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声をからして語る大川隆法総裁に感動しました。「あなたの知らない地獄の話講義」

2018-07-24 01:25:45 | ご法話情報 如是我聞レポート

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先般ご紹介した緊急御法話『あなたの知らない地獄の話講義』を拝聴してまいりました。

「まだ発刊が間に合っていない経典の講義」という、前代未聞の講義御法話です。

これが緊急でなくてなんでしょうか?

「よほど伝えたいことがある」ということ以外、このような無理ムッチャなスケジュールにはならないのではないでしょうか?

あなたの知らない地獄の話。 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=2065

地獄と言えば、宗教に懐疑的な方が良く言う、「無知な人々を脅して、言うことを聞かせるための昔話」というイメージがあるかも知れません。

でも待ってください。

宗教と言えば、その成り立ちは、千数百年前とか、2千年3千年前にできたものもありますが、全世界に宗教があり、全世界で天国地獄の話があり、全世界で神様仏様と、神様仏様に対抗する悪魔の話がありますよね。

また、神様仏様のお手伝いをしていると思われる天使、仏教的に言えば菩薩のような存在も、全世界の宗教に出てきます。

人間が地球規模での交通機関を持ちえたのは、つい最近のことです。

しかし、コロンブスが発見したアメリカ大陸にも、アメリカインディアンはいて、彼らにだって宗教はあり、彼らは神を信じていました。

またオーストラリアに住むアボリジニにも宗教はあり、彼らもまた、神を信じていました。

「無知な人々を脅して、言うことを聞かせるための昔話」的な、どちらかというとどうでも良い動機でもって、そのような全世界的な広がりを持つ現象が起きるのでしょうか?

またそれらが同時に、神VS悪魔や天国地獄論や天使の存在など、共通性を持つことなどあり得ましょうか?

そして大事なことは、大昔に書かれたコーラン(イスラム教)や、聖書(ユダヤ教・キリスト教)や仏典(仏教)などには、明らかに「それまでの宗教では、どうも救済力が落ちて来たので、新しい教えが神仏より降ろされた」と読み取れる文言があるのです。

つまり、今では大昔のものと思われている宗教ですが、その前にも、もっともっと昔から宗教はあったのです。

この現象を、「無知な人々を脅して、言うことを聞かせるための昔話」と思っていらっしゃる方は、どう論理的に説明なさるのでしょうか?

私は思うのです。

「百歩譲って、宗教が古くなることはあっても、神様仏様が古くなることはない。」「なぜならば、神仏は、永遠のご存在だから。」だと。

そして、「神は、全世界規模で語られ続けてきたご存在でもある」とも。

さて、御法話『あなたの知らない地獄の話講義』は、現代的地獄の話が満載でした。

人間の本質は「心」ですし、「心の創造性」こそ、「人間の本当の力」ですので、近代化した文明人が作り出す地獄は、とても近代化したものとなっているようです。

そして大川隆法幸福の科学グループ総裁は、声をからして講義をしていました。

経典「あなたの知らない地獄の話」は、大川隆法幸福の科学グループ総裁にとって、2400冊目の経典だそうです。

2400冊もの経典を出すというのは、それ自体、大変な情熱です。

2400冊もの経典群は、内容はすべて違うものですが、それらには一貫性があります。

「神仏は存在する」「人間は神の子である」「人間はこの世とあの世を転生輪廻している」「あの世には、天国と地獄がある」これらは、2400冊を貫いている一貫性です。

どうでしょうか?

創作で、このようなことができますでしょうか?

本日は経典『生命(いのち)の法』(幸福の科学出版)より、一部抜粋をご紹介いたします。

この経典を読んで思う神は、「神は、我が子である人間を信じている」ということです。

最後に一言、『あなたの知らない地獄の話講義』、必見です。

   (ばく)

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 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=127

現実の人生では、ある程度、自分なりの論理、考え方を立てて、「家庭や仕事の問題を解決していこう」と思わなければいけません。
ただ、「自分の考え方は正しいかどうか」ということについては検討の余地があります。周りの人からの反作用があまりに多かったり、世間の非難が大きかったりする場合は、自分の考え方に間違いがあることもあるので、一度、「自分の考え方は正しいかどうか」ということを検証する必要があるのです。

世間には保守的なところがあり、世間にとって初めてのこと、受け入れの準備をしていないことに対しては、抵抗や反発をする傾向があります。最終的によいことであっても、すぐには受け入れない場合があるのです。(中略)短い年月のあいだでは、世間は間違うことがあります。それは、いまのマスコミや国民の意識を見てもそうでしょう。

しかし、「長いあいだで見たら、世間は正しい結論を出してくる」ということを、ある程度、信頼したほうがよいのです。
歴史上、「民意が間違っていた」という実例は幾らでもあります。
たとえば、百年以上前のアメリカの大統領であるリンカンは、大統領になる前に何回も選挙で落ちています。選挙でリンカンを落とした人々は、その時点では、リンカンが将来あれほど尊敬される大統領になることが分からなかったわけです。

リンカンは、「選挙で落ちる」という辛酸に耐え、最後には大統領になり、南北統一や奴隷解放を成し遂げ、きちんと使命を果たしました。
そして、「最初、民意が間違っていた」ということに対しては、その後、「尊敬」というかたちで埋め合わせがなされています。

新しい考え方や新しい人など、新しいものがいろいろと出るときには、反対されることもありますが、「長い目で見て、世間が間違いつづけることはない」と考え、世間を信頼することが大切なのです。

反対されて、被害意識を持ったり、あまりにも反社会的になったりすることは、よくありません。
うまくいかない場合には、まず、自分なりに点検したり反省したりすることが必要ですが、「これは、新しい考え方、新しいやり方だが、どうしても、やらなければいけないことである」という強い信念があるならば、押し通さなければいけません。

そのときは、「抵抗や反発などは受けて立つ」という覚悟で行うことです。

(生命(いのち)の法』(幸福の科学出版)P32~34


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