緑香庵通信

三軒茶屋から世田谷線で6分・松陰神社前のアロマテラピーサロン。

セラピストのお勉強 その2

2012-10-17 10:00:00 | アロマテラピーとは
心と体は分ち難いもの。
体の問題と見える事が、実は心に発している例、
心の問題と感じられる事が、実は体へのアプローチで改善する例に、
セラピストはいくらでも出会って来ている。

だが、心について系統的な勉強をする機会をセラピストはほとんどもっていない
学校のカリキュラムでも非常に時間数が少ないのが現状。
セラピストそれぞれの自助努力に委ねられているというか、ようするにそこにまだ手が届いていないのだろう。
ほんとうに心して心の勉強をしなくてはと最近切実に思う。

アロマテラピーを求めている方は、体の問題同様、心にトラブルを抱える方が少なくない。
むしろ、ストレスの多い現代生活においては、こころ発のからだの不調の方が圧倒的多数かもしれない。
アロマテラピーは嗅覚による脳の深い所への刺激と、トリートメントによる触覚刺激で、脳の暴走を鎮めるのには最適な療法だと思う。だから、アロマを選んで下さったのには大拍手なのだが、それを受け止める私たちセラピストの側に、残念ながらまだスキルが足りない

体を傷つけてはいけないのと同じく、すがる思いでやってくるクライアントの心を決して傷つけてはいけないし、診断も治療もしてはいけないのである。
ただただ受け止め、伴走者であるためには、心についての教養が必要だ。
不用意に触れてはいけない地雷を避けるには、地雷の正体を知らなければ。
それでも、地雷のありかはひとそれぞれ。万が一踏んでしまったら、傷を最小限にするためにはどうしたらよいのか。そして、地雷は踏まれた方も辛いが、踏んでしまった自分も同じく傷つく。そのダメージを最小限にするにも技術が必要だ。

なかにはでっかい人間力でもって、あえて勉強せずとも乗り切って行けるセラピストもいるかもしれない。が、そんな大きな人間ができあがるまでの犠牲は想像するだに恐ろしい。まずは、よく知る事だ。心の解剖生理学でしょ。それを心理学というの?

ね、勉強すべき事が、あとからあとから湧いて来て、面白くてたまらんでしょう。うひょひょ~。



セラピストのお勉強

2012-10-11 10:00:00 | アロマテラピーとは
ここ数年、アロマテラピ-の講師をするようになって、
あらためてアロマの専門家になるためのお勉強ってなんだろ?
と考える機会がたびたびある。

講師と言っても、私のようなひよっこが人に教えるなんてえのは、
全くもっておこがましい限りなのだが、
そのことはひとまず脇へ置いておいて、
おかげで自分の勉強がさらに深く進んで行くのが楽しくありがたい。

さて、アロマテラピーの資格試験を受けようとすると、
意外にも、解剖生理学という、いかにも看護士さんが勉強するような、
生物学的な勉強をしなくてはならないことに驚かれる人も多い。

基本的に、アロマテラピーはリラクゼーションのための方法であって、
病気を診断したり治療したりということはしない。
というか、そこは倫理的にも法律的にも
けして踏み込んではいけない領域として、
厳しく厳しく何度もたたきこまれるところ。
では、何故に解剖生理学が必要なのか。

ひとつは、①まがりなりにも人の体に触れさせていただく以上、
最低限、体についての教養をもっている必要があるということ。

さらに、②いかにアロマテラピーが健康増進目的とはいえ、
多少なりとも体に影響を与える可能性をもっているものであること。

そして、③アロマテラピーを必要としている方は、少なからず、
ご自分の体に問題を感じるからこそ求めて来て下さるということ。
ということは、そういう方々と向き合う時に、
最低限の知識を持っていないと、入っては行けない領域に、
思いがけず触れてしまう恐れがあるから。
知らないと不用意に「こうすれば治ります」「ここが悪い」
という接し方をしてしまう。
逆説的だが、踏み込んではいけないからこそ、
その立ち入り禁止区域をよく知っておく必要がある。
相手を知らなければ避けようがないからね。

