縄文人の反乱 日本を大事に

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【公共心】 「みんなのため」に、

2013年08月26日 17時29分26秒 | 色んな情報
【公共心】 「みんなのため」に、

大日本皇國
 現代の日本人の多くは、「みんなのため」という心を失い、「自分のため」だけを考えるようになってしまいました。しかし、かつての日本には、「自分のため」を超えて「みんなのため」に、立派な行動をした人たちがたくさんいました。 

 ここに、「稲むらの火」という話があります。

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「これはただごとではない」とつぶやきながら、五兵衛は家から出てきた。今の地震は、べつにはげしいというほどのものではなかった。しかし、長いゆったりとしたゆれ方と、うなるような地鳴りとは、老いた五兵衛に、今まで経験したことのない不気味なものであった。五兵衛は、自分の家の庭から、心配げに下の村を見下ろした。村では豊年を祝う宵祭りのしたくに心を取られて、さっきの地震にはいっこう気がつかないもののようである。

 村から海へ移した五兵衛の目は、たちまちそこに吸い付けられてしまった。風とは反対に波が沖へ沖へと動いて、見る見る海岸には、広い砂原や黒い岩底が現れてきた。

「たいへんだ。津波がやってくるに違いない」と、五兵衛は思った。このままにしておいたら、四百の命が、村もろともひと飲みにやられてしまう。もう一刻も猶予はできない。

「よし」と叫んで、家にかけ込んだ五兵衛は、大きな松明(たいまつ)を持って飛び出してきた。そこには、取り入れるばかりになっているたくさんの稲束が積んである。

「もったいないが、これで村中の命が救われるのだ」と、五兵衛は、いきなりその稲むらのひとつに火を移した。風にあおられて、火の手がぱっと上がった。ひとつまたひとつ、五兵衛は夢中で走った。こうして、自分の田のすべての稲むらに火をつけてしまうと、松明を捨てた。まるで失神したように、彼はそこに突っ立ったまま、沖の方を眺めていた。

 日はすでに没して、あたりがだんだん薄暗くなってきた。稲むらの火は天をこがした。山寺では、この火を見て早鐘をつき出した。

「火事だ。庄屋さんの家だ」と、村の若い者は、急いで山手へかけ出した。続いて、老人も、女も、子供も、若者のあとを追うようにかけ出した。

 高台から見下ろしている五兵衛の目には、それがアリの歩みのように、もどかしく思われた。やっと二十人ほどの若者が、かけ上がってきた。彼らは、すぐ火を消しにかかろうとする。五兵衛は大声に言った。

「うっちゃっておけ。----たいへんだ。村中の人にきてもらうんだ」村中の人は、追々集まってきた。五兵衛は、あとからあとから上がってくる老幼男女ひとり一人数えた。集まってきた人々は、燃えている稲むらと五兵衛の顔とをかわるがわる見くらべた。そのとき、五兵衛は力いっぱいの声で叫んだ。

「見ろ。やってきたぞ」。たそがれの薄明かりをすかして、五兵衛の指さす方を一同は見た。遠く海の端に、細い一筋の線が見えた。その線はみるみる太くなった。広くなった。非常な速さで押し寄せてきた。

「津波だ」と、誰かが叫んだ。海水が、絶壁のように目の前に迫ったと思うと、山がのしかかってきたような重さと、百雷の一時に落ちたようなとどろきとをもって陸にぶつかった。人々は、我を忘れて後へ飛びのいた。雲のように山手へ突進してきた水煙のほかは、いっとき何物も見えなかった。

 人々は、自分らの村の上を荒れ狂って通る白い恐ろしい海を見た。二度三度、村の上を海は進みまた退いた。

 高台では、しばらく何の話声もなかった。一同は、波にえぐり取られてあとかたもなくなった村を、ただあきれて見下ろしていた。

 稲むらの火は、風にあおられてまた燃え上がり夕やみに包まれたあたりを明るくした。初めて我にかえった村人は、この火によって救われたのだと気がつくと、無言のまま五兵衛の前にひざまづいてしまった。

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 この話は、戦前の尋常小学の国語教科書(昭和12年以降)に掲載されたものです。和歌山県の小学校教員・中井常蔵が、子供向けに書いたものです。主人公のモデルは、今も和歌山県で尊敬されている浜口儀兵衛(梧陵)という人物です。

 日本の歴史には、私たちが見習うべき人物の話が多数あります。私たちは、先人に学び、「自分のため」を超えた「みんなのため」という心を取り戻したいものです。

韓国併合条約調印直後の1910年8月26日付け  ロシアの新聞ジュルナル・ド・サン・ペテルスブール紙は

2013年08月26日 17時13分23秒 | 色んな情報
韓国併合条約調印直後の1910年8月26日付け  ロシアの新聞ジュルナル・ド・サン・ペテルスブール紙は

京免 史朗

当時の外国新聞の記事だそうだ。

ロシアの新聞ジュルナル・ド・サン・ペテルスブール紙は
韓国併合条約調印直後の1910年8月26日付けで
次のような論評を掲げている。

「フランスがアルザス=ロレーヌを失って以来、またとりわけボスニアとヘルツェゴビナがハプスブルク王国に組み込まれて以来『併合』という言葉はおぞましい意味を持ち、国家間の強盗と同義語になった。
だが、朝鮮を日本が掌握することにはこのような意味合いを持たせることはできずむしろアルジェリアのフランスへの併合やイギリスによるエジプトの占領、カフカスあるいはヒヴァ汗国のロシアへの主権移行などがもたらした恩恵の記憶を喚起するものだ」

「朝鮮は、日本の統治下に入って以来、夢のような変化の道を歩んでいる。 見る見るうちに、広大な鉄道網や電信電話網が敷かれた。
公共建築物や工場が立ち並び、日増しに増え続けている子供達は学校に通っている。
農業も盛んになっている。
輸出は5年で三倍以上になった。財政は、輝かんばかりの状態にある。
港は活気に満ちている。司法制度が改革され、裁判の手続きもヨーロッパの裁判所に 決して引けをとらない・・・
この観点に立てば、朝鮮の日本への併合は極東の繁栄と 発展の新たな要素となるだろう」
(国際ニュース辞典『外国新聞に見る日本』第4巻)

他国を「取る」ことが“善”とされた時代もある。
上記の論評は、他国の「併合」が「恩恵の記憶」(善のイメージ)から「国家間の強盗」(悪のイメージ)へと、 次第に移ろいつつあった時代の雰囲気をうまくとらえていると思う。

韓国併合は、そうした行為がなおも“善”とみなされた最後の時代に、韓国の主権者で あった高宗皇帝をも含む、全世界の承認の下になされたものである。
「併合」という過酷な現実に、当初は抵抗もあり弾圧もあったが
その根底に流れていた「日韓合邦」の理想は、“一視同仁”と謳われた日本の統治を「侵略」や「植民地」といった今風の概念では決して包摂のし得ぬものにした。

やがてはそれが韓国近代化の地ならしをし、韓国民の幸福にも繋がっていくのだが、 そういう事実を現代人は忘れてしまっている。

国連憲章「敵国条項」について    「平成中野学校」より引用

2013年08月26日 16時20分45秒 | 色んな情報
国連憲章「敵国条項」について    「平成中野学校」より引用

京免 史朗

日本では国連の事を「国際連合」と呼ぶが「United Nations」とは「連合国」と訳すのが正しいらしい。元々は第二次世界大戦中に連合国側の米・英・露・仏・中の5ヶ国が、戦後の枢軸国側の扱いについて起草し、この5ヶ国がそのまま常任理事国として、1945年6月26日に「連合国憲章」をサンフランシスコで発効した。(連合国=戦勝国クラブ)
日本がポツダム宣言を受諾する50日前だが、問題の第53条2項には50ヶ国が署名したとされる。敵国は国連憲章第53、77、107条に記載されている。(一般には第107条を指す)

