叱るときと怒るときの違い
叱ると怒るについて少し考えてみました。
私自身が子どもに接していて、どんなときが叱っていて、
どんなときが怒っているのか、分けてみました。
分けると言っても、どちらだろうと悩むことも多く
意外と難しいな~と感じました。

ただこんなことが言えるのではないかと。
叱るというのは、子どものために言わなければいけないことを
言っている時が叱っているのだと気がつきました。
子どものためがポイントでしょうか。
一方怒るというのは子どものためと言うより
私が頭にきたからその怒りを解消するために子どもに怒る
と言うことでしょうか。
叱るは、子どものために私が叱る
怒るは、私が頭にきたから子どもを怒る

もちろん怒るときも子どもに改善してほしい願いから
怒っていると言うこともないとは言えませんが。
子どものために叱っているときに、つい手が出てしまうのが体罰、
怒っているときに手が出てしまうのが暴力。
個人的には肉体的苦痛を与えることで改善できるとは考えていませんが。
肉体的苦痛からは改善ではなく服従だと思いますから。
さらに肉体的苦痛からは信頼関係ではなく支配関係になりますから。
それでは動物と一緒になってしまいます。
子ども達と生活していると、頭にくることはたくさんあります。
私が頭にきてもすぐに怒るのではなくて、そこで少し冷静になり、
親として、私が頭にきても、子どものために叱るに変換できたらと思います。
それがまた結構難しかったですが・・・
親として、反省の連続でした。
叱ると怒るについて少し考えてみました。
私自身が子どもに接していて、どんなときが叱っていて、
どんなときが怒っているのか、分けてみました。
分けると言っても、どちらだろうと悩むことも多く
意外と難しいな~と感じました。

ただこんなことが言えるのではないかと。
叱るというのは、子どものために言わなければいけないことを
言っている時が叱っているのだと気がつきました。
子どものためがポイントでしょうか。
一方怒るというのは子どものためと言うより
私が頭にきたからその怒りを解消するために子どもに怒る
と言うことでしょうか。
叱るは、子どものために私が叱る
怒るは、私が頭にきたから子どもを怒る

もちろん怒るときも子どもに改善してほしい願いから
怒っていると言うこともないとは言えませんが。
子どものために叱っているときに、つい手が出てしまうのが体罰、
怒っているときに手が出てしまうのが暴力。
個人的には肉体的苦痛を与えることで改善できるとは考えていませんが。
肉体的苦痛からは改善ではなく服従だと思いますから。
さらに肉体的苦痛からは信頼関係ではなく支配関係になりますから。
それでは動物と一緒になってしまいます。
子ども達と生活していると、頭にくることはたくさんあります。
私が頭にきてもすぐに怒るのではなくて、そこで少し冷静になり、
親として、私が頭にきても、子どものために叱るに変換できたらと思います。
それがまた結構難しかったですが・・・

親として、反省の連続でした。