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日本の食文化担う箸 伝統的な持ち方身に付けて

2013年08月27日 19時32分49秒 | 色んな情報
日本の食文化担う箸 伝統的な持ち方身に付けて

日本会議地方議員連盟

箸 伝統的な持ち方
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 テレビの番組で、出演者の食べるシーンが、写し出されることが多くなった。しかし、著名な方、中には料理の先生でも、箸を上手に使えない方がいらっしゃるのには、驚きである。

 箸を上手に使える人のみを、食べる番組には出演させて欲しい。だって、折角の料理が美味しく見えるように・・・。

 昭和39年頃、ロサンゼルス市内の中華レストランで食事中に、親の指示で子供達が、私の箸使いをジート見ていたことを思い出す。    
 
最近では、外人の箸使いが、上手になってきたようですが・・・・(尾形)。

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日本の食文化担う箸
伝統的な持ち方身に付けて
2013.8.27産經新聞東京版

 日本政府は、和食を世界無形文化遺産として登録申請中だが、日本食文化と切り離せないのが美しい箸使いだ。伝統的な流儀にかなった持ち方をすれば、機能と美が一体となり、食事がよりおいしく感じられる。

最近は、伝統的な持ち方ができない親世代も増えているが、和食という優れた食文化を後世に伝えるためにも正しい著の持ち方をマスターしよう。(平沢裕子)

 機能面は同じ

 内閣府・食育推進室が10~70代の1820人に実施した食事に関する調査(平成22年)で、正しい(伝統的な)等の持ち方をしていたのは約半数の54%だった。

 『箸の作法』 (同時代社)の著者で甲南女子大名誉教授、奥田和子さんは「箸の持ち方のような食事のマナーは本来、家庭で親から子へと伝えられるもの。

戦後、核家族が増えたことや学力重視の傾向が強まったことで、家庭でしっけを伝承する力が弱くなったような気がする」と指摘する。

 伝統的でない箸の持ち方は、「食べにくそう」 「食べ物をうまくつかめない」ように見える。「伝統的な持ち方の方が機能面でメリットがあるはず」と思っていた奥田さんは、伝統的な持ち方とそうでない持ち方で機能面に違いがあるかどうか調べたことがある。

伝統的な持ち方の方が機能的に優れていることが証明できれば、「合理的なものをよし」とする今の世の中で、伝統的な持ち方の良さを見直してもらう良い機会になると思ったためだ。

 大豆を箸でつかみ、移動させた個数を比べる実験だったが、結果的に移動数に大差はなく、機能的な違いはなかった。「他人からは使いにくそうに見えても、

『慣れこそものの上手なり』で、憬れてしまえばどんな持ち方でも不自由というわけではないようだ」と奥田さん。

 社会全体で伝える

 伝統的な箸の持ち方は、長い歴史の中で祖先がどうすれば食べやすいかを工夫し、あみ出されたものでもある。中国や朝鮮、ベトナムでも箸を食事の道具として使う。しかし、日本以外は、さじが主体で箸と併用するスタイル。箸食のみというタイプは日本だけという。

 何よりも伝統的な箸の持ち方は食べる姿を美しく、上品に見せる。箸の持ち方は大人になってからでも直すことは可能だが、大人の場合は本人のやる気がないと矯正できないだけに、

子供のときにしっかりと教え、習慣化させることが大切だ。そのためには、幼稚園や保育園、学校など公教育の場を中心に、社会全体が日本文化の一つとして箸の正しい持ち方を伝える取り組みが求められる。

 奥田さんは「和食が文化遺産となれば、それを食べる道具である箸も文化遺産。世界的に日本食が注目されている今、美しい箸使いで食べる日本の食文化を日本人がお手本になり、世界へ発信することが大切ではないか。

