子どものころ、よくくじ引きで何か決めたりしませんでしたか。
大人でも、時にくじ引きで、何らかの決め事を決することもあるかもしれません。
くじ引きのメリットは、とにかく有無を言わさず決めることができること。
そこは恨みっこなし。だって、それは、その時の「運」の良し悪しで決まるから!?
でも、その「運」って誰が決めるのでしょうね。
戦国の世における共通認識では、それをお決めになるのは神さまだった(!?)はず。
だからこそ、戦での先手や、時には将軍までもがくじで選出されたワケです。
なぜなら、くじ引きの結果は、ご神意の現れだから。
神さまと人間の関係が、今よりも近しかった時のお話・・。
・・・
信玄公は、他の武将同様、多くの願文を神社に奉納しております。
願文は神さまに何かをお願いするための、一種のお手紙なのですが、
お手紙ゆえに、その方の個性がでるようで😉
例えば、上杉謙信を「説得型」とするなら、信玄公は「押しつけ型」💦💦だとか。
わたしが○○をした以上は、または卜占で○○な結果がでた以上は、
このような結果をお授けいただけなければおかしいですよね。という調子なので、、わからなくもありません。
ただ、願文は神さまへの単なる戦勝祈願だけでなく、
戦いの正当性を、家臣領民にも納得してもらうためでもあったようで、
実際、願文の写しやおおよその内容は周知されていたとも言われています。
”ついて行くならこのお屋形さま✨”と、
家臣領民に確信させるための自己プロデュース(!?)など、周囲への配慮と共に、
信玄公の「勝ちたい!」という思いが、願文にどんなふうに表現されたのか・・。
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12月の当館特別展示室・信玄公生誕500年記念の展示テーマは「信玄公の信仰」(後期)です。
ただいま、
「武田信玄願状曰」(茅野市教育委員会神長官守矢史料館管理・個人所蔵)
「不動明王図」(大泉寺所蔵)
「武田信玄画像」(個人所蔵)
以上、3点を展示中。いずれも普段は見ることができない資料です。
こちらは、永禄8年(1565)に上野国(群馬県)箕輪城攻略を祈願して
諏訪大社上社に奉納した願文。
箕輪城は、長野氏が籠る西上野における上杉方の重要拠点。
なんとしても攻略したい城の一つでした・・・。
筆がかすれるまで、墨をつけない信玄公の特徴ある筆致を眺めつつ、
お館さまの、諏訪明神にかける思いも感じてください。
願文を含め「信玄公の信仰」(後期)は12月26日(日)までご覧いただけます。
皆さまのお越しをお待ちしております🙇
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