黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

吉原遊廓跡 #02

2021-08-26 17:42:31 | 東京 URBEX
国内最大規模を誇り、かつ最も長い歴史をもつ色街「吉原」。
令和の吉原をお伝えしながら、遊廓や赤線の歴史を見ていきたいと思います。



前回の記事でお伝えしたように、
吉原内の通りの名称は江戸時代のままですが、
吉原という地名はありません。
かつての吉原遊郭に相当する現在の地名は台東区千束4丁目
廓全体とその北東に隣接する一部のエリアで、
ちょうどこの江戸時代の図全体に匹敵します。







土手通り沿いには江戸時代の遊郭図にも記載されている見返り柳があり、
現在の柳は6代目とか。
江戸時代とほぼ同じ位置にあるので、
吉原への入口への目印となるでしょう。



現在はガソリンスタンドの前に立って趣も何もありませんが、
江戸時代には風情を醸し出していたに違いありません。
見返り柳とは、廓帰りに名残を惜んだ場所で、
長崎の丸山遊郭跡にも柳が遺っています。





見返り柳のある信号のプレートには「吉原大門」の文字が。
江戸時代の図をご覧になってわかるように、
本来の大門(おおもん)は廓の入口にありましたが、
わかりやすく信号表記を大門にしたのでしょう。



背景に写るのは東京スカイツリー。
その昔、廓へ通った遊び客の誰がこんな光景を想像したでしょうか。





そして、この大門信号の吉原と反対側の道沿いには、
趣のある料理屋が二軒並んでいます。
「土手の伊勢屋」と「桜なべ中江」。



伊勢屋は天ぷら屋、中江はその名の通り馬肉のお店。
創業は伊勢屋が1889(明治22)年 、中江が1905(明治38)年で、
いずれも明治時代の創業。
江戸時代ほどではないにせよ、まだまだ吉原が貸座敷として全盛の時代。
特に中江は登楼前の勢力付に、
また廓帰りの食事処として大いに賑わったことでしょう。





画像は角地に建つ伊勢屋。
建屋は関東大震災で以前の店が崩壊後の
1927(昭和2)年に建てられたもの。



入母屋造の屋根に押渕下見板張りの外壁、
出桁造りの1階軒先に持ち帰り用窓口の下の石造部分など、
昭和初期の店舗建築の一様式を今に伝えています。

ちなみに隣の中江は1924(大正13)年築。
こちらは平入り造りで屋根頂上の熨斗瓦の積みも高く、
かつての繁盛ぶりがうかがえます。
いずれも国の登録有形文化財。







画像は伊勢屋の店内に掲示された昭和初期の外観。
ほとんど変わっていないのがよくわかります。





現在、伊勢屋はランチ営業のみ。
下町の天ぷらにしてはごま油が少なめで色も黒くなく、
程よいバランスのタレが絶品な天丼です。



画像は一番お安い
えび二本、キス、イカ、獅子唐の「天丼 イ」。
ほかに「ロ」「ハ」があり、
いずれも巨大な穴子天ぷらが載ります。
穴子がおすきな方は、丼から溢れるように盛られた、
ロやハがおすすめです。





腹ごしらえが済んだら、いざまいらん吉原へ。
見返り柳を先へ進むと、これまた江戸時代の図にも記されている、
五十間道(ごじっけんどう)があり、
緩やかに蛇行した形は今も健在。



かつては道の両側に衣装屋や髪結屋が軒を連ね、
登楼前の身支度をする役割を担っていました。
また道が蛇行しているのは、土手通りから廓が見えないための措置といわれますが、
真相はさだかでないようです。





五十間道を進むとやがて見えてくる大門跡。



左右に「よし原大門」と書かれた照明ポールが見えます。
実際の大門はもうちょっと手前ですが、
ともあれここからかつての吉原遊廓跡の始まりです。

吉原遊廓跡 #01

2021-08-21 23:18:11 | 東京 URBEX
国内最大規模を誇り、かつ最も長い歴史をもつ色街「吉原」。
令和の吉原をお伝えしながら、遊廓や赤線の歴史を見ていきたいと思います。



性産業にまつわる言葉ほど、
その種類や数が多いものもないのではないでしょうか。
建物やエリアを表す言葉だけをみても、
遊廓にはじまり女郎屋、遊女屋、岡場所、飯盛旅籠、特飲街、赤線・青線と、
枚挙にいとまがありません。
特に遊廓という言葉は江戸時代の公許の遊女屋街にのみ使われた言葉ですが、
“インパクトある”表現のせいか、
本来遊廓ではない多くの色街が遊廓と呼ばれ、
単体の店をも遊廓と表現するほどです。
1958(昭和33)年の売春防止法施行以前の性産業は、
そのほとんどが遊廓の一言で言い表されてきたといえるでしょう。

そんな中、吉原はほぼその歴史の当初から公許の遊女屋街で、
1958(昭和33)年まで約350年もの間、色街として栄えた場所でした。
さらに現在も多くのソープランドが建ち並び、
性産業の歓楽街として存続し続けているのは、国内で吉原だけ。

当初は現在の東京中央区人形町界隈にあった吉原。
当時は葦が群生する湿地帯だったそうで、葦原と呼ばれたそうですが、
葦が「悪し」に通じるということで、吉(良し)原に。
その後、江戸の初期に現在の地へ移転したのが現在も遺る吉原。
移転時は、人形町に吉原に対して新吉原と呼ばれていました。

