

心から願います。 

令和第1日目 気の利いたことは何にも書けないお婆の切なる願いです。

 

 

そして またまた

今日は息子が新居へ引っ越しです。

念願のマンションを購入し、この4月末から始まった10連休に引っ越ししようと

引っ越し屋さんに申し込むと

なんと 4月中は非常に忙しく、5月になると10万円も安いとのこと。

それでラッキーな令和の引っ越しとなったようです。

新しい年に 新しい住まいで 令和の幸せな日々を送ってほしい・・・

庭の瑞々しい若葉を眺めながら 願いました。