同じ事が「心」の領域にもいえる。
心については次回。



アロマテラピーは極小のアート

2010-10-19 16:55:45 | アロマテラピーとは
■ 自分が天才でないことにようやく・・・
大学浪人をしているころ、
「ある日突然自分が天才だということが判明するんじゃないか、
と思っているうちは子供だ」
と言う講師の先生がいました。
ちなみにその先生自身はその時、
「今でもそう(つまり、いつか天才と判明すると)思っている」
と言っていました。

おそらくは30代前半くらいだったのかなあ、先生は。
授業とは何の関係もないこんな戯れ言を、
30年経った今もその時の生徒(つまり私)が憶えているなんて、
先生自身は予想していたでしょうか。
予備校の大教室で。
特に何の特別な繋がりも持たない生徒が。
私はその先生の名前すら憶えていません。
たしか科目は現代国語でしたが・・・。
教育に携わる方、言葉というのは恐ろしいものですね。

50歳にして私はようやく、「ある日突然自分が天才だと・・・」とは
ほとんど思わなくなりました。
(「ほとんど」ね。今でもすこーしだけ思っていますけど)
どうやら私は特別な人ではなさそうです。

■ 天才の力
すぐれた芸術は、音楽にしても絵画にしても
ほかの様々な形態のものにしても、
一瞬で場所や時間を飛び超え、
異なる人種、異なる国、異なる時代の人の心を
揺さぶり、癒し、希望へ導く力があります。

そういった芸術を生み出す役割を担う人は
使命を帯びた特別な存在で、
おそらくは身の回りには、そうそういないものです。
自分も含めて。
凡庸な私たちは、そういった特別な人からの贈り物を
魂のご飯にして、今日も生きて行くわけです。
特別な人が背負った苦しみや孤独には共感することもなく。

■ 凡人の力
しかしながら、凡庸な私たちには、
特別な人とはまた別の力があります。

それは日常の中で、目の前のたった一人を幸せにする力。
たとえば疲れて帰ってきた家族に
美味しいご飯を提供することであったり、
友人に暖かい言葉をかけることだったり。
私がアロマテラピーに惹かれるのは、
ここに大きな理由があるのかもしれません。

大勢をいっぺんに幸せにすることはできませんが、
目の前のただ一人を、ある瞬間幸せにすることができると
知ったときの「やった感」。(ああ、なんたる語彙不足)

何かで読みました。
どんな偉業を成し遂げた人でも、
たとえ世界を動かすような人でも、
身の回りの些細なこと、身の回り人とのささやかな関係の中でしか
幸福を感じることができない。
人間とはそういう生き物である。そんな内容でした。

であるなら、アロマテラピーはミニマムですが立派にアートですね。


りんごのおじさん「奇跡のりんご」

2010-09-21 14:43:41 | アロマテラピーとは

テレビで紹介されて以来ご存知の方も多いでしょう。
本も多数出版されています。
Kisekino
なにせ根がマイナー志向なもので、
世の中で有名になってしまったものには
とりあえずへそを曲げてみる天の邪鬼としては、
やや斜めから眺めていたのですが、
縁あってその中の何冊かを読む機会に恵まれました。

■ 読んでみた 
内容については、感動の要素もあり、
また、「このあたりはファンタジー?」 という部分もあり、
色々な見方ができるでしょうが、
自然療法を志すものとして大きな示唆を受けたのは事実です。

人も木もあらゆるものが大きな自然の環の中の一部であり、
そこから隔絶されればされる程、不都合が起きてくるということ。

たとえ有機肥料であろうとも、その環から外れる要因になる
という意味では化学肥料と何ら変わりがない。
だからおじさんは基本、何にもしないのです。
草取りですら、虫取りですら、本当に最小限しかしない。
そして草ぼうぼうの畑に宝石のようなりんごを実らせるのです。

■ 「ナチュラル」だから良いとは限らない
生活全てを太古の暮らしに戻すことは不可能です。
そのころにはきっと今よりずっと死亡率も高く、
おそらくは弱いものから自然の厳しい摂理に取られていったことでしょう。
何とか生き延びるために、その環を手なずける方法を探して
手にした今の文明生活です。
ただ、何かが行き過ぎていることは多くの人が感じている
からこその昨今のナチュラルブームなのかもしれません。

