(写真)1963年に州の白人だけの大学に入学登録をしようとしてアラバマ州知事と闘っていたジェームズ・フーアさんとビビアン・マローンさん
1960年代にアラバマ州で人種差別と闘った米国の公民権運動の先駆者が70才で死亡しました。
ジェームズ・フードさんがアラバマ州のガズデンの故郷で死亡したことを葬儀社が死亡欄で知らせました。
フードさんは、1963年6月にアラバマ州の白人だけの大学に入学した2人の黒人の1人でした。
彼らの行く手は、ジョン・F・ケネディ大統領が介入するまで、当時のアラバマ州知事のジョージ・ウォレス氏と州警察官に遮られました。
ケネディ大統領がアラバマ州の国家警察隊にフードさんとマローンさんを建物の中まで警護するように命じたので、二人はクラスを登録して月謝を払うことができました。
フードさんは、数か月、その大学に出席しましたが、精神的・肉体的衰弱を避けて、かつて在籍していたミシガン州に移って学業を終えました。
彼は、後年、1995年にアラバマ大学に戻り、1997年に教育関係の博士号を得て卒業しました。
1963年1月にアラバマ州知事になったジョージ・ウォレス氏は、〝今日も、明日も、永遠に人種差別を″と就任式のスピーチで誓いました。
後年、彼は政治的方針を変えて、フードさんとマローンさんに過ちを犯したことを認め当時の行為を詫びました。
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わずか半世紀前、まだ黒人はひどい差別を受けていたのですね。
当時のこの2人の大学生は、ケネディ大統領を動かし、大統領は議会へ新しい公民権法案を提案し、テレビで大統領執務室から直接国民に訴えかけました。公民権法はケネディ政権下では成立しませんでしたが、人種差別廃絶に積極的だったジョンソン政権下で議会を通過し、1964年公民権法として成立しました。
フードさんは、最後まで人種差別に執拗にこだわっていたウォレス前州知事と親しくなり、1998年の知事の葬儀にも出席したそうです。
法案成立後も、現在でも、差別は続いているようですが、今や黒人大統領が出現するほどアメリカは変わりましたね。
(写真)大学の講堂に入ろうとして入り口に立つ2人。ジョージ・ウォレス州知事に阻止されました。