縄文人の反乱 日本を大事に

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パール判事の『日本無罪論』が正論であることは一目瞭然である。

2013年08月20日 17時43分00秒 | 色んな情報
パール判事の『日本無罪論』が正論であることは一目瞭然である。

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誠実に、真摯に、歴史を学べば、パール判事の『日本無罪論』が正論であることは一目瞭然である。

正義日本の汚点(敗戦)は消えないが、日本の汚名(侵略)は完全に雪そそがれる。戦犯にされた方々の英霊も、靖國の神として祀られるのは当然のことである。
 
http://www.senyu-ren.jp/SEN-YU/02084.HTM(こちらより転載)

パール判事(インド)

1 支那事変以来、米英両国は、中立国の国際法上の義務に違反して、公然と蒋介石政権に対して経済的軍事的に多大の援助を与えた。
これは明らかに日本に対する挑発行為であり、宣戦なき戦争を日本にしかけたものである。

2 支那事変の末期、米・英・支・蘭等四ヶ国が協同してABCD包囲陣を作り、日本を経済的に封鎖した。
特に日本に対する石油の全面禁輸は、日本に対する厳しい挑戦行為である。  

3 米国は開戦前の11月26日、日本に対して最後通牒を突きつけた。その第三項に「日本は中国および仏印の全土から陸海軍と警察力を全部撤退する」よう要求した。
これは明らかに、日清、日露両戦役の結果日本が正当に得た権益を捨てることを要求するもので、宣戦布告と同様である

4 米国は11月27日、前哨地帯の諸指揮官に対し、戦闘態勢に入るよう秘密指令を出した。この日に対日戦争を開始したことになる。

  以上から、日本は無罪である。

ウェッブ裁判長

私は東京裁判で裁判長席に座った30ヶ月間、証人達の皇室に対する気遣いと尊敬の念及び、自己の立場を主張する際の真面目さと誠実感とにしばしば心を打たれた。
私は日本が一九四一年に戦争に訴えたことに対し、日本を断罪するにどんな権利があるのかとしばしば自問した




最高責任者ダグラス・マッカーサー元帥

「日本が第二次大戦に赴いた目的は、そのほとんどが日米の安全保障のためであった」と証言した。


キーナン首席検事

あの裁判は大きな誤りであったと告白している。






A級戦犯というものは日本にはない。


http://000hime.blog74.fc2.com/blog-entry-108.html(こちらより転載)




やたらA級戦犯って言う議員、マスコミ、自称評論家‥たくさんいる。


あのかたがたは、 A級戦犯⇒戦争の原因を作った犯罪者のつもりなようですが、ぜんぜん違いますから!


いかに日本史を勉強してないか、 いかにあほかと宣言しているようなものです




昭和20年8月30日


日本に到着したマッカーサーの第一声


「東條を逮捕する。そして早急に戦争犯罪人のリストを作れ」
「戦犯第一号はパールハーバー攻撃の東條内閣の閣僚たちだ」


真珠湾攻撃は東條の仕組んだ先制攻撃だと言わんばかり。
(それも後でニュースで知った)


マッカーサーは自分がフィリピン方面軍司令官の時に日本軍に敗れ、
「アイ・シャル・リターン」と言って逃げた時の復讐のために、
当時司令官だった本間雅晴中将の名前も戦犯にした。



こんな感じで『A級戦犯』28名決定。



来日したソ連が「俺らにも選定させろ」と言いだし、
重光葵、梅津美治郎の2人をA級戦犯に追加。


ソ連は『日露戦争』の復讐で東京裁判に参加。


日本はソ連に戦争犯罪がなかったから、

大東亜戦争以前の日ソの戦い、つまり日ソ間で解決ずみの張鼓峰事件(1938)やノモンハン事件(1939)を持ちだして、
「日本の侵略だ!」と主張



びっくりするぐらい適当に選ばれた『A級戦犯』が、
いまだに首相の答弁で、悪者扱いされてるってどんだけあほなの?



