ご近所さん、国士館大学のイチョウもそろそろ終わりに近づいてきました。
今年は更年期の着陸前後の小さな不具合やら、帯状疱疹やら、アクシデントが幾つかありながらも、大きな変調には至らず、概ね無事に暮れていきそうです。相変わらず実家の介護も順調に?継続中。来年もそこそこの健康に恵まれるなら、やれることを出来る範囲で粛々とやっていきたいものだと願っております。
若い頃は「健康」に気を使う中高年を「そんなにまでして長生きしたいかね」と揶揄したりもしたものでしたが、今まさにその中高年になって思うのは、イヤイヤ健康一番でしょ。「破天荒」や「無頼」がかっこよく見える時代は誰にでもあるもの。その素敵な「不」健康の下に実はとんでもない束縛が隠れていることを当時は見抜けなかった。
体調を崩して気づくのは、少しの痛みや不調があるだけで、体も頭も感情もそれに支配されるということ。生き物としては当然のことだけれど、休もうとするのは体だけでなく、全身がその不調の解決に向かいます。たとえ無視しても意識の下では多くのエネルギーがそこに注がれていく。中でも多くのエネルギーを消費する脳が一番省エネを切望するらしい。思考が狭くなり感情も柔らかさを失うのを感じます。それがとても嫌。健康でいたいのは結局「自由でいたいから」。だからこそ、病を得ながらも思考をくもらせず、感受性を伸びやかに広げている人の手記などを読むと、本当に頭が下がります。
年をとり、細胞がだんだん使い古しになっていくことは避けられませんが、それでも今ある自由をなるべく手放さないよう、ささやかな筋トレ、間抜けな自分の姿を毎度確認するだけのダンス、ごくごく大雑把な食べるものへの関心、などなどを、来年も地味に続けていこうと思うわけです。
友人からのプレゼント「光る葉っぱ」がどうも咲きそうな気配。
寒いのにね〜。頑張るのね〜。