晴れ、ときどき虹。

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娘5歳

2007-05-28 12:43:34 | 過去日記

出産当日
at 2002 06/16 13:46 編集

5月27日深夜、何度もトイレに駆け込む。
ずっと水が降りているような感じで、下着がびしょびしょ。
失禁とは明らかに違う。
「おかしい。破水したかも」と思った矢先、血性のおりもの(粘膜)がおりる。
「あ、おしるしがきた。今日中に陣痛が来る」28日未明、夫をたたき起こす。
「破水した。病院行くよー」と言うと、夫はのそのそと起き出して息子を起こしていた。
病院と実家に電話をし、入院用の荷物を持って車に乗る。

午前3時ごろ、病院に到着。
自宅から病院までは3分程度(なんて近いのだ!)。玄関で助産婦さんが待っていてくれた。
すぐに診察するが、どうも羊水が出たわけではないようだ。
一応、おなかにモニターをつけて、陣痛の間隔を計る。
自宅にいるときや診察しているときはどうもなかったのだが、すでに3分おきに陣痛が来ていた。
だんだん痛みが強くなってくる。
しばらくして母が来た。
息子を実家に連れて帰ってもらう。
3分が2分にと間隔が短くなると同時に、鳥肌が立つような痛みが襲う。
「うわ!こりゃたまらん」それでも痛みが引くときは、まだ夫や母と話す余裕はある。

「やっぱり破水してますね。髪の毛があたってる」と、診察した助産婦さんが言う。
と言うことは、もうすぐそこまで胎児が来ているということか・・・。
胎児が旋回しているのがわかる。
おなかの中がぐるっとまわる。
午前8時、分娩室に運ばれていく。
「うわ!いよいよだよー。しかし、この痛みはなんとかならんのか!!」と、非日常的な状態に自分がいるにもかかわらず、どこかで冷静になっている自分がいるのだ。
また、そうでないとお産なんてとてもじゃないが乗り切れない。

分娩台にあがる。
待機した看護婦さんや助産婦さんが「頑張りましょう!」とにこやかに声をかける。
どうでもいいが、まだ完全に子宮口が開いてないから、いきめないんだと。
なにがつらいかって、いきめないのが苦しい。
子宮口も全開し、先生が入室してきた。
「はい、息止めて!目を開けて!」陣痛の波にあわせていきむ。
「あ。今、痛みが引いてます」「はい、じゃあ、体を楽にして」と、腕や腰の力を抜く。「あー、来ました」「はい、いきんでー」
もう少し、あと少し。
先生がおなかの上を手のひらで押している。
「痛み止めの注射を打ちます」ということは、切るんだな・・・。
と思ったらパチン!と切る音がする。(裂けないように切っておくのだ)
あ!と思ったら、あれだけ痛かった腰や腹の痛みが、すーっと引いた、と同時にやっと産声を聞くことができたのだ。
「おめでとうございます」「赤ちゃん、抱っこするから」と、おなかの上に広げられた防水シーツに、生まれたばかりの赤ん坊が乗せられた。
「あー。生まれたよ、よかったよかった」我が子の顔を見てほっとした。
「あ!!ついてない!女の子だ」これには私も驚いた!
うれしいはずなのに汗びっしょりで、涙の分まで体の中に水分が残ってない。3058グラムの女の子。無事に生まれてきたことに感謝・・・。




出産当日その2
at 2002 06/24 13:26 編集

出産してすぐは、分娩台の上で1時間ほど休む。
その間に、生まれたばかりの赤ちゃんの身長や体重を計ったりしている。
手足をバタバタ動かしながら、巻き尺で頭囲を計ってもらっている我が子を見て「この光景は一生忘れない。目に焼き付けておこう」と深く心に刻む。
子供を産むことなんて、これから先あるのだろうか・・・。

臍帯をゆっくりと引き出すと、胎盤が排出された。
自分の体内から出てきたにもかかわらず「気持ちわるー」と感じてしまった。
これも、もう見る機会がないだろうな。先生が切開したキズを縫合する。ゆっくりと汗が引いていく。
「お乳を吸わせますね」と、看護婦さんが再び私の胸の上に赤ちゃんを連れてくる。
まだ母乳は分泌されないのだが、生まれたばかりなのに懸命に吸い付いている。

しばらくすると、分娩に隣接する家族待合室から、母と夫が出てきたみたいだ。
分娩室から新生児室に我が子が移される。「わー」と、母と夫の歓声が聞こえる。

新しいパジャマに着替え、分娩室から病室へ。
ぼーっとしてしまい、何も考えられない。食事を摂り、そのまま眠り込んでしまう。


今日は、娘の誕生日。
今年で5歳になる。

当時の出産の記録を見つけたので、改めてここで公開します。








あのときの5月(その3)

2007-05-19 21:55:04 | 過去日記
その後
at 2004 06/07 10:21 編集

5月25日朝、義叔母が亡くなった。
まるで眠っているような顔だったので、よけいに信じられない。

みんなハンカチを目に当てて、突然の訃報に涙を流した。

仮通夜、通夜、葬儀と、あわただしく済み、たくさんの人がお参りに来てくださった。

時々、夫の実家に行く。
いつも台所に立っていた義叔母は、もういない。
義叔母が飼っていた犬は、いつまでも義叔母が帰ってこないことを、不思議に思っているのかもしれない。
遺影の写真は、義叔母が好きだった山登りの時の写真だ。