現在の吉原で最も驚くのは、吉原内の通りがほぼそのままの区画で遺り、
さらにその名称も江戸時代のまま遺っていること。



地図の上、見返り柳がある付近が現在の土手通で、
そこから五十間通を通って廓の入口にあたる大門へ。
ちなみに大門はだいもんではなく「おおもん」と読みます。

大門の下に黒く囲われたエリアが遊廓で、
黒塀に囲まれ、その周囲には「お歯黒(どぶ)」とよばれる堀がありました。
遊女がお歯黒を塗った後の墨を流したので、いつも真っ黒だったといいます。
ちなみに映画などで登場する江戸時代の遊女の歯は真っ白ですが、
これはあくまでもイメージで、
本来遊廓の遊女たちはみなお歯黒をしてました。

エリア名につく「町」は基本的に「ちょう」と読みますが、
一番下の京町だけ「まち」。
現在も吉原の中はこの呼び名です。

中央を縦に貫く仲之町は別名待合辻ともよばれ、
通りの左右には待合茶屋と呼ばれる見世が軒を連ねました。
待合茶屋は芸妓や娼妓を呼び寄せて遊興する飲食店で、
客は待合で食事をした後、お目当の娼妓の妓楼へ赴きました。
ただし待合での遊興はとても高価なので、
直接妓楼へ向かってその場で一晩の相手を決める場合もあります。

中央左のエリアの揚屋町は、かつて一番賑わっていたエリア。
遊女を呼び寄せ、飲めや歌えやの宴会を行うのが揚屋で、
遊廓の中でも最も高額な遊び場でした。
しかし江戸も後期になると贅沢を自粛するおふれが出され、
揚屋遊びがなくなります。
その後このエリアに住んだのが、
妓楼の建て替えや修理をする職人たちでした。
つまり、吉原の中には妓楼だけでなく、
職人などの一般の人の住まいもあったわけです。

また右上にある伏見町は、その変則的な位置からもわかるように、
後から造られたエリアでした。
徳川の開幕によって様々な開発に必要な職人が多く住んだ江戸は、
単身の男性が極めて多かった街。
飲食店から旅館まで、多くの職業が非公認の妓楼的な営業をしていました。
その中でも最も多かったものの一つが銭湯です。
湯女(ゆな)と呼ばれる女性が常駐し、性的なサービス行なっていました。
もちろんこれらは幕府非公認の営業ですが、
いくら取り締まっても雨後の筍のように現れる湯女風呂に手をこまねいた幕府が、
吉原と話をさせてその一角に湯女を働かせるエリアを造ることになり、
それが伏見町となりました。

吉原の町の話はこれくらいにして、
次回からは現在の吉原を見ていきたいと思います。

旧佃島を歩く2

2018-02-25 02:56:21 | 東京 URBEX
先日オフ会的に催行した街歩き『東京古埋立地と呑み散歩』で、
久しぶりに訪れた佃島。
シリーズでお送りしてきた最後は、旧佃島の街並やスポットなど。
※佃島の概要はこの回の記事を参照




→google map

かつて旧佃島しかなかった時代から、
東西の二つの埋立地を繋いでいた佃橋。
佃小橋と名前を変えて、昭和の終わり頃に架けられた橋は、
赤い欄干に擬宝珠が載る趣のある橋です。
その奥には、老舗銭湯の日の出湯。
赤い橋とマンション銭湯の煙突の風景は、
いつ見てもほっこりします。







旧佃島の北端には、住吉神社があります。
家康が、関西の佃村の漁民を江戸の佃に招聘するきっかけとなった住吉神社。
1650年頃に分霊されて現在の地に建立されたそうです。
鳥居には珍しい、呉須で文字が焼かれた陶製の扁額。
書は明治の皇族、有栖川宮幟仁親王によるもの。







神社の境内から隅田川方面を望むと、
隅田川の堤防近くに赤い鳥居が見えます。
路地越しに見え隠れする鳥居が、
佃島の区画の狭さを物語ります。







隅田川の堤防沿いにある「佃島渡船」の碑。
江戸時代から大正時代にかけては、私的な渡船、
昭和に入ってからの、工場労働者による活況の時代には、
公営による渡し船が往来したようです。
昭和39年(1964)の佃大橋の架橋によって廃止。
すなわち東京オリンピックの年まで、
佃島は船でしか行けなかったんですね。







佃島のほぼ中心にある山本駄菓子店。
ルックスはそれほどレトロではありませんが、
いつも近隣の子供たちで賑わっています。
佃島にはコンビニがなく、チェーン系の居酒屋などもありません。
そんな環境が、新しい民家が並びながらも、
そこはかとなく懐かしい雰囲気を醸し出している原因かもしれません。







街歩きでは、このあと月島を一巡りして、
再び佃島へ戻り、佃島唯一の中華料理店「麗江(リージャン)」で懇親会。
佃島へ大勢で行くことも滅多にないので、
いい機会だと思いました。
とても美味しい中華料理に、参加者みなさんの会話も弾み、
佃島の街歩きは終了。