★第107条「第2次大戦の終戦処理のために連合国が行なった講和条約等の諸措置を、憲章が無効または排除するものではない」

★第 53条「地域的取り決めに基づいて、地域的機関が第107条の下でとる措置と、旧敵国の侵略政策の再現に備えるためにとる強制行動には安保理の許可を不用とする」

「敵国」として固有の国名は記載されていないが、日本・ドイツ・イタリア?・ブルガリア・ハンガリー・ルーマニア・フィンランドの7ヶ国とされている。

☆1951年9月に日本は連合国とサンフランシスコにおいて「講和条約」に調印、翌1952年4月に平和条約が発効し、日本の独立が回復された。(多数講和)
 
 サンフランシスコ平和会議には52ヶ国が参加したが、ソ連・ポーランド・チェコの3ヶ国は調印せ  ず。会議に参加しなかったインドは講和条約発効後自主的に戦争状態の終結を宣言。
 台湾の国民党政府との講和条約も締結されたが、調印したものの批准しなかったインドネシアや参加しなかったビルマ、参加を認められなかった中国の共産党政府との国交回復はその後に持ち越された。

☆1972年9月に日本はそれまで国交のあった台湾(中華民国)と国交を断絶し、中華人民共和国と北京で共同声明を発表し日中国交正常化を果たした。

☆1991年3月の第12回日ソ定期外相協議でソ連のべススメルトヌイフ外相は中山太郎外相との会談で、旧敵国条項削除に同意した。

☆1995年3月に国連憲章特別委員会が旧敵国条項の削除、改正を総会に勧告。
☆1995年12月に国連総会で国連憲章から旧敵国条項を削除する決議を、賛成155、棄権3(北朝鮮・キューバ・リビア)で採択。

☆2005年7月国連総会のピン議長は18日の共同通信などとの会見で旧敵国条項について「削除されると確約することができる」と述べ、同条約撤廃のために憲章改正に障害はないとの考えを言明。

連合国憲章改正には「軍縮」「人権」などの要件もふくまれる為、それらに消極的な国の思惑も絡み中々進展しない。旧敵国条項削除決議に関しても成果文書の「resolve to(決意する)」という言葉は、総会の機関決定を意味する「decide to(決定する)」と異なり、あらためて機関決定が必要となる。
具体的には、削除を望む国が現行の国連憲章を改正する決議案を総会に提出、国連加盟国の2/3以上の支持を得て採択、批准されて初めて削除が実現する。

★さっさと決議案を出し、なぜ安保改革と切り離した形での削除を求めないのか?

その理由として、佐藤行雄元国連大使は同条項が1995年の総会決議で「時代遅れ」と明記され、事実上死文化している事に加え「単独で削
除を求めた途端、日本は常任理事国入りをあきらめたと言われる」怖れもあると指摘した。

また外務省は「旧敵国条項は実質上廃止されたものと解釈している」である。

◎私見を述べれば、元大使発言は死文化している事と削除された事実には違いがある事を誤魔化している上、単独がまずいならドイツなどと合同で求めれば良いし、国際軍事行動がまともに出来ない日本が軍事連合の常任理事国にはいれると考えている認識に疑問を感じる。

 外務省の予測はことごとく外れ続けている今日、勝手な解釈で仕事をさぼってもらいたくない。

戦後日本は多くの国と平和交流し、金と技術を援助し、べらぼうな負担率の国連分担金を完納し、席も無い安保理に1/5もの巨額な資金負担をしてきた「正式」(1965年以来)な加盟国である。
それがどこからどう見れば、53条の「侵略の再現」を意図する国に見えるのか?
また107条は「旧敵国との間で結ばれた条約や協定は国連憲章に優先する」と述べている。

サザエさんより歴史の浅い国って・・・

2013年08月25日 18時42分57秒 | 色んな情報
サザエさんより歴史の浅い国って・・・

京免 史朗
「日本のアニメコンテンツを輸出する際、韓国の代理店のスタッフと話していてよく言われるのが『それってうちの国の◯◯◯◯って作品のパクリじゃないの?』なんていうもの。よくネットでも話題になる、向こうの一部の人にかかれば何でも朝鮮半島起源っていうやつなんですが、『サザエさんの筆者はおそらく韓国の家族をモデルにして作ったはず』って言われた時は、さすがにびっくりしましたね」(アニメ事業関係者)
サザエさんは韓国人の意外な根拠?

 フグ田サザエと夫のマスオ、息子のタラちゃん、サザエの両親である波平にフネ、兄弟のカツオ、ワカメ…これは韓国、日本、どこにでもありそうな家族だが。朝鮮半島起源という根拠は何かあるのだろうか? 「家族がどうって言うんじゃなくて、名前が根拠だって言うんです。この韓国のスタッフによれば、向こうにはソラ(소라)という名前の人がちょくちょくいるらしい。このソラ(소라)というのが、韓国語ではサザエという意味。他にも巻貝全般を表したりもするそうですが。  日本ではサザエっていう名前の人はいないけれど、韓国にはサザエという名前が多い。じゃあ日本の国民的アニメの起源は韓国なんじゃないかって言うんです。うーん、なるほどとは思うんですが、さすがにそれはないのではと」(前出・関係者)  韓国のスタッフもさすがに冗談で言ったのではないかと思うのだが、本当に「サザエさん」という名前の人物が向こうに多いというのにはビックリ。他にマスオやカツオという名前もいるのかなどまだまだ調査の必要がありそうだ。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

サザエさんの連載開始 1946年4月22日
韓国建国 1948年8月15日

サザエさんより歴史の浅い国って・・・

三光作戦は旧日本軍が中国で行った抗日ゲリラの粛正作戦です。【支那の毎日が使った】

2013年08月25日 17時58分36秒 | 色んな情報
三光作戦は旧日本軍が中国で行った抗日ゲリラの粛正作戦です。【支那の毎日が使った】

三光とは「殺し尽くす、奪い尽くす、焼き尽くす」という中国側の言い方
日本ではこんな使い方をしない文字だ

【支那の毎日】「は支那人ですから  日本人ではない


【支那の毎日】「拝啓、文部科学大臣下村博文様。旧日本軍による非戦闘員に対する虐殺『三光作戦』は史実です。実話に基づく『はだしのゲン』を自由に読めないのは悲しい」

作成者: 京免 史朗さん
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
137:名無しさん@13周年:2013/08/24(土)
>> 三光作戦は旧日本軍が中国で行った抗日ゲリラの粛正作戦です。
三光とは「殺し尽くす、奪い尽くす、焼き尽くす」という中国側の言い方で、
非戦闘員の住民に対する虐殺や略奪などを指します。
支那人の主張はその通りなんだけどさ、
んでさ、日本語では「光」は「~し尽くす」という意味はない。

日本の学校では教えてないし、習っていないんだよ。
「~し尽くす」の意味では「尽」の漢字しか使わない。

「光」を「~し尽くす」とは読まないし、そういう発想も日本人にはない。

だからもし日本人が三光作戦という作戦を立てたなら、
「~し尽くす」の意味はないはずだ、教えていない、使っていない、教わっていないからね。

ただ支那人は「光」を「~し尽くす」の意味で使っている。

つまり日本人には三光作戦に「~し尽くす」の意味はないけど
支那人には「~し尽くす」の意味がある。

日本人も漢字を使っているから、
たぶん「光=~し尽くす」の意味で使っているはずだと支那人が錯覚して
日本人を誤解して、その錯覚のまま、誤解のまま
広めた反日の戦争プロパガンダなんだよ。

