神在の太陽光発電所から、バスはさらに進み、うちの生協の保養所でもある「遊学山荘」へ。
建物が老朽化し、取り壊しも決まった。
私は、初めてここに足を運んだのだが、たくさんの人が出入りし、たくさんの人が出会い、ここからいろんな発想が飛びだし、検討し、いろんなものが形になった。
シェフである小川さんは、ここをずっと守り続け、専務であった兼重さんの思いを丁寧に語ってくださった。
ネグロスバナナのこと、南道キムチのこと。
今では当たり前のようにカタログに載り、注文すればその商品が手元に届く。
ここに行き着くまでの苦労。
過去に、様々な学習会で話は聞いてきていても、実際に目で見て携わって来た人の言葉は重い。
兼重さんは、若くして亡くなった。
だから小川さんの言葉が、より重く響く。
ここの遊学山荘がオープンした日、たまたま偶然なんだろうが、あのチェルノブイリの事故が起きた。
当時高校生だったが、私は「とんでもなく事が起こった」と記憶している。
その遊学山荘が、今年にはなくなる。
遊学山荘跡地に風力発電を・・・がそもそもの発端だったかな・・・。
様々な条件に合わず、有力発電を断念し、同じ糸島で太陽光発電・・・私たちの手による市民電力事業が始まる。
チェルノブイリから27年。
なんだか不思議な縁で今がある。
様々な縁が、様々な糸が結びつき、大きなうねりになる。
写真は、遊学山荘と当日食べたお弁当。
そして、遊学山荘から眺める海。
晴れた日は、遠く、壱岐対馬まで見える。
遊学山荘で購入した、ビスケットとマカロン。