戦後、東京裁判が行なわれた。

ほんとなら日本人自身が国家指導者の責任を追及すべきなのに、戦勝国が一方的に裁いて断罪した



その時勝手に選ばれた指導者達は、判決に従うことで、戦争責任を負った形となりました。




でもね。


独立回復後、日本は国会で

A級戦犯を含むすべての戦犯の死を
「法務死」として遺族への年金や恩給を支払うことにした。

遺族の救済や名誉の回復を行なうことを決めた。



昭和27年4月


まだ服役しなければならない1224名の「戦犯」に対して国民の同情が集まった。



昭和27年7月


日本じゅうで戦犯の早期釈放を求める署名運動。
約4000万人の国民署名が集まった。

当時の日本人口、約8581万人
単純計算で、国民の2人に1人が署名した。



昭和28年8月


「戦犯釈放を求める国会決議」が決議された。
国会決議は【全員一致】



国家指導者の政治的責任や道義的責任という問題と慰霊とは別の問題です。


昭和53年、靖国神社にいわゆるA級戦犯が合祀された。
昭和60年に中国が批判するまで、問題だなんて誰も言わなかった。



日本人は、戦争中でも敵国兵士の墓を作った。
これは武士道の伝統。


敵国の兵士をも弔うんだから、
自国の指導者に対しては死者に鞭打つことをしないのが日本人。

殺した後で死体を食べる中国人とは根本的に違う。


そしてその合祀は厚生省が提出した名簿に基づくもの。
名簿は国会の決議や諸外国の承認を踏まえて作成されたもの。



つまり靖国神社がA級戦犯を「戦争による公務死亡者」として合祀したことは

法律に基づき、行政の通知に従って実行したもの。



靖国神社が批判を受けるって意味わからない。
知らんだけだろw


A級戦犯だった人の合祀を批判したいのなら、
厚生省のその名簿を作った奴を批判しろ。



戦後、靖国神社に合祀される人の基準は
国会で、法律として決めてある。

別に靖国神社が勝手に合祀したわけじゃないし、遺族が決めたわけでもない。
(靖国合祀の関係法→戦没者遺族援護法・恩給法など)



*昭和28年8月


「戦傷病者戦没者遺族等援護法」「恩給法」の改正

「戦犯」とされた人々を国内法上での犯罪者としないことにした。
決定は【全員一致】


彼らの死を戦争による公務死としたことは主権独立国家として正当な決定。



「A級戦犯」も「B・C級」も関係なく公務死とした。
これは日本人が決めたこと。


サンフランシスコ講和条約第11条第2項で、
東京裁判を行った国の過半数の同意を得た場合は「戦犯」を赦免できることになってた。


日本はこれをまじめに取り組み、
国会で「戦犯」の免責を決議し、関係各国に働きかけた。


そして‥



*昭和31年3月
 「A級戦犯」全員赦免・釈放



*昭和33年5月
 「BC級戦犯」全員赦免・釈放


これを正式に勝ち取った!!


わかるよね。

日本に「戦争犯罪人」はいない!
「A級戦犯」もいない!!!

世界中がそれで納得してる。



*昭和50年11月21日


昭和天皇がいつも通り靖国神社を参拝。

突然、社会党が「問題だ」と言い出した。
それが原因で、天皇陛下は靖国参拝ができなくなった。



*昭和60年


突然、首相の公式参拝を中国が抗議してきた。

中曽根首相は参拝をやめた。



国民はそれほど騒がなかった。
マスコミが靖国参拝を騒ぐようになった。



社会党の生き残り、民主党に大勢いますね。

自分の主義を変えて民主党に入ったわけじゃない。
選挙に当選する目的のために、民主党にいる醜い奴らです。


ナニジンなんでしょうね~

戦後の陛下の日本巡行とマッカーサーとの対面

2013年08月20日 14時15分56秒 | 色んな情報
戦後の陛下の日本巡行とマッカーサーとの対面

ローマ大帝国も、ナポレオンの国でさえも、一度戦いに負ければ亡びている。

私の国のカイゼル陛下にしても、また生前中は神の如く慕われていたヒットラーも、イタリアのムッソリーニも、戦いに負けたらすべてそのまま残ることはできない。

殺されるか、外国に逃げて淋しく死んでいる。だから日本の天皇も外国に亡命すると思っていた。...


