琉さんのあんなコト。くるこむのこんなコト。

家族の日常のあんな事や愛犬とのこんな事、重度障害のある息子との生活の工夫など。 家族で好きなくるま旅の様子などなど。

くるみさんありがとう。。。2021/06/21 

2021-06-21 10:40:26 | カワイイ愉快な娘たち(キャバリア)
 
我が家の愛娘のくるみ。
2020年9月21日で14歳になりました。
10歳頃から病院にかかることが増え、頭に出来た肥満脂肪腫の切除手術をしたり、心臓病のお薬も飲み続けていました。
12歳頃からかな徐々に普段は寝ていることが多くなり、最期頃はお散歩も歩かずおトイレだけになっていった。
食事も自分から食べることが無くなり、時間をかけてスプーンで少しずつ…
おやつは少しだけやる気が出るのか食べたり食べなかったり…

そんなくるみさんが
2021年3月23日に永眠いたしました。
亡くなった数日前は食事をとれなくなり病院に行き自宅で点滴が出来るように獣医さんにお願いしました。
入院と言う選択肢がありましたがいま離れてしまったら後悔するような気がして。
しかし、翌々日の朝に旅立ってしまいました。

ずっと一緒に過ごして来た日常でどれ程私はくるみに癒やされ救われただろうか…
亡くなる数日前から、くるみは私から離れず健気に着いて回ることが増えいつも一緒。
涼しい時季だったので息子の施設の送り迎えにも着いてきました。

本当に自慢の愛犬で愛娘です。
正直、くるみとのお別れは自分の中で整理がついている
でも、あの子のぬくもりはきっと、一生恋しく、想い続ける。

お出かけ好きなくるみとの思い出はたくさんありますが
お誕生日からのくるみとの思い出を振り返ってみました。

ここからは私が親バカになる時間。



くるみのお誕生日企画で家族そろって草津にくるま旅🚐
本当に車に乗るのが大好きだった

 
自分のごはん、いっぱい残っているよ
🌽ソフトクリームの方がいいなぁ〜
でも、くるみさんは食べたことない物にはほぼ?勝手に喰い付かない
とてもおりこうさん
 
山にも海にも行きました
山では澄んだ空気と木漏れ日を浴び
海では潮風と波の音を一緒に感じました。

車内では誰よりリラックス


カワイイーーー
ペースト状のごはんになった時にお耳が汚れちゃうのでカバーを着けたけれど、着けると謎の『後付去り』を始める
この作戦はくるみさんには向いていなかったね




姉の愛犬ウルくんと『ひたち海浜公園』へ
お散歩の時はカートが必須
カートがないと…

こうなる

富士山のパワーをもらいに行った






くるま旅では車中泊
家族そろって狭い車内で過ごす
それが醍醐味だよね
投稿しきれていないくるま旅もある
少しずつアップしたいな。

 
くるみさんはお風呂も好きだった


一緒に見た景色
忘れないよ。


 
我が家の車『銀ちゃん号』は第二のお家


なかなかカメラ目線してくれないくるみさんが珍しく
こっちにおいでって声をかけたくなる一枚


本当にお疲れさまでした。
よく頑張ったね。
あなたへの想いはずっとずっと続くよ


お空で快適な毎日を




霧降高原へドライブGO❗

2020-08-23 10:12:17 | 障害者とくるま旅(車中泊)
2020年8月14日~15日
日光霧降高原へ弾丸ドライブ(くるま旅)に行きました
まだまだコロナ禍…
だから、しっかりと状況を見つつ節度をわきまえておでかけしました




最近、お気に入りのくるま旅のYouTuberさんができた琉さん
でも、やっぱりドライブは体感も重要だね

ご機嫌


到着したのは『霧降高原キスゲ平園地』
第3駐車場で車中泊
夕方に着き、琉さんをベッドに移動し、くるみさんのお散歩と色々としていたらあっという間に夜。
ここは電波も良くてテレビの映りが良かった
琉さん眠っちゃったから映画でも観ましょうかね。
ぜいたく~
外は霧が濃くて周りがぜんぜん見渡せない
おトイレまでドキドキ
こちらのおトイレは24時間使えますが使用後はシャッターを閉めるように大きく書いてありました。とてもきれいなおトイレでした。
みんなで大切に使用したいですね

