かたつむりのように

のんびり、ゆっくり、ゆっくり、・・・歩いていこう
時には アンテナをたてて・・・

「帯状疱疹闘病記」 ⑫消えたもう一つの旅行

2017年06月27日 10時24分40秒 | 日記

5/30日~5/31日は OL時代の友人たちと 

年一回 恒例の おたのしみ旅行のはずでした。

 そして 私はこの旅行の幹事を引き受けていました。

 

友人達は 東京 鎌倉 静岡から集まり 愛知の私を入れて7人です

今まで 旅行先は東海地方が中心で 一番伊豆 箱根が多かった気がします。

それでも

仲間の一人が 毎年夏に全国各地で行われる公開ラジオ体操 【みんなの体操】に

参加することがあり、そんな時は

「一緒にきてぇ~」

「じゃあ みんなで付いて行こっか・・・」

ってな具合で、ぞろぞろ わいわい

 九州 北海道 東北 へと足をのばしたこともあります。

 

同期5人 後輩2人の7人は 退職後50余年にもなりますが

変わらぬ友情で結ばれ・・・

ちょっと臭い表現だけれど本当に仲良く、友達以上の関係が続いているのです 

ですから 毎年この旅行は 私たちの一番の楽しみなのです。

 

NHKの朝の連続ドラマ 「ひよっこ」のあの時代が 

私たちのOL時代でありました。

ずいぶん ばばちゃんになったものです。

最近は 

「腰も痛いし、膝だって痛い、もう観光旅行はいいよね」

「近場で、温泉に入って、おいしいものを食べて おしゃべりするのが一番楽しいわ~」

って ことになり 幹事の私は悩みました。

 

そして行き先を 三河湾国定公園内 西浦温泉 〇波荘に絞り 

私は 4/23日~24日 下見の体験宿泊をしてきました。

 

〇波荘は 今 藤井君ブームで沸いている将棋の宿で

かって 大山名人 中原名人 羽生名人のタイトル戦も行われたそうです。

館内は BGMに小鳥の鳴き声が流れ 〇波荘の目の前は三河湾。

東に渥美半島 西に知多半島が眺められる美しいロケーションでした。

 

おかみさんのアドバイスを受けながら

私は旅行計画を練りました。

そして

5/1日 仲間に案内状を発送し やれやれと思ったのもつかの間

5/3日 あの帯状疱疹になってしまったのです。

 

皮膚科の先生は

「 5月30日に旅行ですか・・・4週間では わかりません。なんとも言えませんねぇ」

 「大丈夫ですよ」とは おっしゃらない。

 

「延期しようよ~」  の みんなの声に

 結局 残念なことになってしまいました。

 

   

 

私は あの下見に行った24日の朝

 目の前に広がる砂浜を 

旅館の下駄で 散歩しました。

 

 誰もいない海 砂浜は 独り占めしたような爽快な気分!

波で洗われた真っさらの砂浜に

何か書きたくなりました

 

 友人とここにくる楽しい日を想像しながら・・・

戯れに ちょこちょこと歩き 4・24 日と下駄の跡をつけてみました。

 

 

 でも  足跡は 波ですぐ消えてしまったことでしょう

計画も 消えてしまいました

 

 


「帯状疱疹闘病記」 ⑪ 思わず吹き出す切り抜き記事

2017年06月24日 10時10分49秒 | 日記

大分の親友が少しでも私を慰めようとしてくれたのでしょう

お心づくしの品がいっぱい詰めこまれた段ボールが届きました。

 

妹さんのお庭でできたたくさんのデコポン

懐かしいでしょ・・・と 福砂屋のカステラ (私は長崎にも4年住んだことがありますから)

臼杵の石仏のお菓子やパンフレットなど

(小学生だった子供たちと 臼杵の石仏を見て回った楽しい思い出があります)

そして、一緒に行くはずだった大分美術館で開催されている

北大路魯山人展の新聞記事

などなど

 たくさんのものが詰め込まれていました。

 

その中に

少しでも 痛みを忘れさせたい!

私を笑わせたい!

そう思ってくれたのでしょう

新聞の切り抜きコピーが入っていました。

読まれた方もおありでしょうが ご紹介します

 

      お題 18才と81才の違い 

★ 道路を暴走するのが18才 道路を逆走するのが81才

★ 心がもろいのが18才 骨がもろいのが81才

★ 偏差値が気になるのが18才 血糖値が気になるのが81才

★ 恋におぼれるのが18才 風呂でおぼれるのが81才

★ まだ 何も知らないのが18才 もう何も覚えていないのが81才

★ 東京オリンピックに出たいと思うのが18才 東京オリンピックまで 生きたいと思うのが81才

★ 自分探しの旅にでるのが18才 出掛けたままわからなくなり 皆が探しているのが81才

★ 「嵐」というと松本潤を思い出すのが18才 鞍馬天狗の嵐寛寿郎を思い出すのが81才

★ 受験戦争を戦っているのが18才 アメリカと戦ったのが81才

 

   笑って うなづいて 身にしみて また笑って・・・でした

 

 


「帯状疱疹闘病記」 ⑩ あれ~ なんていうこと!

