東京新宿の北部に位置する地域は、かつて戸山ヶ原と呼ばれ、
敗戦までは大規模な陸軍の施設があった地域です。
2ヶ月程前にアップした記事の続きになりますが、
今回のシリーズは最もディープな施設跡です。
現在は東京都健康安全研究センター、国立科学博物館分院、社会保険中央病院
がある一帯(Mapion 地図)に、
陸軍技術本部と科学研究所がありました。
これらの機関は細菌戦や化学兵器戦のための研究機関で、
特にここで行われた毒ガスの研究が、
やがて広島県の大久野島にある毒ガス大量製造工場の建設へと、
繋がっていったとききます。
建て替えの際に毒ガスボンベがみつかった、
東京都健康安全研究センター内の不要に広い空地。
▼

前回アップした記事「戸山ヶ原逍遙 陸軍戸山学校跡」でふれた、
野外音楽堂の跡地のまわりには、
陸軍軍楽学校のことを記したものはなにもなく、
唯一陸軍戸山学校址の碑文の中に
「音楽」という文字がみあたるだけですが、
モニュメントの台座の中央をよく見ると、
ラッパを吹く天使のレリーフがあります。
▼

おそらくこれが忌まわしくも忘れてはならない過去を、
綺麗な形で残そうとした、
新宿区の苦心の結晶なのかもしれませんね。
◆軍都 戸山ヶ原逍遙◆
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敗戦までは大規模な陸軍の施設があった地域です。
2ヶ月程前にアップした記事の続きになりますが、
今回のシリーズは最もディープな施設跡です。
現在は東京都健康安全研究センター、国立科学博物館分院、社会保険中央病院
がある一帯(Mapion 地図)に、
陸軍技術本部と科学研究所がありました。
これらの機関は細菌戦や化学兵器戦のための研究機関で、
特にここで行われた毒ガスの研究が、
やがて広島県の大久野島にある毒ガス大量製造工場の建設へと、
繋がっていったとききます。
建て替えの際に毒ガスボンベがみつかった、
東京都健康安全研究センター内の不要に広い空地。
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前回アップした記事「戸山ヶ原逍遙 陸軍戸山学校跡」でふれた、
野外音楽堂の跡地のまわりには、
陸軍軍楽学校のことを記したものはなにもなく、
唯一陸軍戸山学校址の碑文の中に
「音楽」という文字がみあたるだけですが、
モニュメントの台座の中央をよく見ると、
ラッパを吹く天使のレリーフがあります。
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おそらくこれが忌まわしくも忘れてはならない過去を、
綺麗な形で残そうとした、
新宿区の苦心の結晶なのかもしれませんね。
◆軍都 戸山ヶ原逍遙◆
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そういった名称のつく建物がいれかわりたちかわり立ち続けている場所ですね。
そういう地場なんでしょうか。
昔この場所を何度か通った事がありますが、
そのおぼろげな記憶に残る建物がこの空き地に建っていた建物だったかもしれません。
今は結構綺麗な印象ですが、
もっと鬱蒼としていて、怪しい雰囲気だった記憶があります。
そうですか、犠牲になった動物たちの慰霊碑が・・・
殺虫剤のメーカーとかも、毎年一回、大供養をするといいますからね。
場所が場所だけに、国立科学博物館の分院がここにある理由を、
いろいろ思い巡らせてしまいます。
jinkotsu731@yahoo.co.jp
こんな軽く扱ったページを『人骨(ほね)は告発する』様からリンクを頂くなんて、
おこがましいとは存じますが、ありがとうございます。
裏の大学に通いながら、当時は731部隊だよ、としか知らず、
それ以上を知ろうとしなかったことへの反省も込めて、
アップした記事でした。
この記事が、
少しでもこの場所のことを知ってもらう切っ掛けになればいいなと
思っております。