縄文人の反乱 日本を大事に

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「ゴミ屋敷」状態の街、中国の都市の3分の1超える

2013年08月13日 19時04分54秒 | 色んな情報
「ゴミ屋敷」状態の街、中国の都市の3分の1超える

西園寺 真湖
いやいやいや
ビックリΣ(´∀`;)
日本のゴミ屋敷とはスケールが違う( ー‘дー´)キリッ

さすが支那( ̄^ ̄)ゞ...

中国では全国の3分の1以上の都市で、ゴミが街を囲い込む「ゴミ
屋敷」状態に陥っており、ゴミ山に75万ムー(1ムーは約6.6
7アール)もの土地が使われているという。中国青年報が中国政府
の統計をもとに報じた。ゴミ処理問題を置き去りにして、経済発展
を優先してきたつけが回ってきたといえよう。(フジサンケイビジ
ネスアイ)

 人民日報など各紙の報道によると、北京市の1日当たりのゴミ発
生量は1万8400トンに達している。2.5トン車で運べば、そ
の長さは50キロ近くになる計算だ。しかも毎年、8%の勢いで増
え続けている。このほか上海市、広州市もそれぞれ2万トン、1.
8万トンの発生量があるという。

 ゴミは都市部だけでなく、農村部でも大きな問題になっている。
全国に4万ある郷鎮のほとんどのところでは、ゴミ処理施設を持っ
ておらず、生活ゴミだけで毎年2億8000万トンを排出し続けて
いる。

 健康への被害も出始めている。住民数400人余りの広東省東莞
市のある村では、過去10年間に12人が癌(がん)で死亡してい
るという。地元メディアは、この村を「癌村」と名付けて報道して
いる。http://p.tl/XtQC
 とにかくゴミの処理能力の低さが際立っている。首都の北京市で
さえ、1日当たりのゴミ処理量は1万トンちょっとしかない。約8
000トンは何も処理されていないことになる。

 ある統計によると、全国657都市の生活ゴミ処理率は91.1
%と高い。ところがそのうち20.1%は単にゴミ山に捨て置かれ
ているか、あるいは簡単に埋めただけの状態にあるという。これで
はゴミが処理されたとはいえない。土地がいくらあっても足りず、
住環境を悪化させるばかりである。

 ゴミを焼却したのちに埋めるならば、処理量は大幅に減らせる。
ところがここで問題になるのは、焼却すると大気汚染という別の問
題を引き起こしてしまうことだ。このため、実際には焼却方式は普
及していない。http://p.tl/fQiN
 日本ではいまや当たり前となっているゴミの分別回収もあまり進
んでいない。

 2000年ごろから北京、上海、広州、深センといった都市で試
験的に分別回収が導入されたが、他の諸都市にはほとんど波及して
いない。

 広東省が各種行政サービスの満足度を住民にアンケート調査した
ことがあるが、40項目のうち最も満足度の低かったのは、住宅、
就職そしてゴミ回収・処理だった。

(拓殖大学国際学部教授・藤村幸義)








義文
  日本全体のゴミ発生量(一般)は年間5000万トンですから中国の数量はびっくりするほどではない。問題なのは、日本では江戸時代から深川のあたりに埋め立てに回したり、衛生的な管理の長い伝統があるのに対し、中国の場合、産業から出る廃棄物を含め、無政府状態で捨てられている問題がある。

大東亜戦争じの日米戦力比較

2013年08月13日 17時49分10秒 | 色んな情報
大東亜戦争じの日米戦力比較


今村 裕さんが一色 正春さんの近況をシェアしました。
先日、某司会者が「太平洋戦争は絶対に勝ち目のない戦いであった」と自信たっぷりに断言していました。かように著名な自称ジャーナリストが自信満々に後付けの嘘(おそらく本人は、そう思っていないのでしょうが)を垂れ流すのはよくありません。
そこで大東亜戦争開戦時の日米の戦力比はどうであったかというと

        日本       アメリカ
              太平洋  大西洋   計
戦艦      10    11    7      17
空母      10     5     3       8
巡洋艦     38    32     5      37
駆逐艦    112   84 88     172
潜水艦     65    30    81 111...

航空機総数
       4800          5500

というものです。数字だけでは、実際の能力を推し量れないとか、兵器の性能や工業力の違いとか色々と違う視点はあるでしょうが、このように比較してみると絶対にという言葉は軽々しく使えないと思いませんか。勝てる可能性があったからどうのこうのということではなく、多くの日本人がこの事実を知らないということが、問題なのです

マッカーサー証言

2013年08月13日 15時39分22秒 | 色んな情報
マッカーサー証言

Takeo Hiranuma Supporters /平沼赳夫氏をサポートする会
Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.

