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バイリンガルで失語症…④坊主友の会

2004年12月03日 17時54分07秒 | エッセイ
2002年5月、私は病院に外出届けを出して実家に戻った。手術までの数日間、
約一年ぶりに実家の料理の味にした鼓を打った。そして、着物を着て、少し
早いが成人式の写真も撮った。
それは、私自身、『もしかしたら、もう二度と振り袖は着る機会が無いかも知れない』と
死を覚悟しての事だった。もし、手術が成功したとしても、頭を丸刈りにしなくてはいけない
のだから、1月の成人式までに髪が伸びると言うのは期待できなかったからだ。かくして、
振袖を着た私は撮影を終え、病院にやって来た。看護婦さん達に、私の振袖姿を見せ、
当時、同じ病棟に入院していた、私の祖父にも着物姿を見せる事ができた。祖父は寝たきり
だったが、私が誰だか分かったらしく、涙を流して喜んだ。もし、あの時、振袖姿を見せなければ、祖父は一生私の振り袖姿を見る事は無かっただろう。そう、祖父はその二ヶ月後、7月28日に
息を引き取ったからだ。享年85歳だった。
2002年6月某日、とうとう手術の日、前日になってしまった。午後、看護婦長が私の所に来て、
『じゃあ、髪の毛を刈りましょう。』と言った。私を坊主頭にしたのは、2人の看護実習生だった。男の子の方は高校で野球部だっただけあって、バリカンの扱いには慣れていたが、女の子はバリカンを使うのは初めてで、髪の毛がバリカンに挟まって、とても痛かった。なんとか坊主になった所で、私は母に言って、写真にこの記念すべき坊主頭を収めた。実は、以前、映画で『GIジェーン』を見て以来、カッコイイ坊主頭に憧れていた。私は頭の形が良かったので、坊主頭は事のほか似合った。頭を洗いに病院内の温泉に行くと、そこにいたオバちゃん達は、『お兄ちゃん、男風呂はあっちだよ!』と言って、私を追い出そうとした
それでも構わず、風呂に入ろうとしたら、看護婦さんに通報されて、焦った
風呂から上がって戻ると、同じ病室の人たちが、『可愛い坊主だ』と言ってくれた。そう、脳外は坊主は坊主友の会なのである。
コメント (4)
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