幸福の科学高知 なかまのぶろぐ

幸福の科学の、高知の信者による共同ブログです。
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緑の革命と、進化論のほころびと『太陽の法』

2018-07-23 00:49:37 | 命の不思議

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「緑の革命」という演題ですけど、決して私は、環境左翼ではありません。(笑)

このブログの代表管理人は、様々な分野に口をはさみますけれども(笑)、「身近な題材で、進化論を破邪してみよう」ということもやっていて、カテゴリー「命の不思議」を中心に、記事をまとめています。

で、実は私、植物に疎いんですけど、まずは植物の葉緑素の話から。

植物の葉緑素って、皆さん、凄いと思いませんか?

なんせ、空気中の二酸化炭素と水と光で、自分で栄養素を作り出してしまうんですから。
人類は、いまだこの未知の物質を、作り出すことに成功しておりません。

『クロロフィル』という名前でも呼ばれ、科学結合式もわかってはいるのですが、私が知る限り、人間は葉緑素を作れないし、それによって酸素とデンプンも作り出すことはできません。 

『葉緑素入りのガム』などが商品化されていますが、ガムに光を当てたからといっても、ガムから酸素が出る訳ではありません。(笑)

 

もしも人間の力で、葉緑素のような仕組みを作ることできていたなら、CO2や食料問題は、とっくの昔に解決済みのはずですよね。

ねぇ、そうでしょう? 

もしも人間が、葉緑素をつくることができていたらですよ、人間が食べ物や貧しさが原因で、争う必要などないわけですよ。

しかし現実には、世界中で戦争が絶えません。

古今東西、人間は争ってばかりですけど、これなんざぁ、人間の無力さの象徴なんですね。

その光合成のメカニズムを、色々調べて見たんですが、やっぱり良くわかりません。(爆笑)

ムツカシイです。

お手上げです。

でもそこで気づきました。

『これだけ葉緑素についての、一般的な説明が難しいということは、実は、その道の科学者もよく理解できていないんじゃないか?』 と。

そう思ったら、色々見えて来たんですね。



この謎の、そして脅威のテクノロジーが、この地上には、ごくごく当たり前のように存在しています。
そして、この脅威の物質は、『地球の生命の歴史の、極々初期』に生まれています。 

人類は、その脅威の物質をいまだ作り出せていないのですから、人間は、もっともっと、謙虚にならないといけないと思うのですね。
そして科学者は、植物を創造した創造主への、敗北宣言をしないといけないはずなんです。

ひいきめに見ても、進化論的植物学者の方々こそ、神を称えなければならない人たちのはずですよ。
「植物が偶然できたと言い続けるなら、せめて葉緑素を、自らの手で作り出してから言いなさい!!」と言いたいです。

それに、本当にわかっていたなら、わかりやすく説明できるはずです。
そう、私のブログ記事のように・・・(えへん) (^^) 

さらに植物が進化論的に、どういう位置づけになっているかが問題です。
地球に生命が誕生した際には、その当初においては、『酸素を必要としない生物だけであった』とされております。

これは嫌気性菌と言い、現在でも身近に存在します。
そして、身を守る防御のために、『毒でもある酸素を発生させる生物』として誕生したのが、植物であると言われています。

確かに酸素は、毒という一面があります。
酸素消費量の多い、スポーツ選手は活性酸素の発生量も多く、ガンの発生率も高くなり、平均寿命が短いというデータもあります。

また、ジョギングは、身体の老化を早めるとも言われています。
大量の酸素を必要とする生活は、身体を錆びさせる生活でもあるからです。
 
酸素消費が多くなると、それに付随して、活性酸素も多くなるからです。
『活性酸素』というのは、わかりやすく言うと、過酸化水素水(オキシドール)です。
酸素系漂白剤に使われる化学物質ですね。
 
つまり、活性酸素というのは、超わかりやすく言えば、漂白剤のようなものです。
酸素消費量が多くなると、どうしても体の内部に、漂白剤をいっぱい抱えてしまうのです。
ちなみに、ジョギングを世界中に推奨した方は、ジョギング中に、心不全で亡くなりましたのでご注意を。 
 
酸素系漂白剤や、オキシドールの除菌効果を見る限り、酸素の毒性で持って身を守る。
一見すると、筋が通っているかのように思います。
しかし、これには条件があります。

そうです。『光合成が使える、日中にしか有効でない』 ということです。
夜間は、酸素は作れませんので、入れ食い状態となります。(笑)
恐らくは、「酸素による、自己防御説」は、活性酸素の研究が進んだ近年、「これは使える!!」とひらめいた、とある生物学者の思いつきではないでしょうか?(笑)
 
