「私は私が着る服ではなく最も理想的な人のための服を作る。」
とっても、素敵なことば・・・
ドンくんが好きな韓国のデザイナー、ウ・ヨンミさんのことばです
「 私が女性デザイナーというのは限界でなく長所だ。」
きっと、素敵な服を作られるんでしょうね・・・
新しい服を買うと心がウキウキ~
着心地の良い服を着るとゆったりした気持ちになれる~
きちっとした服を着ると心が引き締まる~
洋服って大事ですよね!!
2002年ソリッドオムのデザイナーウ・ヨンミ初めてのパリコレのカン・ドンウォン
‘相続者’デザイナーウ・ヨンミ“韓国男性に服を選んで着る権利を戻さなければ”
2013.12.14 翻訳サイト使用
http://news.khan.co.kr/kh_news/khan_art_view.html?artid=201312141635221&code=100100
紳士服デザイナーウ・ヨンミ“私は私が着る服ではなく最も理想的な人のための服を作る。 トレンドは意識しない。 私の心の中の男性は年を取らない存在. だから、私が女性デザイナーというのは限界でなく長所だ。”
国家情報院のコメント、チャン・ソンテク粛清で国全体が揺れても、景気が不況といっても、人々は毎日服を着てご飯を食べて寝る。
特に最近のように忘年会や各種集まりが多い時はネクタイ一つにも気を遣って思い切って服を購入する。
紳士服ファッションデザイナーウ・ヨンミ氏は自身の名前より派手な顧客の方が有名だ。 イ・ビョンホン、カン・ドンウォン、スーパージュニアのチェ・シウォンなど韓流スターはもちろん最近放映されたドラマの、イ・ミンホとキム・ウビンが彼女の服を着たおかげだ。 スターではないが財閥会長や報道機関代表、教授の中にも彼女の常連が多い。 ロッテ百貨店の資料によれば中国観光客が最も多く購入する男性服はウ・ヨンミの‘ソリッドオム’というブランドだ。
30年の間男性服を作って国内で初めてパリ衣装協同組合正会員でもある彼女に会って服をきちんと着る方法、韓流ファッションの未来、何より韓国にはなぜおしゃれな人が珍しいのかを尋ねた。
<相続人>の、イ・ミンホ、キム・ウビンは20代だ。 50代半ばの女性が若い男性のための服を作るのは難しくはないか。
“私が女性だということが大変重要だ。 一人の女性としての私は確実に年を取って、好みも変わって、物忘れも増える。 だが、私は私が着る服でなく私が最も理想に考える男性を思い描いて彼のための服を作る。 トレンドは別に意識しない。 今頃私の男はこういう服を着れば素敵だろう、今日はこの男にこのような服を着せたいと考えて作る。 私の心の中の男は永遠に年を取らない存在だ。 それで私が女性ということは限界でなく長所だ。 女の観点で見ればはるかに微妙なディテールをよく生かすことができて、男たちは意識できない男性美をよく表現することができる。 おかげでイ・ミンホ氏が着た服は完売し続けてずっと再生産中だ。”
理想のタイプもあまり変わらない。 一時は植物性男性が良いが年取れば油っこい動物性に変わったり….
“個人的に理想的な男性はギリシャ・ローマ時代の胸像に現れた男性だ。 ダビデ像などを見れば男性のオブジェがはるかにすてきだ。 女性は胸とお尻のボリューム感が強調されるだけだが男性のからだは腕と足などの小筋肉などはるかに動きが繊細だ。 そして当時ギリシャ男性たちは年輪と徳望が高い年上の男性たちから真の男性に成長する過程を習って顔にも成熟さが伺える。 からだだけでなく芸術を理解して多様な趣味で自身を成長させる男性が理想だ。”
トップスターやおしゃれな人がウ・ヨンミの服に熱狂する理由は何か。 個人的な親交はないのに。
“私の服が表面上はやわらかいが着ればあまり弱く見えないで、さりげないおしゃれするを出すことができるからではないだろうか。 チェ・シウォン氏の場合には韓国デザイナーの服を着なければならないという一種の愛国心も作用するようだ。 海外マスコミとのインタビューが多い彼らが自身が着た服のブランドを尋ねられた時誇らしく韓国デザイナーの製品というらしい。 50代以上の中年男性たちも正統背広ではないながらもとてもカジュアルでもなくて若く見られるので購入するという。”
最も記憶に残る顧客は誰か.