外に出ると夜も更けていて、
佃小橋から眺めるリバーシティには、
たくさんの灯が灯っていました。

旧佃島を歩く1

2018-02-19 22:29:56 | 東京 URBEX
先日オフ会的に催行した街歩き『東京古埋立地と呑み散歩』で、
久しぶりに訪れた佃島。
前回までは、明治以降に東京湾澪浚計画で埋め立てられた、
新佃島(佃二丁目〜三丁目)を巡りました。
今回から、元来の佃島だった佃一丁目を巡ります。
※佃島の概要はこの回の記事を参照





佃島の魅力は、なんといっても江戸の初期から存在した埋立地だったこと。
現在、東京湾には覚えきれない程の埋立地がありますが、
北に隣接する石川島と共に、群を抜いて歴史が古いのが旧佃島。

江戸時代からあった元来の佃島は小さな島で、
佃小橋を挟んで西側のほぼ正方形の島と、
東側の縦長の島ででき上がっていました。
いずれも周囲は500m弱ほどで、
徒歩でもすぐに全島を巡ることができます。






→google map

新佃島方面から歩いて来たので、
佃島へは東側から入ることになります。
画像は東側の佃島にある、佃天台地蔵尊。
幟がなければ、まず入ることはないと思うほどの狭い路地の奥に、
参詣所が造られています。







参詣所の間口も狭く、
小さな手水の上に、縁起が掲示されています。
その奥に、通路を一段と狭くしているのが、
大きな銀杏の木の根本。
祠の天井を突き抜けて、大きく育っています。







お地蔵さんといえば、
ほっこりした表情をうかべながら路傍に佇む、
小さめの立体彫像仏を思い浮かべますが、
このお地蔵さんはご覧のように、極めて珍しい2D。
過去にも何度か訪れた際に、いつも供花が手向けられ、
必ずお参りに訪れる地元の人とも出会います。
いまでもしっかり地元の信仰を集めているのがわかります。







お参りを済ませて路地を抜けると、
目の前に、こぢんまりとした神社が現れます。
扁額には「於咲/浪除 稲荷大明神」とあるので、
二つの神社が合祀されているのでしょう。
確かに神殿も2基あります。

浪除神社は、築地の場外市場の隣や、
江東区木場の洲崎神社の境内に残る波除碑など、
東京湾の古い海岸線だったエリアによく見られるもの。
今でこそ、防潮が行き届いて、水害はほとんど無くなりましたが、
かつては水の被害に悩まされたエリアだったことを改めて痛感させられます。







神社の境内には、画像のように「さし石」と書かれた石が、
いくつか点在しています。
その昔、佃島の漁師達が時化などで漁に出られない日に、
力自慢を競った重い石。
よく「力石」と書かれているのは見かけますが、
さし石という表現は初めて見ました。
さし、すわち「差す」で、差し上げる=持ち上げる
という意味だと思います。

ちなみにちょっと試してみようと思いましたが、
持ち上げるどころか、動かすことすら容易ではありませんでした。
昔の人って、腕力、あったんですね〜







神社の裏は、かつて二つの旧佃島の間にあった運河の跡。
現在でも、屋形船を運行する会社の船溜として使われている様子は、
江戸時代へタイムスリップしたかのような錯覚を覚えます。
さらに船溜の塞き止めまで移動して北方を眺めると、
佃小橋の奥にリバーシティの高層ビル群が林立する、
江戸と平成が同居した、時空の歪んだ絶景が広がります。

佃島:綺麗に残る長屋街に感動

2018-02-16 23:48:09 | 東京 URBEX
先日オフ会的に催行した街歩き『東京古埋立地と呑み散歩』で、
久しぶりに訪れた佃島。
戦前からの小さめな戸建ての区画が残っている場所は多いものの、
すでに小綺麗な(=味のない)建家に建て替えられたものも多く、
ホコロビのように残る戦前の建物から、
東京の原風景を観てみたいと思います。
※佃島の概要は前々回の記事を参照


→google map

前回の記事でアップした三軒三様の看板建築のすぐ裏手には、
かろうじて長屋街とよべる一角が残っています。
玄関扉と二階のベランダを中心に、
かなりリフォームされてはいますが、
その躯体や街並はおそらく創建当時のものだと思います。

画像に写ってる並びはすべて二階建てですが、
反対側はなぜか1階建てとという変則的な路地です。







冒頭の画像も含めて、
建家が微妙に歪んでいるのがアジといえばアジ。
このお宅は、外壁を黒いトタンに張り替え、
窓周りをブルーに塗装し直したようです。







最初の画像の路地のほぼ中央には、
コンクリ製の防火水槽と井戸が残っていました。
特にその付近だけ広くなっているわけではありませんが、
かつては、井戸端会議の声が絶えなかった場所だと思います。
用水槽、井戸、そして最初の画像に写る中央を貫くドブは、
まさに典型的な長屋街の造りそのもの。







長屋の路地に入る手前のエリアには、
長屋より豪勢な造りの仕舞屋(しもたや)が並んでいます。
これが、おもに長屋の大家が建てる「表店(おもてだな)」とよばれる建家で、
その奥に、二つ前の画像のように、
大家に家賃を支払う裏長屋の形が残っているのに驚かされます。
ちなみに、表店が並ぶ様子を撮影し忘れていたので、
表店の軒先に施工された、理容店の看板付ベランダだけアップしておきます。







