和歌の効能!?

2021-10-23 19:18:41 | 紹介
天文6年(1537)の10月21日は、
同年10月3日に甲府にやってきた、
歌人・冷泉為和(れいぜいためかず)の歓迎歌会が躑躅が崎館で催された日です。
館跡見取り図
信虎公の時代の歌会が行われたのは、主郭エリア!?


冷泉為和(1486-1549)と言えば、歌の名門、藤原定家(1162-1241)の子孫。
歌道師範家・上冷泉家の7代目当主でしたが、地方滞在も長かった方。
とりわけ駿府の今川家との関係が深く、客将の扱いだったとも言われています。
歌の師範としてだけでなく、時に国と国との間を往来し、何らかの外交的働きも担っていたようです。
為和が和歌を詠んで、それを記したとされる「為和詠草」には、
歌以外にも、ある時の合戦の詳細な記述もあり、託されたお役目を察することができます。

昨日の敵は今日の友・・ではないですが、駿府を介して為和と武田氏のご縁ができたのがこの頃。
ちなみに、この時、信玄公は16歳。その前の年に三条夫人を継室として迎えています。

戦国大名と言えば、戦に明け暮れ、その合間に、領国の経済を推し進めるなど、内政にも大忙し💦なイメージ。
和歌を詠んだり、先生までお呼びして研さんを積む時間を、いかにして捻出したのでしょう。
見方を変えれば、私たちが想像する以上に、和歌は武士のたしなみとして重視されていたのかもしれません。

戦国大名の出自はいろいろ。
武田氏は甲斐源氏の嫡流であり、甲斐の守護大名でしたが、
戦国大名に脱皮するには、有力国衆などを家臣団として組織することが必須条件。
家臣になる・・すなわち、その独立性を奪われることを意味するわけで、それはそれなりの反発が。
実際、信虎公も躑躅が崎館の城下町に、国衆を集住させようとして大反発を受けています。
領国統治を成し遂げても、油断大敵。あの手この手で懐柔し、納得させることが必要でした。

意外ですが、歌会で共に歌を詠みあうこともまた、あの手この手のうちの一手、だったようなんです。

「一手」になり得たのは、和歌には戦国大名が必要とした”権威”があったから。
戦国大名が、どんなにがんばって”権力”を得ても、得難かったものが”権威”。
"権威"を有していたのは帝であり、足利幕府の将軍。

「あれ?そうなの?」という印象を受けるかもしれませんが、今に始まったことではありません。
「下剋上」に象徴されるような戦国のあり方とは矛盾するように思えますが、
戦国大名も覇権を広げていくためには、武力以外にもその正当性を保証してくれるものが必要でした。
それが天皇や将軍が与える「公」の大義名分。
具体的には、官位であったり、守護職であったり、将軍の宴席や外出のお供する名誉職「御相伴衆」などなど。
実体がなくてもよかったんです。事実、この時期、朝廷や幕府はこうした官位などを、大名の求めに応じて乱発しています。

都の”権威”を象徴するものは官位にとどまらず、館もまた、多岐にわたり”威信”空間然と演出されました。
武田氏館跡も含め、複数の大名の館には、室町将軍の「御所」を思わせる建築様式が採用され、
儀式饗宴やそれに伴う座敷飾りも、武家故実に忠実であらんと、心砕かれたのです。

そこで詠われた和歌も、無形威信財(!?)のような役割を果たしました。
和歌には、天皇や上皇の命により編纂された、”権威”ある「勅撰和歌集」も数多くあり、
歌会という場で、そういう和歌を共に詠むことが人を繋ぐ。主従関係も結束させる・・と期待したのです。

例えば、信虎公が天文7年(1538)8月に催した歌会に、
誰よりも手こずった国衆であり、舅の大井信達を、初めて招き、
「末永くよろしくお願いします」と思いを込めて詠んだ歌がこちら。
(実際には、歌の上手い人に詠ってもらってます。)

「今よりやちぎりをかなんしるや君代々のねざしの和歌のうら松」(代作歌)

「昨日の敵」と良好な関係を築くため、プレゼント作戦ももちろん「あり」でした。
その1ジャンルが、書物や古筆。
歌の先生などを介して手に入れ、そういったもののやりとりも頻繁だったようです。

例えば藤原定家自筆本(!?)「天福本伊勢物語」は
三条西実隆が今川氏にプレゼント。その後、武田氏→北条氏→加賀前田氏→将軍家綱→柳沢吉保
なあんてルートを渡り歩き、最終的に、元禄15年(1702)、柳沢邸で焼失Σ(゚д゚lll)ガーン
数奇な運命(!)ですが、貴重な書物も当時の外交手段のひとつだったことを端的に示しています。

・・・
”権威”ある和歌の不思議は、神社などに和歌を奉納することで、神仏に思いを届けることができる、とされたこと。
大名と大名、お館さまと国衆や家臣とをつなぐ力を超えて・・・。

・・・
信玄公もまた、甲斐國一宮浅間神社に和歌をしたためた短冊を奉納しました。

「うつし植る初瀬の花のしらゆふをかけてそ祈る神のまにまに」

甲斐國一宮浅間神社HP(御宝物)

現在、当館特別展示室・逸品展示コーナーのテーマは「信玄公の教養」
浅間神社の和歌短冊(笛吹市指定文化財)も展示中です。
信玄公の自筆とも伝わる和歌短冊、ぜひご覧ください。
現在の展示は11月1日(月)まで。
皆さまのお越しを、お待ちしております🙇

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