晴れ、ときどき虹。

yaplog!から移行しました。

white room

2008-12-05 22:53:01 | 過去日記
この日私は、同級生のMくんから声を掛けられた。

「りあらちゃん、今度、俺の前髪切ってくれん?」

「うん、いいよ。でも、私、家知らんよ?」
「じゃぁ、○○駅に、11時に待ち合わせね。」
「うん。わかった」


その日は朝から晴れていた。
学校が休みだったこともあり、電車も普段より空いていた。
駅に降りたら、改札口の階段の下で、Mくんが待っていた。

「おはよう」
「おはよう」

私はMくんと肩を並べて、二人で学校の裏を歩いた。
とりとめのない話をし、ただ、Mくんのアパートまで、20分ほど歩いた。


Mくんは、小さな2階建ての白いアパートに住んでいた。
夏休みに下宿が取り壊されるため、秋からここに住んでいたのだった。

「へー、ここ?」
「うん」

その白い殺風景な部屋には、スケッチブックとクロッキー帳が置かれ、部屋の片隅にはベースギターが立てかけてあった。

新聞紙を広げ、Mくんの髪の毛を切っていく。

「これぐらいでいい?」
「うん、こんなもんかな?」

当時、Mくんは、肩ほどの長さの髪の毛だった。
バンドをしていたので、髪を伸ばしていたが、さすがに前髪が伸びたのでどうにかしようと思っていたのだろう、仲が良かった私に頼んできたのだ。

きれいな真っ黒の髪の毛に、私がはさみを入れる。


髪を切り終わった後、また二人で話をする。

一緒に宅配ピザを食べ、ただ、この白い部屋にいる。

音楽のこと、絵のこと、バイクのこと、友達のこと・・・・。

白い部屋から開け放った窓からは、秋の青空と白い雲、吹き抜ける風が入り込んでくる。
窓枠に引っかけた、洗濯した黒いシャツが揺れる。


「ねぇ、晩ご飯、作ってやろうか?」
「うん」

二人で歩き、近くのスーパーに行く。
材料と調味料を選び、買い物袋を下げて、再びアパートに戻る。

ご飯を炊き、鶏肉を焼く。

食事の準備が一通り出来た頃、帰る時間が近づいてきた。


「もう、帰らなきゃ」
「駅まで送るよ」
「ええっ、いいよ、道わかるし」
「もう暗いから」

秋の夕暮れは早い。
また二人で肩を並べながら、駅まで歩く。

「今日はありがとう」
「うん。またね」
「またね」

階段を下りるMくんを見送り、私も電車に乗った・・・。




あの白い部屋は、まだあるのかな?
あのとき、不思議なぐらい静かな時間が流れていた。
ただしゃべって、大好きだった音楽をがっつりと流しながら・・・。

手も繋がず、キスもせず、当然体を重ねることもなかった。



「好きな人がいたら、私はその人と同じ時間を共有したい。そして同じモノを見て、同じように感動を分かち合いたい」

・・・今日、そんな話をした。

「私は、好きな人のために、なにかできることをしたい。その人が喜ぶ顔が見たい」

・・・この言葉も言いたかった。

その時私は・・・。

ただ、この白い部屋の時間が、ずっと続けばいい・・・そう思った。


11月の雪

2008-11-20 21:51:22 | 過去日記
ピーンと張り詰めたような、凛とした朝の空気。
11月の初雪は、20年ぶりだという。

・・・20年前、なにやってた?

20年前、18歳、高校3年生。
まだ時代は「昭和」だった。

TV番組で、たびたび流れる、天皇陛下のご容態。
「ああ、もしかしたら、3学期は・・・」なんて思っていた高校3年生の秋。

来るべき入試に備えて、部活も引退した放課後、美術室でデッサンしていたっけ。
高校3年生の秋、上山田線が廃止されるまでは、たてさんともよく一緒にJRに乗っていた。

漠然とした不安、それ以上に輝ける未来があると信じていた高校時代。

あれから20年が経ち、私も38歳になった。

高校3年生の3学期、時代も「昭和」から「平成」に変わった。
私は、ギリギリ「平成女子高生」なんだよね、考えてみたら。

たくさん絵を描き、たくさん詩を書き、たくさん音楽を聴き、たくさんの人とふれあい・・・。
今の自分の基盤になったこと、本当にたくさんある。

当時からの友人が、一番つきあいが長いしね。


長く眠る冬が来る。

でも、その後は、命漲る春が来る。

春になれば・・・・私は・・・・。




家庭訪問~’81or’82

2008-05-19 11:34:16 | 過去日記
子ども達の家庭訪問もようやく終わり、小学生組もやっと普段の下校時刻になった。

表題の「’81~’82」だが、この年は、私が小学5年~6年生のころだ。

私が5~6年生の時の担任は、Y先生という、50代始めの女性の先生だった。
当時の小学校の先生らしく、いつもきれいなブラウスにスカートといった、「品のいいおばさま」といった出で立ちだったのを覚えている。

