黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

都営上目黒アパート #01

2007-05-23 01:12:27 | 集合住宅


◆ リクエスト特集 都営上目黒アパート ◆

この特集は、コメントを頂いた R.H.さんのリクエストによりアップしています。

東京都目黒区青葉台。
都内でもきってのファッション・タウンとして名高い代官山に
寄り添う様に佇む都営上目黒アパート。

代官山はその名の通り小高い土地で、
その中心を貫通する旧山手通りから、
南に流れる目黒川にかけては急な斜面が広がり、幾筋もの坂がありますが、
その中の上村坂と目切坂に挟まれた場所にアパートはあります。→Mapion
「あります」といよりは「ありました」と言った方が正しいかも知れません。
今日付のMapionの地図には、まだ都営アパートと記され、
3棟の住宅棟と敷地内の緑地が表示されていますが、
R.H.さんからコメントで伺った様に、つい最近閉鎖され、
訪れた時は、以前アップした都営角筈アパート同様、
なりたてでありながら既に人の気配を感じない、
無音の街になっていました。



かつて住人をはじめ、郵便配達や宅配便の人等、
沢山の人が通ったであろう入り口のスロープ。
正面には住居表示板が見えますが、
敷地内には3棟あるものの、この表示板には2棟しか書いてありません。
これは道に面した手前の2棟と奥の1棟が、
建設年代に隔たりがあるためでしょうか。



道に面した2棟は昭和二十三年 (1948) 年に建設されています。
昭和二十三年というと、これまでアップして来た、
都営戸山アパート(昭和二十四年)や 都営角筈アパート(昭和二十六年)
より更に古い事になります。

戸山アパートや角筈アパートは、居室窓側にダストシュートがあり、
その横に小さなテラスがある造りでしたが、
この上目黒アパートはそういったちょっとした遊びが全くなく、
居室側の窓も一つという、きわめてシンプルな造りです。

◆ 都営上目黒アパート ◆
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なりたての団地廃墟 #05

2006-09-23 02:13:20 | 集合住宅
新宿の西部、オペラシティとパークハイアットの間にあった、
戦後すぐの頃に建てられ、今年解体された角筈アパートの画像をアップしています。

一番北寄りの棟は既に一階の窓が板で塞がれていました。
手前の公園は区立公園ですが、
アパートに住人が居る頃は、
(おそらく)その子供たちが遊んでいるのをよく見かけました。



勿論この公園は今もありますが、
先日通った時は子供の影はありませんでした。

昨日アップした猫に餌をあげるもと住民の人以外に、
写真を撮っている元住民の人にも会いました。
40年位ここに棲んでいたそうです。
中庭に残る木や草をひとつひとつ丁寧に、
記憶の細胞にしっかり焼き付けるように見ては、
写真を撮っていました。

フェンスから外されて無造作に置かれた住民表示板も、
何枚も何枚も写真を撮っていました。



何年か前に書店で見た、
都内の地震危険地域を特集したムックによると、
この地域は都内の中でも最重要危険区域に指定されています。
家屋倒壊にあわせて火災による2次災害の危険性も、
きわめて高い地域です。
以前にアップした新宿ノーザンウエストの地域も、
再開発されることになった最初の理由はこの地震対策なのかもしれません。

それを思えば、
住み慣れた建物に居続けて大地震に遭遇するよりは、
別の場所へ移り住んだ方がまだいいのかとも思います。



軍艦島出身の人からは、
「廃墟になった故郷はみたくない」という話をよく聞きます。
が、東京に棲む人間からすれば、
故郷が残っているのでいいように思います。
東京で、自分の故郷が当時のまま残っているというのはごくごくまれな事で、
どっから見てもなにも思い出せないくらい、
作り替えられてしまうのが東京だと思います。

都営角筈アパートはこの夏、
55年の歴史に幕を閉じました。
 
◆都営角筈アパート◆
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現役時代の角筈団地の様子は、こちらをご覧ください。
えいはち@十二社の写真館 / 102号展示室~十二社、角筈-1

更地になった跡地の様子は、こちらをご覧ください。
Winterfield Ashhorse / おのぼりさんが見た新宿ノーザンウエスト その7  


なりたての団地廃墟 #04

2006-09-22 01:37:21 | 集合住宅
西新宿の一角、オペラシティとパークハイアットの間にあった、
都営角筈アパートの閉鎖後すぐの画像をアップしています。

団地の定番観葉植物で、
健康食品などにも使われる「キダチアロエ」が、
ここでもしっかり栽培されていました。



目の前の部屋の人が栽培していたのでしょうか。

直ぐ横にはダストシュートの出口があります。
1本のダストシュートは、
両サイドあわせて8軒が使っていた事になりますが、
平成のゴミを処理するには、
あまりにも小さすぎるスペースなので、
恐らく晩年は使われていなかったことでしょう。

ほんの数週間で、
人が使っているとは思えない状態になった中庭。



工事用の土砂が盛られた横に、眠そうな猫がいました。
この猫、まだ住人が居る時もみかけた猫で、
人が居なくなってからもずっといました。



この時はまだ敷地内に自由に入れたので、
元住民と思われる人が何人も来ていて、
猫に餌をあげていました。
名前を呼びながらあげていたので、
恐らく可愛がられていた猫だったんでしょう。
 