26:名無しさん@13周年:2013/08/24(土)
「殺し尽くす、奪い尽くす、 焼き尽くす」

中国人にピッタリの言葉です

27:名無しさん@13周年:2013/08/24(土)
大日本帝国軍には軍隊を取り締まる為の警察、憲兵隊が居た。

憲兵には上官に対しても逮捕権を行使できたし、
支那人の婦人を強姦して死なせた下士官を 捜査で即みつけだして
銃殺にしている記録もある。

また、現地人の店の無銭飲食なんかでも徹底的に摘発している。

日本の憲兵の恐ろしさと言えば、まさに泣く子も黙る恐ろしさで
およそ、憲兵の目が光っている占領地はかなり平和だった。

大体当時の日本軍は茹だるような暑さでも、命令がないと
上着のボタン一つはずせないような軍隊だった。

それを基準に考えれば殺人や強姦の一件や二件でも起きれば
「言語を絶する不軍紀行為」と言えるだろうな。

そうして、現地の犯罪者は尽く処罰された。
今でもそうだが、日本軍は非常に国際社会の目を気にしていたからだ。

そして、現地で犯罪者が犯罪行為を勝手にやっているのは、
軍の行為とは関係が無い。

犯罪者が現地で勝手に犯罪をするというのは、何処の世界のどの地域の、
どの時でも日常的に存在し、昨日だって今日だって、
日本でも、世界中でも犯罪者は犯罪をしまくりである。

そんなものは、いつだって、世界的に問題とされていない。

其れを問題だというなら、日本国内で強姦を犯しまくっている朝鮮人について、
韓国政府はいちいち謝罪しろ。そんな事例はあり得ないのである。

世界的に問題とされるのは、
軍が、軍の命令で、犯罪行為を命令し、
または、そういった犯罪行為を取り締まらずに、意図的に放置した場合である。

其の場合は、軍、国家に責任があるのである。

アメリカ軍、支那軍は国際法違反の犯罪行為を軍令によって常態的に行いまくり、
日本軍はそういう事はしなかったのである。

(・o・)マトモナ認識なら日本軍はコンナ組織です

「旭日旗を掲げて中国人を殺す朝鮮人 」

2013年08月25日 17時21分34秒 | 色んな情報
「旭日旗を掲げて中国人を殺す朝鮮人 」


京免 史朗


「旭日旗を掲げて中国人を殺す朝鮮人 」
         ※この絵の作者は中国人です

http://ic.photo.mixi.jp/v/aaa8c8d42d85343361d70ad6d169a18b2b85fc052d/5219bcdd/picture/33738144_1990350363_81small.jpg



韓国は被害者ではなく日本の戦争に加担した加害者だった。 ...

ところが、韓国は「朝鮮は植民地だった」と嘘をつき、責任逃れを続けている。

ドイツに併合されていたオーストリアは、加害者であることを認め、謝罪した。

しかもオーストリアは1938年から僅か6年の併合期間であり、
ドイツの軍事侵攻による併合なのだ!

日韓併合のような、正式な手続きを踏んだものではない。

ところが、日本に正式な手続きを経て併合されていた韓国は、
中国や東南アジア等に一度も謝罪していない どころか1ウォンも賠償していない。

韓国は、歴史捏造によって、被害者を演じる卑怯者である。もっと見る

実は二重スパイ?中国御用学者の裏の顔    朱建栄・東洋学園大学教授

2013年08月25日 17時04分56秒 | 色んな情報
実は二重スパイ?中国御用学者の裏の顔    朱建栄・東洋学園大学教授

西園寺 真湖


こう言う事らしい。
元ねたがWillなので信頼できるんジャマイカ。

(426)実は二重スパイ?中国御用学者の裏の顔
...


 朱建栄・東洋学園大学教授、テレビなどにも度々出演し、やや甲高い声で中国側に立った発言を続けていたからご記憶の向きも多かろう。

 〈「日本在住の中国人言論人のなかで、朱さんの中国共産党との繋がりはトップクラス。ある意味、御用学者なわけです。番組出演の前には、携帯電話で中国大使館などに連絡し、その日の発言内容についてどこまで話していいのかなど確認するほどでした」(あるテレビ局の幹部)〉

 『週刊新潮』(8月29日秋風月増大号)が、この朱建栄教授が7月17日、上海で消息を絶ったことを報じている。

 「日本叩(たた)きの切り札は軟禁中『二重スパイ』の有名教授」

 要は二重スパイの疑惑で中国の国家安全部に拘束されているらしい。

 「日本華人教授会議」なる組織の代表を務める朱建栄氏が〈「日本の外務省職員らともかなり頻繁に懇談会を開いて」(中国ウオッチャー)〉〈日本側の機密情報を入手すべきところを、逆に中国側のそれを提供していたのではないかとの疑いが持たれた〉という。

 9月11日は尖閣国有化1年、中国はそれを機に、朱建栄教授の捜査結果を公表。〈「日本は卑劣にもスパイを使って中国の情報を盗み取っていたという反日キャンペーンを大々的に打ってくる」(外務省幹部)〉

 便利だからとこんな“教授”を安易に使い続けてきたテレビ局の責任も問われるべきだ。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130825/bks13082512050015-n1.htm

中国側がらみでもう1本。

 『週刊現代』(8/31)のトップ「中国人社員に機密文書を盗まれた日本の有名企業30社」。

 中国に進出している日本企業は2万3千社、現地で1千万人もの中国人を雇っている。そんな日本企業の機密情報が検索エンジン「百度(バイドゥ)」のデータ共有サイト「百度文庫」にだだ漏れ状態。〈「日系企業の機密の宝庫」と中国国内で囁(ささや)かれている〉という。

 朱建栄教授の場合といい、日本人の情報管理は甘すぎる。

(『WiLL』編集長)http://sankei.jp.msn.com/life/news/130825/bks13082512050015-n2.htmもっと見る

【ご報告】 本日のフェンスクリーン作業 お疲れ様でした。8月25日

2013年08月25日 16時36分45秒 | 色んな情報
【ご報告】 本日のフェンスクリーン作業 お疲れ様でした。8月25日


手登根 安則

本日9時から開催したフェンスクリーン作業ですが、熱心な方は午前6時くらいから参加していただき、延べ48名の参加者によって、10時15分に全てのテープ、紐を除去し終了いたしました。
特に妨害や、特殊な仕掛けなどもありませんでしたが、垢紐がくくられた鉄条網にて、一人の方が怪我をしております。
近々、公安当局に安全の確保の要請をしたいと思います。
今回、ヤングマリーンの方々も参加しており、片言の英語と日本語で意志の疎通を図りながら、ともに汗を流していただきました。
親子連れも結構多くおり、掃除をする大人を見せて、そして自らがこれに参加をするということは、まさに健全育成そのものだと思います。
残暑厳しい中、神の恵みのように雲が張り出し、作業をする私たちを覆ってくれました。
初秋のような、爽やかな風のなかでの作業は、熱中症になる方も出ず、まずはほっと一息つけました。
初めて参加するという方もおり、ぎこちない手つきで熱心に剥されていました。
通りかかりの車やバイクの方からの激励のことばや、差し入れなど、作業終了後はそれらを用いての賑やかなパーティーとなっております。
作業中も、終わっても皆笑顔のまま。
これこそ平和ではないでしょうか。
参加して頂きました皆さん、そして差し入れを頂いた皆さん、通りかかりに応援の声をかけてくれた市民の皆さん、そしてこの活動を背中から支え続ける、日本全国の皆さん、ご支援心から感謝申し上げます。