しかし、そんなことは聞かない。だからすでにこの世におられないと思っていた。

ところが最近、日本から来た記録映画を見て驚いた。

天皇が敗戦で大混乱の焼け跡を巡っておいでになる姿である。

しかも、二年もの長い間、北の端から、南の端まで、焼き払われた廃墟を巡って、国民を慰めておられる。

陸軍も海軍もすでに解体されているのに、一兵の守りもないのに、無防備のままで巡っておられる。

平穏無事なときでも、一国の主権者が、自分の国を廻られるその時には、厳重な守りがなされている。

それでも暗殺される王様や大統領がある。

それなのに一切の守りもなく、権力、兵力の守りもない天皇が日本の北から南まで、焼き払われた廃墟を巡る。

国民を慰める。何という命知らずの大胆なやり方であろうか。

いつどこで殺されるか。こう思って映画を見ていた。

しかし驚いたことに、国民は日の丸の小旗を打ち振って天皇を慰めている。

こんなに美しい国の元首と国民の心からの親しみ、心と心の結び、これはどこにも見られないことである。

われわれは改めて、日本を見直し、日本人を尊敬しなければならないと思っている。

オットー・カロン=(ドイツ、大学教授)










マッカーサーを心服させた昭和天皇


「…(終戦時において)陛下に対する占領軍としての料理の仕方は、四つありました。

一つは東京裁判に引き出し、これを絞首刑にする。
一つは共産党をおだてあげ、人民裁判の名においてこれを血祭りにあげる。
三番目は、中国へ亡命させて中国で殺す。そうでなければ、二〇個師団の兵力に相当するかと怯えた彼らです。
また第四番目は、闇から闇へ、一服もることによって陛下を葬り去ることでありました。



いずれにしても、陛下は殺される運命にあったのです。
天皇は馬鹿か、気狂いか、偉大なる聖者か、いつでもつかまえられる。
かつては一万八〇〇〇人の近衛師団に守られたかもしれないが、
今や全くの護衛を持たずして、二重橋の向こうにいる。…



陛下の割腹自刃の計画は、三度ありました。
貞明(皇太后)様は、(侍従に、)陛下から目を離さんように命じました。
じつに一番悩まれたのは、陛下でありましたでしょう。



九月二七日、陛下がただ一人の通訳を連れて、
マッカーサーの前に立たれたことは、皆様方もよくご承知の通りであります。
ついに天皇をつかまえるべき時が来た。



マッカーサーは、二個師団の兵力の待機を命じました。
マッカーサーは、陛下は命乞いに来られたものと勘違いし、
傲慢不遜にもマドロスパイプを口にくわえて、ソファーから立とうともしなかった。



陛下は直立不動のままで、国際儀礼としてのご挨拶を終え、こう言われました。



『日本国天皇はこの私であります。戦争に関する一切の責任はこの私にあります。私の命においてすべてが行なわれました限り、日本にはただ一人の戦犯もおりません。

絞首刑はもちろんのこと、いかなる極刑に処されても、いつでも応ずるだけの覚悟はあります』



――弱ったのは通訳でした。その通り訳していいのか



――しかし陛下は続けました。


『しかしながら、罪なき八〇〇〇万の国民が、住むに家なく、着るに衣なく、食べるに食なき姿において、まさに深憂に耐えんものがあります。

温かき閣下のご配慮を持ちまして、国民たちの衣食住の点のみにご高配を賜りますように』




天皇は、やれ軍閥が悪い、やれ財界が悪いと言う中で、一切の責任はこの私にあります、
絞首刑はもちろんのこと、いかなる極刑に処せられても…と淡々として申された。
このような態度を見せられたのは、われらが天皇ただ一人であったのです。
陛下は我々を裏切らなかった。



マッカーサーは驚いて、スクッと立ち上がり、今度は陛下を抱くようにして座らせました。
そして部下に、「陛下は興奮しておいでのようだから、おコーヒーをさしあげるように」と。



マッカーサーは今度は一臣下のごとく、直立不動で陛下の前に立ち、
「天皇とはこのようなものでありましたか!天皇とはこのようなものでありましたか!私も、日本人に生まれたかったです。陛下、ご不自由でございましょう。私に出来ますることがあれば、何なりとお申しつけ下さい」と。



