東京新宿の北部に位置する地域はかつて戸山ヶ原と呼ばれ、
敗戦までは大規模な陸軍の施設があった地域です。
今回はその中でも最もディープな場所、
陸軍軍医学校跡です。
かつて731部隊が、生体人体実験を行ったとされる、
防疫研究室を含む軍医学校は、
現在は戸山公園の運動場や、
国立感染研究所、障害福祉センターなどになっています。
Mapion地図
歴史ある早稲田の杜の一角にありながら、
道路や周囲の雰囲気が妙に新しいのは、
ごく最近整備されたためでしょう。
その一角に、かつて隣接した陸軍第一病院から軍医学校へ通じる、
地下道の出入口の跡が残っています。
▼
90年代後半までは出入口としての形をとどめていたようですが、
現在では埋められ、出入口の形だけが残っている状態です。
またその向かいにある当時の車止めや門柱は、
今では近所の犬のマーキング・ポイントになり果てていました。
▼
この地域の一連の再開発の際に発見された大量の人骨に、
数多くの実験の痕跡が認められたそうです。
戦後60年以上経つ現在でも、
もっとも戦争の究極の形を伝える場所だと思います。
人骨発見を中心にした戸山ヶ原に関しては、
『人骨(ほね)は告発する』に詳しく掲載されています。
ちょっと重いタイトルですが、
平和な現在の下に何があったのかを教えてくれるサイトだと思います。
◆軍都 戸山ヶ原逍遙◆
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敗戦までは大規模な陸軍の施設があった地域です。
今回はその中でも最もディープな場所、
陸軍軍医学校跡です。
かつて731部隊が、生体人体実験を行ったとされる、
防疫研究室を含む軍医学校は、
現在は戸山公園の運動場や、
国立感染研究所、障害福祉センターなどになっています。
Mapion地図
歴史ある早稲田の杜の一角にありながら、
道路や周囲の雰囲気が妙に新しいのは、
ごく最近整備されたためでしょう。
その一角に、かつて隣接した陸軍第一病院から軍医学校へ通じる、
地下道の出入口の跡が残っています。
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90年代後半までは出入口としての形をとどめていたようですが、
現在では埋められ、出入口の形だけが残っている状態です。
またその向かいにある当時の車止めや門柱は、
今では近所の犬のマーキング・ポイントになり果てていました。
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この地域の一連の再開発の際に発見された大量の人骨に、
数多くの実験の痕跡が認められたそうです。
戦後60年以上経つ現在でも、
もっとも戦争の究極の形を伝える場所だと思います。
人骨発見を中心にした戸山ヶ原に関しては、
『人骨(ほね)は告発する』に詳しく掲載されています。
ちょっと重いタイトルですが、
平和な現在の下に何があったのかを教えてくれるサイトだと思います。
◆軍都 戸山ヶ原逍遙◆
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