朝日がとてもキレイでした
微妙だったお天気、翌日はばっちぐー


朝になって、ゆっくりと景色を見れました
本当は朝はゆっくりと過ごし『大笹牧場』でソフトクリームを食べて帰ろうと思いましたが千葉よりは涼しいのは涼しいけれど予想以上に暑くなった来たので早めに切り上げることに。
子供たちの体調第一

これから六方沢橋を渡り大笹牧場までのドライブを楽しみ帰るとします。

テレビの映りが良かったのはあのノッポさんのおかげ?

何故かアブだの蜂だのに好かれる?銀ちゃん
他の車の方は平然にしているのに
私だけ車外に出る度にぎゃーっ
こわかったー

六方沢橋展望台

琉さんから見る景色






栗山日光線は以前もバンちゃんではしりました
お気に入りのところ
運が良ければ野生の動物と出逢える
走りに来ているライダーに道を譲りつつ
譲ると「どうも」って挨拶してくれると、カッケーっと思いつつ(笑)(笑)(笑)
琉さんとドライブを楽しみました


帰りにレモン牛乳ソフトをGET

…じゃが
琉さん、好みではなかったみたい
どうしよう…ってなりました

今回は朝に出発しておうちに着いたのお昼
日光、ちかっ
帰りも弾丸だなーホント。
この暑さもあって体温調整が難しい
琉さんと外を出歩くのも厳しいから
特等席の助手席で景色を見て揺れを感じ、光を感じ、バイクの音にウケながらのドライブ
私も満足

でも、本当は…
くるみさんが一番、出掛けたがってるんだよ




銀ちゃんで初めての車中泊❗

2020-07-06 11:51:00 | 障害者とくるま旅(車中泊)


2020年7月3日(金)~4日(土)
山梨県北杜市の道の駅南きよさとに向かい
Let's Goーーー
本当は琉さんとくるみさんの過ごしやすい5月頃にくるま旅に行きたかったけれど新型コロナの影響でおでかけできなかったです
以前の愛車バンちゃんから現在の愛車銀ちゃんに乗り換えてまだ長時間を車内で過ごしておらず、気持ちがウズウズ…
でも、銀ちゃんはキャンピングカーでなくて福祉車両なので初めは全くお泊まりに適さない状態
バンちゃんで実感した必要なもの、あまり必要でないものを踏まえ色々と自粛中に車内Diyしてきました。
だから、実際に車内で過ごす日が待ち遠しく

実際に過ごして分かることもあるかなねー

今回の決断は県を跨ぐ行動自粛が解除になり、お世話になっているお医者さんにも人混みに出ずにドライブ程度なら大丈夫…と言う誘惑が決め手で計画実行
私たち親子がくるま旅に出掛けることでリフレッシュしたり『車中泊=避難訓練』をとても理解してくださっているもので
ありがたいことです

今回はお試しのようなもの。
メンツは琉さん、くるみさん、母ちゃん…
父ちゃんごめんよ
秋に家族でおでかけする前にいろんな意味で予行練習してくるね
っと言うことで、今回も首都高速を運転しなければいけなーいっ大丈夫なのか
朝イチで琉さんの訪問リハを終えて支度してお昼ごろ混まないうちに出発


無事に首都高速を過ぎ、ポツポツと雨が降ってきました。
談合坂SAでちょっと休憩
チラッと母ちゃんだけで施設内を覗くと…
がら~ん…
フードコートのお店も少ししか営業していないので人が少ない。
ん?これはチャンス
お土産屋さんは通路が広くないし人が多いと車椅子の琉さんと一緒ではまわりにくい
ついつい、遠慮してしまう。
今回は琉さんにとってはラッキーかも
ってことで急遽、琉さんも車から降りてお買い物。
どれにしようか~ってお土産選びが出来ました