陛下は、再びスクッと立たれ、涙をポロポロと流し、
「命をかけて、閣下のお袖にすがっておりまする。この私に何の望みがありましょうか。重ねて国民の衣食住の点のみにご高配を賜りますように」と。



そののちマッカーサーは、陛下を玄関(ホール)まで伴い、見送ったのです。



ただ一言、マッカーサーは、『陛下は磁石だ。私の心を吸いつけた』と言いました。


http://www.youtube.com/watch?v=EcJN4MNFAhM%28昭和のカラー映像%29もっと見る

『ぼやきくっくり』   江戸時代を見直そう

2013年08月20日 13時48分22秒 | 色んな情報
『ぼやきくっくり』   江戸時代を見直そう

■石川英輔(作家)   http://p.tl/wPlU
...
 江戸時代の日本人は、技術者として細々と調べると、蒸気機関を使わないで作れるモノなら何でも作っています。「よくぞこんなモノをつくったもんだ」と驚かされるモノが山のようにあります。

 まず伊能忠敬の使った測量器具。忠敬の使った測量器具には手製のようなものもありますが、角度を測る装置は明らかにメーカー品なんです。個人が趣味で作れるようなものではない。調べてみると、すでに測量器具はきちんと存在し、カタログ販売をしているんです。

 江戸後期に作られた合巻という本があります。従来の薄い本(絵草紙)を何冊も合わせて一冊にしたもので、内容はくだらない読み物がほとんどですが、その表紙にはきれいな錦絵が付いています。私のように半世紀もカラー印刷の仕事をしてきた人間が見ても、「いったいどうやって作っただろう」と思うものがあるのです。今の技術でやれば、昔の錦絵なんて簡単に複製できるとお思いになるでしょうが、そうではない。それほど高度な技術が駆使されているんです。





石川英輔 いしかわえいすけ (読書)
1933年京都府生まれ。SF作家、江戸文化研究家。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科講師。

国際基督教大学、東京都立大学理学部中退。

1961年にミカ製版を設立して社長となり、「SF西遊記」で作家デビュー。1985年以降は専業作家となり、江戸時代へのタイムスリップ物の執筆をきっかけに、江戸時代の環境事情などを研究し、一連の「大江戸~事情」シリーズを出している。





読書のおと(石川英輔作品のページ)

http://www.asahi-net.or.jp/~wf3r-sg/ntishikawaeisuke.html


≪歴史の中に未来ありと信じ…≫

2013年08月20日 13時28分00秒 | 色んな情報
≪歴史の中に未来ありと信じ…≫

西園寺 真湖
コレ隠したいしな
日本統治前の朝鮮
(ΦωΦ)フフフ…必死だなぁ

あああ、哀れなり。...
でも、特亜三兄弟に「憐憫の情」は無用
恨まれるだけやし
アホくさ。

筑波大学大学院教授・古田博司 「不都合な歴史」書き換える韓国

 言うまでもないことだが、歴史の中に未来はない。もしあれば、将来の得を取ろうとしてみなが歴史学者になってしまう。そんなことにはならないので、「歴史の中に未来はない」のである。

 ≪歴史の中に未来ありと信じ…≫

 そうではなく、「歴史は乗り越えるもの」としてある。歴史を研究するには史料を読む。すると出てくるのは、これまでの経緯説明と、民族の行動パターンだけである。この経緯を知り、パターンがまずければ変更し、別の方向へと超え出ていく。知らなければ未来へと進む方向すら分からないから過去を研究するのである。

 今の韓国の狂騒のような反日は「歴史の中に未来がある」と思い込んでいる結果、自分たちにとってまずかった歴史自体を変えたいとの意欲から起きてくる。

 この根は金泳三大統領の「歴史の立て直し」運動にある。ソウルの朝鮮総督府の建物を破壊し、竹島を政治宣伝に利用し始め、果ては日本人が植民地時代に地中に杭を打ち込み韓国人の元気の素の風水の地脈を断っていったとし、全国杭抜き運動まで始めた。