戦後、日本人のマインドコントロールをしたのはマッカーサーである。...

日本が悪かったことを散々刷り込んだのです。

この問題に対して

渡部昇一先生がよく

「マッカーサーですら、日本の先の戦争の原因は主に自衛の目的であった。それは昭和26年5月3日にアメリカ合衆国議会上院の軍事外交合同委員会で証言している」

東京裁判 日本の弁明―「却下未提出弁護側資料」抜粋

東京裁判は、はたして公正な裁判だったのだろうか。

法廷に提出すべく弁護側が作成、準備したにもかかわらず、裁判長によって却下され、または未提出に終わった厖大な資料が残された。

本書は、戦後五十年を期してまとめられた、その『東京裁判却下未提出弁護側資料』のうち、もっとも重要な十八篇を抜粋したものである。

東京裁判を正しく認識し、明日の日本の展望を拓く、現代史研究に必携の史料集。

第1部 弁護側反証段階の総論
第2部 弁護側反証の一般及び個別段階
第3部 弁護側最終弁論及び付録

小堀氏の本の方が読みやすい。

この内容をNHKがゴールデンタイムに放送すれば、日本人の戦後のマインドコントロールもとれるであろう。
Strategy against Japan in world war

Senator HICKENLOOPER. Question No.5:Isn't your proposal for sea and air blockade of Red China the same strategy by which Americans achieved victory over the Japanese in the Pacific?

General MACARTHUR. Yes,sir.In the Pasific we bypassed them.We closed in.You must understand that Japan had an enormous population of nearly 80 million people,crowded into 4 islands.It was about half a farm population.The other half was engaged in industry.

Potentially the labor pool in Japan,both in quantity and quality,is as good as anything that I have ever known. Some place down the line they have discovered what you might call the dignity of labor, that men are happier when they are working and constructing than when they are idling.

This enormous capacity for work meant that they had to have something to work on.They built the factories, they had the labor,but they didn't have the basic materials.

There is practically nothing indigenous to Japan except the silkworm.

They lack cotton,they lack wool,they lack petoroleum products,they lack tin, they lack rubber,they lack a great many other things, all which was in the Asiatic basin.

They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan. Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.
第二次世界大戦における対日戦略(和訳)

ヒッケンルーパー上院議員 では五番目の質問です。中共(原文は赤化支那)に対し海と空とから閉鎖してしまへといふ貴官の提案は、アメリカが太平洋において日本に対する勝利を収めた際のそれと同じ戦略なのではありませんか。

 答 その通りです。太平洋において我々は彼らを迂回しました。我々は封じ込めたのです。日本は八千万に近い膨大な人口を抱へ、それが四つの島の中にひしめいてゐるのだといふことを理解していただかなくてはなりません。その半分が農業人口で、あとの半分が工業生産に従事してゐました。

 潜在的に、日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまでに接したいづれにも劣らぬ優秀なものです。歴史上のどの地点においてか、日本の労働者は、人間は怠けている時よりも、働き、生産してゐる時の方がより幸福なのだといふこと、つまり労働の尊厳と呼んでもよいやうなものを発見してゐたのです。

 これほど巨大な労働能力を持つてゐるといふことは、彼らには何か働くための材料が必要だといふことを意味します。彼らは工場を建設し、労働力を有してゐました。しかし彼らは手を加へるべき原料を得ることができませんでした。

 日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫(すず)が無い、ゴムが無い。その他実に多くの原料が欠如してゐる。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在してゐたのです。

 もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであらうことを彼らは恐れてゐました。したがつて彼らが戦争に飛び込んでいつた動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだつたのです。

ちなみに、同じ5月3日に、マッカーサーは

「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」

とも証言しています。

「暴力」というのは、「挑発」されていないのに、手を出す(アタックする)ことをいいます。

2013年08月13日 15時07分11秒 | 色んな情報
「暴力」というのは、「挑発」されていないのに、手を出す(アタックする)ことをいいます。

京免 史朗
いまの多くの日本人は(もしかするとほぼ100%の日本人が)、暴力はイケナイと思っています。
いかなる事情があれ、手を出した方が悪い。
なぜならそれは「暴力」だから、と普通に思い込んでいます。
ところがこれ、日本の常識、世界の非常識です。

「暴力」というのは、「挑発」されていないのに、手を出す(アタックする)ことをいいます。
相手に「挑発」されて手を出すのは、正当な「自衛権、交戦権の行使」です。
あたりまえです。
「挑発」した方が悪いからです。