◆都営角筈アパート◆
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現役時代の角筈団地の様子は、こちらをご覧ください。
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更地になった跡地の様子は、こちらをご覧ください。
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なりたての団地廃墟 #03

2006-09-21 01:51:05 | 集合住宅
新宿の西側、オペラシティとパークハイアットの間に、
戦後の最初期に建設された6棟だけの都営角筈アパート。

今年の春から夏にかけてのほんの短い廃墟の時間を経て、
ついこの前解体されてしまった都営アパートの、
住人がいなくなって直ぐの時の画像をアップしています。

6棟の建物は南北に並んでいて、
一階の窓や階段口を塞ぐ作業は南寄りから進められ、
逆に庭の草木の撤去は北側から行われていました。
画像はまだ伐採されていない南寄りの庭の樹木です。



ドラマ『陰陽師』の中に、
安倍清明の庭が何の手も入れていないので、
荒れ放題になっているシーンが出てきますが、
そのノリです。

また都営住宅の中庭には、
シュロの木が植え込まれているのをよく見かけます。



参宮橋のアパートや駒沢のアパートの庭にも、
シュロが沢山生えていましたが、
最近の新しい集合住宅の庭にはあまりシュロをみかけません。
そのせいかショロが植えられているのをみると、
何となくレトロな印象を受けます。
庭木や街路樹にもはやりすたりはあるのでしょうか。

まだ人が棲んでいた時はちゃんと窓が見えていた場所も、
ご覧のように窓が完全に覆い尽くされています。



◆都営角筈アパート◆
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なりたての団地廃墟 #02

2006-09-20 01:42:11 | 集合住宅
新宿の西、オペラシティとパークハイアットに挟まれた、
都庁からも睥睨できる一角にあった都営角筈アパート。
今年の春に閉鎖されこの秋に全て解体された、
短命の団地廃墟です。

同じく都営の戸山アパート程ではないにせよ、
かつてあった中庭の「植物園」もすっかり撤去されて、
窓側の様子がよくわかります。



屋上に、煙突のように飛び出すダストシュートを挟んで、
その両側に小さなベランダと窓一つのこじんまりとした造りは、
どこかで見た事があると思いましたが、
以前の記事でアップした都営戸山アパートにそっくりです。



そう思って東京都都市整備局の都営住宅団地一覧をみてみると、
戸山アパートは昭和二十五年 (1950) から建設が始まり、
かたや角筈アパートは昭和二十六年 (1951) に建設されています。
この角筈アパート、
実は戦後の都営アパートとしては最初期の頃に建設された、
歴史あるアパートだったんですね。

住民が居なくなってから2週間後くらいには、
1階の窓や階段入り口は全て板で塞がれ、
更に敷地の周囲を緑色の金網フェンスで囲って、
中へ入れなくなっていましたが、
この時はちょうどその作業中だったので、
かつては鍵をもつ住人しか行く事の出来なかった屋上へも、
行く事が出来ました。



都庁、京王プラザホテル、住友三角ビルなど、
西新宿の高層ビルが一望できて、
しかも多少距離があるので圧迫感もありません。
きっと夜は綺麗な夜景だったと思います。

◆都営角筈アパート◆
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現役時代の角筈団地の様子は、こちらをご覧ください。
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なりたての団地廃墟 #01

2006-09-19 01:18:13 | 集合住宅


新宿副都心の西、オペラシティとパークハイアットに挟まれた場所に、
6棟の都営アパートがありました。
都営角筈(つのはず)アパートです。

なんか凄く柔らかい空気が流れていたので、
まだ住人が居る頃から何度も通りましたが、
今年の春に閉鎖され、ついこの前、
完全に解体されてしまった都営アパートです。

住人が出てから1週間後の、
なりたての団地廃墟の画像をアップしていこうと思います。



まだ人がいなくなって一週間しか経っていないのに、
人が居たときとは全然空気が変わっていたのには驚かされます。
人や車の通りもめっきり少なく、
聞こえるのは風に啼く鉄窓のカタカタという音だけで、
それはまるで炭鉱町に並ぶ廃墟住宅棟群の中にいるのと、
それほど変わらない感覚でした。

以前からそれほど綺麗な建物ではありませんでしたが、
人がいなくなると、待っていたかように、
錆、垂れ、剥離、ヒビのたぐいが繁殖します。
もう人の気配はどこにも感じません。



ちなみに今日Mapionを見ると、まだ「都営角筈アパート」の文字はありますが、
以前ちゃんと6棟書かれていた建物の影が、
3棟だけになっています。
もうすこし時間が経てば全てなくなり、
団地の文字もなくなるのでしょう。

◆都営角筈アパート◆
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現役時代の角筈団地の様子は、こちらをご覧ください。
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原宿団地 #04

