縄文人の反乱 日本を大事に

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慰安婦像を設置を求められてきたブエナパーク市

2013年08月21日 20時51分58秒 | 色んな情報
慰安婦像を設置を求められてきたブエナパーク市



京免 史朗


(こんな事 男が言ったら“ヘイトスピーチ”だってんで大変ですよ!女性が声を上げる事が肝要)

慰安婦像を設置したグレンデール市と同様に、韓国系団体から慰安婦像設置を求められてきたブエナパーク市

ブエナパーク市 エリザベス・スイフト市長
「そんなことが起きたかって?そりゃあ、起きたでしょう。こんなことは人類の歴史上ずっと起きているわ。私は(元教師として)世界史も教えてきたの。一万年分の歴史を教えてきたわ。歴史なんて醜いものなのですよ。こんなこと他のどんな国でもどんな時代でも何度でも繰り返されているの。世界中の女性が何世紀にも渡って、被害を受けてきたわ…。国務省のウェブサイトに行って「人身売買」って検索して御覧なさい。( 最近のメキシコの人身売買を例に挙げて )性奴隷や人身売買っていうのは、今まさに起きている出来事なのよ!…韓国人による人身売買だって起きているの。家族の収入になるからってそそのかして10代の女の子を誘拐しては、彼女たちをコントロールするために、レイプや暴力を繰り返して脅すのよ。そして、それは今現在起きていることなの。それなら第二次世界大戦で起きてたって少しもおかしくないでしょう。それを(韓国側の主張を引用して)”こんなことが二度と起きない様に” だなんて、1秒たりとも考えるべきじゃないわよっ!…..(中略)…… 私たちの街ブエナパークは、この(慰安婦の)銅像のためだけに、特別にスペースを提供するべきだとは思わないわ…。それから設置費の3万ドルもあれば、もっと効率のいい有意義な教育方法がたくさんあるはずです。(中略)でも、この慰安婦問題を、現在の人身売買問題に関連付けて学べることがあるわ。子供たちっていうのはね…現実的に自分たちと関係がなくて、行動する手段もない様な、過去の戦争時の残虐行為なんてまっぴらなのよ!そんなことを子供たちに押し付けるくらいなら、現在生きている人たちのあいだで実際に起きている(性奴隷・人身売買などの)問題から前向きな成果を生み出す方法を考えることの方がよっぽど効果的で大切よ!(慰安婦像設置の)他にやれることはたくさんあるわ。だからね…個人的にはもうこんな議題は話したいとは思わないわ…。」 -

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【拡散】帝国ホテルが東日本大震災時に帰宅難民2000人を無償で収容したエピソード

2013年08月21日 20時36分32秒 | 色んな情報
【拡散】帝国ホテルが東日本大震災時に帰宅難民2000人を無償で収容したエピソードが凄すぎる これが日本の伝統と品格だ 

京免 史朗
【拡散】帝国ホテルが東日本大震災時に帰宅難民2000人を無償で収容したエピソードが凄すぎる これが日本の伝統と品格だ 
2ch「いい話だな。こういうのが品格」
「当時は報道されてたっけ?これは全国民が知るべき話」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
なぜ帰宅難民2000人を無料収容したのか -帝国ホテル

■6年前からの備えが当日に生きた
東日本大震災が起きた11年3月11日、金曜日。震度5の揺れがあった東京では交通網が完全にマヒ状態となり、街は約10万人の「帰宅難民」で溢れ返った。タクシーはつかまらず、道路は大渋滞。営業中の店は少なく、あっても満席で入れない。大多数の人はトイレや空腹、寒さを我慢しながら歩き続けるしかなかった。

その夜、行き場をなくした2000人の人々のためにロビーや宴会場を開放したばかりか、毛布やペットボトルの水、保存食などを無料で提供したのが日比谷の帝国ホテル東京である。当日、陣頭指揮を執ったチーフデューティマネージャー(デューティマネージャーとは、ホテル全般の苦情対応責任者。総支配人の代行を務める役職)の山本一郎は、「たまたま運がよかっただけです」と温和な笑顔で語る。

「運がよかった」というのは、まず地震による被害がほとんどなかったこと。建物の損壊は客室の壁の一部に亀裂が入った程度で、電気やガス、水道などのインフラには支障なし。これがもし、火災が起きたり天井が落ちて怪我人が出たりしていたら、逆にホテルの外へ避難してもらわなければならなかっただろう。

さらにちょうど「帝国ホテル創立120周年感謝の集い」が開催されていたため、いつもは外回りをしている50~60人の営業マンが接遇のためにホテル内にいて、人手があったことも幸運だった。

