信玄公生誕500年まであと10日!いよいよラストのカウントダウンです。

2021-10-24 16:16:28 | イベント
今から約500年前、武田信玄公は、父信虎公と母大井夫人の間に
武田家の嫡男として、大永元年(西暦1521・干支辛巳)に誕生しました。
誕生の2年前、永正16年(1519)に武田信虎公による甲斐国内の平定がなされ、
館を躑躅が崎に移し、新たな甲斐府中(甲府)の建設が進められていた時期でした。
その翌年には、館の北側の積翠寺丸山(要害城)に城を築くなど、信虎公による
武田氏の支配体制を確立させる新たな拠点整備が急ピッチで進められていた時期でした。

武田氏の体制が整わないうちにと、その様子を窺っていた駿河の今川勢が大挙侵攻し、
10月には甲府の西の玄関口に近い飯田河原で合戦があり、武田方が勝利を収めています。
敗れた今川方は、甲府盆地南の勝山城に退去し、再起を図りましたが、
翌月11月23日の上条河原合戦で、大将とされる福嶋氏一族が討死し、
武田氏の勝利で決着しています。

今川軍の脅威が迫る中、大井夫人らは要害城へ避難したようで、飯田河原合戦での勝利後、
11月3日に信玄公が誕生しました。
一説にはふもとの積翠寺とも言われていますが、当時の記録の経過をたどると、
おそらく要害城の山上で生まれたのではないかと思われます。
幼名は「太郎」ですが、のちの世になって、このときの勝利と関係付けられ、
「勝千代」と呼ばれたとか。
ともあれ、武田家の嫡男として誕生し、元亀4年(天正元年)に53歳で亡くなるまで、
名門武田家の当主として、また、中部一帯の覇者として歴史にその名を刻みました。
山梨県民にとっては、今でも英雄として語り継がれている武田信玄公。
いよいよ、あと10日で500年という大きな節目を迎えます。

全国的に収まってきたとはいえ、まだまだ油断ならないコロナ禍の中ではありますが、
11月3日(水・祝)は、できるかぎりのお祝いをしたいと思います。
特別展示室でも生誕を記念したスペシャルな記念品のご用意と、信玄公の誕生日が記された
唯一の史料などを展示する予定です。
ぜひ、信玄ミュージアムにお越しくださいませ。




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