“私は私のデザイン室や地下にある作業室にだけいて季節が変わるのも分からなくて、誰が服を購入して着るかも分からない。 常連と食事をすることも全くない。 ドラマや映画に出演する俳優が衣装協賛を依頼してきても職員が処理する。 ただしはじめの頃会った歌手イ・スンチョル氏は記憶に残る。 ビジュアルに本当に多くの努力をするイ・スンチョル氏は本当に持って生まれた芸能人の才能あふれる友人であった。 今は中年歌手で非常に上品になったが20代当時には‘先生がスカートを作っても着ます。 ひとまず飛ばなければなりませんから。 私の前でみな感心する服を作ってください’と注文した。 パク・チャヌク映画監督も監督としては服に関心が多い方だと記憶に残る。 この前行事の時会ったが当時着た服もソリッドオムと言ってうれしかった。”
男性服を作るのに最も大きい影響を及ぼした人は誰か.
“建築家だったお父さんだ。 この前亡くなったが、お父さんの衣装だんすは私にはおもしろい箱のようなものだった。 お父さんは服に命を賭けて、スタイルに命を賭けて、財産を使い果たしても服を買うそんな方だった。 思い出すお父さんの服ではクリント・イーストウッドがでも着そうな革のダブル コートをはじめとしてスエード サファリ ジャケット、ニット ネクタイ、ジャカード セーター…. 当時男たちはみなそう着るものと思った。 靴がすりへればかかとを切って男性用スリッパを作って履いたりもされた。 服だけでなくライフスタイルも格別でした。 朝起きればローブガウンを着てロッキング チェアに座ってパイプを吸われて、ドリップコーヒーをおとすのがお父さんの朝の最初の日課であった。”
韓国男性たちの装いに対する評価が気になる。
“最近、ファッションに関心が高まって女性服より男性服がさらに発展している。 ただしまだ残念なのは洗練されて自然に服を着る男性たちが珍しいということだ。 その理由は絶対に韓国男性たちのスタイルが悪かったり顔がぶさいくというわけではない。 自身によく似合って、気に入る服を選んで着てみる機会と権利を剥奪されたためだ。 幼い時はお母さんが、結婚しては妻が選んだ服をただ受け取って着て、自分の身体の長短所を把握することもできなくて、自身のスタイルを作ることもできない。 明け方から夜遅くまで一生懸命仕事をして月給をそっくり妻に捧げる大韓民国の男性たちに少なくとも服を何着かだけでも自分が願うものを選んで着る権利を与えなければなければならないと考える。 高価格なブランドでなくセールコーナーの服でも自身に似合う服を着ればおしゃれな人となる。 お金と時間と感覚を投資した内面の空白を埋めることが重要だ。 服を選んで着る権利を剥奪された韓国男性が本当に哀れだ。”
男性たちが服を着る時最もたくさんする失敗は何か.
“失敗も時代の変化により変わる。 以前は背広スーツに運動する時に履く白い靴下を履いたりベルトの代わりに使うサスペンダーをしてまた、ベルトをすることが多かったがこの頃はあまり見られない。 ところで最近はとても過度に着飾る失敗をする。 ネクタイの場合、宝石装飾が付いたものは絶対に避けなければならない、ワイシャツの手首の部分に自身の名前イニシャルを刻むのもとても誇示的に見える。 最近、放送に出演する男性たちが皆パーティーにでもきたように蝶ネクタイを多く着用するのもそうみえる。 真のオシャレは自分自身のからだと好みをよく理解する人だ。 ところで最近韓国男性たちのファッションは多分全世界で最も速い速度でアップグレードされているようだ。 いつからこのように感性が深くなって大きくなったかと思うほど、感度面でも驚くべき発展をした。 かえってファッションデザイナーがその速度感に追いつくことができないという恥辱感がするほどだ。”
現在の韓国デザイナーでは唯一10年目パリ コレクションに参加している。
“2002年に初めて参加した。 43才で新人デザイナーとしてファッションの本場に挑戦した。 韓国ではソリッドオムというブランドは結構有名だったがパリで、それも韓国の名前ウ・ヨンミというブランドで勝負をするのは無謀な挑戦だった。 ところが現地のファッション評論家が‘新人だというが新人の服でない。 すぐに飛びつけ’という好評をした。 それで売上額が100億ウォンやっと超えた時期に20億ウォンをかけてフランス、パリに単独売り場を開いた。 ややもするとパリ売り場が上手くいかなければ韓国本社まで危うくなる危険な決定だった。 しかし‘夢’という一つの目標があったしパリ売り場の認知度を基に結局パリ衣装組合正会員になった。 時には定規で測ったように正確な計算をしながら生きるということより夢見て無謀に飛びかかる器も必要だ。”
韓国人最初のフランス ファッション組合正会員になった。 どんな意味か。
“2011年に正会員資格証を得た。 パリ ファッションウィーク期間中にコレクションを見せるためには必ずこの資格が与えられるべきで、ファッションの本場であるパリで韓国人で唯一この資格を与えられたことは個人的にすごい光栄と考える。 また、毎シーズン パリ ファッションショーを通じて世界有数のブランドであるディオール、バレンシアが、ケンゾー、プラダ、そしてラプシモンなどの有名デザイナーとともに肩を並べて競争できるとのことも大きい自負心だ。 正会員になればパリ ファッション コレクション期間中に良い時間帯にショーができる権利も与えられる。 いくら立派な作品を作ってもバイヤーやファッション関係者たちがこなければ空しいが、主な時間帯にすればマスコミにもさらに多く紹介されて海外バイヤーの購買も増える。 韓国のデザイナーとして韓国の後輩に世界の舞台で彼らが行ったことのない道を開くのも使命感と考えている。”
現在の国内のソリッドオムとウ・ヨンミ(WOOYOUNGMI)は売り場規模はどうなのか.
