先日オフ会的に催行した街歩き『東京古埋立地と呑み散歩』で、
久しぶりに訪れた佃島。
今回は、旧佃島に残る、東京の原風景的な建物を観ていきます。
※佃島の概要はこの回の記事を参照
◆
旧佃島(佃島一丁目)は、その歴史の古さに比べて、
現在では、古い街並が遺っていません。
建ち並ぶ民家は昭和の後半から平成にかけて建てられた、
比較的新しい印象のものがほとんどです。
なので、一見古い土地には思えませんが、
大きなビルなどがあるわけではないので、
区画自体は、かなり古い時代からのものだと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/9d/6e8a351a5ad3b4e182593378bcdf4615.jpg?random=48a3229957ac54857a24b457e114bb12)
→google map
そんな新しい民家が建ち並ぶ佃島も、
東京下町の中で、戦禍をあまり浴びていない地域の一つなので、
時代を超えて遺る素晴らしい建家がいくつか散見します。
画像は、漁師の網元「正政商事」の町家。
新佃島で観てきた出桁造りの町家は、
いずれも壁のトタン張り替えを筆頭に、
格子を外したり、玄関戸をアルミサッシュに変えるなど、
必ずどこかにオリジナルとは異なるリフォームを加えていました。
しかしこの町家は、
型ガラスがはめ込まれた木枠の玄関扉から、
下見板張りの壁面、そして呉服屋格子や屋根瓦など、
主要なパーツは総てオリジナル、
あるいは、オリジナルと同等のものでリフォームされている印象です。
路地の奥へ移動して観ると、のし瓦は8枚位積まれていました。
戸袋も檜の1枚板を使用するなど、
新佃島に残るものより、ワンランク上の町家だとわかります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/21/0a8086ab85f3e1564088e01a84b5f724.jpg?random=da42402a6b3dbb06aa1f820b322cd53f)
雨樋も、大切に使ってきた結果のオリジナルか、
常に銅を使ってリフォームしてきた結果か、
いずれかはわかりませんが、とても綺麗な緑青色で、
赤茶色の建家にアクセントを与えています。
本来必要のない、銛をモチーフにした飾りからも、
この町家の気合いの入り方がうかがえます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/1c/93329de8fdf516ea87c120a5c4b6a9ff.jpg?random=587cd5600c72ada0619cc10a676b3633)
正政商事の路地には、画像のようなシンプルな町家も。
こちらは1階が迫り出していないタイプの町家で、
手摺はアルミ製にリフォームされているものの、
木製の窓枠や下見板張りの壁などは残っています。
おそらく1階の軒先庇は、かつては瓦屋根だったのではないでしょうか。
いずれにせよ、正政商事の懲りに凝った外装と比べると、
いささか安普請の感がいなめません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/96/5e808e74cf3c3afe699e66cb2fb95402.jpg?random=cc91068097ede2bbd2fb5e7fa674542e)
→google map
隅田川沿いの道には、
町家よりも豪華な日本建築の小沢家住宅もあります。
鼻隠しや這樋を含めた雨樋など、
銅製部分の緑青が美しいですね。
画像には写ってませんが、
母屋の屋根は入母屋造りで、
それ以外の屋根の構造も、かなり凝った造り。
組跳の高欄も、綺麗に遺っています。
右側の窓格子は、佃島で多く見かける呉服屋格子ではなく正統派の連子格子。
道端の駒寄せは、佃島に限らず、
都内の民家としては、とても珍しいと思います。
一階左の煉瓦壁の部分は、かつての汲取用の扉でしょうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/1b/57b59da0db092f468a795a424536b1a6.jpg?random=0d7578ed9014e2eb307795ff027cd31a)
小沢家住宅の並びには、佃煮の老舗「天安」もあります。
基本的な出桁造りのこぢんまりとした建家ながら、
屋号をあしらった丸瓦や、ある程度高く積まれたのし瓦など、
それなりに意匠が散りばめられた良品だと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/bc/c3c70a717e74eb08ea73429a91e18c12.jpg?random=b4f28fb4d42d27935a4871adda03a90f)
天安の裏、というか正政商事と天安の間に、
少し気になる建家がありました。
佃島に遺る町家が、ほとんど平入り造りなのに対して、
妻入り造りの建家です。
しかし、右橋の平面をよくよく見ると、
タイル張りのこった意匠が確認できます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/20/790eb97d99a0671ecfc71363761c8723.jpg?random=e0f638936cb635dfb802904a8caa912b)
天安さんの横の路地を入り、
タイル張りの壁に近づいて確認すると、
かなり凝った造りのスクラッチタイル張り壁面が確認できました。
これは想像ですが、おそらく当初は、
この面に玄関を持つ妻入り造りだったのを、何らかの事情で改装し、
平入り造りになったのではないかと思いました。
久しぶりに訪れた佃島。