母ちゃん、お腹すいたなー

いいもの見つけた



豚まん
お肉がゴロッと入っていて、生地の表面はパリパリ
めちゃくちゃうまーい

せっかくの絶景を観ることが出来ず天気は最悪ですがちょこちょこと気分が上がることがあれば、旅は楽しい
思いきって出てきて良かった

17時過ぎ目的地
道の駅南きよさとに到着。
ここはRVパークも5台分あり、有料ですが利用も考えたのですが受け付け時間に間に合う自信がなく間に合えば…と言う感じで向かいました。
5月は鯉のぼりがたくさん泳いでいるそう。
池があったりドッグランがあり琉さんとくるみさんと遊歩道を楽しむ予定でしたが…
家を出る前に見た現地の天気予報は甘かった
本当に雨がザーザー
さて、琉さんを助手席から後ろの自作ベッドに移動させなければ
どうしても一瞬、車外を通過
でも、大きくなった琉さんを出来るだけスムーズにベッドに移乗するイメトレと動線は準備万端デスっ
そんな私たちの様子を見つめる視線…
人に慣れているらしく近くまで寄ってくるかもさん




や~っと落ち着いて来た頃
コツコツコツ…
コツコツ…
車のまわりには誰もいない…雨音ではなく下から聞こえる…無気味な音。
おトイレに行こうと外に出るといつの間にかかもが足下に
あの音はお前さんか~い
銀ちゃんをつつかないでおくれっ

母ちゃんの夕飯は現地のスーパーで買ってきました

カンパーイ
ノンアルコールですが

ちょうど睡眠リズムが逆転している琉さん
でも、日昼は起きていることも多かったので眠ったり目覚めたり、雨音でテンション上がっちゃったり
最近は呼吸状態がとても良いので快適そう。
車内は湿気が多くちょっと動くと蒸し暑くなるけれど扇風機で空気を循環してひんやりマットとひんやりケットでちょうど良い
バグネットと換気扇は大雨のせいで使えなかった これは改善策考えよう。
駐車場は少し傾斜になってるかな?私たちはあまり気にならなかった。
駐車場より高い位置にある道路に大型車が通る度に地響きと微かに揺れ…雷かと思った
神経質な方は気になるかも。


朝です
相変わらずの大雨です


やれやれ…

今日はおにゅーのシャツです
気分を上げていきましょー

かたつむり、久々に見た
かわいいね



ケーブルカーの乗り場の下見
今回はこの雨だし諦めました。


信玄ソフトGET
琉さん、信玄ソフトはとても気に入ったみたい
一滴もお口から溢すことなく上手に食べました


おいしーーー
お野菜も買ったし、信玄ソフトを食べたあとで次の目的地の道の駅はくしゅうに

道の駅南きよさと、晴れていたらたくさん楽しめたと思います
ひとつだけ気になったこと。
ある方のコメントにもありましたが…おトイレが汚かったです
でも、これは使用する人のマナーに問題があると思います
公共のものです、キレイに使いましょう。
個室の全角にクモの巣
大量のクモが…大家族
自然を感じました


来ました


南アルプスの天然水、お水が美味しい

で、ここ
以前来た時にお休みだったので今回はちゃんと調べてリベンジだったのに
大雨につき休業ですって
かき氷食べたかったな…

しゃーない
土曜だし混む前に帰ろー

帰る頃になって雨がやみました。
途中の境川SAでトイレ休憩





くるみさん、今回はお散歩もろくに出来なかったね
銀ちゃんが気になるの?