きれいな形で残る長屋街からほどなくした所には、
うどんをメインにした「亀屋食堂」があります。
看板や暖簾とは裏腹に、ちょっとモダンな看板建築。
ちなみにこのお店の看板建築は、正面のみのフラットタイプではなく、
側面へ回り込んだ部分がある、すこし凝った造りの看板建築でした。







最後は、亀屋食堂から南へ移動したところにある、
かつての畳屋さんを改装した焼き鳥屋さんの「幸侍(こうじ)
(いまでも昼は畳屋さんなのかな?)
これまで観て来た出桁造りが、
ほとんどそのままの姿で残る町家の焼き鳥屋さんです。
内装もおそらく主要な箇所は創建当時のままではないかと思います。
なかなか知り合いでもいない限り、
出桁町家の内部を観ることはできないので、
ぜひコノお店で観て欲しいと思います。

70年代の中野ブロードウェイセンター

2018-01-28 17:48:39 | 東京 URBEX
引き続き、前回の記事でアップした中野ブロードウェイのネタ。
竣工10周年を記念して発行された小冊子から。



70年代のブロードウェイセンター、南側の外観。
テラスに施工された日除けがまだ新しいですね。
4階から階段テラス状になってセットバックし、
6階から同一幅になっているのがわかります。
すなわち5階と6階の部屋は、
ちょっとした庭付きということだと思います。







東側から撮影した横長の全貌がわかる光景。
まだ丸井の本社ビルもサンクオーレもなく、
サンプラザとドコモ中野駅前ビルだけが見えます。
一つ前の画像の反対側にあたり、
こちらは5階だけ、テラス付きのように見えます。







冊子にはショッピングモールの写真もいくつも掲載されていますが、
ショッピングモールは誰でも行くことができるので、
ふだん行けない施設の画像をいくつか。
地下2階の集中制御センター。
丸みを帯びた表示板のスチール枠や電球製のインジケーター、
そして左下のパッチパネルなど、
涙が出るほどの70年代デザイン。







中央制御室の配電盤も、
かなりいい味を出しています。







そして、スチームパンクな発電機。
そのほか、発電機用のボイラーや冷凍機なども掲載されています。
いずれも規模の大きな施設なので、
館内の電力は、総てではないにせよ、
いくぶんか自家発電をしているのかと思いました。

かつて遊園地があった、
などの都市伝説も生まれるブロードウェイの地下2階。
その広いスペースには、
古色蒼然とした巨大レトロ設備がひしめいていたんですね。

中野ブロードウェイセンターの屋上

2018-01-27 04:51:50 | 東京 URBEX
引き続き、前回の記事でアップした中野ブロードウェイのネタ。
2017年の12月09日に催行した、
東京中野 平成の異空間で呑み散歩』のオプションとして行った、
中野ブロードウェイの屋上見学の時のリポです。

中野ブロードウェイは、
地階から4階までがショッピングモールで、誰でも利用可能ですが、
5階以上は住居となっているために、
居住者および関係者以外立ち入りができません。
中野の街歩きの際に、特別にお願いして見学させて頂きました。

筆者は中野生まれの中野育ちなので、
かつてブロードウェイには友人が何人もいて、
そのつてで、夏休みなどは屋上のプールでよく遊びました。
“悠久の時”を越えての訪問に、期待が高まります。



中野駅寄り(南寄り)のエレベーターで屋上へ上がったので、
最初に見えたのは、中野駅方向の光景でした。
中央を貫くアーケードの屋根が中野サンモール。
その突き当たりに見えるオレンジ色の四角い構造物が、
サンモール入口の電飾です。
右のビルが建ち並ぶ向こう側は中野通り。
こうしてみると、中野の繁華街がいかに低層階の建物だけかがよくわかります。







後ろを振り返り、早稲田通り方向(北方)へ進みます。
エアコンの排気塔が建ち並ぶ、少しおしゃれで無機的な光景は、
小学校の頃見た記憶はもとより、
1966年の竣工以来、変わっていません。
南北に細長い屋上の中央に排気塔が並び、
おもに左側(西側)は通路として使われ、
右側(東側)に、各種の施設が点在します。







右手にまず見えて来るのはゴルフパター場。
かつてはネットを張った規模の大きいゴルフ練習場がありましたが、
階下の住人からの騒音苦情で、パターに縮小したそうです。
パターゴルフの隣には、四角い水槽やガゼボがあり、







その隣には噴水もあります。
趣向を凝らした造りから、
ブロードウェイが当時どのようなそんざいだったかがうかがえます。







さらに進むと、壁面にしつらえられた煉瓦製の竃。
住人のためのバーベキュー用の設備。
もう今では使っていないとのことでした。







バーベキューを越えると、その奥は日本庭園。
ブロードウェイ屋上の施設では、一番規模のおおきいもので、
植え込みから石の配置など、かなり凝った造形です。







そして最も北寄りにあるのが屋外プール。
小学校の時に時々遊んだ記憶が、一気に甦ります。
夏の短い期間だけの開業で、監視員のお兄さんがいました。
昼飯時になると一緒に連れて行ってくれて、
ブロードウェイの食堂で昼飯をご馳走してくれたのを思い出します。







最後は、南寄りへ戻って来て、
夕陽を背に聳える、中野サンプラザとドコモの中野駅前ビル。
中野のシンボルとして君臨して来たサンプラザも、
解体の話が上がっているようです。