 盧武鉉大統領時代の2005年には、「真実・和解のための過去事整理基本法」という史上例をみない過去遡及法を成立させた。さらには植民地時代の親日派の子孫を弾圧すべく、彼らの財産を没収する特別法が施行された。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130820/kor13082003180001-n1.htm

最近になり、1965年の国交正常化時の日韓請求権協定で既に解決済みの問題が蒸し返され植民地時代の徴用工への賠償を日本企業に命じる判決が出されたり、盗まれた対馬の仏像の返還を拒んだり、「旭日旗バッシング」が起きたり、朴槿恵大統領が「加害者と被害者の歴史は千年変わらない」と言ったりするのも、「歴史の中に未来がある」と思い込んでいる結果、自分たちにとってまずかった歴史を変更したいという逆向きの未来を志向していることから起こるチグハグなのである。

 ≪日本による近代化移植を否定≫

 日本人なら誰でも勝手に歴史認識を変えてしまってはいけないと思うことだろう。だが、本当は日本人誰でもがそうなのではない。例えば「歴史の中に未来があるのだから過去をたどればよい」という間違った思想は、世界中の左翼には実はおなじみのものである。マルクスの「今日までのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である」という歴史観は、現代の階級闘争を過去にまでさかのぼらせたものであり、そうした思想を信じた歴史教科書では、日本の貴族と武士が階級闘争をしているように描かれたことがあった。

 韓国でも、李氏朝鮮時代は素晴らしい時代で、後期には資本主義の芽生えがあった、それを摘んでいったのが日本だという「資本主義萌芽論」はおなじみで、検定の世界史教科書に常識のように現れる。李朝末期は日本人も外国人も写真機を持って朝鮮に渡った。染料がないため白衣の人々が仕事もなく不潔な市場に集まっているような写真は、ネットを開けば今やどっと出てくる。近代化は日本が朝鮮に移植したのである。http://sankei.jp.msn.com/world/news/130820/kor13082003180001-n2.htm

韓国人はそれを認めるのが嫌で日本時代を否定したい、歴史を変えたいという衝動が先に立つ。本当は旭日旗どころか日の丸も否定したい。自分たちのブルーとレッドの日の丸をじっと見つめた方が良い。あるいは、旭日旗が社旗の朝日新聞社に相談するか。

 法を変えて過去を断罪しようとすれば、法治国家の資格を失う。近代法も日本が韓国に与えたものだ。それが証拠に、韓国の法律用語のほとんどは日本由来のものである。せっかくもらった近代法の定着と運用で、韓国はうまくいかなかったのだ。自国に批判的だからといって、日本に帰化した女性評論家の入国を拒否するなど、盧武鉉左翼政権時代の青瓦台統一外交安保首席秘書官だった現在の外相の尹炳世氏などはどう考えるのだろうか。

 ≪中韓北では思うモノは実在≫

 もう一つの問題は韓国のみではなく北朝鮮にも中国にもある。3カ国はいわば超(ウルトラ)実念論の国々だ。これは「思っているモノは実在だ」という思想によって生じる。中国共産党の「核心的利益」がそれで、チベットもウイグルも南シナ海も東シナ海も尖閣諸島も沖縄も何百年も前から中国の「領土」だった。だから中国人のものだという。論理にも何にもなっていないので、日本人には不思議に思える思想である。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130820/kor13082003180001-n3.htm

韓国も歴史的に共有する。風水を信じ、日本人が杭を打ち込んで断脈したに違いないと思うと全国杭抜き運動が始まり、出てきたという杭が並べられ、やっぱり日本人は悪辣(あくらつ)だと結論づける。

 近代民法典を移植し、朝鮮の民衆を安堵せしめた日本が、李朝の人さらいのように暴力で徴用したり慰安婦狩りをしたりできるはずがない。それは北朝鮮の得意技だろう。だが、「思っているモノは実在だ」という思想が、彼らの近代的思考を常に阻害する。結局、中国と北朝鮮は共産主義の張り子の虎、韓国は自由主義の「はぐれ者」にしかなれなかったのだ。(ふるた ひろし)
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130820/kor13082003180001-n4.htm


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