しかし毛布はまだしも、2000人分の水や保存食などは、日頃の備えがなければとっさに出てくるはずがない。帝国ホテルでは、2005年から事業継続計画(BCP)の一環として、大規模災害に見舞われた際の対策マニュアルづくりに取り組んでいた。現場の意見を取り入れるのはもちろん、阪神淡路大震災を経験したホテルオークラ神戸、神戸ポートピアホテル、ニューオータニ神戸などを訪問してヒアリングをしている。

(中略)

■「困っている人がいると、お助けしたくなる」
午後2時46分の地震発生からわずか4分後の2時50分には、総支配人を責任者とした現場指揮所を1階ロビーのフロント裏に設置。館内放送で従業員に対して状況確認を命じる。安全確認後は、お客に向けて「余震があるので、次の放送があるまでその場で待機してください」と英語と日本語の両方で指示した。地震発生から14分後の3時には社長を本部長とした災害対策本部を設置し、3時30分にはホームページで「ホテル内での怪我人なし」と発表している。

ロビーに続々と人が集まってきたのはその頃からだった。予約客がチェックインしようとしてもエレベーターが停止したままなので、ロビーで待っていてもらうしかない。その一方で、上階にいた人々は不安を感じて非常階段を使って下りてくる。予定されていた宴席の招待客も、単なる通りすがりの人々も入ってくる。そんな中、山本はロビーで立ちつくす人々のために椅子を200脚用意し、タオルと氷の入った水を提供した。

(中略)

だが話はそれだけでは終わらない。ロビーで一夜を明かした人々から、お礼の電話や手紙がひっきりなしに届き出したのである。

「われわれとしては当たり前のことをしただけ。お手紙をいただくなんて、恐縮してしまって」と山本は語る。どの手紙にも、感謝の言葉が切々と綴られていた。

いわく、“寒かったから室内にいられるだけでもありがたかったのに、お水や食料まで差し入れしてもらった”“近隣の外資系ホテルではドアを開けてもくれなかったのに、毛布を貸してくれたばかりか、毛布の数が足りなくなったら大判のバスタオルを出してきてくれた”“携帯電話の電池が切れて途方に暮れていたとき、フロントで充電してくれたおかげで家族と連絡が取れた”……。

2000人の中には、ホテルとは無関係な、いわば通りすがりの人々も多かったはずである。にもかかわらず、分け隔てなく水や保存食を提供した。

実は帝国ホテルでは1923年の関東大震災のときも、避難してきた人々におにぎりなどの食料を提供している。山本にこのエピソードについて聞いてみると、「そういうDNAがあるわけではないんですが……」と謙遜しつつこう言った。…

http://www.excite.co.jp/News/economy_clm/20130819/President_10280.html?_p=1


コメント
朝日 元 「そういうDNAがあるわけではないんですが……」 日本人の血の中にあるものが繋がったのでは。

「 みんなで飲みましょー 」1・18 果糖(フルクトース)「結晶果糖」、「万能の糖」

2013年08月21日 18時01分30秒 | 色んな情報
「 みんなで飲みましょー 」1・18 果糖(フルクトース)「結晶果糖」、「万能の糖」

果糖(フルクトース)でも結晶化している「結晶果糖」と云う物はあまり知られて居りませんが、「万能の糖」といわれており、インスリンを必要としません。

これは日本の学者、サッカリンを発明した「久保田 煕博士」の発明で(特開2000-355539)(P2000-355539A)これを発売した後、砂糖業界から それはものすごい圧力をかけられ日本では日の目を見る事はありませんでした。
どう言うものか?一口で言うと、人間は砂糖を取り入れると人体で加工化学処理をして、脳や筋肉の栄養やエネルギーに変換されます。

この「結晶果糖」は「体内加工化学処理をすでに済ませているもの」と言えば解りやすいでしょうか?
人体に摂取され最も早くエネルギーとして活躍する物質です。
現在日本で販売されているものはアメリカかカナダ産で食用です。

アメリカではベトナム戦争のおり、患者の治りが目覚しく早いことから全米で点滴として一般的に使用しております。
医療用の「結晶果糖」は精度を求められる為、全て日本製で愛知県で生産輸出されているはずです。
これを知っている糖尿病の方は皆 持ち歩いて摂取しております。
医者はそんなわけでこれを進めておりませんが・・・

糖尿病患者の知り合いが手術で入院されたとき私は医師にこの話をしてブドウ糖ですと負担が強い為、これに換えて頂く様お願いしましたが、
「おっしゃることは正論でその通りなのですがあいにく日本では入手不能です」と言われました。
一キロ800円から1000円くらい、富山県で販売しております。
ネットでも買えます。