中野サンプラザはもともと国営の施設として開業しました。
1973年の竣工時、時の総理、田中角栄がテープカットにやって来て、
大勢の人が見守る中、テープを切らずにくぐろうとするのを、
周りの側近達があわてて制止していたのが思い出深いです。

そのルックスとは裏腹に、
サンプラザの中の施設には昔も今も興味が持てず、
唯一、今でも営業しているボーリング場に、
何回か行ったことくらいしか覚えていません。

ショッピングモールのカオスっぷりからは想像できない、
簡素でモダンな中野ブロードウェイの屋上。
ビヤガーデンなどで一般公開して欲しいと思うも、
やはり住民の声が第一なので、
誰もが入れる時は永久に来なさそうです。

中野のジンガロ横丁に脱帽

2018-01-22 01:46:50 | 東京 URBEX
サブカルチャーの聖地として知られる東京中野のブロードウェイ。
その4階に面白い昭和ド真ン中な横丁がある。


ジンガロ横丁

ジンガロ横丁と名付けられたその横丁は、
横丁入口のバックライト看板上部のフォント以外、
総てが昭和ド真ン中の様相で、
横丁内にはどうやら銭湯もあるようだ。







既にご存知の方はおわかりと思うが、ここは
カイカイキキのキャラクターで知られる、
現代アーティストの村上隆の事務所だ。
元々フィギュアを使った作品等を制作していた氏が、
中野のブロードウェイに事務所を構えるのは順当な流れで、
実際、7、8年位前から2階にはギャラリーやカフェを出店している。







銭湯二乃湯が倉庫だったり、
酒場甚我狼(これでジンガロとよむのだろう)が会議室だったりと、
それぞれの“店”にはちゃんと役割があるという。








横丁といっても実際は事務所なので、
一般の人は中へは入れないが、
2箇所ある入口はいずれもガラス製で、
中の横丁の様子がよく見える。
事務所といわれてもまったく納得のいかないルックスは、
細部の造り込みまで半端無く、脱帽もの。

「東京下町モダン建築と呑み散歩」再び開催

2018-01-08 03:38:55 | 東京 URBEX
昨年の晩秋に行なった、
「『東京ディープツアー』の著者と行く、
東京下町モダン建築と呑み散歩」が好評につき、
今年もほぼ同じ内容で催行致します。


TABICA「東京下町モダン建築と呑み散歩」

今年は、東京の下町、深川界隈に遺る昭和初期の建築と、
下町でのはしご酒ツアーです。






TABICA「東京下町モダン建築と呑み散歩」

モダン建築の最初は「清洲寮」
昭和の初期に建てられ、幾度も補修はされているものの、
ほぼ創建当時の姿で遺りながら、しかも現役のアパート。






TABICA「東京下町モダン建築と呑み散歩」

その次は、拙書『東京ディープツアー』にも掲載した、
「東京市営店舗向住宅」、通称、清澄鉄筋長屋。
大衆の中に根づいたフランク・ロイド・ライトの意匠をはじめ、
復興建築のディテールを楽しみます。






TABICA「東京下町モダン建築と呑み散歩」

建物の最後は「深川東京モダン館 (旧・東京市営深川食堂)」。
国内の現存物件では珍しい、国際様式の美しいデザインを見ながら、
バウハウスのお話など。
途中、看板建築などもあるので、そのあたりもちらほらしながら、
建物見学は徒歩を含めて1時間半位を予定しています。






TABICA「東京下町モダン建築と呑み散歩」


TABICA「東京下町モダン建築と呑み散歩」


TABICA「東京下町モダン建築と呑み散歩」

建物見物のあとは、深川の酒場ではしご酒。
闇市バラックの雰囲気が色濃く遺る辰巳新道や、
煮込みで知られる「だるま」、
そして門前仲町の顔「魚三酒場」などを巡る予定です。
※上記飲食店は予定です

寒さ遺る2月中旬ですが、古建築を肴に、一献傾けましょう!

【開催日】

2018年 02/17 (土)

【時間】

15:30〜17:00  (モダン建築見学)
17:30〜21:30頃 (深川はしご酒)

【参加料】

2,000円 ※飲食代は各自別途(約5,000円)

【お申し込はこちら】↓

【11/25 or 12/02, 2017】
『東京ディープツアー』著者とゆく、 東京下町モダン建築と呑み散歩


【提供】

TABICA




「東京中野 平成の異空間で呑み散歩」開催

2017-11-05 16:54:26 | 東京 URBEX
2017年秋、東京街歩きの第三弾。
「『東京ディープツアー』著者とゆく、
東京中野 平成の異空間で呑み散歩」を催行。


TABICA「東京中野 平成の異空間で呑み散歩」

第三弾は、中央線の中野駅界隈を巡るツアーです。
前回アップした高円寺同様、都内きってのサブカルシティ中野。
「まんだらけ」の進出により、コミック文化の色が濃い中野ですが、
中野の魅力は、それだけではありません。
中野生まれで中野育ちの私、黒沢が、
マニアックな中野の魅力をご案内します。






TABICA「東京中野 平成の異空間で呑み散歩」

中野散策のスタートは、
南口の駅前に蜃気楼のように遺る公社中野駅前住宅。
現存では珍しい1951(昭和26)年築の公営アパートは、
戦後すぐの住宅事情を今に伝える貴重な建物。
当日は、部屋の内覧も予定しています。