帰りの道中、琉さんはエンジン音や母ちゃんの声かけにめっちゃウケてました
もっと、山道も走りたかったのですが今回はここまで。

電源については大型ポータブル電源とサブバッテリーで充分足りました。
必要な程度の設備は準備が出来ていましたが改善や付け足したいことありました。

証明をもう少し明るくした方が快適かなぁとか
テーブルの使い勝手とか
また少しずつ改良改造していこう

いつか、やりたい目標
出来れば災害対策で使われることなく…
連泊でくるま旅、琉さんと各地の日本の端っこまで
行きたいな





琉さんの軌跡 出生

2020-06-19 10:45:31 | 障害者の諸事情
2019年11月
琉さん二十歳になりました。
重度の障害がある琉さんはこれまでの20年間、どんな生き方をしてきたか...
ある書類の提出がその生い立ちを振り返るきっかけになり、じっくりと思い出してみようと思いました。
少しずつ息子の人生を書いていこう。

琉さんは1999年11月14日に早産、超低出生体重児(在胎24w3d、628g)で生まれました。

生まれたその瞬間、私は正直幸せ一杯の画に描いたような喜びを感じませんでした。
初めての出産、早くその時が来てしまい医師には無事に生まれても生存率はかなり低いことを告げられていたので
何が何だかどうしてよいのか...自分がどんな感情でいるのかさえのかわからない状態でした。

生まれてきた我が子の姿を見たのは
仕切られたカーテンが奥の窓の光でまるでスクリーンのようになり
手のひらに抱かれる我が子がそのスクリーンの前を横切る姿。
一瞬
その体は濃い茶色の一つの塊に丸と4つの棒がひょろっと生えていて...豆粒がひとつ…
男の子でした。
息子はそのまま医師に連れていかれ処置を受けNICUへ
私は急な出産のため産婦人科のベッドが空いておらず婦人科の病棟へ運ばれました。

さっきまで自分のお腹の中にいた命がそこにはいなくなった。いまどうしているのか
私の赤ちゃん。
息子に会いたい。
とても不安だけど…でも会いたいと思いました。

NICUに息子に会いに行く。
しっかりと手を洗い、医療用ガウンとキャップを着け体験したことのない緊張感
やっと息子に会える
怖い、でも期待もある...
そしてちゃんと生んであげられなかった罪悪感。
でも、とにかく会いたい!触れて生きている温もりを感じたい。

看護師さんに誘導され息子の保育器の前に行くと
手のひらサイズの小さい体からいろんな管や線が繋がっていました。
まだ、スクリーンに映るシルエットのような姿しか見ていなかったので
良かった。目も鼻も口も指もある...そんなことを思ったのが第一印象でした。




使い捨てカメラでフラッシュなしで撮ったのできれいな写真はないですが(^-^;

息子は呼吸の際に肺胞から分泌される「肺サーファクタント」が十分に作られず呼吸状態が悪く「呼吸窮迫症候群」を発症していました。
そのため「人工肺サーファクタント」を補充し人工呼吸器を使用していました。
心臓、血圧低めで不安定のため昇圧剤を使用し、動脈開存症や黄疸の治療も行っていました。
面会のたびに機械のアラームがなり、看護師さんが飛んでくるんです。
「よっしー呼吸さぼっちゃダメよ~」って人差し指でお尻を軽くペンペン。
母は恐る恐る保育器の小さな窓から指先で我が子に触れて声を掛けることが精一杯なのに。

精神的に辛い
気持ちの余裕なんかない
笑顔でいてもいっぱいいっぱい
いつでも崩れ落ち、人前でも大泣きしそうな毎日でした。
こんなに近くにいるのに母は何にも出来ない。
お世話をすることも
命を繋いでもらっていることも
ただただ見ているだけ。
看護師さんは面会時間外の私が見ていない時間の息子の様子をたくさん話してくれる。
「お口の管が取れたから泣き声が聞けますよ」
とてもありがたいことです。
なのに家に帰って見る夢は看護師さんが私の目の前からさっと私の子を連れて行ったしまう...私の赤ちゃん連れていかないで…
夢の中で胸が苦しくなり息が出来なくなって泣きながら目覚める、そんな夢をよく見ました。
現在でも忘れた頃に見ます。
なんでかな…