食べようと思っていたであろうおかず、着ることもなく袋に入ったままのTシャツ。
なにもかも、そのままにして義叔母が亡くなった。

義叔母が亡くなって、もうすぐ2週間が経つ。
それでも、当たり前の日常がやってくる。
いつもと同じように朝が来て夜が更ける。
でも、いつもいた場所に、義叔母が居ない。

Mおばちゃん、今まで本当にありがとうございました。


追記(5月23日)

あれから3年が経ち、今年の5月20日は、義叔母の三年祭になる。
埼玉から義弟一家が帰省。
しばらく忙しい。

人を泊める予定にしていたようだが(夫が)、なんとかそれは無くなったようなので、ちょっとだけホッとした。

自宅の掃除をするのだが、なかなかはかどらないまま、あわただしく一日が終わる。


あのときの5月(その2)

2007-05-19 09:53:05 | 過去日記
義叔母の死
at 2004 05/26 00:16 編集

この日記にも時々登場し、私や子供たちをかわいがってくれた夫の叔母が、25日朝、交通事故で亡くなりました。

24日昼、自宅前の横断歩道を歩行中に車にはねられ、そのまま意識が戻りませんでした。

しばらく、忙しくなりそうです。

なんだか、悪い夢を見ているみたいだ・・・。



混沌
at 2004 06/07 10:08 編集

5月24日、この日は夫が体育祭の代休で、たまたま自宅にいた。
昼過ぎ、買い物に出かけた私が帰宅したら、夫がいない。
どこかに出かけたのだろうと、電話の着信を確認したら、義父から電話があったようだ。
夫の携帯電話に電話をしてみたら、義叔母が危篤状態なので病院に居るとのこと。
義叔母はそんなに体は丈夫な方ではなかったが、この前も会ったばかりだし、危篤とは何事??と思っていたら、交通事故だった。
詳細がわからないまま、自宅に待機するように言われる。
「ゆたかが帰ってきても、遊びに出さないで。何かあったらすぐに電話するから」とも。

義叔母は車の免許を持ってないので、自分で運転することはない。
歩いていて事故にあったのか、それとも誰かに乗せてもらった車が事故にあったのか、全くわからないままだった。

次の日、生協の会議が福岡市であったので、事務局に電話をして出席をキャンセルすることにする。

しばらくして夫からまた電話があった。
「集中治療室に入った。・・・今夜がヤマだ・・・」
帰宅した夫は、憔悴しきった顔で自室に閉じこもったままだった。

少しずつ詳細がわかった。
買い物帰りに、自宅横の横断歩道を渡っていて、右折してきた車にはねられたらしい。

早めに夕食を摂り、家族4人と実家の母とで、病院に急いだ。
実家の母も、この知らせにはとても驚いたようだった。
それこそ母も、先日電話で話したばかりだったらしい。

病院には、義妹夫婦がいた。
義妹が気丈に振る舞っている姿が、とても痛々しい。

夫と集中治療室に面会に行く。
そこで見た義叔母・・・。
夫も私も、一言もしゃべらず、声を殺して泣いた。
つけた紙マスクが、涙でびしょびしょになった。

なんでこんなことになってしまったのだろう。
目の前の義叔母の姿が、現実の物として受け入れられるはずもない。

夜9時を回ったところで、義妹の旦那さんに送ってもらった。

なかなか寝付けない。
寝付けるはずもない。





あのときの5月(その1)

2007-05-19 09:46:59 | 過去日記
穏やかな日常
at 2004 05/24 10:45 編集

気持ち悪いくらいに静かだ。
鳥のさえずりしか聞こえない。

娘も今週末で2歳になる。
いろんな単語を並べて、なんとか自分の意志を伝えたいようだ。
同時期の息子と比較しても、言葉が早く感じる。
「お風呂」
「おっぱい、ちゅうちゅう」
「ねんね」
「わんわん、にゃんにゃん、ぴっぴ」
「にゅうにゅう(牛乳)、お茶」
「おににり(おにぎり)」
「かいかい(かゆい)」
「ごちん(転んだりしてぶつける)」
「ばあ(いないいないばぁ。NHKの子供番組)」
「パパ、ママ、ゆかか(ゆたか)」
などなど。



下記の日記
at 2004 05/24 23:51 編集

「穏やかな日常」を書き上げた数時間後、事態は激変した。

今夜が山場になりそうである。

子供たちは疲れて寝ている。
夫は病院に待機。
私は・・・
いったいどうすればいい??

 

追記:3年前の5月、以前、シムコミに載せていた日記です。
    日付に注意!


時の移ろい

2007-03-13 21:12:00 | 過去日記
今日は、福岡県の県立高校の入試の日だ。

高校を卒業して、早18年。
当時、元号が変わったばかりで、2学期までは「昭和」、3学期からは「平成」となっていた。
部活の落書き帳には、「昭和64年かも知れない」とか書いちゃったりして(笑)。

なんだかんだ言っても、高校、短大時代は、学んだことが多かった。
男女問わず、未だに一緒に食事をしたり、飲みに行ったり(私は飲めないが)、結婚式に参列したり、出産したら赤ちゃんを見に行ったり・・・。

中学3年生のみなさん。(見てる人なんていないだろうが)
15~20歳ぐらいは、人生の中でもかけがえのないモノをたくさん得られる年齢だよ。
学ぶこと、遊ぶこと、悩むこと、人を好きになること、友達と語り合うこと・・・。

入試はきついけど、その先の明るい展望と、ちょっとの不安を胸に、頑張って!