砂糖と逆で温度が高い物は甘味が薄くなり、冷たいものは少量で甘味が出ます。
沸騰させると成分が壊れオリゴ糖になってしまいます。
二日酔いにも癌の予防にもなると発明者が言っておりました。

( いしざか てつろー ) これはコマーシャルではありません

式年遷宮の思想    【伊勢神宮】

2013年08月21日 17時34分05秒 | 色んな情報
式年遷宮の思想    【伊勢神宮】

平成二十五年十月には、伊勢神宮第六十二回式年遷宮のもっとも大切な行事が行なわれます。中心行事の『遷都の儀』は、ご神体に新しい社殿にお遷りいただく、式年遷宮のなかでも最も重要なお祭りです。

この伊勢神宮の式年遷宮の制度は、天武天皇の時代(西暦六八五年)に確立したとされ、それから時に中断はあったにせよ、二十年ごとに社殿を新しくするということを繰り返して、今日まで千三百年にわたって続けられています。

この式年遷宮の成立に関して、伊勢神宮の少宮司を務められた幡掛正浩氏が、以下のような趣旨の指摘をしています。
「もともと皇祖神天照大神に新縠を捧げるお祭りのために、毎年新しい祭場の施設が作られていた。そして神社建築の発達とともに、毎年の新設というわけにはいかなくなり、二十年ごとに社殿を新しくするようになったのである」(「私本 式年遷宮の思想」)

式年遷宮の制度が確立した天武天皇の時代には、法隆寺に象徴されるように現代まで残る木造建築をつくる技術がすでにわが国にはありました。さらに寺院については最初から永久建造物として計画されていました。それにもかかわらず、何故、伊勢神宮は、二十年ごとの式年遷宮の制度を整えることになったのでしょうか。

幡掛氏によれば、式年遷宮には、皇室の先祖神であり、太陽神かつ穀物神である天照大神の命の更新を国家的な祭りとして「繰り返す」という意味があるとのことです。毎年、稲の生命は甦りつつ継承されていくことから、わが国では「繰り返し」を重視しており、生命を新たにした初穂をお食べになることで神様も命を新しくされる、と受けとめられてきたからです。

先にも触れたように伊勢神宮が祭っているのは、皇室の先祖神である天照大神です。日本神話によれば、天照大神は天孫ニニギノミコトに稲穂を授けられることで、稲作という国民生活の基盤を日本人に教えられました。そして天照大神から、国民を豊かにしてほしい、との使命が稲穂を通じてニニギノミコトに託され、さらに第一代神武天皇による日本建国となった、と伝えています。

建国にあたって神武天皇は、国民を「大御宝」(おおみたから)、つまり大切な宝であると称され、国民の幸福になることを行なう、との宣言をされています。

したがって伊勢の式年遷宮とは、皇祖神である天照大神の祈り、国民の生活が豊かであってほしいという願いを、歴代の天皇方を中心として国民が確認し、必ずそれを実現しよう、と決意を新たにするお祭りとして今日まで受け継がれてきたということになります。



http://sphotos-h.ak.fbcdn.net/hphotos-ak-prn1/p280x280/546894_405844659515801_515995911_n.jpg

「公平」「公正」そして「平等」。

2013年08月21日 16時23分32秒 | 色んな情報
「公平」「公正」そして「平等」。

坂元 育子
突然ではあるが、言葉について考えてしまった。
当たり前のように使われている言葉の意味、
「公平」「公正」そして「平等」。
この言葉は、日常的に人々が多用する言葉である。
反語的に
「不公平」「不公正」「不平等」と言う表現も多用されている。
お馴染みの憲法の前文にも、公正と信義の下りがある。
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」

「公平」をWIKIで検索すると、相当な量の解説を発見できるが、
面白いことに「公正」にはWIKIが無い。言葉の意味として国語辞典WEB版が登場する。そして、「平等」は予想に違わずしっかりWIKIが登場。

英語では、どうなるのか?
「公平」は、impartiality; fairness,;justice
「公正」は、justice; fairness; (公平〉 impartiality
「平等」は、〈均等〉 equality;〈公平〉 impartiality

言葉の意味を厳密に考えるべきだと言う話しでは無い。
しかし、長い間「人間」「日本人」をやってきていても、
ひとつ言葉を例に取っても、どれほどの人がどれほどの考えの
下に、言葉を使っているのだろうか?

