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「あー、今日も何もない。」
そんな日が続いている
今の楽しみは、「群盗」の日本公開
群盗記事を掘り起こしてみよう
韓国公開のころは、一気に記事があふれて追いつけなかったなぁ
[インタビュー] ‘群盗’カン・ドンウォン、このように美しい悪役とは
【過去記事】2014.7.27 翻訳サイト使用
http://star.mk.co.kr/new/view.php?mc=ST&no=1034290&year=2014
俳優カン・ドンウォン(33)が23日(2014.7韓国)封切りした‘群盗:騒動の時代’(ユン・ジョンビン監督)で故郷に錦を飾った。 4年ぶりのカムバック、これまでのどの時より全てのものを注ぎ込んだ作品だ。
最近三清洞(サムチョンドン)のあるカフェで会ったカン・ドンウォンは“私が生きていることを感じる時間だった”として“最善を尽くしただけ作品がよく出来て満足だ”とした。
今回の映画で悪の枢軸‘チョ・ユン’を演技した彼は“能動的に悪行を犯すという点で前作の悪役キャラクターとは違った”と説明した。 それもそのはずきれいにアイロンをかけた礼服を着た‘チョ・ユン’の目つきには悪が渦巻いていて、顔には毒気がいっぱいだった。
‘チョ・ユン’はお父さんに認められることが出来なかった庶子の一を抱いている。 特有の深くて大きい目はこのような内面を表現するのに十分活用された。 塗布のすそをひるがえして長剣を振り回す彼の姿はクールながらも憐憫が感じられた。
流麗ながらも魅惑的な剣術の実力はこの映画の観戦ポイントの中の一つだ。 撮影前から4月間剣術訓練に通って、一日に何百回家とアクションスクールを行き来して木剣を振り回した。 ハ・ジョンウさえ“(カン・ドンウォンが)とても熱心にして私の手にあまるほどであった”として舌を巻いた。
それでも物足りなさが残るようだ。 “終了が惜しかった。 もっととりたかったのは初めてだった”として“私が観客の期待感を満足させることができるか負担がある”と打ち明ける彼だ。 撮影が終わった後いきなり涙を流したのもこのためだったという。
‘群盗’はカン・ドンウォンに色々な面で意味深い作品だ。 自らも“30代初の作品で、1幕をたたんで2幕を今はじめる段階”と話した。
-撮影して描いた絵と完成された映画を見た時感じが似ていたか。
“ほとんど似ていた。 もう少し力があったら良かったような気がする。 1次編集終わっても見て、個人的にキャラクターがもう少し恐ろしければと思う。”
-封切り後何度ももっと見る計画なのか。
“映画はもっと見ないようだ。 普通一二回のほか見ない。 今回はたくさん見てうんざりする。 これ以上見たくない。”
-久しぶりのカムバック作で負担感もあるようだ。
“事実興行は損益分岐点を越えれば出演俳優として安心する。 今回は越えそうで興行に対する負担より期待感に対する負担がある。 ‘私が観客の期待を満足させることができるだろうか’そのような悩みだ。 人々が‘千万は行く映画’というと行かなければ何か間違った感じがするのと同じだ。 私たちの映画は休みシーズンでブロックバスターなので興行に対する負担を感じるほかはない。 最善を尽くしたし、映画がよくできて満足する。 監督は‘千万越えなければ一ヶ月間家から出ない’と冗談半分本当の話半分で話している。 千万越えれば私達でハワイに行こうと約束した。 越えなくても行くことにした。 本当に行くことができるかも知れない。”
-映画で唯一カッコいいビジュアルを担当した。 撮影期間中に美貌管理はしたか。
“全く! 一度も神経を使わなかった。 山の中で肌の管理をすることはできない。 顔がよいというスタイルでもない。 そしてビジュアル担当ではない。 監督が‘すばらしいチョ・ユンならば良いだろう’と注文された。 そのまますばらしい担当だった。”
-すばらしいチョ・ユンはどのようだと考えるか
“優れた実力だ。 群盗の輩を制圧するのですばらしくなければならなかった。 ここに焦点を合わせて4~5ヶ月間準備した。”
-今回の作品はどのように選択することになったか。
“キャラクターは当然良いシナリオに明確にあらわれるものだ。 シナリオが出てくる前に監督に会った。 監督の作品の中では‘犯罪との戦争’しか見られなかった。 監督があるインタービューで‘カン・ドンウォンとしてみたい’という話を伝え聞いて酒の席を提案した。 その後監督がシナリオ作業に入った。 他の欲はないのに良い作品欲は多い。 殴られて死ぬ役でも良い役をすれば良い。”
-その時‘群盗’の話を交わしたか。
“監督はもともと他の作品をしていた。 ‘このようなアイテムがあるが次に一緒にするのはどうか’ ‘悪役でも大丈夫なのか’ ‘ドンウォンさんがトチをするにはジョンウさんがあまりにも山賊ではないか’と尋ねられた。(笑い)私が‘そんなことの何が重要なのか。 関係ない’でした。”
-カン・ドンウォンに対するファンタジーを持っている監督が多い。 ポン・ジュノ監督もそうだった。
“ポン・ジュノ監督は作品を与えてくださった。(笑い) (私が)大衆的なイメージが良いかどうかは分からないが、業界では良いようだ。 私は想像するより本当に熱心にする。 ほとんど映画にオールインして生きる俳優のうちの一人だ. このような姿勢や態度を伝え聞いて良いようだ。”
-オールインした作品なのに撮影を終わらせた後で後遺症はなかったか。
“後遺症よりは物足りなさが大きかった。 もっととりたかった。 キャラクターに没入もたくさんしていた。 監督や兄たちと酒を飲んで物足りなさを解消した。 もっととりたかったのは初めてだった。”
-アクション演技をする時どこに重点を置いたか?