そのためにも、全ての日本人に伝統的な持ち方を身に付けてもらいたい」と話している。

「 格闘技と武道・どこが違うの? 」

2013年08月27日 11時04分39秒 | 色んな情報
「 格闘技と武道・どこが違うの? 」



石坂 哲朗
井上康生・谷亮子が国際柔道連盟の殿堂入りをはたしたという。
武術のかけらも知らぬ海外の者共が、本質を逸脱したルールを引いての、
そして眼力の乏しい審判の裁定による「試合」と言う名のショービジネスにおいて、神聖なる日本武術へ何の名誉を授けるというのだ。
( 一度 剣道の審判の物凄さを見てみると良い )
又、喜んでそれを受ける自称武術家。...
ここまでくれば立派な気違沙汰とよばざるを得ない。
今自覚せねば、日本武道界の末席を汚す事も儘ならなくなる。
襟を正して目覚めよ。
柔道。
前回に引き続き武術の原稿を探してみた。
昨年のオリンピック時、柔道を題材にしたものがあったのでご紹介する。
(シェアにはコールを)
「 格闘技と武道・どこが違うの? 」

オリンピックの閉会式が今朝行われ、テレビでは今回の競技を振り返って放送している。
柔道男子の初の金メダルを逃したこと。
韓国の選手が竹島の領有権を主張して問題に成っていること。
韓国で、日本に敗退した、バレーボールのテレビ放送はほとんどされていないこと・・・
等、等・・・・
私はオリンピック柔道については講演の際に常に話すことである。
本家本元の日ノ本の国として、国際ルールとやらに不満を持つものであれば、即刻柔道の目的意識をオリンピックの競技から、たとえば国際講道館杯などに移行するべきである。
これは、柔道はスポーツであるという見地からのことだ。
もし未だ柔道連盟に武術としての認識があるのであれば、即刻オリンピック競技からの脱退を提案する。
なぜならば、スポーツの勝負と試合としての武術の競技はその根底が全く違うものだからである。
スポーツの格闘技とは?
ルールの中で、審判の見守る中、高レベルの安全を保証され、優劣を競うものであり多少の違いはあるものの卓球やバトミントンとなんら変わるものではない。
しかし武術、武道となれば全く話は変わってしまう。
解りやすく言えばその目的である。
武術の目的は自身の大切なもの( かなり広範囲のものと解釈していただきたい。家族とか仕事とか、国とか、プライドとか )を守る為に修行するものであって優勝することではなく、その技術の使用に関して言うと、一生に一度あるかないかの有事を想定してのものと断ずる。
加えて優勝の定義、優劣の定義も全く違うものである。
たとえば、一般の人が見て武術大会において優勝者を見れば、「 今年はあの人が一番強かったなあ 」と思う・・・がしかしここが違う。
「 一番強いのかどうか判らないが少なくともこの大会の中であなたは一番優れた技が出ましたね、今後とも修行に励んでください 」
つまり武術としてきちっと優れた集中力や技が出たかでないか 「その一点」なのである。
さらに言えば、武術の本領はルールの無い現実のことであって、仮想の試合ではない。
(スポーツ化すればするほど危険ということで、有効な技を修行しなくなり廃れてしまう。)
だから、だから。
ガッツポーズはありえない!
剣道の用語に「打って感激、打たれて感謝」と言う言葉があるように、試合相手は武術修行にかかせないものであるがゆえ自分が勝っても相手が勝ってもお互いに敬意と感謝をけして忘れてはいけないのだ。
そもそもこの柔道とは1882年嘉納治五郎師範が日本伝統の古流柔術の時代の流れによる、目に余る衰退から、緊急避難的にスポーツ化し「日本伝柔道」と言う呼び名で講道館を開設、それが警察庁の目に留まり心身鍛錬の武道体育として広まったものであると解釈している。
これが、緊急避難であったかは解るすべもないが私はその様に解釈する。
少なくともその目的は「 涙で勝ち取る金メダル 」ではなかったはずだ。
本当に要点だけ書いて理解されたか不安である。
が、すでに緊急避難の時は過ぎ柔道人口も知名度も高みを迎えた昨今、
本来の美しい毅然とした日本武術に悠々と・・・
戻ってきてはもらえないものであろうか・・・
( いしざか てつろー )