TABICA「東京中野 平成の異空間で呑み散歩」

駅前住宅の見学の後は、北口へ移動。
駅前から伸びるサンモール商店街と、
それに続くブロードウェイを中心に、
その周辺にアリの巣のように広がる路地の数々を散策。
特にブロードウェイ近くの中野新仲店商店街は、
時の止まった空間を演出する広場付商店街。






TABICA「東京中野 平成の異空間で呑み散歩」

そして、新仲店商店街の最奥に聳えるのが、
中野で最もディープゾーンといわれる「ワールド会館」
かつてホテルで開業し、今は所有者不在のまま、
商店の自治で存続している飲食店ビル。






TABICA「東京中野 平成の異空間で呑み散歩」

中野の街をひとまわりしたら、
次は中野の魔窟ともいえる「中野ブロードウェイセンター」へ。
地階から四階が商店施設、五階以上居住施設の複合ビルで、
創建時は先進的なビルとして話題になりました。
開業50年が経つ現在、今でも開業時の店舗が幾つも軒を連ね、
まさに昭和で時が止まった空間を演出しています。
画像は、今でも演歌カセットを中心商品にする二階の「名曲堂」






TABICA「東京中野 平成の異空間で呑み散歩」

ブロードウェイの地階もまた、
開業時からの店が多く軒を連ね、
その混沌っぷりは半端ありません。
画像の“肌着”専門店の「コマストア」や、
激安惣菜ショップの「ザックザク宝屋」
そして8段積みソフトクリームで有名は「デイリーチコ」など、
並ぶ店舗は強者ぞろい。






TABICA「東京中野 平成の異空間で呑み散歩」

四階は開業時からオフィスやクリニックが多く入店するため、
三階までの喧噪とは裏腹に、
開業時から静けさ沁みわたるエリアでしたが、
最近では「まんだらけ」や「ジンガロ」(三階に入店する村上隆のカフェ)
の事務所がとんでもないことになっています。
かつてのシャッター通りも異空間でしたが、
現在の四階もまた、不思議な異空間です。






TABICA「東京中野 平成の異空間で呑み散歩」

ツアーの後半は、中野の路地裏酒場ではしご酒。
中野の北口にアリの巣のように広がる路地には、
無数の酒場が密集し、
夕方から夜にかけて、最も中野の魅力が全開になります。
新旧の店舗が入り乱れる三番街は、
まさに赤提灯とバックライト看板の宝庫。






TABICA「東京中野 平成の異空間で呑み散歩」

狸小路とよばれる路地は、
夜ともなると、温泉地の歓楽街のような雰囲気になります。
かつて中野に唯一あったディスコ「route728(ルートナニワ)」があったのも、
この狸小路です。






TABICA「東京中野 平成の異空間で呑み散歩」

そして北口飲屋街の奥座敷にあるのが「昭和新道」。
その名の通り昭和の風情がガッツリ漂う懐かしの呑み屋路地。
こういった昭和の路地裏飲屋街で、
はしご酒をしていきたいと思います。

ディープな中野を楽しみましょう。

【開催日】

2017年 12/29 (土)

【時間】

15:00〜16:30  (中野散策)
16:30〜21:00頃 (中野はしご酒)

【参加料】

2,400円 ※飲食代は各自別途(約4,500円)

【お申し込はこちら】↓

【DEC. 09, 2017】
『東京ディープツアー』著者とゆく、 東京中野 平成の異空間で呑み散歩



【提供】

TABICA

『高円寺の看板建築街歩きツアー』開催

2017-11-02 13:17:56 | 東京 URBEX
2017年秋、東京街歩きの第二弾。
「『東京でイープツアー』著者とゆく、
高円寺の看板建築街歩きツアー」を催行。


Tokyo Wonder Club「高円寺の看板建築街歩きツアー」

第二弾は、高円寺の看板建築を巡るツアーです。
“東京のインド”とも評される、サブカルシティ高円寺。
実は、高円寺は看板建築の宝庫でもあります。
銅板張りの正統的なものから、アール・デコ調、
ファンシー系からはては国際様式風まで、
無名で種々雑多な看板建築がひしめく様子は、
看板建築の100円ジョップのようです。
そんな高円寺の看板建築を、一緒に見て回りたいと思いました。






Tokyo Wonder Club「高円寺の看板建築街歩きツアー」

アール・デコや表現派の流れを汲む看板建築は、
新高円寺寄りの、ルック商店街の中にあります。






Tokyo Wonder Club「高円寺の看板建築街歩きツアー」

アール・デコ調の看板建築の斜め向かいには、
正統派の銅板張りの看板建築もあります。
こちらの銅板の張りは、かなり凝った造りで、
銅板看板建築の本場、東京の右半分でも、
なかなかお目にかかれません。






Tokyo Wonder Club「高円寺の看板建築街歩きツアー」

ルック商店街よりJR高円寺に近い、
エトアール通り商店会は、
特に看板建築がザックザクです。
西友の向いに建ち並ぶ看板建築長屋は壮観。






Tokyo Wonder Club「高円寺の看板建築街歩きツアー」

エトアール通り商店会の奥には、
バウハウスを彷彿とさせる(笑)、
国際様式風の看板建築もあったりして。






Tokyo Wonder Club「高円寺の看板建築街歩きツアー」

JRを越えて北側へ移動し、
北西方面へと通じる中通商栄会もまた、
昭和の風情が色濃く遺る通りで、
道の両側には様々な看板建築が建ち並びます。
これはその一つ。
青いS字瓦を使った和洋折衷の看板建築。






