令和4年の寅年は、「虎」朱印の御城印で縁起良く♬

2021-12-10 12:15:08 | 紹介
多くの皆さまにお受け取りいただいている、信玄ミュージアム発行の「武田氏館跡」御城印✨
年末年始は、信玄公の父・信虎公の「虎」朱印バージョンに!

ちょうど来年は寅年。
先月の特別展でご紹介した、信貴山朝護孫子寺様も寅と縁の深いお寺です。

ご縁にあやかって、信玄ミュージアムでも信虎公の虎・寅・🐯で
縁起の良い1年のスタートになるよう、御城印をご用意したいと思います。
何度かお目見えしているこちらの御城印ですが、まだお持ちでない方は、
虎朱印の御城印で今年一年の攻城納め、あるいは新年の攻城初めはいかがでしょう。

信虎公虎印バージョンは、夏季の甲府建設着工記念の8月16日前後にも配布していますが、
躑躅が崎の館への移転記念と開府、そして、1月6日の信虎公誕生日に合わせて
昨年もこの時期に配布したものになります。

配布期間:12月20日(月)~1月6日(木)
※今年は、12月28日(火)~12月31日(金)までは休館日です。
 ただし、㈱桔梗屋様のカフェ・お土産店は、29日~31日は営業しています。
※通常版(信玄公の龍朱印バージョン)ご希望の方は、スタッフにお申し付けください。
信虎公にちなんだ御城印は、こちらのバージョン
朱印は、信虎公のお使いになった「虎」の朱印(復刻版)です。
※特別展示室ご見学の記念品ですので、販売はしておりません。

永正16年(1519)12月20日は、武田家宗家の若き当主、信虎公が甲斐国内を平定し、
それまでの拠点・川田館(甲府市川田町)から、現在,武田神社が建つ躑躅が崎の館に入った日。

この地は、甲斐国の中央に位置し、政をするにもバランスが良く、
また山に囲まれた土地ゆえに、詰城を築くに適した土地にも恵まれていました。
館も扇状地上にあるため、川田館に比べ、洪水の心配がない土地です。

信虎公は、守護大名から、独力で領国を治める戦国大名に脱皮した世代。
新たな拠点となった館の城下町には、有力国人を集住させ、物理的な監視下に置き、
戦続きで疲弊した兵力を補うために、傭兵も登用するようになるなど、
甲斐一国の主として力を強めていきます。

大名としての在り方が変化し、領国内の郷村をより直接的に支配するようになり、
自然、実務も増大。発給文書も増加し、効率化が必須になったのかもしれません。
遅くとも大永5年(1525)頃から、花押の代わりに「虎」の朱印が使われるようになり、
ついには「(信虎公の)朱印がないものに従う必要なし」という通達まで。

・・・
「虎」朱印バージョンの御城印配布の最終日は、信虎公のお誕生日。
明応3年(1494)または、明応7年(1498)の2説がありますが、
現在は、明応7年説が有力視されています。

信虎公が躑躅が崎へ移転を決めたのは、二十歳を過ぎた青年期。
永正16年(1519)の躑躅が崎への館の引越しと甲府開府という大事業を終え、
年が明けた永正17年(1520)には、館の北方に位置する積翠寺丸山に
詰城・要害城を築き、大永元年(1521)頃、信虎公は「信直」から「信虎」に改名。
そして、駿河の福嶋氏率いる今川軍が甲府に迫り、飯田河原、上条河原での合戦に勝利する最中、
詰城・要害城でお生まれになったのが、武田家嫡男、幼名太郎、後の信玄公です。


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