2006-01-22 01:32:22 | 集合住宅


東京の原宿のはずれにある原宿団地。
この団地のなんといっても極めつけは窓外の風景です。
昨日アップした放射状の棟は中庭に面しているので、
窓外は中庭に所狭しと植え込まれた桜をみることになりますが、
奥の2棟の窓外は画像のような光景が広がっています。
右側の棟が案内板ではNo.3とNo.4と書かれながら、
じつは1棟の建物、そして左側が唯一廃墟となっている棟です。
全室オーシャンビューならぬセメタリービューです。

更に昨日の記事にアップした都営原宿アパートも、
直ぐ隣が共同墓地です。
普段の生活にこのあたりがあまりにもかけ離れているので、
ここを通るたびにいつも衝撃を受けます。


原宿団地 #03

2006-01-21 03:58:55 | 集合住宅
東京の原宿にある原宿団地。
せっかくアップしたので、今はどうなっているのかと思い、
仕事の合間にちょっと見に行ってみました。
案内板には全部で6棟の表示がありますが、
実際数えると5棟で、案内板のNo.3とNo.4が一つの建物でした。
一番奥の1棟が使われていないのはかわりますが、
それ以外の建物もけっこう空き部屋があるように見えます。

画像は2棟ある放射状の建物のうちの1つです。



ずいぶん贅沢な作りですが、
住んでいる人にとっては楽しいかもしれませんね。
春から秋は桜が茂ってとても全体はみえませんが、
今は枝だけなので遠くからでも全貌がわかります。
ちなみにこの建物は半分くらい現役でしょうか。

原宿団地が外苑西通り、通称キラー通りという
オシャレな通りとして知られる通り沿いにある話は昨日しましたが、
実はこの通りの界隈には昭和を色濃く残す団地が沢山残っています。
この団地から南へ行くと青山通りへでますが、
そこから一本中の通りへ入ると、
かなり大規模な都営青山北町アパートが今も残っています。



それほど沢山はみていませんが、都営住宅の特徴は、
無造作に植えられては育つ低木や草木があふれる、
その前庭の様子にあると思います。
この青山北町アパートも敷地が広いぶん中庭のスペースも多いので、
植物ものびのびと育ち、
青山とは思えない異空間を作り出しています。

ちなみに生い茂る中庭で有名だった都営戸山アパートは、
おしくも去年、すべての棟が解体されてしまいました。

原宿団地を北へいくと、
キラー通り沿いに都営霞ヶ丘アパートというのもあります。



この部分だけみると既に終わっていますが、
この外苑マーケット、ちゃんと現役で、
2階以上の住宅層もまだまだ使われています。

その他都営原宿アパート、都営神宮前アパートなど、
都営団地が目白押しです。
いずれも昭和30年~40年代前後に建てられた、
エレベータ無しの4~5階建てのアパート群です。
もちろんすべて現役です。
 


原宿団地 #02

2006-01-20 09:39:17 | 集合住宅


東京の原宿(というよりほとんど北青山)にある原宿団地。
全部で6棟しかないこじんまりとした団地で、
5棟は現在も使われていますが、
一番奥にある1棟だけが廃墟です。(撮影時)
置き去りにされた三輪車のほか、
それほど広くない庭には遊戯具が残っていました。
敷地内には小さな管理事務所棟もありますが、
一見するとかなり長い間使われていないように見えます。

この団地は外苑西通り、通称キラー通りといわれる通り沿いにありますが、
この<キラー通り>ってなんだ?ってよく思いました。
服飾デザイナーのコシノジュンコさんが命名したらしく、
もとはこの外苑西通りが青山墓地の横を通っていたのが理由だそうですが、
墓地がなんでキラーなのかわからないし、
現在は墓地横の部分はキラー通りとは呼ばれず、
墓地とは全然関係ないこの団地近辺だけがキラー通りと呼ばれているのも、
不思議です。

ワタリウム美術館やローバービル、
そして元祖狭小住宅の「塔の家」などに囲まれた中にあって、
まったく周囲と別の空気を放つ団地です。


原宿団地 #01

2006-01-19 11:58:40 | 集合住宅


東京の原宿の東寄りにある原宿団地。
7棟位があつまるこじんまりとした団地で、
そのうち5棟は一般的な直方体の建物ですが、
残る棟は上から見ると
5辺のアスタリスク・マークのような形をしています。

敷地内は常に静かで、あまり人気は感じられませんが、
奥の方の棟を除いては現在も使われています。
去年この団地を舞台にした小説『原宿団地物語』が発売され、
にわかに脚光を浴びるようになりましたが、
本の表紙写真にも満開の桜が写っているように、
春になると桜が綺麗に咲き乱れます。
画像はもう3年くらい前の春の光景ですが、
いい味をだしたチャールストンが停まっていました。

【訂正や追加】
撮影してあった住宅表示板を確認したら、
棟は全部で6等で、4棟が直方体、2棟が変形棟、
変形棟は5辺のアスタリスクではなく3辺の放射状でした。
また停まってる車は2CV6スペシャルでした。
2CV=すべてチャールストン
と思ってるくらい車音痴なんです(汗
コメントをいただいたGG-1さんのお話から、
改めていろいろ確認しました。