麻生太郎氏の語録 

2013年08月27日 11時04分39秒 | 色んな情報
麻生太郎氏の語録 

 自民党新総裁に選出された麻生太郎氏のこれまでの発言をまとめた。(カッコ内の役職は当時)

 【1979年】

 「皆さんの支援に応え、じいさん(吉田茂元首相)に負けぬ政治家になる」(10月8日、衆院議員に初当選直後の抱負)

 【89年】

 「日本は貧しいときの哲学は出来上がっているが、豊かになってからの哲学はない。それに合わせて教育も変えていかないといけない」(11月24日、衆院文教委員会で質問)

 【93年】

 「分裂しない、絶対に割れない。政権には魅力がある」(4月28日、共同通信のインタビューで、後に自民党を離党する小沢一郎氏らについて)

 【01年】

 「金持ちのユダヤ人が住みたくなるような国が1番いい」(4月19日、党総裁選の講演。経済財政担当相)

 「90%の内閣支持率はファシズムの1歩手前で行き過ぎだ。抵抗勢力があるのはいいことだ」(6月25日、講演で驚異的高支持率の小泉内閣について。党政調会長)

 「この人(首相)が言ったらそれ以外は認めないのは全体主義だ」(12月6日、小泉純一郎首相の政治手法について講演で。同)

 【02年】

 「財務省の主力はマルクス主義経済学にマインドコントロールされ『結果の平等』(の思想)に汚染された手合いだ。財政再建原理主義者は間違っている」(6月7日、講演。同)

 「今の自民党の不幸はいい野党がいないこと。相手が強くないとこっちも強くなる必要がなく、だらける」(12月1日、自由党との合併構想が浮上していた民主党について講演で。同)

 【03年】

 「歴史認識を一緒にしようと言っても隣の国と一緒になるわけがない。創氏改名は(朝鮮人が)名字をくれと言ったのがそもそもの始まりと言ってやり合ったら、年寄りの韓国人があなたのおっしゃる通りだと言った」(5月31日、東大・五月祭で講演。同)

 【04年】

 「三位一体はそもそもキリスト教の用語。父、子、聖霊の3つが一体という意味だ。それが私の前の(片山虎之助総務相)時代に、いつの間にか政治用語化していた」(10月18日、衆院予算委員会で国・地方財政の三位一体改革について。総務相)

 【05年】

 「隣国で10億の民、原爆を持ち、軍事費が連続17年間で毎年2けた伸び、内容は極めて不透明だ。かなり脅威になりつつある」(12月22日、中国の軍備増強について記者会見で。外相)

 【06年】

 「英霊からしてみれば天皇陛下のために『万歳』と言ったのであって、総理大臣万歳と言った人はゼロだ。天皇陛下の参拝が1番だ」(1月28日、靖国神社参拝問題に関連し講演で。同)

 「公共工事が悪とはとんでもない。ぶつ切れになっている道路をつながないと意味がない」(6月17日、講演。同)

 「自称『秋葉原オタク』の皆さん」(9月9日、東京・秋葉原で行われた総裁選の街頭演説で聴衆に呼びかけ。同)

 【07年】

 「古い自民党と小泉改革以来の新しい自民党との再試合だ。慌ててまとめた多数派も成立のその瞬間から瓦解の方向に動きだす」(9月16日、総裁選立会演説会で主要派閥が支える福田康夫氏陣営について。党幹事長)

 「殴られてみる、働いてみる、(女性に)ふられてみることの3つだ」(12月5日、都内の高校で男子生徒から「社会に出る前に経験すべきことは」と質問されて)

 【08年】

 「孤独に耐える才能がいる。どす黒いまでの孤独だと思う、国家のトップに立つというのは」(2月18日、民放番組で「首相に必要なもの」を聞かれて)

 「わたしの前途には日本と日本国民が登るべき高らかにそびえる峰が見えている。指導者たらんとする者は、おのれにむち打って急な坂を上っていかねばならない」(9月11日、総裁選の所見発表演説会で。党幹事長)