Tokyo Wonder Club「高円寺の看板建築街歩きツアー」

中通商栄会から北へ伸びる庚申通り商店街は、
その名の通り庚申塚を中心とした商店街。
この通りには、わりと正統的な看板建築が点在します。
画像の稲毛屋金物店さんは、
周囲をスクラッチタイルで囲んだ看板建築






Tokyo Wonder Club「高円寺の看板建築街歩きツアー」

庚申通り商店街より東に位置するあずま通り商店会にも、
他のエリアとは違った看板建築が点在します。
画像は、飲食店や食料品店が入居する、
タイル張りの長屋看板建築。






Tokyo Wonder Club「高円寺の看板建築街歩きツアー」

おなじあずま通り商店会には、
ほんの少しデザインが施されたパラペットが特徴的な、
こんな看板建築もあります。

以上アップしたのは、高円寺の看板建築のほんの一部。
これ以外にも数多ある看板建築は、同じものがほとんど無く、
まさに看板建築の宝庫です。
どれもが決して素晴らしい意匠の看板建築ではありませんが、
ここまで看板建築が遺っている街は、
特に東京西部では珍しいと思います。

そんな高円寺の看板建築を、
一緒に採集してみませんか。


【開催日】

2017年 11/26 (日)

【時間】

14:30〜17:00
※終了後、希望者参加での懇親会を行います

【参加料】

2,000円 ※飲食代は各自別途(約3,000円)

【お申し込はこちら】↓

【NOV. 26, 2017】
『東京ディープツアー』著者とゆく、 高円寺の看板建築街歩きツアー


「東京下町モダン建築と呑み散歩」開催

2017-10-26 18:07:43 | 東京 URBEX
昨年の秋に行なった、
「『東京ディープツアー』の著者と行く、
平成に遺るバラックと暗渠、新宿路地裏ツアー」に続き、
今年も私がガイドを務める街歩きを行います。


TABICA「東京下町モダン建築と呑み散歩」

今年は、東京の下町、深川界隈に遺る昭和初期の建築と、
下町でのはしご酒ツアーです。






TABICA「東京下町モダン建築と呑み散歩」

モダン建築の最初は「清洲寮」
昭和の初期に建てられ、幾度も補修はされているものの、
ほぼ創建当時の姿で遺りながら、しかも現役のアパート。






TABICA「東京下町モダン建築と呑み散歩」

その次は、拙書『東京ディープツアー』にも掲載した、
「東京市営店舗向住宅」、通称、清澄鉄筋長屋。
大衆の中に根づいたフランク・ロイド・ライトの意匠をはじめ、
復興建築のディテールを楽しみます。






TABICA「東京下町モダン建築と呑み散歩」

建物の最後は「深川東京モダン館 (旧・東京市営深川食堂)」。
国内の現存物件では珍しい、国際様式の美しいデザインを見ながら、
バウハウスのお話など。
途中、看板建築などもあるので、そのあたりもちらほらしながら、
1時間位を予定しています。






TABICA「東京下町モダン建築と呑み散歩」


TABICA「東京下町モダン建築と呑み散歩」


TABICA「東京下町モダン建築と呑み散歩」

建物見物のあとは、深川の酒場ではしご酒。
闇市バラックの雰囲気が色濃く遺る辰巳新道や、
煮込みで知られる「だるま」、
そして門前仲町の顔「魚三酒場」などを巡る予定です。

秋たけなわの週末、古建築を肴に、一献傾けましょう!

【開催日】

2017年 11/25 (土)と12/02(土)の両日開催。
※内要は同じですので、ご希望の日にちをお選びください。
※この記事をアップした時点で、
11/25は残数僅かとなっております。

【時間】

15:00〜16:30  (モダン建築見学)
16:30〜21:00頃 (深川はしご酒)

【参加料】

2,500円 ※飲食代は各自別途(約5,000円)

【お申し込はこちら】↓

【11/25 or 12/02, 2017】
『東京ディープツアー』著者とゆく、 東京下町モダン建築と呑み散歩


【提供】

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『東京ディープツアー』の現地ツアー 再び開催!

2016-10-24 17:02:59 | 東京 URBEX
9月にご案内した街歩き『平成のバラックと暗渠、新宿路地裏ツアー』を、
好評につき、再び開催します。
6月に刊行した
東京ディープツアー 2020年、消える街角』(毎日新聞出版)の連動企画として、
書籍で取り上げた物件を見ながらの街歩きを楽しむイベント。

戦後70年以上が経った今もなお、
当時の姿が遺る平成のバラック街▼



バラック街付近に端を発し、西新宿まで続く、
拙ブログでも以前に取り上げた神田川の笹塚支流の暗渠下り▼



そして最後は、ご希望の方だけ参加自由の、
映画『不夜城』の舞台ともなった、
歌舞伎町で、最も深い新宿のセンター街を巡る▼



ちょっとディープな東京再発見ツアーを、
私、黒沢が再びご案内いたします。

最後に、希望者参加の懇親会も、
新宿センター街の中華店「上海小吃」で行います。

初めての方も、前回ご参加できなかった方も、
みなさん、どうぞご参加ください。

【開催日】

2016年 11/06 (日)

【時間】

14:00〜17:00 (バラック街と暗渠)
その後、各自移動して新宿歌舞伎町で集合
17:30~18:00 (新宿センター街)
終了後は、希望参加者での懇親会@上海小吃

【参加料】

2,500円
※前回より少しバージョンアップします。
※懇親会は別途(約3,000〜4,000)

【お申し込はこちら】↓
新宿】平成に遺るバラックと暗渠、新宿路地裏ツアー(書籍『東京ディープツアー』連動企画)

【提供】

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『東京ディープツアー』の現地ツアー 開催!