“慈悲がなくて極悪非道だ。 力があってはやいアクションだ。 塗布がひるがえると視覚的に優雅に見えるが絶対そうではない。 とてもはやくて節度あるアクションだ。 衣装が違うものだったら感じが完全に違っただろう‘デュエリスト’の時は刃物を持つことがなくて、現代舞踊だけした。 今回は4ヶ月前から剣道と正式に剣を使うことを練磨した。”
-今回練磨した剣術の実力が惜しくはないか。 違うものにも挑戦してみるつもりはあるか。
“違う。 これで満足する。(笑い)資格の欲はない。 私は満足した。 あまりにも訓練をたくさんして剣に対して満足した。 次にまた剣を使う役をすることになったらその時役に立つようだ。 だが、その時はまた違うように表現しようと努力するだろう。”
- ‘デュエリスト’でもアクションをした。 いつからアクションに関心を持ち始めたか。
“‘オオカミの誘惑’もアクションシーンで代役を使わなかった。 その時肋骨にひびが入った。 ‘デュエリスト’の時は剣術練習を全くしなかった。 舞踊の練習だけした。 今度は基礎練習だけで二ヶ月程度した。 力と速度が重要だった。 幼い時から運動が特意で好きだった。 自信があった。 役が与えられれば最大限の力量を発揮しなければならないためだ。 例えば、海外移民者役を担えば英語も移民者の水準でしなければならない。 アクションもそのうちの一つだ。”
-それでもアクション演技をする時は楽しく見える。
“(少なくとも)英語を話すよりははるかに楽しい。 移民者役を担うならば多分狂ってしまうようだ。(笑い)言語的でも文化的でも時間が途方もなく必要なためだ。 事実アクションよりこういうものがはるかに大変なようだ。”
-対称点にあったハ・ジョンウとの作業はどうだったか。
“性格からすべてのことが違っておもしろかった。 今後作品たくさんしようという話をした。 たびたびありはしないかと思う。 すべての俳優は良い意味の競争をする。 誰でもそうだ。 昨日も‘ライバル意識’に関する質問を受けて‘違う’で答えることも難しかった。 熱心にして相手に似合うように自らの役割をしなければならない。 そのようにしてこそ映画が互角になりさらにおもしろい。 ライバル意識がないというにも、ライバルというにも曖昧だ。”
-チョ・ユンの語り口に慶尚道(キョンサンド)なまりが感じられた。 意図されたものか。
“この質問をたくさん受ける。 なまり使う人だとなまりを聞けば正しく分かる。 ‘義兄弟’ではなまりがほとんど出てこない。 この映画では北側なまりが出てくる。 北側なまりを別に習ったが慶尚道(キョンサンド)と非常に似ていた。 デビュー初めにはソウルの方言を駆使するのがあまり荷が重かった。 ますます楽になっている。”
-ソン・ガンホがなまりを本人スタイルで作ったことが思い出された。
“それにしてもソン・ガンホ先輩がそのようにしろといったが、私は嫌いだといった。 史劇となまりが微妙なものがある。 なまりと北朝鮮の言葉が微妙なように史劇もそうだ。 多様な地域出身が集まったが、なまりなのかどうか本人も区分をできない。 史劇を見て‘なまり使う’とする人もいる。 そして少しだけなまりのようならば持ち出して変えてしまう。 ‘義兄弟’の時北側語使う場面を見て脳裏にたくさん残っているようだ。”
-ますます演技が楽になるようだ。
“そうだ。 それはなまりや語り口でなく、私がたくさん楽になるからのようだ。”
-目つきの演技が深くて多彩だった。
“チョ・ユン役のポイントはアクションだ。 目つきは特に気を遣わなかった。 私が見つけたアングルで効果的な方法はチョ・ユンが頭を下げて常に傾いているように見つめることだ。 これは気を遣って作ったものだ。 チョ・ユンの主なポイントはアクションだ。 監督が強調して注文したことだ。 ロングテイク任務も受けた。 監督が違う映画と差別化するにはアクションの一つくらいはロングテイクでとりたいと。”
-ハ・ジョンウが生きてきてカン・ドンウォンのように美味しい店をたくさん知っている人は初めて見たといったよ。
“兄がまだ30代半ばだからだ。 長く生きたらもっと多く会うだろう。(笑い)私の周辺には多い。 私もみな学んだことだ。 監督に常に教えを受けて、雑誌社編集長に電話して尋ねしたりもする。 私はまだつぼみだ。 今まさに始めた段階だ。(笑い)”
-ファンたちがマグロと呼ぶ。
“そのような方たちもいて、嫌いな方もおられる。 私もこのニックネームに対して別に興味がない。 とても1次元的で商業的だ。 別に好きではない。 それでもものすごく嫌いでもない。 幼い時からたくさん聞いた。 小学校に通う時からのニックネームだ。 一番大きいニックネームは後頭部がとてもたくさん飛び出していて‘後パク’ ‘チャンク’こういうものだった。 ‘ドンウォンマグロ’は本当に小学校の時ニックネームだ。 このニックネームはブランドがあるので別に好きではない。”
-今回の作品がカン・ドンウォンという俳優にとって意味があるようだ。
“30代初めての作品だ。
100幕があるならば1幕をたたんで2幕を今はじめる段階だ。 フィルモグラフィーで見た時2幕の初めてのスタートだ。 もう休みなしに走って行くだろう。”