民間感覚「高過ぎる」 那覇西高校PTA 手登根安則会長(48) http://p.tl/xKW0


主催者挨拶:手登根安則10・28普天間飛行場の迅速・移設を求める市民行進  http://p.tl/EBRd

8/19 【祝!チャンネル桜沖縄支局開設】ゲスト挨拶【手登根安則氏他】 http://www.nicovideo.jp/watch/sm21638365


手登根 安則 - 【沖縄の真実】 日本人がフェンスを汚し、アメリカ人が街を綺麗にする・・・... | Facebook   http://p.tl/Ck2H



封殺されている沖縄の声や沖縄教職員組合の実態と、自称県民の代弁者 ...手登根安則(てどこん やすのり)氏  http://p.tl/MDyd



てどこんやすのり、今日も行く - Yahoo!ブログ  http://p.tl/lFBA
『手登根 安則 【資料】 平和団体「非暴力の平和運動家」   http://p.tl/hBDW

不易流行(ふえきりゅうこう)について

2013年08月25日 15時09分15秒 | 色んな情報
不易流行(ふえきりゅうこう)について

茶道っていいね!倶楽部
8月19日
不易流行(ふえきりゅうこう)について

不易流行は、禅語ではありません。

今日、8月19日は俳句の日ということで、
俳句にちなんだ言葉を選びました。...


不易流行は、俳人 松尾芭蕉が俳諧のあり方に
ついて説いた究極の概念と言われています。

「不易」は、世の中がどんなに変化しても
絶対に変わらない不変のもの。

逆に「流行」は、社会や状況の変化によって、
どんどん変わっていくもののことです。

芭蕉は、不易と流行の両者を
「その本は一なり」といっています。

もとは同じということです。

変化の激しい現代社会にあって、学問や芸術文化、
人間形成、facebookなどITによる新たなツールにも
そのまま当てはめることができますね。

何かが突出するのではなく、
両者のバランスが大切ということでしょうか。


最後に、写真の茄子香合に因んだ一句を、、

めづらしや山を出羽(いでは)の初茄子    芭蕉


「 空手道・オリンピックに行かないでー 」25・1・5

2013年08月25日 11時58分50秒 | 色んな情報
「 空手道・オリンピックに行かないでー 」25・1・5

石坂 哲朗    報道されない事実
「 空手道・オリンピックに行かないでー 」25・1・5
( 古いものですが、たまたま本日、武道論談義になりましたので、
   参考にして下さい。ご共鳴いただいた方リクエストも宜しく。てつろー)

私の恩師で公益財団法人全日本空手道連盟・いわゆる全空連 事務局長の「 日下 修次 」師より賀状を頂いた。
師は日本大学時代 本部の体育会のウエイトリフティング部に所属し、又、幼少の頃から空手道・四大流派のひとつ糸東流を始められ、それを極めた眉目秀麗の豪漢である。
師は昨年の春に局長に就任され、お祝いの席をと思いつつ未だ実現していない。
師とは、私の叔父が日本空手協会 主席師範・元拓殖大學体育局長 故 「 中山正敏 」先生であった事と、流儀は違えど同じ武術を志す関係から17歳の時よりなにかと御世話に成っている。

師の状には2020年東京オリンピックを実現し空手道を正式の競技にしたい旨記されている。
かたや極真会の考案した「 フルコンタクトカラテ 」もオリンピック競技をと熱望している。
以前、今は亡き元関取の「荒勢」先輩の主催された宴席上、世界空手道連盟総裁・右翼最後の黒幕と言われている「朝堂院大覚」氏もその様に( フルコンタクトオリンピック種目待望 )熱弁していた。
この「フルコンタクトカラテ」始まりは言わずと知れた武道界・戦後の巨人の一人「大山倍達」師が「寸止め空手を空手ダンス」と軽視して始めたものであるが本来の空手道とは全く違う道を歩み始めているといって過言は無いだろう。
それでは本来の空手道とはどの様な物であるか?
大陸より沖縄へ「唐手」というものが渡来し独自の発展を遂げ「首里手」「那覇手」等の流儀が「琉球拳法」と呼ばれ、それが日本本土へ伝えられた後「 空手道 」と言う名称になった。
それでは独自の発展とは何か?
それは徒手空拳武術の世界では稀有なもので、空手道の始まりは「対人格闘武芸」では無い。
つまり九州の世界最強と謳われた剣術「 薩摩示現流 」に対抗する為の技法であり「対剣術武術」へと変革を遂げたと云う事である。
空手道の言葉に「空手に先手無し」と言うものがあるが、これは単に「後の先」(先を読み後打ちにより敵を制する技法) を取るという物ではなく、「剥き身の刃と素手の攻防」の為、先に攻撃する事は即「死」を意味するという「意」なのである。
又、有名な言葉に「一撃必殺」とある。
これは一撃の威力を誇示する物では無く、示現流・裂迫の閃光を避がれ、次の二太刀目が迫るその寸前に一撃を持って撲殺しなければ「己の生命は無い」と言う「戒めの文言・そして極意なのである」。
間合も対人格闘技と言うよりも剣道のそれに近い。
つまり本来の空手道は、他の徒手空拳の武術との根本哲学が違い技法もおのずと違うものとして
毅然と確立されたものなのである。
このような知識を持って伝統的な空手の競技を観戦すると、
「なるほど」  と思うことや今までの疑問も吹き飛ぶはずである。

いつも、いつも同じ事を言って恐縮であるが、武術の一丁目一番地であるので何度でも言う。
武術の試合には優勝した者が強いと言う定義が皆無である。
武術の強さの定義とは審判もルールも法も秩序も無い場面を想定しているからである。
「一生のうち一度あるか無いかの その時に備え、自信の大切なものを護る為に修行を積む」というものであるからだ。
試合は稽古の範囲であり、勝ったものは「良い技が出た」に過ぎず「強い弱い」の判断基準では無いのである。
そしてその「大切なものを護る」精神は、自身はもとより、家族を守り、人を助け、名誉を護り、国家を護るという大道におのずと繋がって行くものなのである。
空手道がオリンピック種目に成るのであれば海外にその「凛」とした「理」を知らしめなければならない。
ましてスポーツの様になる事は絶対避けてほしいからである。
「 剛よく柔を圧す 」 空手道ファンの一人として出来ればスポーツの土俵に乗って欲しくないと考えてしまう。
 せめて「沖縄オリンピック」まで待って・・・と言いたい。
( いしざか てつろー )

外国人がインターネットで注文して届いたとある荷物が、海外掲示板にて話題

2013年08月24日 19時53分04秒 | 色んな情報
外国人がインターネットで注文して届いたとある荷物が、海外掲示板にて話題

京免 史朗


今回は、外国人がインターネットで注文して届いたとある荷物が、海外掲示板にて話題となっていたのでご紹介します。どうやら日本人のお店がアマゾンに出品している商品を注文したようですが、心のこもったサービスが外国人を感動させたようです。


「今日、日本から荷物が届いたんだけど・・まさか手書きの手紙が入っているなんて思ってもみなかったよ!」

手紙の内容

商品を購入してくれて、ありがとうございます。
折り紙の手裏剣を同封します。
またあなたが商品をオーダーしていることを心待ちにしています。
なにか欲しい物があったら連絡して下さいね!


以下、海外の反応。



− ワオ!すごくクールだね!


− ”お客さん”以上の関係を築こうとしているように見えるね^^


− これこそがお客の扱い方だよ!


− なんだかかわいく思えてくるね。

Re 自分は日本人の小さなおじいさんがすごく丁寧にこれを書いたとイメージしているんだけど、そう思うとかわいいよね。(スレ主)

Re そう思うと、その人をハグしたくなるね。それにここからいろんな物を買いたくなるよ!