毎年、家庭訪問の時期になると思い出すのが、このY先生だ。

今の私がそうであるように、当時の母も、家庭訪問前は散らかった自宅を必死に掃除し(親子して同じことしてるよ・・・)、お茶菓子を準備した。


高いお茶を買ったり、普段絶対に買わないようなお菓子を買ってきたり(先生は食べないので、だいたい後から私と弟が喜んで食べる)。

5年生の時だったか6年生の時だったか、はっきり覚えていないが、Y先生が来られたときだった。


母は、お茶菓子に「ところてん」を用意していた。

Y先生は
「ところてん、大好きなんですよ。暑いときには美味しいですよね」

そう言って、きれいに完食されたそうだ(私はその場にいなかった)。

母も、まさかここまで喜んでいただけるとは思ってもなかったので、先生が帰られたときも感激していた。

「Y先生、すごく喜んでいたよ。暑かったから、ところてんをお出ししたんだけどね。喜んでもらって、本当に良かった」と。



そのY先生、私が卒業した学年の一つ下の学年を受け持った後、定年退職を待たずに若年退職された。

公立高校受験に合格したときも、私はY先生に報告しに先生の自宅に行き、当時の友人と先生とで食事をしたっけ・・・。


Y先生を見たのは、それが最後だった。


私が、高校2年生の初秋、Y先生の訃報を聞いた。

元々病弱だったので、若年退職されたのは知っていたが、まさかこんなに早く亡くなるとは思わなかった。

通夜の席で、当時の級友やお母さんと再会。
棺の中のY先生は、まるで眠っているかのようだった。

次の日の葬儀、私は学校を早退して、参列した。

棺の中に、当時の思い出などを書き留めた手紙を入れていただいた・・・。


それから3年が経ち、成人式を迎えた。

たくさんの祝電が私達新成人に届いており、式典でそれらが紹介された。
小学校の5~6年生当時の担任からも、連名で祝電が届けられたが・・・。

その中で、Y先生の名前だけはなかった。


・・・わかっていたけど、わかっていたことだけど、やっぱり寂しかった。


いろんな意味で、Y先生は、私の人生の中の可能性を増やしてくれたし、スイッチを押してくれた。


大人になって、子ども達の母親になって、子供も当時の私の年齢になった。

その姿を、もう見てもらえないのは、寂しいね。


この時期、店頭に「ところてん」が並ぶと、Y先生を思い出す。

それは私もだが、母も同じ。


新緑の季節の思い出は、これからもずっと変わらないだろう。


恐怖のミラクルダイエット

2008-05-17 23:56:14 | 過去日記
我が家の台所には、小さいが「床下収納庫」がある。
そこに、買い置きの調味料や乾物などを入れておくのだが、かれこれ6年前から鎮座している「茶色のびん」が2本ある。

正確に言えば「中身が変色して焦げ茶色になってしまったびん」である。

その中身とは・・・ミラクルダイエット!!


娘が生まれて間もなく、このびんが届いた。
その詳細を、当時の日記であるが、転載します。

以下、シムコミより転載。
一部、絵文字や文字の大きさなど、読みやすいように加工します。



ミラクルダイエット
at 2002 07/05 16:43 編集

6月1日。退院前日の土曜日の午前中だった。
日曜日は事務員さんが不在なので、入院費を支払いに受付に行った。
私が入院していた病院は、前金で30万円を支払い、差額を退院時に支払うので、その差額分を計算してもらい正式に領収書を作ってもらった。

「さーて、あとは部屋で使った電話代を、退院時に看護婦さんに支払うだけだな。やれやれ」
と、思っていたのだ。
部屋で荷物の整理をしていると、事務室から電話があった。
「りあらさん、着払いで荷物が届いているようですけど、そちらに行ってもらって大丈夫ですか?」
とのことだった。