毎日病院に通い面会の日々
なんか、とにかく人前で泣かないようにしようと思ってました。泣き虫なので。




管が取れ身軽になった頃に眼科に掛かることもありました。「未熟児網膜症」の為、網膜光凝固術というレーザー治療を行いました。
小さい体で治療をとっても頑張ってきた姿にその時はたえられず母は涙しました。
いっぱい痛い思いをさせてゴメンね。
自分を責める。

同時に身軽になったことでたくさんの幸せが訪れました。




抱っこは出来ないので保育器の中で
絞って持ってきた母乳をお口から飲ませてあげたり




保育器から出てステンレスの桶で入浴に立ち合ったり



そして、念願の抱っこしたり...
家族3人の写真を撮ったり

お口からミルクを飲み始め、体重も1000gを超える頃はたくさん触れ合えるようになりました。



やはり母になった幸せは自分の胎内から生まれた温もりが自分が生きるこの世界でもちゃんと温かいままでいられてるか肌で感じること。
お世話すること、泣き声、匂いを感じること。
触れれば触れるほど愛情がまし、何があっても離れたくない絆が芽生える。




この子にもっともっと必要とされたい。
もっともっともっと、それに応えてあげたい。
本当に生まれてきてくれてありがとう。
たくさんの辛いことを乗り越えて生きていてくれてありがとう。





NICUから新生児科に移り約半年後にやっと自宅に帰ることが出来ました。

当時は主治医にその都度、病状などの説明を受けていたと思うのですが日々、理解することが難しくてとにかく生きて!と思うことが精一杯。
退院後、母子手帳に書いてあることを見るのですがそこでもあいまいな理解でしかなかったです。
当時はインターネットとか便利なものなかったし。。
それに、息子がおうちに帰ってからの生活もそれはそれは平坦ではなかった。
赤ちゃんがいる家庭はみんなそうって思っていたけれど、育児雑誌に載っていない育児との奮闘がこれから始まるのです。






『前向きな自分』について語った思い出

2020-06-05 11:33:55 | 障害者の諸事情
2018年7月
重心さくらの所長から職員さんの研修会で何か話してとお声をいただき、テーマとかは何でも良いと…そこはかなりのむちゃぶり(笑)

何がいいかなーって思っていたのですが
当時、周囲の人にありがたい言葉を良くかけていただいていたのでいま、一番のテーマと思い『前向きな自分』をお話のテーマとしました。
こんな貴重な時間は自分では経験がないのでどのように話せばいいのかと悩みましたがちょっとした図を用いて見取り図のようにして出来たらいいなと思い作ってみました。





作成中は文章を簡潔にまとめるのが難しくて
頭ん中がマーブル状態
伝えたいことが多すぎてまとめきれず
口頭で話そうとカンニングペーパーも準備(笑)
人前で話すと頭ん中が真っ白になるから






読み返すとダメダメだなぁ…
表現の物足りないところいっぱいある。
自分が身振り素振りを交えて話そうとしているところ、あえて強調しているところ(特に父ちゃんへの愚痴)
ちょっと、笑いを取ろうとしているところ…
あぁ、思い出します(笑)
お恥ずかしい


人はそれぞれなんで考え方の違いはあると思います。
他人の考え方に対してほとんど否定はしません。それぞれの生活環境や好みや理想とすることに同じものはないと思うので。
自分の考え方を強要なんてとんでもない。
私は私の生活環境や人生の経験によって生まれた考え方で『満足』しています。
だから前向きでいられる。
満足していると余裕が出来て笑顔で他人にも寄り添える。
そんな自分、どうして、どんな経緯でこうなったのかを息子の生い立ちも交えて少しだけ語りたいなと思いました。
この先、新たな発見があれば自身に取り入れもしかしたら進化するかもしれません。
その、一歩前進はそれ事態が前向きであるのかなって思います。

こんな私ですが
どうぞ、これからもあたたかく見守っていただけると幸いです。