2016-09-13 02:00:23 | 東京 URBEX
6月に刊行し、既にお知らせした、
東京ディープツアー 2020年、消える街角』(毎日新聞出版)の連動企画として、
書籍で取り上げた物件を見ながらの街歩きを楽しむイベント、開催決定!

戦後70年以上が経った今もなお、
当時の姿が遺る平成のバラック街▼



バラック街付近に端を発し、西新宿まで続く、
拙ブログでも以前に取り上げた神田川の笹塚支流の暗渠下り▼



そして最後は、映画『不夜城』の舞台ともなった、
歌舞伎町でも、最も深い新宿のセンター街を巡る▼



ちょっとディープな東京再発見ツアーを、
私、黒沢がご案内いたします。

最後に、希望者参加の懇親会も、
新宿センター街の中華店「上海小吃」で行いますので、
みなさん、どうぞご参加ください。

【開催日】

2016年 9/22 (木:秋分の日)か9/14(土)の両日開催。
※内要は同じですので、ご希望の日にちをお選びください。

【時間】

15:00〜17:30 (バラック街と暗渠)
その後、各自移動して新宿歌舞伎町で集合
18:00~18:30 (新宿センター街)
終了後は、希望参加者での懇親会@上海小吃

【参加料】

2,000円 ※懇親会は別途(約3,000〜4,000)

【お申し込はこちら】↓
【9月22・24日限定】
平成に遺るバラックと暗渠、新宿路地裏ツアー
(書籍『東京ディープツアー』連動企画)


【提供】

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『東京ディープツアー 2020年、消える街角』発売

2016-06-15 13:36:06 | 東京 URBEX
東京ディープツアー

最近の記事で、東京の様々な物件をランダムにアップして来ましたが、
それらをまとめた書籍、
『東京ディープツアー 2020年、消える街角』(毎日新聞出版)
が、本日発売です。

このブログで、
おもに「東京ノスタルジア」カテゴリーの物件をまとめたものですが、
それ以外にも、軍事遺構や水道遺産、鉄筋集合住宅など、
普通の観光案内には載っていない、
ちょっとディープなスポットを巡って楽しむ時空散歩です。

寄稿には、暗渠マスターの本田創氏、裏昭和マスターの藤木TDC氏、
赤線&色街マスターの木村聡氏、団地マスターの大山顕氏に参加頂き、
充実の内容となっています。

ぜひ、ご覧になってくださいませ。

<収録物件>
【軍事施設】
●品川台場――時空の歪んだ光景
●旧東京第一陸軍造兵廠――平成に甦った軍事施設跡
●戸山ヶ原軍事施設跡――江戸〜東京の変貌が眠るエリア

【鉄道遺産】
●赤煉瓦高架橋――ボロボロの高架橋に眠る帝都の面影
●新橋駅 幻のホーム――地下に眠る徒花
●東京都港湾局専用線跡――東京に養分を運んだ葉脈

【水道遺産】
●玉川上水余水吐跡――江戸時代の浄水システム
●砧下浄水場――水道事業の黎明期を伝える昭和モダン
●旧野方配水塔――内部潜入リポート

【路地裏酒場】(藤木TDC)
●神田小路・今川小路――追憶の戦後、ガード下酒場
●初音小路――閑静な住宅街に忽然と現れる木造アーケード飲屋街
●新宿センター街――青線建築が今なお残る魔窟

【花街残影】(木村聡)
●吉原――江戸の昔から連綿と続く色里
●玉の井・鳩の街――小説の舞台となった赤線跡
●消えた赤線跡――21世紀の色街探訪の形

【木造住宅素描】
●木造長屋街――長屋が育んだコミュニティー
●平成の奇妙な木造住宅A――都市のホコロビに潜む闇
●平成の奇妙な木造住宅B――最果ての桃源郷

【鉄筋集合住宅点景】
●同潤会三ノ輪アパートメント――初期鉄筋アパートの全貌(大山顕)
●旧東京市営店舗向住宅――震災復興の昭和モダン建築
●青山北町アパート――青山の別世界・昭和の団地(大山顕)

【新宿ノーザンウエスト】――15年にわたるスクラップ&ビルドの記録

【青梅】――様々な時代がミルフィーユ状態で残る不思議な街

【コラム】
●暗渠百様――川筋から見る東京の変遷(本田創)
●絶滅危惧種としての商店街――浅草地下商店街
●都市の御嶽〜空地――再開発の紙が舞い降りる地

◆東京ディープツアー 2020年、消える街角◆

価格:1,500円(税抜)
A5版/112ページ/オールカラー
発売元: 毎日新聞出版
発売日: 2016/06/14
ISBN-10: 4620323861
ISBN-13: 978-4620323862

東京ディープツアー