ですから、頭のおかしい人が絡んできて、さんざん因縁つけられて、仕方がないのでポカリとやったら、いまの日本では、それは犯罪であり暴力なのでは?などと思う人がたくさんいますが、実は、世界中どこでも、それは正当な「生存権、自衛権」に基づき「交戦権」の行使したにすぎないと考えます。

他に例をあげるなら、たとえば武器を手にした強盗が侵入してきたので射殺したとします。
これも「暴力」にはあたりません。
正当な「生存権、自衛権」に基づく「交戦権」の行使です。

生徒がナイフを手にして暴れている。これを取り押さえるために教師が生徒を殴った。
これもこれも「暴力」にはあたりません。
教師が生徒を守るために行った正当な「生存権、自衛権」に基づく「交戦権」の行使です。
この場合、生徒を射殺したとしても、それは「暴力」にあたりません。
ナイフを手にして暴れていた生徒が悪いからです。

「挑発」を受けて、自存自衛のために「交戦権」を行使することは、ですから個人においても、国家においても、それは正当な「生存権、自衛権」に基づく行動であり、実は、世界中どこでも、正当な行為とされているものです。
それが世界の常識です。

日本がかつて東亜の諸国を侵略したという人がいますが、それこそ「言いがかり」というべきものです。
なぜなら、「挑発」を受けてアタック(攻撃)するのは、正当な「生存権、自衛権」に基づく「交戦権」の行使だからです。

支那事変・・・最近ではこれを日中戦争などと呼ぶ人もいるようですが、間違いです。当時の支那は、まだ国家として確立されていません・・・は、昭和12(1937)年に始まりますが、7月7日に盧溝橋で丸腰状態で演習しているろことを狙撃され、7月25日には廊坊駅で通信施設修理作業中のところをいきなり機関銃やら迫撃砲で攻撃され、7月26日には広安門で許可を得て通行中のところを襲撃され、さらに7月29日には、通州で人類史上他にありえないような残虐な方法で民間人223名を殺され、その都度、戦乱を防ぐために調停や和議を繰り返したのに、その和議の調印の当日に、車に乗って通行中の海軍陸戦隊の大山中尉が機関銃の乱射で殺され、ご丁寧に車内で大怪我をして瀕死の中尉を車外まで引出して、頭蓋骨を割るという、これまた極めて残酷な方法で殺害され、さらには8月23日には、上海にいるわずか2千名の海軍陸戦隊を中心とする4千名を、なんと3万の大軍で包囲殲滅しようとまでされ、やむなく7万名の上海派遣軍を出兵させています。

ところがこの時点までに、挑発を繰り返していた支那は、なんと2万ものトーチカをつくり、25万もの大軍で、日本を待ち構えていました。
最終的に、日本は支那兵を駆逐して上海を占領していますが、約3ヶ月のこの戦いで、日本は戦死者1万0076名、戦傷者3万1,866名、合わせて4万1,9424名の死傷者を出しています。

流れからすれば、これなども、誰がどうみても日本は「挑発」されて、やむなく兵を出しています。
つまり、これまた「挑発」を受けてアタック(攻撃)したものであり、正当な「生存権、自衛権」に基づく「交戦権」の行使です。

ところがこういう話をすると、そもそも日本が支那に兵を置いていたのが悪いんだ、などと言い出す人がいます。
これまたとんでもないいいがかりで、この当時、支那に兵をおいていたのは、日本ばかりではありません。
11カ国が自衛のために兵を出していたのです。
これは、ほとんど無政府状態にあった支那に、日本はいまでいうなら、国連PKO部隊のような形での11カ国が、北京議定書に基づいて、支那に派兵していたものです。

北京議定書が交されたのは、明治33(1900)年6月にあった義和団事件をきっかとしたもので、
この事件では、その教義を学べば斬っても突いても銃で撃たれても死なない身体になるという、いまでいうカルトのような義和団20万の大軍が、北京にあるたった11カ国の外国人公使館925名を襲撃したという事件です。
925名のうち、戦える兵力は、義勇兵まで合わせてたった481名だったのですが、日本人、柴五郎陸軍中佐らの活躍によって、55日の激戦を絶えぬき、ようやく援軍を得て、公使他多くの命が助かったというものです。

これなども、外国公使館を、一方的に襲撃されたわけで、事件後、ドイツなどは数万の兵を支那に派兵して、一方的かつ徹底した義和団の残党狩りと報復を支那全土で行ない、ロシアは満州に進駐して勝手に満州を事実上領有化していますが、そうしたことも国際的には、まったく「侵略」とも「暴力」とも呼びません。
なぜならそれらは、「挑発」を受けて対応したものだからです。
この場合の対応も、正当な「生存権、自衛権」に基づく「交戦権」の行使です。

