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お箸の文化

2013年08月30日 20時48分36秒 | 色んな情報
お箸の文化


言うまでもないことですが、健康でいるためには和食中心の食事を心がけることが大切です。

和食は、今や世界にも注目されています。

そんな和食をいただく時にお箸はなくてはならないものです。


2本の棒を使って食べ物を掴む、押さえる、すくう、運ぶ、割る、支える、かき混ぜる、刺す、など様々に使うことができます。


お箸は、中国から伝わってきて、その後日本に定着したとされます。
その他にも韓国、タイ、シンガポールでもお箸が用いられていますが、匙と一緒に使います。
お箸だけを使って食事をするのは日本人だけです。


お箸を使う上で人に失礼にならないように、美しく見えるように様々な作法があります。
してはいけないお箸の使い方を「嫌い箸」と言いますが、その一部を以下にご紹介します。


◇指し箸・・・箸で人を指さすこと。
◇二人箸・・・二人で一つの食べものを同時に挟むこと。
◇ねぶり箸・・・箸についた食べ物をなめること。
◇涙箸・・・箸の先からぽたぽたと汁が落ちること。
◇迷い箸・・・どの料理を取ろうかと迷いながらあちこち箸を動かすこと。
◇寄せ箸・・・箸を使って食器を手前に引き寄せること。


「はし」という言葉は、向こうとこちらの橋渡しの役目を持つ道具につけられました。
お箸は、口に運ぶ方の端は人のもの、もう一方の端は神様のものと考えられていました。
食事の時には、お箸に神様が宿ると言われていました。

割り箸がどんどん世に出回ったことが、日本人の食文化が崩れた一因になっているのではと思えます。

最近では、嬉しいことにマイ箸を持ち歩く人が増えました。
お箸を大切にすることは、食べることに感謝して食べ物を尊ぶことにつながっています。


お箸は必ず2本1組で使用し、「一膳」と数えます。

月(にくづき)は、体の器官(肺、肩など)に用いられます。
「膳」と数えることから日本人が箸を体の一部のように使ってきたことが伺えます。


昔の人は、どこへ行くにも箸を持ち歩き、食事が終わると箸を拭いて仕舞っていました。

亡くなった時にはお箸をお棺に入れたり、お棺の上に箸を立てる風習があります。


また、昔は爪楊枝も自分の物を持ち歩く人が多かったと言います。
カツオの骨で作られた万年爪楊枝を使っていて、亡くなると箸と同じようにお棺の中へ入れたそうです。

日本人は、箸と共に始まり箸と共に終わる唯一の民族です。

生まれて間もなくお食い初めでお箸を使い、
人生最期の葬儀では、火葬した後お骨をお箸で拾います。
お供え物にはお箸を立てて供養します。


シンプルな2本の棒をこのような文化へ発展させた日本人は、
やはり優秀な民族なのだと改めて感じました。

【日出ずる国の生徒よ! 前に出なさい。】

2013年08月30日 15時54分10秒 | 色んな情報
【日出ずる国の生徒よ! 前に出なさい。】

大日本皇國
==大日本皇国アーカイブ==

(移民としてアルゼンチンで日本語の新聞を出しているジャーナリスト高木一臣さんのエピソードより。)


彼はかつて大学を卒業したあと、二六歳のときにアルゼンチンに渡りました。

当時はまだスペイン語がうまくしゃべれませんでしたので、アルゼンチンの国立夜間小学校に通いました。その学校での歴史の授業の時でした。

先生は、「何々君、前に出なさい」と生徒を指名して、教壇に呼び出して、復習してきたかどうかを確認します。

高木さんも呼ばれました。ところが、高木さんのときには、

「日出ずる国の生徒よ! 前に出なさい!」
と言うのです。それで高木さんは言いました。

「先生、日出づる国の生徒よ!という呼び方はやめてください。」

「なぜだ?」

「先生、太陽は落ちたんです。日本はもう「日出づる国」ではなくなったんです。」

「君が「太陽は落ちた」というのは、日本が戦争に負けたからなのか?」

「そうです。」

すると先生はこう言ったのです。

「君は間違っている!日本が「日出ずる国」であるのは、戦争に強かったからではない。日本はアジアで最初に西洋文明を採り入れて、わがものとし、世界五大強国の仲間入りをした。」

「日本は、「西洋文明」と「東洋文明」という全く異質の文明を統一して、一つの世界文明を創り上げる能力を持った唯一の国だ。」

「この難事業をやり遂げたのは、日本をおいて他にない。」

「日本がこの能力を持ち続ける限り、日本は「日出づる国」であるのだ。」

「戦争の勝ち負けなどという問題は、「西洋文明」と「東洋文明」の統一という大事業の前には、とるに足りないことだ。」

「君は日本が戦争に負けたからといって、卑屈になる必要は毫もない。」

「俺は「日出づる国」の人間なのだ、という誇りと精神を失わず、胸を張って歩きたまえ!」

異国の先生から、こんな言葉を聞こうとは・・・。

高木さんは、先生の言葉を聞きながら、あふれ出る涙を抑えきれなかったといいます。

50年前以上のお話。日本を理解していた外国の方は世界中にいたのです。

西洋文明と東洋文明を結びつけて、真の平和と繁栄に満ちた新たな世界文明を築き上げるリーダー的役割を果たす素質を持っているのが、日本です。

ジャーナリスト高木一臣氏は、1925年3月27日三重県で生まれ、観光客としてアルゼンチンへ渡り、そのまま現地へ留まりました。