1回戦目と同じようにフードをかぶり試合会場に入ると、直也には最初に感じていたものとは違う感じがした。2回戦目から選手8名で控室に戻る事はない。1回戦目は『極度の緊張感』がある事から控室で休憩をしたが2回戦目からはリング下で自分の順番がくるまでリング上を見つめる事になる。極度の緊張は思春期頃の選手であれば知らず知らずに誰もが持つものだった。ボクシングトーナメント試合のルールでは『極度の緊張』に配慮したルールになっていた。2回戦目から試合が終わったとしても、次の試合までリング下で椅子に座りリング上を見つめる事になる。控え室にいては、思春期頃では控え室にいれば『不安感』『恐怖感』『緊張感』が増す可能性がある為リング上の試合を見る事で減少されると思われていた。
選手達の『安心感』を与える思考や意識を変える事が考慮されていた。『強い、強いな』『次の相手になるのは誰だ』と選手達は考え次の試合の事を考え集中する。2回戦目となると、それぞれが自分の体力を考え1回戦目とは違うと思っていた直也や他の選手達は次の相手の選手を見つめていた。
「あの野郎、笑ってやがる・・・くそっ!・・・」
直也は前回3位の次の相手を見ながら思っていた。次の相手の笑う姿によって再び緊張だけでなく闘争心に火がついた様に心の中で動き始まった直也の心である。
「相手の作戦に惑わされるな、いいな、今は心理戦だ」と会長やコーチは直也に声をかける。
「え?なんで?・・・」と直也が不思議な笑みを浮かべると「ヤスシ」はリング上を見ながら笑っていた。
「この待ち時間は心理戦だ、アイツラを気にしすぎるな」と会長やコーチは直也に声をかけ緊張をほぐそうとしていた。
しかし、この時のヤスシの笑う姿を見る直也には、すでに「覚悟」という気持ちが抱かれていた。
2回戦目からは誰もが緊張がほぐれる、しかし互いに戦うもの同士は相手のファイティングタイプを気にする。直也にとっては初めてのボクシングトーナメント試合、自分1人で戦う事はできなかった。コーチの声かけで「心理戦か」と気づき直也の緊張感は消えていった。
「これがボクシングか、相手を思い心理的な作戦もあるのか?ならその心理戦に勝ってやる」
会長やコーチの声かけは緊張をほぐすだけでなく直也に初めて本当のボクシングを教えていた。ジムでの練習では教えられない事を試合の中で教えていくのだ。1回戦目は、八組目、2回戦目は、四組目・・・。
前回1位の選手は一組目という事は直也が勝ち進めば最終的に前回優勝者との戦いになる。由子は直也の隣に座り直也の横顔を見つめている。コーチは直也の肩や首をマッサージしリング下にいる由子の一席を開けて隣には同じジムに通うプロテスト前のヤスシが座っていたがヤスシは椅子から立ち上がり、リング上の試合を見ながら直也に近づき声をかけた。
「直也、次の試合から俺もリングサイドにつくからな」
「トレーナーの会長とコーチだけじゃないの?」と緊張感の全くない直也の姿をヤスシやユウコや会長やコーチは笑っていた。
「お前が面白くなったよ、お前と一緒に戦いたくてな」とヤスシは直也に言った。
「え?なんで・・・」と、また直也を見て笑みを見せている。
「3カ月ぐらいで、お前はプロテスト受けてるみたいだ」とヤスシは言った。
ジムのリングでスパーリングの時、たった一発のアッパーで倒された『ヤスシ』からの言葉は直也を勇気づけた。
「俺が面白いって?なんだよ!」と直也は思うがヤスシの気遣いに感謝してたのだろう。
言葉にはしないが直也は胸の内で思った。
試合会場の観客達や応援団のサポーター達、次の相手の選手だけでなく他の選手も皆、プロテスト前のヤスシの事を知っていた。
「まさか、プレッシャーが?消えた?」と直也は思えた。
会長はリング上だけでなく周囲の観客や応援団のサポーター達や選手達の動きの流れを見ていた。そして直也が選手達にプレッシャーをかけるとすればプロテスト前の知られたヤスシをリングサイドに置く事こそ最善の作戦であったのだ。プロテスト前のヤスシは高校一年生、中学時代トーナメント3回の優勝した選手だった。誰もが知るヤスシの存在は会長に自分がリングサイドにつく事を交渉していたのだ。何故かと言えば心理戦にも勝つ為である。それだけではない、ヤスシは直也の天才的なものがどういうもの、知りたかったのだ。直也にとっても強いヤスシがリングサイドにつく事で不安感が取り除かれていく。そろそろ四組目の試合だ。
「直也、気を付けてね、馬鹿な事考えないようにね」