つまり、「挑発」を受けて「攻撃」(アタック)するのは、侵略でもなければ、もちろん暴力でもなく、それがたとえ外国の領土内のことであったとしても、正当な自衛権の行使にあたるというのが、世界における普通の考え方だ、ということです。

繰り返しになりますが、さんざん「挑発」されて、やむなく反撃することは「侵略」とはいいません。
ですから「侵略」は、「Un Attacked」です。頭に「Un」が付いています。

日本は、支那事変において支那国民党や支那共産党からさんざん挑発行為を受けて、やむなく立ち上がりました。
ですからこれは、挑発されてアタック(攻撃)したのですから、正当な行為であって「侵略」ではありません。

同様に、日本は米国等からさんざん挑発を受けてやむなく、大東亜戦争を開始しました。
永野修身(ながのおさみ)海軍軍令部総長は、開戦前に次のように述べています。
=========
政府側陳述によれば、アメリカの主張に屈服すれば亡国必至であるとのことであったが、戦うもまた亡国であるかも知れない。
すなわち戦わざれば亡国必至、
戦うもまた亡国を免れぬとすれば、
戦わずして亡国にゆだねるは身も心も民族永遠の亡国であるが、
戦って護国の精神に徹するならば、
たとい戦い勝たずとも祖国護持の精神がのこり、
われらの子孫はかならず再起三起するであろう。
統帥部としてはもとより先刻申したとおり、あくまで外交交渉によって目的貫遂を望むものであるが、もし不幸にして開戦と決し大命が発せられるようなことになるならば、勇躍戦いに赴き最後の一兵まで戦う覚悟である。
=========

日本は「挑発」をうけて、やむなくアタック(攻撃)したのですから、これは国家としての自存自衛のための交戦権の正当な行為であって、「侵略」ではありません。

日清戦争においても、日本は清国から朝鮮半島をめぐって、さんざん挑発行為を受け、やむなく開戦に踏み切りました。ですからこれも国家として「交戦権の正当な行使」です。
日露戦争も、日本はロシアからさんざん挑発されて、やむなく開戦に踏み切りました。
これまた「交戦権の正当な行使」です。
日清、日露の戦争を、日本の清国やロシアに対する侵略行為だなどと主張する馬鹿者は、世界中どこにもいません。
ならば支那事変、大東亜戦争も、まったく同じです。
日本は「交戦権を正当に行使」したのです。

ところが戦後の日本は、あらゆる機会をつかまえて、「手を出すこと自体が暴力であり、いけないこと」と教え、それを世界でまったく通用しないのに、日本の常識にしてしまいました。
大きな間違いです。

なぜそういう思想が蔓延したかといえば、「3R,5D,3S」です。
これはGHQが日本を統治する際にあらかじめ定めた日本への統治方針で、「3R」=復讐(Revenge)の念をもって日本を改造(Reform)し、日本を米国の属国として復活(Revive)させ、「5D」=武装解除(Disarmament)させて以後武装させず(Demilitalization)、財閥を解体させ(Decentralization)、民主化を促進し(Democracy)、非工業化(Deindustrialization)を促進し、民衆の抵抗を削ぐため、「3S」=スポーツ(Sports)を奨励し、セックスを解放してみだらな風潮を促進し、映画(Screen)を振興するというものです

※「3R」=Revenge, Reform, Revive
 「5D」=Disarmament, Demilitalization,
      Decentralization, Democracy,
      Deindustrialization.
 「3S」=Sports, Sex, Screen

戦後、多くの日本人のに共通する思いは、先の大戦で身内を含めてたくさんの親しい人たちの命を失い、もう二度と戦争なんてしたくない、というものでした。
ですから、こうした理不尽な政策に対しても、それはそれとして、お偉方に対応してもらい、国民自身は、とにもかくにも、二度と戦乱の起きない国づくりと国土の復興を優先しようと、誰もが思いました。

けれど、もともとが「3R,5D,3S」という、報復的意図によってはじまった体制です。
その進む先は、進めば進むほど、国家の中に歪みが生じます。

その最たるものが、冒頭の「いかなる事情があれ、手を出した方が悪い」という誤った思考です。
今日は、しつこいくらいに繰り返しますが、

「挑発を受けて手を出すのは、暴力にはあたらない」

この、あまりにも明確かつ単純な国際社会の標準的な思考を、私たちも常識として取り戻すべきときにきているということを、申し上げたいと思います。
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1977.html