“ソリッドオムの場合、国内19のデパートに入店していて、WOOYOUNGMIの場合、全世界34のデパートおよび編集売り場に入店している。 来年には英国ヘロデデパートをはじめとして主なデパートに入店する。 セビリアなど本格的な背広の宗主国、それも非常に難しい審査を経なければならない英国高級デパートで服を売ることになって本当に感激だ。 現在日本、香港などにも輸出するが2014年には中国市場にも積極的に攻略する計画だ。 中国のGQ、エスカイアなど男性ファッション専門紙では毎月ウ・ヨンミ ブランドの服がファッショングラビアに出てくる。 広告をすることも、特別なマーケティング戦略を持つこともなくてデザイナーもやはり隠れているがファッション専門記者の共感のおかげでしばしばマスコミに出るようだ。 私は何年か前に作った服をよく覚えていないのに中国ファッション紙編集長に会ったところ‘先生の2007年作品である色々な服は…’としながらコレクション全体に通じていて驚いた。 少しでも韓流ファッション発展に貢献できるならうれしい。”
いくら数百億台の売り上げを上げて世界の舞台で知られてもファッション業界にも大企業の圧力があるのではないか。
“一番大変な部分がそれだ。 大企業はこれまで国産ブランドを作って国内デザイナーを養成するより容易に海外ブランドを輸入・販売してきた。 デザイナーが集まったデザインハウスという概念がなくてただ外国服を選んでくるMDだけある。 ところで最近大企業が国内ブランドを作って、私たちの同じ中小ファッション会社がとても努力して育てたデザイナーをチーム全体に引き抜く場合が多い。 大企業ならば全世界を相手にするグローバル ファッションビジネスに主に力を注がなければならなくて、数多くの国内被服学科出身新入社員を公開採用して彼らを育成して世界的なデザイナーに育てなければならない。 強大な資金と世界ネットワークがある大企業なら可能なことだ。 ところがインターン社員から始めてボタン付けからパターンデザインまで数年の間数多くの時間とお金をかけて育てた人材を‘大企業社員にしますよ’と連れていけば中小企業はさまよう。 おかげで‘デザイナー士官学校’という名称は得たがとてもくやしくて苦しい時が多い。 また連れていったデザイナーをうまく成功させれば良いが結局長く続かなくてさらに残念だ。”
今後の計画は何か。
“ひとまず来年は本格的な海外市場進出を計画中だ。 これまでソリッドオムとウ・ヨンミという二つのブランドで店舗とショーを運営してきたが二つのブランドの相乗効果を出して、世界的な芸術家との協賛も推進中だ。 率直に男性服以外には何の関心もなくて他の夢もない。 ただし韓国男性たちのファッション発展のための機会になるならば韓国軍服をデザインしてみたい。 2次大戦時のトレンチコート、空軍ジャンパー、夜商だと呼ばれるカーキジャンパー、ダッフルコートなどは全て軍服から始まった男性ファッション アイテムだ。 最も若くてファッションにも感覚が発達した20代青春男性がとても退屈で画一的な服だけを着るのも残念だと考える。 それで本当に洗練されてすばらしい軍服としての機能性を最適化した軍服を作ってみたい。 ひょっとして分かるのか。 素敵な軍服に対するロマンで軍に入隊しようとする男性たちが増えるのか….”
‘隠されたデザイナー’という評を聞いてマスコミ露出を敬遠するウ・ヨンミ氏はその黙々として愚直なことで世界男性服市場にそびえ立った。 ファッションに関連した政府機関の協力も望まないで大企業の助けも期待しなかった。 ただ一生懸命に仕事をする中小企業に彼らが足払いをかけないことを願った。 いつもぶつぶつつぶやく一部男性たちよりさらに度量が大きい女性だ。