Re オンラインで買ったもの全てがこんな風だったらいいのに・・・


− 日本人は洗練されているよね。


− これが日本人ってものだよ・・・


− 自分も攻殻機動隊のフィギュアを買ったときに同じメッセージを貰ったよ。手裏剣は違う色だったけどね^^とってもクールな手紙だよ




− 今日知ったこと:キットカットの味は一つだけじゃない


− これはワサビキットカット?


− これってどんな味??キットカットもグリンティーも大好きなんだよ!

Re すごく甘くて、グリンティーの味も結構強いね。甘いグリンティーをキットカットに入れた感じ(スレ主)


− 日本のキットカットって最高に美味いよ!普通の味のキットカットでさえアメリカのより美味い。グリンティーなんて最高の味だぜ。


− グリンティーキットカットは人類史上最高の発明


− このセールスマンがどれだけ素晴しいかのスレだと思っけどキットカットスレになってないか・・・


− これはネスレのマーケティング


− ワーオ!自分も日本にオーダーしたときに手書きの手紙とフリーギフトを貰ったよ!グリンティーは嫌いだけど、これはオーダーしてみようかな・・・


− 日系スーパーで売ってんのになんで日本から買うんだ?


− 俺もここから買う


− 日本人のこういう所って素晴しいよね。


− 自分も日本から今日荷物を受け取ったけど、手書きの手紙とお菓子がついていたよ。


− これこそがカスタマーサービス


− 最近はこんなサービスに出会うのは難しいよね・・・


− 日本人って素敵だね。


− 日本は文字通り最高の国だよ。


− 私もオーダーしちゃった^^


− 手書きの手紙をもらうためだけにオーダーしてみようかな・・・寂しいんだ・・・

「いのちをいただく」 【「命と食」をテーマにした深く考えさせられるお話】

2013年08月24日 14時52分48秒 | 色んな情報
「いのちをいただく」 【「命と食」をテーマにした深く考えさせられるお話】



「いのちをいただく」



坂本さんは、食肉加工センターに勤めています。牛を殺して、お肉にする仕事です。

坂本さんはこの仕事がずっといやでした。牛を殺す人がいなければ、牛の肉はだれも食べられません。だから、大切な仕事だということは分かっています。でも、殺される牛と目が合うたびに、仕事がいやになるのです。「いつかやめよう、いつかやめよう」と思いながら仕事をしていました。



坂本さんの子どもは、小学3年生です。しのぶ君という男の子です。

ある日、小学校から授業参観のお知らせがありました。これまでは、しのぶ君のお母さんが行っていたのですが、その日は用事があってどうしても行けませんでした。そこで、坂本さんが授業参観に行くことになりました。

いよいよ、参観日がやってきました。

「しのぶは、ちゃんと手を挙げて発表できるやろうか?」

坂本さんは、期待と少しの心配を抱きながら、 小学校の門をくぐりました。

授業参観は、社会科の「いろんな仕事」という授業でした。先生が子どもたち一人一人に「お父さん、お母さんの仕事を知っていますか?」「どんな仕事ですか?」と尋ねていました。

しのぶ君の番になりました。坂本さんはしのぶ君に、自分の仕事についてあまり話したことがありませんでした。何と答えるのだろうと不安に思っていると、しのぶ君は、小さい声で言いました。

「肉屋です。普通の肉屋です」

坂本さんは「そうかぁ」とつぶやきました。



坂本さんが家で新聞を読んでいると、 しのぶ君が帰ってきました。

「お父さんが仕事ばせんと、みんなが肉ば食べれんとやね」

何で急にそんなことを言い出すのだろうと坂本さんが不思議に思って聞き返すと、しのぶ君は学校の帰り際に、 担任の先生に呼び止められてこう言われたというのです。

「坂本、何でお父さんの仕事ば普通の肉屋て言うたとや?」

「ばってん、カッコわるかもん。一回、見たことがあるばってん、血のいっぱいついてからカッコわるかもん…」

「坂本、おまえのお父さんが仕事ばせんと、先生も、坂本も、校長先生も、会社の社長さんも肉ば食べれんとぞ。すごか仕事ぞ。」

しのぶ君はそこまで一気にしゃべり、最後に、「お父さんの仕事はすごかとやね!」と言いました。その言葉を聞いて、坂本さんはもう少し仕事を続けようかなと思いました。



ある日、一日の仕事を終えた坂本さんが事務所で休んでいると、一台のトラックが食肉加工センターの門をくぐってきました。荷台には、明日、殺される予定の牛が積まれていました。

坂本さんが 「明日の牛ばいねぇ…」 と思って見ていると、助手席から十歳くらいの女の子が飛び降りてきました。そして、そのままトラックの荷台に上がっていきました。坂本さんは 「危なかねぇ…」 と思って見ていましたが、しばらくたっても降りてこないので、心配になってトラックに近づいてみました。

すると、女の子が牛に話しかけている声が聞こえてきました。

「みいちゃん、ごめんねぇ。みいちゃん、ごめんねぇ…」

「みいちゃんが肉にならんとお正月が来んて、じいちゃんの言わすけん、みいちゃんば売らんとみんなが暮らせんけん。ごめんねぇ。みいちゃん、ごめんねぇ…」  

そう言いながら、一生懸命に牛のお腹をさすっていました。坂本さんは 「見なきゃよかった」 と思いました。

トラックの運転席から 女の子のおじいちゃんが降りてきて、坂本さんに頭を下げました。

「坂本さん、みいちゃんは、この子と一緒に育ちました。だけん、ずっとうちに置いとくつもりでした。ばってん、みいちゃんば売らんと、この子にお年玉も、クリスマスプレゼントも買ってやれんとです。明日は、どうぞ、よろしくお願いします」

坂本さんは、「この仕事はやめよう。もうできん」 と思いました。そして思いついたのが、 明日の仕事を休むことでした。坂本さんは、家に帰り、みいちゃんと女の子のことをしのぶ君に話しました。

「お父さんは、みいちゃんを殺すことはできんけん、明日は仕事を休もうと思っとる…」

そう言うと、しのぶ君は「ふ~ん…」と言ってしばらく黙った後、 テレビに目を移しました。

その夜、 いつものように坂本さんは、しのぶ君と一緒にお風呂に入りました。しのぶ君は坂本さんの背中を流しながら言いました。

「お父さん、やっぱりお父さんがしてやった方がよかよ。心の無か人がしたら、牛が苦しむけん。お父さんがしてやんなっせ」

坂本さんは黙って聞いていましたが、それでも決心は変わりませんでした。



朝、坂本さんは、しのぶ君が小学校に出かけるのを待っていました。

「行ってくるけん!」元気な声と扉を開ける音がしました。

その直後、玄関がまた開いて「お父さん、今日は行かなんよ!わかった?」としのぶ君が叫んでいます。坂本さんは思わず、「おう、わかった」と答えてしまいました。

その声を聞くとしのぶ君は「行ってきまーす!」と走って学校に向かいました。

「あ~あ、子どもと約束したけん、行かなねぇ」とお母さん。



坂本さんは、渋い顔をしながら、仕事へと出かけました。会社に着いても気が重くてしかたがありませんでした。少し早く着いたのでみいちゃんをそっと見に行きました。牛舎に入ると、みいちゃんは、他の牛がするように角を下げて、坂本さんを威嚇するような ポーズをとりました。坂本さんは迷いましたが、 そっと手を出すと、最初は威嚇していたみいちゃんも、しだいに坂本さんの手をくんくんと嗅ぐようになりました。