今回は、旧佃島に残る、東京の原風景的な建物を観ていきます。
※佃島の概要はこの回の記事を参照
◆
旧佃島(佃島一丁目)は、その歴史の古さに比べて、
現在では、古い街並が遺っていません。
建ち並ぶ民家は昭和の後半から平成にかけて建てられた、
比較的新しい印象のものがほとんどです。
なので、一見古い土地には思えませんが、
大きなビルなどがあるわけではないので、
区画自体は、かなり古い時代からのものだと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/9d/6e8a351a5ad3b4e182593378bcdf4615.jpg?random=48a3229957ac54857a24b457e114bb12)
→google map
そんな新しい民家が建ち並ぶ佃島も、
東京下町の中で、戦禍をあまり浴びていない地域の一つなので、
時代を超えて遺る素晴らしい建家がいくつか散見します。
画像は、漁師の網元「正政商事」の町家。
新佃島で観てきた出桁造りの町家は、
いずれも壁のトタン張り替えを筆頭に、
格子を外したり、玄関戸をアルミサッシュに変えるなど、
必ずどこかにオリジナルとは異なるリフォームを加えていました。
しかしこの町家は、
型ガラスがはめ込まれた木枠の玄関扉から、
下見板張りの壁面、そして呉服屋格子や屋根瓦など、
主要なパーツは総てオリジナル、
あるいは、オリジナルと同等のものでリフォームされている印象です。
路地の奥へ移動して観ると、のし瓦は8枚位積まれていました。
戸袋も檜の1枚板を使用するなど、
新佃島に残るものより、ワンランク上の町家だとわかります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/21/0a8086ab85f3e1564088e01a84b5f724.jpg?random=da42402a6b3dbb06aa1f820b322cd53f)
雨樋も、大切に使ってきた結果のオリジナルか、
常に銅を使ってリフォームしてきた結果か、
いずれかはわかりませんが、とても綺麗な緑青色で、
赤茶色の建家にアクセントを与えています。
本来必要のない、銛をモチーフにした飾りからも、
この町家の気合いの入り方がうかがえます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/1c/93329de8fdf516ea87c120a5c4b6a9ff.jpg?random=587cd5600c72ada0619cc10a676b3633)
正政商事の路地には、画像のようなシンプルな町家も。
こちらは1階が迫り出していないタイプの町家で、
手摺はアルミ製にリフォームされているものの、
木製の窓枠や下見板張りの壁などは残っています。
おそらく1階の軒先庇は、かつては瓦屋根だったのではないでしょうか。
いずれにせよ、正政商事の懲りに凝った外装と比べると、
いささか安普請の感がいなめません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/96/5e808e74cf3c3afe699e66cb2fb95402.jpg?random=cc91068097ede2bbd2fb5e7fa674542e)
→google map
隅田川沿いの道には、
町家よりも豪華な日本建築の小沢家住宅もあります。
鼻隠しや這樋を含めた雨樋など、
銅製部分の緑青が美しいですね。
画像には写ってませんが、
母屋の屋根は入母屋造りで、
それ以外の屋根の構造も、かなり凝った造り。
組跳の高欄も、綺麗に遺っています。
右側の窓格子は、佃島で多く見かける呉服屋格子ではなく正統派の連子格子。
道端の駒寄せは、佃島に限らず、
都内の民家としては、とても珍しいと思います。
一階左の煉瓦壁の部分は、かつての汲取用の扉でしょうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/1b/57b59da0db092f468a795a424536b1a6.jpg?random=0d7578ed9014e2eb307795ff027cd31a)
小沢家住宅の並びには、佃煮の老舗「天安」もあります。
基本的な出桁造りのこぢんまりとした建家ながら、
屋号をあしらった丸瓦や、ある程度高く積まれたのし瓦など、
それなりに意匠が散りばめられた良品だと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/bc/c3c70a717e74eb08ea73429a91e18c12.jpg?random=b4f28fb4d42d27935a4871adda03a90f)
天安の裏、というか正政商事と天安の間に、
少し気になる建家がありました。
佃島に遺る町家が、ほとんど平入り造りなのに対して、
妻入り造りの建家です。
しかし、右橋の平面をよくよく見ると、
タイル張りのこった意匠が確認できます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/20/790eb97d99a0671ecfc71363761c8723.jpg?random=e0f638936cb635dfb802904a8caa912b)
天安さんの横の路地を入り、
タイル張りの壁に近づいて確認すると、
かなり凝った造りのスクラッチタイル張り壁面が確認できました。
これは想像ですが、おそらく当初は、
この面に玄関を持つ妻入り造りだったのを、何らかの事情で改装し、
平入り造りになったのではないかと思いました。
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