先週4月12日の信玄公のご命日に執り行われた武田神社例大祭、並びに武田二十四将
騎馬行列は、何とか桜の花も持ちこたえ、久々の桜吹雪の中を挙行されたようです。
そして、本日は市民レポーターの方の取材ということで、市情報発信課の皆様と一緒に
武田氏の詰めの城っとも言われる要害城のある山塊の中腹にある「深草観音」、
あるいは「岩堂観音」とも言われる霊場を目指して参りました。
新緑の中を武田氏館跡の東を流れる藤川の源流沿いに、甲府市上積翠寺町の集落側から
トレッキングを開始しました。
集落側には根小屋の地名が残っていますので、要害城の登城口があった場所と思われます。
所々に設けられた標識や道標の石碑を頼りにけもの道のような山道を奥地に向かって
進んでいきました。
右 岩と山みち
左 山みち
とありまして、道標にしたがって右へ。
途中には現代の道標もありつつ、どうにかこうにか登って行くと、目的地の手前に巨大な岩が・・・。
大小の天然の石窟には多数の石仏。観音様?
麓から徒歩で山道を登ること1時間で、ようやく目的地の深草観音の霊地入口に到着。
その先には三方をぐるっと巨石に囲まれた空間があり、各所に観音像が祀られていました。
正面の巨石上方にぽっかりと穴が。
そして、穴に向かって金属製の長く高いはしごが架けられていまして、そこを登って穴の中に
お祀りされている観音様を拝むのだとか。
今は金属製のはしごですが、江戸時代は木製はしごで恐怖感満載だったらしく、手足が
震えるほどだったと書かれた書物もあります。
深草観音の場所は、現在は上積翠寺町の集落内に江戸時代に移転した瑞岩寺の敷地
だったと言われ、本尊は十一面観音像です。
はしごを登って行くと、石窟がありまして、井桁を組むように木材で床を張った礼拝空間が設けられ、
穴の奥に御本尊を祀る小規模な堂宇が設けられていました。
深草観音は、江戸時代の終わりには、甲斐国三十三観音札所の6番として栄えたようで、
江戸時代の年号を持つ観音像から、新しい時代では昭和のものまであり、侵攻の息の長さが伺えます。
実は、はしごの脇に岸壁を掘り窪めた階段も整備されていますので、そこから登ることも
できますので、恐いはしごをよじ登らなくてもお堂の中まで行けますよ😙
遠回りですが、要害山側からのルートもあるので、甲府の北の山中で丸1日森林浴を楽しみたい
方にはオススメします。
とはいえ、道中にも様々な獣たちの足跡などがありましたので、特にイノシシやクマとの
遭遇には十分気をつける必要があります。
クマよけの鈴など持参で、できれば複数人で楽しく会話しながら登山してください。
市民レポーターの方が今後どんな記事を書かれるか楽しみですが、来月くらいに甲府市の
ホームページから市民レポーターの方の記事をチェックしてみてください。
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