数日前、出張中の夫が
「宅配の荷物が届くんだけど、着払いでねぇ。で、日曜日の夕方にお願いしたんだけどだめだったから、病院を連絡先にしたんだけど」

・・・私がいないのをいいことに、また何かヘンな買い物をしやがったな・・・こいつめ。

宅配の業者に病室がある3階に来てもらった。
「あの、10840円になります」次の瞬間・・・・。
「・・・ちょっと、ちょっと待ってください」・・・。
あわてて病室に戻り、財布を開けてみた。
なんとか1万円はあるのだが、千円もない。小銭もない、「げー!!足りないじゃん!!」まずい、何とかしなければ。

以前、鞄のポケットに小銭を入れていたのを思い出し、必死にかき集めた。
辛うじて足りた・・・。かき集めたお金を持っていき、業者に支払った。
小振りだが、ちょっと重い箱を受け取る。部屋に戻り、パッケージを見たら、夫が購入した今回のヘンなモノは、今流行の「48時間ミラクルダイエット」だった。

・・・また、こんなモノ・・・。
痩せるつもりがあるのか?本当に飲むのか??昨日、ジュースの1本でも買っていたら、お金が足りなかったんだぞ!

ジュースぐらいならまだしも、明日、電話代が支払えないじゃないか!どうしよう・・・。
それにしても、入院費の差額を支払った後に、また1万円も飛んでいくとは・・・とほほだ。
あ~~、夫のバカちん!!

一瞬、生まれたばかりの娘と、まだ幼い息子と3人で生きていこうと、ちらっと考えてしまった。
と、同時にはらわたが煮えくりかえり、どうにもならないので夫に電話した。

「あんた、ミラクルダイエットがきたよ。私、もうお金が全然ないよ。明日の電話代も払えんよ!!現金がないの!ジュースも買えないよ!(授乳しているのでのどが渇く)」

「ジュースなら、このミラクルダイエット飲めばいいやん」

もちろん、冗談だとは思うが、なんでお産したばかりの私が、ミラクルダイエットなんぞ飲まなくてはいけないのだ!!
まったく、どこに八つ当たりしていいのか分からない。
それにしても、現金を持っていないというのが、これほどに不安になるとは。
一文無しではないのだが、財布の中には1円玉と5円玉しか残ってなかったし。

しばらくして、夫から折り返し電話があった。
義妹があとからお金を貸してくれるとのことだった。
やがて、義妹が心配そうに病室に入ってきた。
わらをもすがる気持ちだったので、ものすごーく、ありがたかった。義妹に手を合わせたいぐらいだ。

「わざわざ入院先まで、荷物を持ってくるのかね??日時指定など当たり前の時代に、ここの業者は、なんでこんなに融通が利かないんだろう?それにも腹が立つよね!!」
と、義妹も一緒に腹を立ててくれた。何かへんだが、同士がいたようでうれしかった。(やっぱりこの表現はヘンだね)

・・・あれから早一ヶ月。未だに自宅の冷蔵庫には、ミラクルダイエットが未開封のまま、置いてある・・・。



・・・・あれから、もうすぐ6年・・・・。

やっぱり飲まないまま、鈍いオレンジ色だった「ミラクルダイエット」は、思いっきり変色して、未開封のまま置いてある・・・。


「冷蔵庫で冷やしたら飲むから」
「夏休みになったら飲むから」

はい。ことごとく裏切られました。

高かったんで、捨てるに捨てられないし、かといって、もう飲めないし。
ホントに、大金を溝に捨てるとは、このことだ・・・・orz






雨の日曜日

2008-03-09 22:08:31 | 過去日記
いまひとつ、いい天気ではない。
今日は「空き缶回収日」だったが、体調がすぐれず気分が悪い。

一旦起き出したものの、しばらく寝ていた。

案の定、雨も降り出す。

3人組に昼食を食べさせた後、おやつを作る。

今日は、母方の祖母の命日なので、子ども達を連れて実家に。
途中、おはぎを購入する。


祖母が亡くなった日、こんな雨じゃなくて、春爛漫の晴れた日だった。

「もうすぐ桜が咲くよ」

祖父は、祖母が亡くなる数日前に、こんな会話をしたらしい。

ばあちゃん、あれから私も子供が二人生まれてね、なんとか元気にしているよ。
ばあちゃん、もうすぐ桜が咲くよ・・・。