 人を騙(だま)すな、正直であれといふのは人倫の基本

2013年08月27日 10時22分36秒 | 色んな情報
 人を騙(だま)すな、正直であれといふのは人倫の基本

【正論】
帝塚山大学名誉教授・伊原吉之助 日本に対する国際偏見の壁憂ふ
                      2013.8.27 03:13    
京免 史朗


 人を騙(だま)すな、正直であれといふのは人倫の基本であり、家庭や近隣社会で必須の徳目です。

 しかし、不特定多数と交はる大社会では正直で通すのは難しく、寧(むし)ろ、騙すのは賢い人、騙されるのは阿呆(あほう)といふのが常識です。だから中国人留学生は日本の住みやすさを認めつつ、日本人は幼稚と見ます。奇麗事が罷(まか)り通るからです。国際社会では、簡単に人に騙されぬだけのずる賢さを備へてゐないと生き延びられません。

 ≪またもや日本が偏見の犠牲に≫

 正直を尊ぶ日本は、今や中国の“南京大虐殺”の嘘、韓国の“従軍慰安婦”の嘘に振り回されてをります。拙(まづ)いことに、日本が国防外交を頼つてきた米国までその嘘を信じ、それを否定した安倍晋三首相を警戒してゐるやうです。

 2007年の第1次安倍内閣時に、首相が“従軍慰安婦”は存在せずと言つたら、ジェンダー運動盛んな米国で忽(たちま)ち安倍糾弾運動が一世を風靡(ふうび)した由。安倍首相は、不幸な女性に同情しない卑劣漢と誤解されたのです。さうぢやないと言つても彼らは耳を貸さない。自分らが食べぬ鯨を食べる日本人を“野蛮人”と罵倒する欧米白人の独善を連想します。

 「馬鹿(ばか)な!」と日本人は思ひますが、それは日本国内でのこと、国際社会では、安倍首相は“いかがはしい人物”と思はれた模様(もやう)。由々しき事態です。

≪米国の日中に対する偏見≫

 戦前米国は、「中国は可愛(かはい)い、日本は憎い」といふ偏見に発して日本を追ひ詰め、敗戦と領土縮小と軍廃絶を強ひました。

 中国が可愛かつた有力な理由は、1858年の天津条約で布教に道が開かれて以来、中国で教化に勤(いそ)しんだ新教牧師の報告です。彼らは資金援助を打ち切られぬやう、本部に教化有望報告を送り続けました。ミッションスクールを創立して高等教育も行つた。その卒業生は親米になる。爾来(じらい)、「中国は米国に学ぶ可愛い新興国」といふ評価が米国に定着しました。

 それに引き換へ、日本はキリスト教を受け入れぬ可愛げのない国です。さらに日露戦争後、警戒すべき相手となりました。日本移民が西海岸に移住すると、日本人学童隔離事件、排日土地法、排日移民法と日本人排斥が続き、第一次大戦のパリ講和会議で日本が出した人種差別撤廃案を米英が否決したうえ、その後の貿易で日本を圧迫します。

 米国発世界大不況後、3分の1に収縮した貿易を守るため、米英がブロック経済で自国勢力圏から日本を締め出しました。私たちの先人が米英の圧迫にどれほど苦しんだかは、『対日経済封鎖-日本を追いつめた12年』(池田美智子著)に詳しく書かれてゐます。

 そこで、資源のない日本が中国大陸に出ていくと、米国は「可愛い中国を苛(いぢ)める憎い日本」と独断しました。それに満洲事変後登場したフランクリン・D・ルーズベルト(FDR)政権は親ソ容共で、反共の日独が嫌ひでした。
 かくて日本は中国を巡つて米英ソと争ふことになります。日本に米国と戦ふつもりはなく、だから41年4月から8カ月も延々と対米平和交渉を続けましたが、米国側には平和に収める気はありませんでした。

 追ひ詰められた日本が自存自衛の対米英戦争に踏み切り、3年半頑張つて敗れます。日本が米英仏蘭の植民地を占領したため、第二次大戦後、植民地は維持できなくなりました。これは、パリ講和会議で日本が提案した人種平等論の実現です。日本の“侵略”ではなく、欧米の侵略を元へ戻したまでの話です。東アジアの安定勢力、日本を叩(たた)き潰した米国は、ソ連と対峙(たいぢ)したうえ、東アジアの安定に精力を使ふ羽目に陥りました。