いずれにしましても、「仮説」の域を脱していないです。 

また、どうも科学者、研究者という方は視野が狭いので、見る範囲を拡げると、矛盾だらけになることがよくありますので、十分気をつけなければなりません。
一例をあげますと、

植物も、呼吸しているということです。
つまり、植物も生きていくために、酸素を必要とする生物なんですね。


では、古代の地球に登場直後の植物たちは、必要な酸素をどうやって取込んだのでしょうか?
それとも、植物が始まりの時は、酸素を必要としない生物だったのでしょうか?

こうなってくると、なんだか訳がわからなくなって来ますね。(笑)

そして、筋道だった結論は、いつもただ一つになってしまいます。

太古の地球という、生命の水槽に、その主役となるべき役者たちは、一気に揃ったんです。
それ以外、整合性のある説明ができません。

そして、酸素や二酸化炭素など、生命が生きていく上で必要とされるものは、あらかじめ用意されていないと、つじつまが合わないんですね。
 
要するに、生き物や生き物が生きているこの世界は、神様が創ったんですよ。

さあ、皆さんどう思いますか?

片や万能を自称する、無神・唯物・進化論者の意見と、ド素人一般ピープルの、一人の信仰者の意見。

一体、どちらが整合性があるのでしょうかね? (笑)
 
本日は、幸福の科学の基幹経典『太陽の法』(幸福の科学出版)より、一部抜粋をご紹介いたします。
生命が創られたころよりこれまで、生命の歴史を見続けてきた存在の視点がそこにあります。
 
            (ばく)
 
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人生は、心を豊かにする旅路 天使のモーニングコール1398回 (2018.7.14,15)

【特報】映画『宇宙の法ー黎明編ー』

 

この世のものは、すべて時々刻々に変化をしており、まったく同じ状態であることは不可能だということです。たとえば、私たちの肉体細胞をとってみても、昨日の自分と、今日の自分とを比較するならば、まったく同じ状態ではないのです。

しかし、日々変化する肉体細胞によって構成されているわけですが、その人の姓名で称されている実体があるのです。その肉体細胞を統一している実在があるということです。

すなわち、時間の流れのなかで流転する存在の背後には、永遠に変化しないなにかがあるのです。人間にして然り、動物にして然り、植物にして然りです。

たとえば、植物を一本の花たらしめているものは、まったく偶然に集合した植物細胞ではありません。もし偶然に集積した植物細胞が、今日という日の一本の花を形づくっているならば、日々流転し、変転するという法則のもとでは、その花は、やがて花以外のなにか別のものにかわってゆくのがほんとうです。

しかし、やはり花は、花にしかすぎません。昨日も花、今日も花、明日も花。花としてのあり方が変化するだけで、花が花以外のもの、たとえば、動物とか、人間とかにはなりえないのです。

また、菊の花が途中でチューリップになることもなければ、チューリップが突然コスモスになることもありません。チューリップは、あくまでチューリップの花としてその一生をおえていくのです。

そこには、変化のなかにあって変化しないなにか、流転のなかにあって流転しないなにかがあるのです。そして、このなにかこそが、あるときは実在といわれ、あるときは理念といわれ、また、あるときはイデアといわれるものなのです。

「色即是空  空即是色」という、仏教の有名な言葉があります。この言葉も、私が述べてきた、変化の背景にある不変なるものの実在、普遍的なる存在が投映されて、流転するこの世的存在となっていることを道破した真理の言葉なのです。

私たち人間は、時々刻々に変化する、たよりない肉体細胞の集合体をもって「人間」と称しているのではありません。人間の本質は、時間の流れのなかで変転してゆくはかない存在ではなくて、永遠に不変の実在なのです。この不変の実在こそ、生命であり、魂であり、霊であります。

 私は、「霊」という言葉でもって、摩訶不思議な特異現象をさしているのではありません。それは、人間の本質であり、不変の実在であり、生命のイデアなのです。

肉体人間を支配している個性ある知性。肉体人間を存在せしめている個性ある意識体。これらが、人間の本質なのですから、霊という言葉に対して、世人がいかなる印象を、もとうがもつまいが、真実はひとつなのです。
『太陽の法』(幸福の科学出版)25~28
 


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