2017年06月22日 11時12分17秒 | 日記

大分旅行を 帯状疱疹のためキャンセルすることになってしまい 

私は 重い気持ちをひきずっていました。

友人は どんなに待っていてくれたことか。

なんでよりによって こんな日に こんなことになるのか。

申し訳ない! 残念! くやしい!

だけでは、言い表せない気持ちでした。

 

「早く元気になってね。楽しみは待つほど 大きくなるよ~ 楽しみはとっておこうね~」

友人は そう言ってきました。

 

そんなある日 彼女から 心づくしの荷物が届きました。

その中の手紙に

5/11日は、元気だった従兄さんが突然亡くなり 通夜になってしまったこと。

翌日の5/12日は 葬儀だったことが書かれてありました。

あれ~ なんということ!

 何か不思議な思いでした。

 

5/11日~5/13日 私が大分にいたら

彼女は従兄さんの葬儀と 私との時間に大変な思いをしたことにちがいない。

 よかった!

「よかった」と思ってはいけないのに

よかったんだ!

彼女が心おきなく 従兄さんとお別れができたことに 私は安堵し

胸の中の溜まっていたものが溶けていくようでした

 

 


「帯状疱疹闘病記」⑨ キャンセルした大分旅行

2017年06月20日 14時29分13秒 | 日記

帯状疱疹を発症した5/3日 

休日診療の先生に

「5/11から5/13日に旅行があるのですが どうでしょう」

と たづねました。

先生は

「痛くてそれどころではないでしょう」

と 半ばあきれた顔で 私を見ました。

まだその時は 帯状疱疹の入り口で 

私は先生の言葉があまりピンとこず、1週間や10日では治らないのか~

ぐらいの感覚でした。

 

5/11日から 私は、40年前 4年間を過ごした懐かしい大分へ、

だいじな友に会いに行く予定でした。

 

夫の転勤で大分に住むことになった時

ご近所さんだった彼女と出会い、同い年で すぐ意気投合し 

知らない土地での生活は 常に彼女が心の支えであり、生涯の友となりました。

 

彼女のお義母さんも なにかと心に懸けてくださり

彼女とお揃いで ろうけつ染めの日傘を作ってくださったり 

ワンピースを作るようにと

私のために 彼女と二人でろうけつ染めをして下さったりしました。

 

いつもお嫁さんの友人である私まで かわいがってくださるのでした。

たくさんの思い出をいっぱい下さったお義母さんも ご主人も亡くなり、

今 一人暮らしとなってしまった友人です。

 

遠く離れていても いつも心は近いとお互いに認めつつも

  この大分への2泊3日は 

顔と顔を合わせ 長い空白を埋める特別な時間になるはずでした。

彼女をちょっとでも支えてあげられたら・・・

と 思い続けた念願の旅でもありました。

 

 航空券をとり ホテルを予約し お土産を準備しました。

 

あの頃小学生だった子供たちも 今は家族持ちです。

その家族を紹介する写真も プリントしました。

 

当時小2だった息子が描いた町の絵地図も カラーコピーし

40年前と どんなに町並みも変わったか 確かめるのも楽しみでした。

何を着ていこうか 、鏡の前に立って

年とってしまったことも忘れて、ウキウキの日が続いていました。

 

でも すべてが消えてしまいました。

5/11日 床の中で 痛みに耐えながら 今頃 空を飛んでいたはずなのに・・・

大分空港から エアライナーで 懐かしの町におりた頃なのに・・・

 

どこにもぶつけられない悔しさと 

待ち続けてくれていた友へ申し訳なさで いっぱいでした。

 

 


「帯状疱疹闘病記」⑧ 夫の朝食作り

2017年06月20日 09時13分10秒 | 日記

体調がよくなって 台所に立っている夫に申し訳なく 手を出そうとすると

「いいから いいから・・・」

と手を押し返されます。

朝食は 自分の担当とばかりに 張り切って

冷蔵庫の中をあちこちのぞきながら 作っています。

夫には 今まで

「老夫婦2人の生活では、何がおきても困らないように、

食事ぐらい作れるようになるといいね。 お昼はお父さんの担当にしようか」

と 何度となく 提案していました。

「今時 コンビニもあるし、その時はその時さっ」

いつも 却下です

でも 今回の変身ぶりは 息子たちに見せたくて

時々シャッターを切りました。

「やめてくれ~ こんなの料理じゃない・・・って笑われるわっ」

そうかもしれません。

息子たちは、結構 料理にうるさい料理王子ならぬ 料理中年おじさんなのですから。

 

私は夫の料理熱がさめないうちに 料理じぃじになって欲しい!

一人でも生きていけるように 家事じぃじになってほしい!

と 密かに期待しています