今夜はN響12月公演で東京芸術劇場。
諏訪内晶子さんのベートーヴェンヴァイオリン協奏曲を聴くため。
11月公演で神尾真由子さんのバーバーが素晴らしかったので、やはり生を聴かなくてはと思って。
それほど心の琴線に触れてこなかった前半が終わり。
休憩後に眩いばかりの諏訪内さんが現れ、ティンパニで始まったオーケストラは前半とはまるで違って聴こえた。
その導入部に続き、諏訪内さんが弾き始める。
身じろぎ、いや息さえ、しばらくつけなかった。
聴きながら、3日前に岡田暁生さんがいっていたことが浮かんだ
時代の趨勢は録音だが生演奏にはかわれない....
録音ではかなりの帯域の部分を切っている....
不可聴音域が音楽を感動的なものにする重要な役割を....
そうだ、いまこうして聴いている諏訪内さんの演奏、この音は、CDでは絶対に聴けないものなのだ。
15メートル先に見える諏訪内さんの信じがたい指さばき、弓さばき。
中低音から超高音での様々な音色が、様々な感情を表現して胸に迫ってくる。
やがて終盤が近づいて来る。
終わってほしくない。もっと聴いていたい。
でもエンディングはやってくる。
割れんばかりの拍手が続く。観客の、楽団員の、マエストロの。
諏訪内さんも納得の笑顔で、楽団員を讃えて。
今日のような素晴らしい演奏は、コンサートでなければ絶対に聴けない。
諏訪内さんのコンサートを今後何回聴いたとしても、今日と同じベートーヴェンは聴けない。
そんな当たり前のことを考えながら、ぼくはホールを後にした。