坂本さんが、

「みいちゃん、ごめんよう。みいちゃんが肉にならんと、みんなが困るけん。ごめんよう…」

と言うと、みいちゃんは、坂本さんに首をこすり付けてきました。それから、坂本さんは、女の子がしていたようにお腹をさすりながら、

「みいちゃん、じっとしとけよ。動いたら急所をはずすけん、そしたら余計苦しかけん、じっとしとけよ。じっとしとけよ」

と言い聞かせました。

牛を殺し解体する、その時が来ました。

坂本さんが、

「じっとしとけよ、みいちゃんじっとしとけよ」

と言うと、みいちゃんは、ちょっとも動きませんでした。その時、みいちゃんの大きな目から 涙がこぼれ落ちてきました。坂本さんは、牛が泣くのを初めて見ました。

そして、坂本さんが、 ピストルのような道具を頭に当てると、みいちゃんは崩れるように倒れ、 少しも動くことはありませんでした。普通は、牛が何かを察して頭を振るので、急所から少しずれることがよくあり、 倒れた後に大暴れするそうです。

次の日、 おじいちゃんが食肉加工センターにやって来て、坂本さんにしみじみとこう言いました。

「坂本さんありがとうございました。昨日、あの肉は少しもらって帰って、 みんなで食べました。孫は泣いて食べませんでしたが、『みいちゃんのおかげでみんなが暮らせるとぞ。食べてやれ。みいちゃんにありがとうと言うて食べてやらな、みいちゃんがかわいそうかろ?食べてやんなっせ。』って言うたら、孫は泣きながら、『みいちゃんいただきます。おいしかぁ、おいしかぁ。』て言うて食べました。ありがとうございました」

坂本さんは、もう少しこの仕事を 続けようと思いました。



ある学校で、保護者の一人から、「給食費を払っているのに、『いただきます』と子どもに言わせるのはおかしい」というクレームがあった、との話を聞いたことがあります。

「なんという常識のない保護者なんだ!」と片付けるのは簡単です。でも、もしもこの保護者が、この話を知っていたとしたら、どうだったでしょう?

現在の食生活は、「命をいただく」というイメージからずいぶん遠くなってきています。そしてその結果、 食べ物が粗末に扱われて、日本での一年間の食べ残し食品は、発展途上国での、何と3300万人分の年間食料に相当するといいます。

私たちは 奪われた命の意味も考えずに、毎日肉を食べています。

動物は、みんな自分の食べ物を自分で獲って生きているのに、人間だけが、自分で直接手を汚すこともなく、坂本さんのような方々の思いも知らないまま、肉を食べています。動物だろうが植物だろうが、どんな生き物であっても、自分の命の限り精いっぱい生き続けたい、そう願って生きているんだと私は思います。

命をいただくことに対しての「思い」。

お肉を食べて「あ~、美味しい。ありがとう」

お野菜を食べて「あ~、美味しい。ありがとう」

そこに生まれる思いはどんな思いでしょう?

お肉を食べて「うぇ~、マズッ!」

お野菜を食べて「うぇ~、マズッ!」

そこに生まれる思いはどんな思いでしょう?

食べ物をいただくとき、そこに尊い命があったことを忘れずに、その命を敬い、感謝の言葉をかけてあげられる人に育ちましょう。

今日もまた、 食べられることへの感謝の言葉、「ありがとうございます。感謝します。いただきます」。

食べているときの「美味しい!」という言葉。

そして食べ終わった後の、「あ~、美味しかった。ありがとうございます。ご馳走さまでした」

という「食べられたこと」への感謝の言葉をかけてあげましょう。もちろん、食べ残しをせずに。

食べ物が、あなたの体を作ります。あなたの体に姿を変えて、あなたの中で生き続けます。そして、体の中からあなたを精いっぱい応援してくれています。あなたができる最高の恩返しは、たくさんの生き物たちから命のバトンを託されたあなたの命を、いっぱいに輝かせること。喜びに満ちた人生を過ごすこと。それが、あなたと共に生きているたくさんの命たちが、いちばん喜ぶことなんです。

みんなの分まで、命いっぱいに輝きましょう!



出典:西日本新聞社「いのちをいただく」

命について、とても考えさせられるエピソードですので、
ぜひシェアしてくださいm(_ _)m

日本のために    世界からの日本の評価 Vol.6

2013年08月24日 14時52分48秒 | 色んな情報
日本のために    世界からの日本の評価 Vol.6


京免 史朗

━━━ヘレン・ミアーズ(アメリカ歴史学者)
こうした公式記録を見る限り、なぜ、日本が韓国国民を「奴隷にした」として非難されるのか理解できない。もし、奴隷にしたのなら、イギリスは共犯であり、アメリカは少なくとも従犯である。日本の韓国での行動はすべて、イギリスの同盟国として「合法的」に行われたことだ。国際関係の原則にのっとり、当時の最善の行動基準に従って行われたことである。しかも、その原則は日本がつくったものではない。欧米列強、主にイギリスがつくった原則なのだ。

1910年、日本が韓国を併合したのは韓国の新皇帝が「請願」したからだった。パールハーバー(真珠湾攻撃)以前は、日韓関係について 語る歴史家は、日本は欧米列強から教わった国際関係の規則を実に細かいころまでも几帳面に守っていた、と言ってほめるのだ。トリート教授に よれば日本は「ひとつひとつの手続きを外交的に正しく積み上げてきた。そして宣言ではなく、条約で、最終的な併合を達成したのである。事実、列強の帝国建設はほとんどの場合、日本の韓国併合ほど「合法的」 手続きを踏んでいなかった。

━━━スリム中将(イギリス第十四軍司令官)
かくの如き望みのない目的を追求する軍事上の分別を何と考えようとも、この企図を行った日本軍人の最高の勇気と大胆不敵さは疑う余地がない。私は彼等に比肩し得べき如何なる陸軍も知らない。

たたかれ、弱められ、疲れても自身を脱出させる目的でなく本来の攻撃の目的を以て、かかる猛烈な攻撃を行った日本の第三十三師団(注インパール作戦)の如きは、史上にその例を殆ど見ないであろう。

━━━エリック・ホプスバウ(ロンドン大学教授)
インドの独立は、ガンジーやネールが率いた国民会議派による非暴力の独立運動によってではなく、日本軍とチャンドラ・ボース率いるインド国民軍が協同してビルマ経由インドへ進攻したインパール作戦によってもたらされた。

━━━フレデリック・アーサー・マッケンジー(カナダ人ジャーナリスト、1906年ロンドン・デイリーメール紙)

伊藤博文侯は世界周知の如く日本の最も偉大かつ、有名な政治家である。彼の韓国赴任は、たいへんな自己犠牲であった。伊藤博文侯が、その韓国改善のプランを打ち明けたとき、私の心は躍った。そこには、改革、公正、斡旋があった。李朝朝鮮がこれまで犯したあらゆる誤りがそこでは救済されるはずであった。「私は、自分が韓国国民と日本国民との間に立って、両者の間に正義がおこなわれるようにすべき立場に立っていると思う」と侯はそう言明したのである。

━━━ジャヤワルダナ(スリランカ元大統)
アジアの諸国民はなぜ、日本が自由になることを切望しているのか。それは、アジア諸国民と日本との長きにわたる結びつきのゆえであり、また、植民地として従属的地位にあったアジア諸国民が、日本に対して抱いている深い尊敬のゆえである。