由子が直也に声をかけると直也は笑顔でうなずいてリング上へ向かう。
「ん、何だよ。馬鹿な事って」と直也は思いつつ、ふとユウコの言葉で迷い無き暴力?と思い出した事である。由子は直也の事を全て知っている存在でもあり表現力にとんだ能力もあった。リングの上に立つ直也は何かを祈るかのように深呼吸をしている。直也は孤独に戦っているのでなく共に戦ってくれているセコンドがいる事に気づいていく。プロテスト前のヤスシは直也に言葉をかけずに直也の姿を見つめるだけで、これも心理戦の1つだった。戦う相手は直也サイドの行動を気にしている。会話もなく、あいづちだけで、あうんの呼吸で何かを伝えているとなれば相手の不安材料の1つにもなるかもしれないのだ。リングサイドのセコンドについた会長とコーチとヤスシに直也は首を縦に振り笑顔を見せるだけであった。
「え?直也が笑った?どうして・・・」
由子は直也は誰にも心を開く事がなかったのに?と胸の内で思っていた。一時的なものだが、この日から直也の成長が始まったのだ。そしてゴングが「カーン!」と鐘が鳴ると直也の眼つきは瞬時に変わった。眼(ガンツケ)を飛ばす眼ではなく冷静な覚めた目つきでリングの中央に向かう。ジム関係者によって「勝利」への策は作られ、あとは直也がどう動いていくか、どう試合を進めていくかであった。さすがに2年目の選手は軽く速いスピードのフットワークで直也の動きを崩そうとするが直也は何かにとりつかれたように相手の動きに冷静についていく。相手の選手は自分のフットワークについてこられる事にイライラしているようだった。直也のフットワークは相手の選手には楽について行けるようだった。直也は何かに気づいたようで距離を測り始める。相手の選手は、よほど直也にイライラしていたのだろう。先に左ジャブを打ってきたのは相手の方だった。「いける、いけるぞ!」と直也の中で何かが動き始めていた。直也のフットワークは相手を上回り瞬時に相手のパンチに腕とグローブで反応する。
直也は軽く手を伸ばすだけで自分の体力を考えていたに違いない。
「カーン!」1ラウンド終了のゴングが鳴る。
リングのコーナーの椅子に座り直也は相手になる選手を見ながら笑っていた。
「直也!いけるか?」
「当り前のこと、聞かないで下さいよ」
「ん・・・そうか?」
リングサイドからの声に直也が答えると会長とコーチやヤスシからは、もう何も声をかける事はなかった。
「カーン!」
2ラウンド目のゴングが鳴ると直也は一気に走り出し身長差があるというのに自分にあえて不利な姿勢をとった。強引に選手相手の懐に入り腰を低くし突如「ボディ、ボディ、ボディ」の連打、直也のボディの連打に不意を突かれた相手は苦しかったのか顔色を変えガードが下がったところで「ジャブ、ジャブ」の連打。相手がガードを上げたところで再び「ボディ、ボディ、ボディ」の3連打。相手の選手は膝をつきダウン、そしてカウントが始まると直也は両手を挙げコーナーへ戻る。
「もう終わったよ、ふー」セコンドの会長やコーチにではなく直也は由子を見ながら言った。その後に深い深呼吸をして会長とコーチとヤスシにも同じ言葉で声をかけた。この2回戦目は、2ラウンド目、約1分で終わった。
この2回戦で観客の応援の声の中には由子が「大島!直也!大島!直也!」と叫ぶと「大島!直也!大島!直也!」と由子の叫びに合わせる観客席だ。直也への声援が増えてきていた。直也は観客達や応援団のサポーター達に直也自身の有能さを認めさせた時である。直也はリングのコーナーの椅子に座った相手へ握手を求め直也の表情には余裕すらみえるようだった。リングから降りた直也が見つめる先にいるのは前回優勝した選手の姿があった。
「直也、お前、優勝を狙ってるんか?」と会長は直也の速い変化に、しどろもどろしながら声をかけた。
「俺は勝つ為にリングに立ってるんでしょ、会長」と直也は会長の声かけに答える。
ボクシングを始めて、まだ3カ月の直也のボクサーとしての成長は直也の心の成長となるよう会長は願っていた。直也が何故ボクシングジムに通う事になったのかを良く知っていたからだ。
「なら絶対に勝て、直也、優勝は目の前だからな」
「はい・・・」
直也の素直な一言に会長やコーチは驚きを隠せず無言、ヤスシと由子は驚く事無く直也を見つめ微笑むだけだった。
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