 ≪謀略と偏見が罷り通る世界≫

 戦後、わが国は日本弱体化政策である占領体制の基本を墨守してきました。占領基本法に過ぎぬ“新憲法”も後生大事に守つて、未(いま)だ一字も変へてをりません。

 戦後育ちに戦前の書物を読めなくする現代仮名遣ひ・略字・漢字制限は、語彙を激減したため、戦後、知識人の頭を幼稚化して現在に至つてゐます。この従順さで、米国の“可愛い”国になりました。でも半世紀以上も占領状態を引きずるのは異常です。この辺で普通の国になりませう。

 普通の国になるには、2つのことをせねばなりません。

 1つは、国防費を削減する米国のシーレーンパトロールに協力し貿易路を守ること。これは国際公共財支援として沿岸諸国から支持を受けます。

 もう1つは、韓国と中国の日本中傷の火消しと、国際謀略への反撃です。外国に発信できる人材を大勢育てねばなりません。

 中国は北京五輪を開催し、リーマン・ショックを切り抜けた2008年頃から己に自信を持ち、近隣諸国との領土問題で実力行使を頻発させ始めました。これは、国際紛争の平和解決を義務付けた国連憲章第2条3項に違反します。拒否権を持つ安保理常任理事国が国連憲章を踏みにじるやうでは、世界平和は保てません。(いはら きちのすけ)