往時、アジア諸民族の中で、日本のみが強力かつ自由であって、アジア諸民族は日本を守護者かつ友邦として、仰ぎ見た。私は前大戦中のいろいろな出来事を思い出せるが、当時、アジア共栄のスローガンは、従属諸民族に強く訴えるものがあり、ビルマ、インド、インドネシアの指導者たちの中には、最愛の祖国が解放されることを希望して、日本に協力した者がいたのである。セイロンは日本への賠償請求権を放棄。セイロンに続き、インド、ラオス、カンボジア、アメリカも賠償請求権を放棄している。

━━オリヴァー・リトルトン(英保守党内閣・生産相、1944年)
米国が戦争に追込まれたというのは、歴史を歪曲するも甚だしい。米国が余りひどく日本を挑発したので日本は真珠湾攻撃の止むなきに至ったのだ。

━━━ジョン・トーランド(歴史家)
日米開戦前にアメリカは日本の暗号解読に成功し、大使館宛の通信は全て傍受していた事は事実です。これは米政府も情報を公開し公式に認めています。私の住んでいるサンフランシスコにも当時、日本領事館の通信を盗聴するため常時諜報部員2人が詰めていたビルが今も雑居ビルとして健在で、私はその一室を見に行ったことがあります。

━━━ウーレ・ウエットラー(ドイツ軍退役将軍)
純粋に軍事史的見地から調べた結論から言うと、兵士の訓練度、司令官の質、全ての面で日本軍の優秀さは群を抜いていた。民間人に対する対応も、占領軍であるにも関わらず、実に礼儀に富んだものであった。

━━━高宗 (朝鮮王)
伊藤を失ったことは、わが国といわず、日本のみならず、東洋の不幸である。その凶漢が朝鮮人とあっては、赤面のほかない。

━━━ジョージ・S・カナへレ(政治学博士)
日本占領軍がインドネシア民族主義の為に行った種々の仕事の中で最も重要なものの一つは正規軍及び準軍事組織を創設して、それに訓練を与えたことである。このような機会がなかったならば戦後のインドネシア民族革命の経過は違ったものになっていたであろう。

━━━ドイツの歴史教科書
日本のナショナリストや軍国主義者は、黄色人種を白人の支配から解放するために戦争を遂行したと主張した。この中で自分たちの利害を包み隠しているが、真実をついた面もある。ベトナムやインドネシア、インドなど、欧州諸国に支配されていた植民地諸国の国民による独立運動は、日本(初戦)の勝利によって加速された。数年のうちにニッポンは欧州の植民地支配層を追い出し、こうした支配層の特権が大きく損ねられたからだ。

━━━ラッド博士(宣教師)
朝鮮は日本の保護によって新生命、新光明に浴している。高い政治道徳を重んずる進歩的であり円満である伊藤総監によって、朝鮮人は暗黒時代 から光明世界に導かれ、未開時代から文明時代に進むべく手をとられて進みつつあり、旧来の久しい悪政から免れ、彼らの生命財産は確実に保護 されつつあって、あらゆる面において、三年間に二倍の進歩を遂げた。

━━━クリストファー・ソーン教授(英・サッセックス大学)
日本は敗北したとはいえ、アジアにおける西欧帝国主義の終焉を早めた。

━━━デイリー・メイル紙(英国)
日本が戦争を始めた理由は、フィリピンを初めとする東洋へのアメリカの進出を、いかに日本が恐怖に感じたかを理解しなければ分からないだろう。また 1941年に、アメリカが日本へのいっさいの石油資源の供給を絶った時の日本の感じた深刻さも無視することはできないであろう。そう考えてみれば、真珠湾攻撃を一方的に卑劣だと非難することはあたらない。

━━━ハリス博士(宣教師)
私の見るところをもってすれば、伊藤博文侯の統治は最大なる賞賛に値するべきものであり、大変満足しております。韓国国民は今やようやく、彼をもって自分達の友人であると知って、これを事実の上に現し始めました。過去三年の間における韓国の進歩の大きいことは、実に私をして統監政治の最も熱心な支持者であることを告白せしめます。私は伊藤侯の必ず成功すべきことを信じて疑わないものであり、また、すべての宣教師及びその他の韓国における文明開発の義務を知る者は、等しく伊藤侯の統治を支持しなければならないと思います。

━━━ルイス・マウントバッテン大将(英国軍東南アジア総司令部司令官)
かつて不敗を誇った日本軍も半年の死闘に衣服や靴もボロボロとなり、ささえるものは不屈の精神力だけであった。日本軍はインパールにおいて、ついに敗れたが、そこには何かが残った。それは歴史学の権威トインビーがいみじくも喝破したとおりである。すなわち『もし、日本について、神が使命を与えたものだったら、それは強権をわがもの顔の西欧人を、アジアのその地位から追い落とすことにあったのだ』

『泉光院江戸旅日記』という本『ぼやきっくり』    江戸時代を見直そう

2013年08月24日 14時29分32秒 | 色んな情報
『泉光院江戸旅日記』という本『ぼやきっくり』    江戸時代を見直そう

京免 史朗■石川英輔(作家)

 なぜ歴史学者は悪いことばかりをほじくり出して研究するようになったのか、その理由について井沢元彦さんが『逆説の日本史』で、日本の史学三大欠点として説明しています。その一つに史料至上主義があります。つまり紙に書かれていないことは無視するんです。私が井沢さんに「本当にそうなの?」と尋ねると、「だいたいそういう傾向だ」と。それなら悪いことしかないのが当たり前です。今日私たちが目にする現代の資料はテレビのニュースです。地方のニュースにはお祭りの話題などもありますが、全国のニュースには楽しいのはありません。犯罪や事故ばかり。これを全部録画して、二百年後の歴史学者に見せたら、この時代をどのように描くでしょうか。おそらく地獄になってしまう。史料至上主義はそれと同じことなんです。

 私が講談社から出した『泉光院江戸旅日記』という本があります。日向の山伏の野田泉光院という人が、文化から文政にかけて六年三カ月かけて日本中歩き回る。彼はちゃんとした教養人ですが、お金を使わないんです。それで銭がたまりすぎて重くなると銀貨と交換する。そんなことが日記に書いてあるわけです。私が江戸の研究者になったのは、その原本を読んだのがきっかけです。

 彼は地面を這いずるように農村を歩き回り、おもらいをする。島津家の親類の偉い山伏なんですよ。その人が乞食(こつじき)修行と称して日本中を歩き回る。面白いのは夜になると必ず人が出てきて「旅の人、こっちにいらっしゃい」と泊めてくれる。人を泊めてはいけない村というのもありますが、そこでは「いらっしゃいまし。もう誰も見ていないからうちへ泊まりなさい」と。そんな感じで六年三カ月もうろうろする。その間、彼は一度も野宿をしていませんし、一揆もなければ、飢饉もない。文化文政期というのは江戸時代のなかでもいい時代ですが、あまりにも平穏な時代でした。それで、彼のような旅人が来るのを待ちかまえている人が全国にいたんです。テレビもラジオもないわけですから、旅人が来れば歓待して話を聞きたがるわけですね。

 こんな日記を読めば、だれだって今まで自分が読んできた日本の歴史とは何だったのかと思うでしょう。

【日本軍の軍紀は世界一厳正だった】

2013年08月24日 11時21分39秒 | 色んな情報
【日本軍の軍紀は世界一厳正だった】

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【日本軍の軍紀は世界一厳正だった】

日本軍の軍紀に就いては、北清事変(義和団事件)当時にも欧米列強から賞賛され、各国軍隊の模範とされたことがあるが、かつて我々が中国戦線を征ったとき、その先々で中国民衆から熱烈歓迎を受けたのも、それは故なきことではない。

