クリスマスも終わり、いよいよ年末年始が近づいてきました。
家の大掃除や片付けなど年越し、正月に向けて取り揃えるものも多いと思います。
買い出しで町も賑わう時期ですが、戦国時代の甲府の町はどうだったのでしょう。
南北5条の道路に面して家々が建ち並び、東日本でも有数の都市を
形成していた甲府。
城下町の様子は、遺跡の発掘調査で一部明らかにされつつあり、
その中でも金属を加工する職人さんが大勢暮らしていたことは
出土した品々からも分かりつつあります。
特別展示室では、武田氏が暮らした館跡から出土した考古学資料だけではなく、
城下町や、武田氏と関係した施設から出土したものも展示しています。
その中に金を加工して、装飾品を製作していた細工師さんの家の
資料も展示しています。
館の外ではあるけれど、ほど近い場所ですので、
武田家からの注文品も入っているかも!?
場所は・・・
●黄色字の現在地は、信玄ミュージアム
■赤字が出土地点
金色に輝く調度品を使用できる階層も限られますので、
甲府にあった武家の屋敷か、有力な寺社で使用する道具に用いる
金具を作っていたのでしょう。
ここで作られた品が正月など晴れやかな場でも用いられたのでしょうか。
甲府以外にも近いどころか、敷地内に工房跡が見つかった館もあるんです。
それが、甲府盆地の東に位置する「勝沼氏館跡」
信玄公の父・信虎公の弟、勝沼信友(生年不詳ー1535)・
信元(1526−1560)親子の拠点。
1519年、信虎公が川田館(甲府市)から躑躅が崎館に転居されて手薄となった、
武蔵・相模方面への備えや郡内地方(県東部)に目を光らせるために構えた館です。
主に工房跡とされる遺構は、館の内郭と東郭に。
どうして工房だってわかるのか!?
館内なのに、建物の規模が小さく統一されていたり、
内郭用の給水路がちゃんとあるのに、どうやら素掘りの井戸が使われていたり、
排水も、廃棄処理の施設も内郭とは明らかに別のものが使用されているあたりから。
そして、もうひとつの動かぬ証拠は、出土品。
内郭の方からは、小鍛冶遺構が見つかり、
水がたまった地点からは、溶融物が付着して、
高温加熱されたかわらけも出土していて。
東郭からは、桶の底や、箸や折敷の未完成品、塗り用のヘラ、
漆が付着した布、削りカスなどなど。
木製品の製作や修理をしていたようなのですが、あまりに色々で、限定できないとか。
近くには、金属加工工房もあって、折り曲げた銅金具なども出土。
工房専用(!?)の廃棄用の穴も、隣接したものがいくつか。
工房もいろいろで、
勝沼氏館跡のように、工房専用のエリアが確保されている場合もあれば、
あくまでも臨時作業用で、仕事が完了したら、はい!撤収!という場合もあったようです。
とはいえ、勝沼氏の場合も、遺構や出土品から、
少なくとも4種類の職人さんが仕事していたと考えられていて、
それはつまり、館の維持のために、必要に応じて職人さんを呼び、
その仕事が終われば、やっぱり撤収!?
なので、便宜上、作業する建物も仮設のものだった可能性も。
そんなワケで、勝沼氏館にどんな工房が入っていたのか、
確かに限定するのは難しそう(;´∀`)
・・・
展示品をまじまじと見てみてください。
多くの家臣を従えたお館さまたちだって、やっぱりいろんな人に支えられていたワケで、
そんな戦国武将の日常も見えてくる・・・気がしませんか😉
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