人や、国家の歴史は、言葉の積み重ねだと私は思うのだが、
その点から考えても、日本はもう一度真剣に物事を考え直さなく
てはいけないところに来ていると思った。

http://ja.wikipedia.org/wiki/公平   http://p.tl/Auft

公平 - Wikipedia


人間には、「先に手を出したもの勝ち」とか、偏り、えこひいき、仲間外れなどがつきものである。公平とはこれに対して、差別・不正・独占などを排し、物事を公正に審判し、あるいは偏りなく分け合うことを表す。「公平」を目指し、公平に物事を進めるためには、自分の利益を優先したり、自分の主観で判断することは避けなければならず、このため公平無私という概念が存在する。ちなみに、「この上なく公平であること」を意味する「至公至平」という言葉が存在するが、めったに使われない。その一方、公平の否定形である不公平に出会うことは多い。

アメリカ人は神道は既に消滅したと学校で教えているそうです

2013年08月21日 13時48分05秒 | 色んな情報
アメリカ人は神道は既に消滅したと学校で教えているそうです

                 日本人を馬鹿にするな   志葉楽(シバラク) の気持
作成者: 京免 史朗さん


582:Trader@Live!:2012/02/12(日)

アメリカはいろんな国に戦争ふっかけては「民主化」させようとして、ことごとく失敗してるのは、
「日本型民主化」の奇跡的な成功を引きずっているからだと、聞いたことがあります。
ソースも何にもない戯言かもしれないけど、日本型民主化がうまくいったのは
1.戦前から民主主義政体が整っていた。
2.国民統合の象徴(天皇家)の存在。
3.宗教、民族対立がない。
4.各種インフラをほぼ自力で構築できる。
5.勤勉で寛容な国民性(昨日の敵は今日の友と言える国民性)
が組み合わさってできた奇跡だと思います。


584:Trader@Live!:2012/02/12(日)
>>582
民主化は失敗してなんぼ
旨味を吸い取れるからね
日本みたいに簡単に立ち直って
アメリカ市場を圧迫してくるのがもっとも最悪の展開w

585:Trader@Live:2012/02/12(日)
イラクの時に、アメリカは「我々には日本を民主化した実績がある」とか何とか、 ほざいておりましたね。
そもそも、日本は戦前から民主主義国家だったということは知らないのでしょうか?
(戦中は、あらゆる手段をとらなければならないので、独裁体制は仕方がない。
それでも、日本は戦中に選挙を行い、内閣が変わっている。
東條英樹は、選挙の結果に従って、総理大臣を辞した。)

これを聞いた瞬間に本当にアメリカは馬鹿なんだと思いました。

586:Trader@Live!:2012/02/12(日)
>>585
そういえば、ブッシュ・ジュニアがマヌケたことを言ってましたね。
第二次世界大戦後、我らアメリカが日本を民主主義の国にしたって。

さすが、歴史に関して無知なブッシュ・ジュニアと思いましたが。

590:Trader@Live!:2012/02/12(日)
アメ内部ではそうなっているようですよ。学校でそう教えている。
で、神道は消滅したことになっているらしい。米人の知り合いによると。

彼らの理解(通俗的米人的理解)では、大日本帝国は、一神教的意味での神 的位置づけの天皇の支配する絶対主義国家だったんでしょう。で、そういう 天皇への信仰形態が神道である。
彼らの社会には、信仰としての内容をうしなったキリスト教的世界というもの があるようなので、神社やお祭りをそういうものととらえても不思議は無いよ。

597:Trader@Live!:2012/02/12(日)
>>590
レスありがとうございますm(__)m

にゃるほど、そういうことでしたか。

旅日記を読むと、   江戸時代を見直そう

2013年08月21日 12時16分45秒 | 色んな情報
旅日記を読むと、   江戸時代を見直そう

京免 史朗

■金森敦子(ノンフィクション作家)

 江戸後期から増えてくる東北の農村地帯の人たちが書いた旅日記を読むと、「私が習った江戸時代の歴史、江戸時代のイメージっていったい何だったんだろう」と驚くことが多いのです。

 そのなかで一番驚いたのは、関所抜けです。関所抜けと言うと言葉は柔らかいのですが、つまり関所破りのことで、幕府の掟では磔の刑に処せられることになっていました。一番重い刑ですね。それを、江戸時代の庶民たちは実に易々と破りながら長い旅をしているんです。

〈中略〉庶民の女性は関所手形を持たないで長旅をするのが常識だったようなんです。

 越後と信州の間に北国街道が通っています。越後の一番はずれに関川という宿場があり、ここは高田藩が徳川幕府から預かっていた関川の関所があります。この街道は善光寺参りに利用されていたため、女性の往来が非常に多かった。それで、女性連れが関川の宿に着くと、真っ昼間から旅籠の宿引きが袖を引く。「お客さん、当店にお泊まりになると関所を通らない道をご案内しますので、是非うちにお泊まり下さい」と。

