あこがれ南風

いつかは南の島に移住したい!まったりのんびり暮らすことを夢見るアラフォーど真ん中の日常です→いつのまにか50代に突入

土井晩翠

2010-06-20 21:33:33 | 日常生活
88歳の祖母は、当時としては珍しい女学校出が自慢です。

田舎の豪農の娘だったことから、村で姉と祖母だけだったそうですが、町の女学校まで通わせてもらったそうです。

毎日4里の道のりを自転車で通学していたそうですが、4里と言えば15キロ道路も今のように整備されていないでしょうから、かなりの脚力だったと思います。

先日「おばあちゃん、シワ増えたね~」と言ったら、「4年間、女学校に通った時に、日に焼けたから」と言っていました

認知症が進んでいる祖母ですが、本人も言うように「時々、頭がはっきりするときがある」そうで、先日、一緒に本を読んでいると「女学校の時、土井晩翠先生が講演にきたな~」というのです

「どんなお話をしたかは忘れたけど、すごいおじいちゃんだったことは覚えている」

祖母が女学生だったのは、昭和12、3年頃だと思うのですが、土井晩翠先生はその頃、まだ60歳代後半…

でも戦前のことですから、やっぱり老けていたのだと思います。

仙台市民にとって、土井晩翠先生はかなりメジャーな存在です。

青葉通りには、土井晩翠先生が晩年を過ごした家が晩翠草堂として残されているし、荒城の月の作詞者としても有名ですよね。



荒城の月と言えば、私が中学生の頃までは、丸光(いまのさくら野)で、午前10時、正午、午後3時、午後5時の計4回、大音量でオルゴールが流されていたのを覚えています

午後9時には「この道」…よくお風呂で聞いたなあ~

祖母と一緒に、昔を懐かしむ一時でした