養生訓をつくった貝原益軒(かいばら えきけん)は、このようにいいます。

2013年08月27日 10時12分40秒 | 色んな情報
養生訓をつくった貝原益軒(かいばら えきけん)は、このようにいいます。


<呼吸>

呼吸は人の鼻から絶えず出入りする息のことである。

呼は出る息で、身体の内にある気を吐き出すことである。

吸は入る息であって、外気を吸うことである。


呼吸は人の生気である。

呼吸がなくなると死ぬ。

人の体内にある気は天地の気と同じであって、内外あい通じ合っている。


人が天地の気の中にいるのは、

魚が水の中にいるようなものである。

魚の腹中の水も外の水と同じく出入りしているのである。


人の体内にある気も天気に満ちている気と同じである。

がしかし、

体内の気は内臓にあるので古くなって汚れている。


天地の気は新鮮で清らかである。

だから、

ときどき鼻から外気を多く吸い込むとよいのである。


吸い込んだ気が体内に一杯になったならば、

口から少しずつ静かに吐き出すこと。

荒々しく早く吐き出してはいけない。


これは古く汚れた気を吐き出して

新しい清らかな気を吸い込み、

新しい気と古い気との取り替えであるからである。


これを実行する時には、

身体を正しくして上向きの臥し、

足をのばし、

目を閉じて手をしっかり握り、

両足を五寸くらい開いて両肘と身体との間隔も同じく五寸くらいになるようにする。


一昼夜のあいだに一、二度行なう。

長いあいだ実行すれば効果が現れるであろう。

気を安らかにして行なわなければならない。

『工藤艦長の英断』   ~素直な心に戻れます~

2013年08月27日 09時59分10秒 | 色んな情報
『工藤艦長の英断』   ~素直な心に戻れます~

工藤俊作 (海軍軍人) - Wikipedia   http://p.tl/W5gy

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---「敵とて人間。弱っている敵を助けず

フェアな戦いは出来ない。それが武士道である」

との命令に、日本の将兵達は

自らも海中に飛び込んで敵兵士を救助した---


1942年(昭和17年)3月、スラバヤ沖海戦で交戦中の

日本軍に撃沈された英国軍艦の乗組員たちは、

撃沈された船舶の重油にまみれ、のどの渇きと飢えに耐え、

襲い来る「サメ」の恐怖と闘いながら、

味方船が救助してくれることを期待して、

太平洋の大海原で首から上だけを水面に浮かべて漂っていました。


漂流してすでに丸一日が過ぎようとしており、

精神的にも体力的にも限界が近づいていました。


しかし、彼らの期待を裏切って、彼らを発見したのは味方船ではなく、

敵船である日本艦船でした。


この翌年、1943年(昭和18年)に行われたビスマルク海海戦の折に、

米軍やオーストラリア軍は日本軍漂流者を捕虜と見なさず、

救助しないばかりか機銃掃射で無抵抗の命を奪ったように、

交戦中の敵軍艦船に救助などは期待できず、彼らは死を覚悟しました。


英国兵士たちは、日本軍に機銃掃射されることを予想して、

頭部をかばうように海に浮かぶ重油の中にさえ顔を埋めたのです。


更に、この海域は、前日には潜水艦からの攻撃によって

日本軍の輸送船が撃沈されており、日本軍艦船にとっても

いつ攻撃を受けるか分からない危険な海域でした。


通常は、交戦中の危険海域では漂流者を救助することはありません。

したとしても、短時間だけ、そして体力の残っている兵士だけの救助です。


なぜなら、救助のためには停船しなければなりませんが、

海上で停船すると攻撃の標的になり易くなってしまうからです。

そうすれば、自船が撃沈される可能性さえあるのです。


ましてや味方兵の救助ではなく、敵兵の救助です。

英国の漂流者たちが日本艦艇による救助を

あきらめたことも、仕方ありませんでした。


その漂流者を発見したのは日本海軍の駆逐艦「雷(いかづち)」でした。

駆逐艦は比較的小さい艦艇ですから、乗組員は200名ほどです。

海原を漂っている漂流者の数は、ざっとその倍以上の数でしたが、

漂流者を発見した工藤俊作艦長は、危険海域であることを顧みず、

即座に

「戦いが終われば敵も味方もない。全員を救助せよ!」

という命令を下しました。


雷は、機関停止して救助にあたります。

これは、戦争中の通常の救助活動ではありえないことでした。

いくら「救助活動中」の国際信号旗を掲げているとは言え、

いつ敵からの攻撃を受けるか分かりません。


停船した上に、機関を停止してしまうと、

敵の攻撃から身をかわしたり、反撃することは全くできないのです。


それに、当初は敵からの攻撃を防ぐために

警戒要員を配置して救助していましたが、

救助者数が多く、敵兵が弱っていたため、

工藤艦長から乗組員全員へ救助が命じられました。

まさに、艦命をかけた決死の救出作戦でした。


雷の乗組員たちは、自分たちの倍以上の数にのぼる敵兵を、

艦上から縄ばしごや竹ざおを下して、

それにつかまらせると甲板へ引き上げました。


しかし、中には負傷して体力が弱ってしまい

自力でつかまることすらできず、海底へ沈んでいく者もありました。

その様子を見た乗組員たちは、危険を顧みず海原へ飛び込んで、

沈みゆく敵兵を抱え込み、その身体に綱を巻き付けて引き上げました。


そして、乗組員たちは引き上げた兵士たちにこびり付いた

重油を丁寧に拭き取り、服や靴を支給し、水と食事を与えました。

それは、敵味方を越えた海の男たちの救助活動でした。


全員の救助が終わると、工藤艦長は、

甲板に引き上げた敵兵の中から21人の士官を集めました。

そして、端正な挙手の敬礼をして彼らに敬意を表すると、

流暢な英語で

「諸官は勇敢に戦われた。いまや諸官は

日本海軍の名誉あるゲストである」

とスピーチをしました。


英軍兵士たちは、危険を顧みずに敵兵を助けた工藤艦長の英断に感謝し、

その後の日本海軍兵士の紳士的な振る舞いに対して、

「これは夢ではないか」

と何度も手をつねるほど喜んで、涙を流しました。


こうして、工藤艦長と雷の乗組員たちは

漂流者422名全員の敵兵の命を救ったのです。

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当時は、本当にすごいことだったのだと思います。

こうした方々がどの国でもトップにたてば、

戦争などおきないのではないでしょうか。


こんな命を懸けた、

工藤艦長の英断を素晴らしいと思えたら、

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