でもね、ことアロマに関していえば、
この「りんごのおじさん」の言う「有機肥料」のように、
自然のものだからとやたらに使ったのでは、
自然の環のなかから外れてしまうことには変わりがないのよ。
精油そのものだってかなりの無理をして植物から抽出し、
大きな経済の流れのなかにある工業製品なわけです。
◯◯にはラベンダーが効く。××にはゼラニウムが効く。
△△という症状にはここをマッサージする。

そういう使い方が悪いとは言えないけれど、
本当はもっと大事なことがある気がする。

■ 「自然」を使うのでなく手伝う
自然療法の目指すべきは、自然のものを使うということじゃなく、
自然の環から外れてしまった個体に
もう一度繋がりを取り戻してもらうための手伝いをする
ということじゃないんだろうか。

クライアントへの介入は最小限に、
クライアントの潜在能力の喚起は最大限に。
それこそがアロマセラピストの腕の見せ所ってもんだろ。(鼻息っ!)

どういう使い方をしたら適切なバランスに辿り着くのか、
どういう施術が自然の環を引き寄せるのか、
セラピストとしての立ち位置を考えさせられた「りんご」でした。


野生へのスイッチ

2010-07-28 18:50:57 | アロマテラピーとは
ここのところ何冊か食餌療法に関する本を読んでいます。
私自身が何か特別な食事を摂っているわけではありませんが、
もともと食いしん坊なので、食べることには
人並みならぬ興味があります。

食餌療法には、いわゆる現代の栄養学の枠にはおさまりきらない
様々な考え方のものがあります。
マクロビオティックしかり、薬膳しかり、
ナチュラルハイジーンしかり、甲田療法しかり…。
どれもなるほどというところがあり、
またそれでいながらお互いに矛盾していたりもするので、
「これってどっちが正解?」ということもたくさん。

そんな中でピタリと私のアンテナに降りてきたのが
今回標題とした「野生へのスイッチ」という言葉。
「野生」というのはなかなか大事なキーワードです。

■ 断食、出産
例えば、断食。
断食というのは飢餓状態を起こさせることによって
人間が本来持っている「野生へのスイッチ」が入り、
驚異的な生命力を発揮させ、
完治が困難な重い病気をも治癒に向かわせるのを期待するのだそう。
遺伝子の中に眠っている潜在能力のスイッチをオンにする
ための装置として断食という刺激があるというわけです。

もう一つの例はお産。
これは生物としては実に自然な行いですが、
現代生活を行なう現代人に取ってはまこと大変なイベント。
妊娠期間とは、「失った野生を身体へ取り戻す」期間と考える、
というのが、今まで一番腑に落ちた妊娠についての考え方。
そのために、現代生活を送りながらも、食事や毎日の生活リズム、
生活態度を見直すことが大事になってきます。

■ アロマで「野生スイッチ」オン
さて、断食や出産は、かなり大きな意味での「野生」を取り戻す話ですが、
もっとささやかなレベルで、身体に備わる野生へのスイッチ
に関わるのが、私の仕事です。
「アロマトリートメントとは、体に備わる自然治癒力を刺激して云々…」
とはすなわち野生へのスイッチを押しているわけです。
このスイッチ、かなり小さなボタンですけどね。

動物達には、身に何かが起きてもお医者もいなければ薬もありません。
ただじっとうずくまって勝手に回復するのを待ちます。
そして実際勝手に治ってしまうわけです。
肩凝りも腰痛もありません(聞いてみたわけじゃないけど多分)。
重篤な時は命を落とすこともあるでしょうが、
それにしたって回復を目指した努力を、体が精一杯やった結果、
及ばなかったということ。
それが自然治癒力であり、野生の力。

動物達のことを考えると、
人間にトリートメントするのも、
あくまでも相手の中にあるスイッチを刺激するだけで、
必要以上に介入してはいけないんだな、と思われます。
相手を変えようなんて不遜ということですね。

で、そのためにはどうするのかというのは、また別の機会に。