〈中略〉それでどこを通るのかといえば、関川の関所を通るんです(笑)。関所には鍵のかかった頑丈な木戸がありますから通れません。ところが、端のほうに小さなくぐり戸があり、そこを堂々と抜けていくんです。それが毎夜、毎夜繰り返されている。

 ある人の旅日記によると、そのくぐり戸の下の地面が窪んでいたそうです。どれだけ大勢の人がそこを通ったことか。関所の関守は関所の内部かすぐ近くに住んでいましたから、毎夜、毎夜繰り返される関所破りを知らないはずはないんです。それなのに捕まえたという記録がありません。

 全国五十三カ所の関所でも、似たようなことが繰り返されていたようです。それでも庶民が関所を破って磔になったという例は数例しかないそうです。なんでこんなことになったのか。要するに、捕まえると幕府から「お前の関所の警備はなっておらんじゃないか」と怒られるからです。

〈中略〉また、旅日記を読んでいて感動したことがあります。それは、小さな男の子たちだけで奥州から伊勢まで旅する例が、とても多いことです。錦絵や各種の名所図会などに少年たちだけの絵が出てきますし、『東海道中膝栗毛』にも戸塚のちょっと手前で、弥次さんが奥州から出てきた少年たちをからかっているつもりが、逆にからかわれて餅をせしめられる場面があります。子供たちだけで二カ月も三カ月も旅行をしても、誰も「危ないから家に帰れ」とは言わない。みんなが少年たちの旅をまっとうさせてやろうとすごく援助しているんです。

 大人の旅でも無一文で旅に出る人がたくさんいました。それでもちゃんと帰ってこられるというのは、それだけ沿道の人たちの喜捨が多かったということです。自分よりも貧しい人には、お金なり、食べ物なりを施すというのが当たり前だった世界、それが江戸時代なんです。

米国軍人が感じた日本軍兵士の精神とは。

2013年08月21日 12時05分35秒 | 色んな情報
米国軍人が感じた日本軍兵士の精神とは。

京免 史朗
かの国にはわからないであろう、米国軍人が感じた日本軍兵士の精神とは。

「アメリカの青年達よ。東洋には、すばらしい国がある。

それは日本だ。

日本には君達が想像もつかない立派な青年がいる。

ああいう青年がいたら、やがて日本は世界の盟主になるに違いない。奮起しろ!」

硫黄島での戦いの時に第五艦隊司令長官としてアメリカ海軍を指揮したレイモンド・A・スプルーアンス海軍大将の言葉です。

彼は戦後、この言葉を伝えるべく全米各地を公演して回りました。
彼が、このように日本の事を言うようになったのは、次のようなエピソードがあったからです。

1ヶ月近く激戦を繰り広げ、多大な犠牲者を出して、アメリカ軍が硫黄島を占領したあくる日のことです。
岩山の穴の中から負傷した日本の陸軍少佐が降伏のしるしのハンカチをもって出てきた。

彼は
「司令官はいないか。穴の中には、有能な30名の青年達が残っている。彼らを日本のため世界のために生かしてやりたい。私を殺して彼らを助けてくれ。」
といいました。

少佐を引見したスプルーアンスが
「お前も部下達も助けてやろう」
というと、彼は
「サンキュー」
といって絶命しました。

その後、アメリカ軍は、青年達が残っている穴の中に煙草や缶詰を投げ入れたりして、残された青年達に穴から出てくるよう勧告をしますが、彼らはそれに応じず抵抗を続けました。

数ヶ月間の抵抗の末、やがて何名かが餓死し、最後に残された者たちは手榴弾で自決して果てました。

その爆発がした時に、スプルーアンス司令官が穴の所に飛んで行くと、穴の入り口に英語と日本語で書かれた手紙がおかれていました。

「閣下の私達に対する御親切な御厚意、誠に感謝感激に堪えません。
閣下より戴きました煙草も肉の缶詰も皆で有り難く頂戴いたしました。
お勧めによる降伏の儀は、日本武士道の習いとして応ずることができません。
最早(もはや)水もなく食もなければ、十三日午前四時を期して、全員自決して天国に参ります。
終りに貴軍の武運長久を祈って筆を止めます。」


旧日本兵2万2000人が戦死。今だに1万3000人あまりの遺骨がみつかっていない。

昭和二十年五月十三日
日本陸軍中尉 浅田真二
米軍司令官スプルーアンス大将殿」
(祖国と青年 平成7年6月号)


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