そんなことを知ってか知らずか、いわゆる戦後の進歩的文化人と称する売国奴どもは、日本軍の残虐行為なるものを捏造して、繰り返し繰り返し己の母国を罵倒しつづけているが、外国人(台湾)の評論家黄文雄氏は、次のように正鵠を射た卓見を述べている。

黄文雄氏の言によれば、事実は全く正反対で、日本軍はいつでもどこでも軍律厳しく、しかも人間性豊かであった。それに対して中国軍は残忍極まりない武装集団で、今なお彼らは自国民に対する飽くなき収奪と虐殺を繰り返している。それは中国四千年の動乱の歴史の連続であり、伝統ともいうべき不幸な現実である。

日本軍は日清戦争(1904~1905)以来大東亜戦争(1941~1945)に至るまで、変わることなく軍紀厳正であった。中国民衆にとって、いつ襲って来るかわからない自国の暴徒の如き武装集団に比べ、軍紀厳正な日本軍を信じ熱烈歓迎するのは当然のことで、決して日本軍に阿おもねたり恐れてのことではなかったのである。

フランスの国際法学者フォーシーユは、日本軍を賛えて次のように語っている。「日中戦争で日本軍は、敵が国際法を無視したにも拘らず自らはこれを守り、日本軍人であることに誇りを持っていた。中国兵は卑怯にして残虐極まりない軍隊で、例えば中国軍の捕虜になると、四肢を斬り分けられ、生きながらに火炙あぶりにされたり、磔はりつけにされたりしたのである。更に日本兵の屍に対しても、酸鼻を極めた蛮行を行っている。即ち死者の首を切り落とし面皮を剥ぎとり、或は男根を切り落し、胸部を切り開いて石を詰め込み、首は両耳を穿って紐や針金を通し、さながら魚を串刺しにしたように口から喉に紐を通して持ち運びする等々、それが中国軍の戦争様式であり、日本軍には絶対に見ることのできない支那の戦争文化である」と。

フランスのフィガロ紙の従軍記者カレスコート・イリュスト、ラシオン紙の記者ラロ、両氏の『日本軍戦闘観戦記』によれば、

「日本軍隊は世界に対して誇るに足る名誉を有する。吾らは日本軍の如き慈愛心の富める軍隊を、この地球上広大なりといえども他に発見し得るか怪しむものなり」

と絶賛し、中国軍の暴虐蛮行については次のように記している。

「ひるがえって中国軍を見よ。日本兵のひとたび彼らの手に落つるや、あらゆる残虐の刑罰をもってこれを苦しむるなり。その残虐非情なる行為は、正に野蛮人にあらざれば為し得ざるものなり。然るに日本軍は、これあるにもかかわらず、暴に報ゆるに徳をもってす。さすがに東洋の君主国に愧じずというべし。」

北清事変(義和団事件)において、当時従軍した日本軍の軍紀が欧米列強の評判となり、賞賛されたことは冒頭に述べたが、その事実の証として次のような事があった。

天津落城の際天津市民は、「大日本順民」と書いて日章旗を掲げて日本軍に感謝の意を表明した。

また北京落城後、列強連合軍は北京市内を国別に分割管理したのであるが、その時ロシア軍管区では、軍紀が乱れてロシア兵が暴徒と化し、虐殺、放火、強姦など暴行の限りを尽し、そのため市民は難を逃れて日本軍管区へ洪水の如くに押し寄せた。たまりかねた北京市長は、その暴状を英国公使マクドナルドに訴え、ロシア管区を日本管区に替えるよう嘆願したという。

これらの事実は、ウッドハウス・映子の『北京燃ゆ』やジョージ・リンチの『文明の戦争』等に記述されている。およそ戦争の形態とか様式などというものは、その国々の文化様式でもある。武士道社会の伝統を受け継いだ日本軍は、近代戦の戦場に於ても武士道精神を発揮し、軍律厳しく整然と戦ったのである。

そして日本政府は、在日中国人に対しては戦時中と雖も国際法を守り、彼らの生命財産を守ったのであるが、在中国の日本人居留民は、日中間に紛争が起こるたびに虐殺、掠奪、暴行を受けつづけたことは、日清戦争以来枚挙にいとまがない事実である。

さて、これらの事例は、外国人の見聞記であるところに大きな意味と価値がある。日本人の自画自賛では決してないのである。日清戦争から大東亜戦争に至る聖なる戦いを、日本人でありながら臆面もなく、総て侵略戦争なりと言い切る「似て非なる日本人」よ、もって如何となすや。

(仏印進駐、ベトナム人が見た日本軍の印象)
日本軍は規律正しかった。
昭和15年(1940年)9月23日、日本軍は「松岡-アンリ協定」に基づいて仏印(ベトナム)へ進駐しました。ベトナム人は日本軍についてについてどう思ったでしょうか。

『仏印進駐記』(日本の記者の著、昭和16年10月 GHQ焚書図書開封2より)
「市民たち、殊にフランス人たちは、案外な気持ちをありありと顔にも口にも現した。それは長い間の悪意ある宣伝にのって、野蛮な日本軍、乱暴者の日本人、を信じきっていた人々であった。
彼等は"日本軍が来る"という一言を聞いたその瞬間から、あらゆる最悪の事態を想像していたのである。上を下へ、まるで戦場のように無秩序になり、荒涼と荒み果てるであろうサイゴンの街頭風景を妄想して、ひそかに恐れ戦いて(おののいて)いたのである。
あるフランス人は聞くほうで赤面したくなるような露骨な言葉で彼等が想像していた『日本軍の野蛮さ』について語った。それらはすべて過去四年間の支那事変途上蒋介石の宣伝機構及び敵意ある二、三の外国によって合作された『物語』だったのだが、仏印の中だけしか知らぬ単純な人々は、何の躊躇もなしに、今日までそれを信じてきたのである」

国民党宣伝部のプロパガンダが広まっていたことがわかります。

「その人々は、現実に日本軍の進駐を見、そして日を経るに従って段々驚きの念を増していった。
それではあれほどしばしば尤もらしく語られ、そして自分達もまた何の気も無く頭から信じていた『悪魔のような日本兵』に関する物語は全くのウソだったのか。
現に見る日本兵は、大人しく店の飾り窓などを眺めながら三々五々街を歩いている。彼等はまるで子供のようなあどけない笑顔をしているではないか。ブス(三輪タクシー)のクーリーにまといつかれて困惑しきっているではないか。仏印でも、支那などでも同じように土人たちは、人の顔さえ見れば乞食になって手を出すのが習慣になっているが、子供など抱いた女に手を出されると彼ら日本兵は何か日本語で言いながら小銭をやっているではないか。
これが話に聞いていた『悪魔のような日本兵』なのだろうか。案外である。実に案外である。
夜になるとごく少数の将校以外は、日本兵の姿など街中の何処にも見られない。それも十時、十一時になると、憲兵の一隊が自動車で街中を巡視して歩くほどの秩序である。案外である。実に案外である」

戦後、我々は支那のプロパガンダと同じように、日本軍は大陸で残虐なことをやっていた、と教え込まれましたが、全くのウソです。日本軍の規律はとても厳しいもので陸軍刑法では強姦罪は「無期または7年以上」の懲役です。住民の財物を略奪したら1年以上の懲役、戦死者や戦傷者から物を取り上げても1年以上の懲役になるのです。

以降、日本軍とベトナム人の関係は良好だったようです。昭和20年3月、日本軍がクーデターを起こし、フランス植民地政権を打倒しました。ベトナムの人々は日本を信頼し、日本人の「礼節をわきまえた態度」やその軍事行動に見る「的確で迅速な動き」、「規律ある行動」、あるいは日本軍人たちが住民に示す「温和でやさしい態度」に「さすがニッポン!」と賞賛したといいます。