「身の丈」経営,「身の程」人生

身の丈,身の程を知って生きる・・・・・

<阪神淡路大震災から20年> 神主さんになったアナウンサー 宮田修さん

2015-01-19 18:42:23 | 「身の程」人生


 1995年の1月17日,5時46分,毎日、テレビ各局は大地震のニュースを続けた。地震の呼び名が「神戸地震」から「兵庫大地震」そして「阪神淡路大震災」へと変わっていった。地震の規模が予想以上に大きかったのである。

 





1995年の1月17日早朝,阪神淡路大震災の発生直後から7時間以上,被害状況を伝え続けた元NHKアナウンサーの宮田修さん(65)。

 NHK大阪放送局で朝のニュース番組を担当していた1995年1月17日朝、阪神・淡路大震災が発生した。午前5時49分から午後10時50分まで、交代を挟みつつ刻々と入ってくる情報を,交代を挟みつつ冷静・沈着かつ的確に報道に当たり,視聴者に大きな安心と感動を与えた。 「1つでも間違ったことを伝えてしまうと、被災者の命にかかわってくる。プレッシャーは大きかった」と当時を振り返る。

「震災」の後,東京本部に異動。NHK報道の看板番組「ニュース7」の土・日・祝のキャスターとして重責を果たし,エグゼクティブ・アナウンサー(特別職)に昇進した。



 宮田氏は今,出身地の千葉県長南町の熊野神社など32の神社の宮司を務める。2000年,老神職から後継者になって欲しいと懇請され,神職資格を取得し神主さんに。

 そして,17年後に後輩たちが伝える東日本大震災の被災地の姿にくぎ付けになった。その中で心引かれたエピソードがあるという。

 避難所に救援物資が届いたが、被災者の誰もが他人を気遣い、救援物資はたらい回しにされ、最初の避難所に戻ってきた-。
 「それはそれで問題なのかもしれないが、心が温まった。震災は非常に不幸な出来事だったけれど、見事にみんな、人を思いやる“日本人”に戻っていた」

 ただ、被災地から目を転じれば、児童虐待など心を痛める犯罪は後を絶たない。一因に、行き過ぎた「自己責任論」があると指摘する。「自分ですべて責任を取ればいいという考え方は、戦後教育で出てきたもの。突き詰めると、『自分さえ良ければいい』となる」と顔を曇らせる。

 そんな社会にあって神道の「中今(なかいま)を生きる」という考え方にヒントがあると宮田氏は言う。「親の親、そのまた親からの命のリレーの途中にいる自分を自覚する。そうすれば、自分勝手にブレーキが掛かり,思いやりが生まれるのでは」。





◆長南町の熊野神社  (千葉県長生郡長南町長南334)
 最寄の駅はJR外房線茂原駅(千葉県)。そこからさらに車で約25分,人口9326人の長南町の小高いうっそうとした森の中腹に,熊野神社は建つ。
 滝ノ内地区にある熊野神社で,長南町に8カ所ある熊野神社の1つ。宮田さん自宅は,神社から約4キロのところ。行事のときは,神社と自宅を往復する生活だという。





こころを楽にする生き方 (ベストセレクト)

 

戦後60年以上経ちましたが,現在,さまざまな「心の問題」がなぜ起こっているのでしょうか。
日本人は真面目です。
与えられた状況の中で必死に耐えながらコツコツと生きていこうとします。
それは美徳であり,素晴らしいことです。
でも,そろそろ限界ではありませんか。
日本人本来のあり方を知ればもっと楽になれると思いますよ。
神主さんになったアナウンサー,「阪神・淡路大震災」で第一報を伝えた著者のスローライフ・メッセージ。
 
第1章 「日本人」であることに目覚める
第2章 現代人が「宇宙人」である理由
第3章 「神道」とはニッポンそのもの
第4章 日本人は変わったのか,変えられてしまったのか
第5章 日本人の伝統的な考え方
第6章 蘇れ!「日本人の心」

 

  宮田修著 ベストブック刊  (952円+税)

 


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